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もう一人の来訪者

 空蝉村。 外界から切り離されたこの箱庭に、二日目の朝が訪れた。


 宿の朝食──炊きたての白米と大根の味噌汁、そして香ばしい焼き魚という力強い食事を終えた彼方は、広間で女将と談笑していた。


「お客さんは、どこから来たんだい?」


「東京からです!」


「東京かい! へぇ、一度行ってみたいんだよねぇ」


 目を丸くする女将に、彼方は淀みなく「東京」という街を語ってみせる。 銀座の華やかさ、新宿の摩天楼、そしてアニメの聖地・秋葉原の熱気。 それは彼方にとって、人が多すぎて酸素が薄い、ただの巨大なコンクリートの迷路でしかなかったが、語り口はあくまで楽しげだ。


「へぇ……東京ってのはそんなところなのかい」


「そうっすよ! どこもかしこも人だらけで、確かに設備とかは充実してるんですけど……俺は、こっちの田舎の方が好きですかね〜」


 彼方はお茶を啜りながら、何気ない風を装って尋ねた。


「女将さんは、この空蝉村から出たことないんですか?」


 女将の返答は、彼方の予想を少しだけ超えていた。


「私どころか、この村の人間は誰も、この空蝉村から出たことがないよ」


「え? ……誰も、ですか?」


 旅行もしないのか? 進学や就職は? 彼方の脳裏に浮かぶ疑問を察したのか、女将は誇らしげに、けれどどこか焦点の合わない瞳で告げる。


「そうさ。この村はね、神様によって恵みがもたらされている……言わば、神様とこの上なく近しい村なのさ」


 彼女は村の方角、おそらくは神社のある山の方を仰いだ。


「だから、誰もこの村から出ようとしない。この村から出たら『バチが当たる』と、本気で思ってるからね」


 ──バチが当たる。 その言葉の響きには、単なる郷土愛とは異なる、強い信仰ゆえの「呪い」にも似た縛りが感じられた。 何とも歪な理屈だと、彼方は思う。 この村は、豊かな自然に囲まれた楽園であると同時に、目に見えない境界線で世界から隔絶された監獄でもあるのだ。


 だが、「神様」という単語が、彼方の記憶にある少女の姿を呼び起こした。


「そういえば……昨日、天鳴神社に行ってみたんですよ!」


「あぁ、あそこの神社は綺麗でとても素敵だろう?」


「ええ! で、それよりなにより、俺あそこにいる巫女さんが凄く気になってしまって!」


 年頃の男子高校生らしい、少し浮ついた声色を演じる。


「えっ……? 巫女さんってのは、もしかして『雫様』の事かい?」


 女将の声色が、一段と低くなった。 親しみではなく、畏敬。あるいは、もっと繊細な硝子細工でも扱うような響き。


「雫様……? 随分仰々しい呼び方ですね? もしかして、かなり偉かったりしました?」


「あっ、そういう訳じゃないんだが……いや……そうかもね。雫様はこの村で一番、立場が上の巫女様かもしれないね」


 女将は一瞬言葉に詰まり、視線を泳がせてからそう言い直した。 その不自然な間が、彼方の好奇心を刺激する。 村人たちは、あの少女をただの巫女として扱っていない。何か特別な、あるいは「特別であらねばならない」理由があるのだ。


「そうだったんですか……。なんだか不思議な女の子だな〜って思って」


「……あの方は、ずっとあの神社にいるからね……たしか、高校生くらいだった筈だけど……」


「やっぱり! 俺と同じくらいの歳だろうなってのはなんとなく、わかったんですよね」


「そうかいそうかい。雫様もきっと、お客さんみたいな明るくて礼儀正しい歳近い男の子がやって来て、驚いただろうね」


 女将は安堵したように柔らかな笑みを浮かべる。 その笑顔は、籠の中の鳥のように神社に留まる少女の退屈を、部外者の彼方が一時でも紛らわせてくれることを期待しているようでもあった。


「女将さん! 今更なんですけど、俺、彼方っていいます!」


「彼方君ね、あいわかったよ」


 その時だった。


 ガラガラガラ……。


 玄関の引き戸が、重たい音を立てて開かれた。 夏の湿気を含んだ風と共に、一人の男が入り口に立っていた。


 無精髭を生やし、季節外れのカーキ色のコートを羽織った男。 その瞳は疲弊しているようにも、鋭く何かを探っているようにも見える。


「……どうも」


「あらいらっしゃい! 宿泊かい?」


 女将が商売人の顔に戻って声をかける。


「ああ。大人一人、二十日ほど頼む」


「二十日!??」


 素っ頓狂な声が上がった。 観光地でもないこの何もない村に、二十日。明らかに異常な滞在期間だ。 しかし、女将はすぐに計算高い笑みを浮かべ、彼方をチラリと見た。 (この子、招き猫みたいだね……!)


 閑古鳥が鳴くこの宿に、立て続けに長期滞在の客が来るなど何年ぶりだろうか。


「じゃあ部屋へ案内するね!」


「……頼む」


 女将は嬉々として彼方に手を振り、男を宿の奥へと促した。 男は彼方に一瞥もくれず、無言ですれ違っていく。 その背中から漂うのは、彼方と同じ「部外者」の匂い。そして、彼方とは違う、何らかの明確な「目的」を持った者の重圧だった。


 〜*〜*〜*〜


 もう一人の来訪者──あの無愛想な男の背中を見送った後、彼方は宿の暖簾をくぐり、外の空気の中へと踏み出した。


 夏の陽射しが眩しい。 ふと、通りの向かいにある古びた駄菓子屋の軒先から、賑やかな声が聞こえてきた。 10円玉を入れて弾く、昔ながらの「新幹線ゲーム」か、あるいはスマートボールか。色褪せたゲーム台を囲み、一組の男子たちが熱狂している。


「おい! 下手くそ! 俺に貸してみろよ!」 「えぇ〜! かっちゃん、あと一回だけー!!」 「じゃああと一回失敗したら、約束通り駄菓子奢りな!」 「うわっ、鬼畜!」


 そんな、彼方にとっても既視感のある、ありふれた放課後の光景。 私服姿だが、背格好や声変わりしたばかりのような声のトーンからして、彼方と同じ高校生くらいだろう。


(ここの高校生も、東京の高校生も……根っこは似たようなもんだな)


 彼方は微笑ましさ半分、どこか冷めた観察眼半分でそう思う。 彼らにとってここは生活の場であり、彼方にとっては非日常の舞台。だが、青春の浪費の仕方はどこも変わらない。


「……あれ?」


 ふと、リーダー格らしき少年──「かっちゃん」と呼ばれていた少年が、視線に気づいて顔を上げた。 彼が仲間を小突くと、少年たちはゲーム台から離れ、物珍しい動物でも見るような視線を向けて駆け寄ってきた。


「おいお前! 見たことない顔だな!」


 遠慮もなければ、距離感もない。 都会ではまずあり得ない、不躾だが裏表のない好奇心。彼方は内心で苦笑しつつ、いつもの仮面を貼り付けた。


「ああ、俺は時坂彼方! 東京から、ここへは調査に来てるんだ!」


「調査ぁ?」


 リーダー格の少年は、怪訝そうに眉をひそめる。


「そう、調査! 夏休みの自由研究でさ、ここの『神隠し』や伝承を調べに来たんだよ」


 彼方は屈託のない笑顔で、明るく言い放った。


 その瞬間だった。 少年たちの顔から、さっきまでの無邪気な色が抜け落ちた。


「…………はぁ!?」


 リーダー格の少年が、裏返った声を上げる。


 彼らにとって「神隠し」とは、決して触れてはならないタブーであり、幼い頃から大人たちに聞かされてきた恐怖の対象だ。 それを、この都会から来た余所者は、あろうことか「夏休みの宿題」という軽いノリで、しかも嬉々として調べに来たという。 その感覚のズレは、彼らにとって理解不能であり、本能的な拒否感を抱かせるものだった。


「え? なに?」


 彼方のキョトンとした反応に、少年たちは一歩、後ずさる。


「い、いや……別にそれはお前の好きにしたらいいけどよ……。普通そういうのって、怖がるもんだろ……?」


「そうか?? 俺は全然、怖くないけどな……」


 むしろ、惹かれている。 そう続きそうになる言葉を飲み込む。だが、隠しきれない「死への好奇心」は、敏感な彼らのアンテナに引っかかったようだ。


 少年たちの間に、ざわめきが走る。


「(おい……かっちゃん……! こいつやべぇよ……!)」 「(だよな……! 関わったらダメな奴だって……!)」 「(なんか……何考えてるか読めない顔してるしさ……! 話しかけない方がいいんじゃね……!?)」


 本人たちはコソコソ話のつもりだろうが、その切迫した囁きは彼方の耳に丸聞こえだった。


(こいつら、まじで失礼だな)


 と思いながらも、彼方は表情を一切変えず、貼り付けたような笑顔でニコニコと少年たちを見つめ返すのだった。 その笑顔が、彼らの恐怖をさらに煽っているとも知らずに。

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