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都会の異物

「わ、悪ぃな…! 待たせた…!」


肩で息を切りながら、勝彦が戻ってきた。


「お、おう……」


「さ、さぁ……駄菓子……好きなの選べよ……」


明らかに疲れ果てている。 そして、その後ろからゾンビのように這い出てきた博之と三英も、同様に虫の息だった。 特に三英は、Tシャツの色が変わるほどに全身から汗を噴き出している。


(あの体型で全力疾走か……)


彼方は冷静に、かつ少し呆れながら分析した。 彼らの体力と引き換えに手に入れた「奢り権」。無下にするわけにはいかない。


「好きな物って言われてもなぁ」


彼方は勝彦に促されるまま、駄菓子屋の棚を見て回る。 狭い店内に所狭しと並べられた色とりどりのパッケージ。 昭和の記憶を閉じ込めたような十円ゼリー、銀色の袋に入った三枚入りのポテトフライ、カラフルなチョコマシュマロに、黄金色に輝くべっこう飴。


(こ、これが、本場の駄菓子屋か……!!)


ここまで来ると、ある種のアートだ。 東京のデパートに入っている「駄菓子コーナー」とはわけが違う。 ここには、計算された陳列ではなく、長い時間をかけて積み重なった「混沌と熱気」がある。ありとあらゆる駄菓子が、小さな宝石のようにひしめき合っていた。


「あんまり、駄菓子とか食わねぇの?」


息を整えた勝彦が、横から尋ねてくる。


「ああ、俺は基本、お菓子とか食わないからなぁ……」


彼方がそう答えると、店の奥から、のっそりと人影が現れた。 ステテコ姿の、齢七十程に見える小柄な老人だ。


「ほっほっ……駄菓子はいいぞ……心の栄養じゃ」


仙人のような口調で語りかけてくる。


友蔵(ともぞう)爺ちゃん! 来たぜ!」


勝彦が親しげに手を挙げた。


「なんだ、勝彦も一緒か。また騒がしくなるのぉ」


「なんだとはなんだよ! 今日は客人を連れてきてやったんだぞ!」


「ほほう? ……で、そこの彼は何にするんじゃ?」


友蔵爺ちゃんに促され、彼方はおもむろに手を伸ばした。 選んだのは、十円コーナーにあった箱入りのイチゴ味ガム。 パッケージには、黒猫のような愛嬌のあるマスコットキャラクターが描かれている。


彼方はそれを三つ、手に取った。


「じゃあ、これで」


「……は?」


勝彦が眉をひそめる。


「これだけかよ?」


「え? いや、十分だろ」


合計三十円。 奢らせる側としては、これ以上ないほど謙虚で気を使った選択のはずだ。 普通なら「安く済んでラッキー」と思う場面だろう。


だが、勝彦は違った。


「んだよそれ! 水臭せぇなぁ!!」


勝彦は頬を膨らませ、明らかに不満そうな声を上げた。 彼にとっての「奢り」とは、単なる金銭のやり取りではない。「俺の気持ちを受け取れ!」という魂のぶつかり合いなのだ。 たった三十円のガムでは、彼の熱すぎる情熱のやり場がないらしい。


「もっとこう……ビッ〇カツとか! ブ〇メンとかあんだろ!? 遠慮すんなって!!」


「いや、遠慮とかじゃなくて……」


彼方の「仮面」と、勝彦の「本音」が、駄菓子屋の軒先でパチパチと火花を散らしていた。


〜*〜*〜*〜


結局、彼方は勝彦の熱量という名の圧力に屈した。 「もっと買えよ!」と急かされ、追加で麩菓子やきなこ棒など、七十円分ほどの駄菓子を手に取ることになったのだ。


しかし、会計を済ませてみて改めて思う。 安い。安すぎる。 東京では「駄菓子屋」という看板を掲げていても、テナント料や人件費、そして容赦ない消費税の波に飲まれ、かつての十円菓子が三十円、四十円に値上がりしていることはザラだ。 それがこの村では、昭和の価格設定そのままで時が止まっている。 一つ四十円のお菓子が、ここでは十円。 この村の経済圏はどうなっているんだ、と彼方は半ば呆れ、半ば感心した。


そんな彼方の思考など露知らず、勝彦は隣で満足げに、自身で買った酢昆布を口に放り込んでいる。 「ん〜! この酸っぱさがたまんねぇんだよな!」 その屈託のない笑顔を見ながら、彼方はふと、二つのことを思った。


一つは、自分自身の冷淡さについて。 たかだか数十円の買い物で一喜一憂できる彼らが、少し眩しく、そしてひどく幼く見える。 それは自分が「大人びている」からではない。単に心が摩耗し、小さな幸せを感じられなくなっている「都会の異物」だからだろう。


そしてもう一つは──高校生にもなって、なぜこれほど駄菓子に必死なのかという疑問だ。 駄菓子は所詮、子供の小遣いで買える安価な嗜好品だ。高くても一つ五十円程度。 コンビニに行けば、スナック菓子一つで数百円が飛ぶ現代において、彼らの金銭感覚はあまりに慎重すぎるように見えた。


(……まさかとは思うけど)


彼方は何気ない口調で尋ねた。


「なぁ、勝彦たちって小遣いとか貰ってるのか?」


見たところ、彼らがバイトをしている様には見えない。 というか、コンビニはおろか信号機すら怪しいこの村で、高校生が働ける場所があるのかどうかも疑わしい。


「ああん? 小遣い?」


勝彦は酢昆布を噛みちぎりながら、キョトンとした顔をした。


「ねぇよ、そんな大層なもん。……基本、俺たちは月に五百円程度貰えりゃいい方だぜ?」


「…………は?」


彼方の思考が停止した。 五百円。ワンコイン。 それは東京の高校生なら、ファミレスのドリンクバーとポテトで一瞬にして消える額だ。 それが、一ヶ月分?


「ご、五百円って……それだけか?」


「おうよ。だからこうやって、慎重に選んでんだよ。……ま、お前が奢らせてくれなかったら、今頃俺の財布はすっからかんだったけどな!」


ガハハと笑う勝彦。 その笑顔の裏にある「五百円」という切実な現実が、彼方には衝撃だった。 この村では、時間だけでなく、通貨の重みさえも外界とは違うルールで動いているらしい。


「逆に聞くけどさ、都会ってのはどうなんだ?」


勝彦が身を乗り出して尋ねてくる。 その瞳からは、先ほどまでの「不気味な奴を見る目」は消え失せ、未知の世界への好奇心がギラギラと輝いていた。


「あ! 俺もそれ聞きたい!」 三英が続く。 「僕も知りたい!」 博之までもが、眼鏡を直しながら興奮気味に食いついてきた。


どうやら、彼方の「神隠しを調べている」という不穏な印象よりも、知的好奇心の方が勝ったらしい。 彼らにとって「東京」とは、テレビの向こう側にあるファンタジーの世界なのだ。


「どうって聞かれてもな……」


彼方は少し考え込み、彼らが一番食いつきそうな話題を選んだ。


「向こうじゃ、高校生になると小遣いは貰えないんだ。その代わり、高校一年生になったら『バイト』をして、そのお金で自分の欲しい物を買ったり、遊んだりするんだよ」


物価は高いし、酸素は薄いし、人は冷たい。 けれど、金さえあれば大抵の自由は手に入る。それが東京だ。 だが、なぜだろう。 不便で、金もなく、十円のガムで一喜一憂している勝彦たちの暮らしが、今の彼方にはひどく豊かなものに見えた。


「小遣い貰えねぇの!?? 世知辛ぇな!」 勝彦が驚愕の声を上げる。


そして、博之がキョトンとした顔で首を傾げた。


「え、ちなみに『バイト』ってなに……? 新しい遊び?」


「は?」


博之の言葉に、彼方は呆気に取られた。 思考が数秒、フリーズする。


(バイトを知らない……? そんなことあるか……? いや……)


彼方は村の景色を思い返す。コンビニはない。ファミレスもない。あるのは個人商店と畑と山だけ。 雇用という概念自体が希薄なこの村では、「アルバイト」という労働形態そのものが存在しないのかもしれない。


「バイトってのは……えっと、自分でお店のお手伝いをして、お金を貰うことだよ。まぁ、仕事だね」


彼方は噛み砕いて説明した。 「パート」や「シフト」、「時給」なんて言葉を使えば、彼らの脳みそがパンクしてしまうだろうという配慮だ。


「へぇ……手伝いかぁ。……ちなみに、それって月に何円くらい貰えんの?」


勝彦が興味津々で尋ねる。 その口ぶりからして、せいぜい「数百円」、多くても「千円」といったレベルを想像しているようだ。


彼方は、ごく平均的な相場を口にした。


「十万くらいかな」


その瞬間。 駄菓子屋の軒先から、一切の音が消えた。


三人は彫刻のように固まっている。 博之に至っては、指で摘んでいた大切なポテトフライが、スローモーションのように手から滑り落ち、地面に虚しい音を立てた。


そして──。


「「「はぁぁぁぁぁぁ!???」」」


三人の絶叫が、完璧なハモりとなって空蝉村の空に響き渡った。


「じゅ、じゅじゅ、十万!?? じゅうまんえんんん!!??」


勝彦が腰を抜かしそうになりながら叫ぶ。 彼らにとっての「月収五百円」の世界からすれば、それはもはや天文学的な数字。国家予算を聞かされたような衝撃だろう。


(まぁ……そうなるよな)


彼方は、地面に落ちたポテトフライと、口をパクパクさせている三人を見比べ、どこか遠い目をした。 十万円稼ぐ大変さと、五百円で笑い合える幸せ。 果たしてどちらが人間らしいのか。 リュックの中の三十万円が、急にただの紙切れのように思えてくる彼方だった。

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