彼女はいつも僕の写真を身につけている
畳敷きの広い部屋から、次々に人々が廊下へ出て行く。
散会に伴う寂寥感が漂い始める中。
置きっぱなしの座布団を片付けていた山乃辺涼太は、小さな落とし物に気が付いた。丸みを帯びた、銀色の物体だ。
「これって確か、いつも田所さんが首から下げているやつでは……?」
大学の音楽サークルで行われている、一週間の夏合宿。その三日目の夜の出来事だった。
真面目なサークルなので、基本的には一日中、朝から晩まで練習漬けのスケジュールだ。しかし今日の夕食後には、親睦を深める意味で、レクリエーションの時間が用意されていた。
同じ学年同士で集まってのトランプ大会であり、涼太が密かに気になっている田所さんも、もちろん参加していた。
涼太は工学部だが、彼女は文学部だ。サークル内でもパートが異なるので、練習中に交流する機会も少なく、こういう時こそ親しくなるチャンス。そんな期待もしたけれど、残念ながら座った場所が離れており、ほとんど会話も出来なかったのが……。
「うん、間違いない。田所さんの忘れ物だ!」
手に取って確認すると、彼女のペンダントだった。
ほとんど装飾はなく、シンプルなデザインだが、機能性が重要なのだろう。ロケットペンダントと呼ばれるタイプのもので、普通は写真入れとして使われる。
右横の小さな突起を押せば開閉できる仕組みで、実際に田所さんが開け閉めする姿を、涼太も何度か見たことがあった。
「練習中も中の写真を見ていたよな? よっぽど気になる人の写真が入っているはず……」
そんな大切なペンダントを忘れて行くなんて!
これを急いで届けたら、彼女の好感度がアップするに違いない。
利己的な考えにとらわれる涼太。同時に、もっと邪な考えも頭に浮かんでしまう。
「今ならペンダントの写真、黙って確かめることも出来るよね……?」
他人のものを勝手に見るのは良くないことだ。大切にしている写真ならば尚更だろう。
一応は罪悪感から目を閉じて、そのままカチッとペンダントを開く。
ほんの一瞬だけ開けた目で、中身を確認。すぐに自分の目をつむり、ペンダントも再び閉じた。
しかし、その「ほんの一瞬」で十分だった。涼太の目に映ったのは、彼自身の顔だったのだ。
「まさか田所さんが……。いつも僕の写真を身につけていたなんて!」
驚愕の表情は自然に、満面の笑みへと変わるのだった。
――――――――――――
「田所さん! 田所さん、ちょっと待って!」
背後からの声を田所まりかが耳にしたのは、仲良しの友達二人と共に大浴場へ向かう途中。女湯を示す赤い暖簾が、ほんの数メートル先に見えている辺りだった。
二人の友達が先に立ち止まり、彼女も足を止めて振り返る。
後ろから追いかけてきたのは、同学年の男の子だった。
練習後に一緒に食事に行ったり、休みの日に遊びに行ったりしたことはない。それほど親しい間柄ではないけれど、同じサークルなので面識はあるし、山乃辺という名前も知っていた。
「山乃辺くん、どうしたの? 何か用事かしら?」
「うん、これ。さっきの部屋に落ちていたんだけど……。田所さんの忘れ物だよね?」
そう言いながら彼が差し出したのは、彼女のペンダント。
いつもは首から下げているのに、先ほどのレクリエーションの間は、外して脇に置いていた。トランプの邪魔になる程でもなかったが「イカサマするための小道具と思われたら嫌だわ」と余計な気を回したのだ。
終わった後そのまま忘れて、部屋を出てきてしまったらしい。
「あら、本当だ。ありがとう、わざわざ持ってきてくれて」
口では感謝の言葉を述べたものの、浮かべた笑顔はぎこちない。
そんな彼女の内心を、二人の友達は察したのだろう。山乃辺が「どういたしまして」と言いながら立ち去るや否や、ひそひそ話をし始めた。
「お風呂場の近くまで女の子を追ってくるなんて、あいつ、ちょっと気持ち悪いわね」
「落とし物を届けよう、みたいな親切心かな? 悪気はないんだろうけど、でも、どうせ風呂場には大きな鏡があるのに……」
三人は再び歩き出す。
当の本人そっちのけで、二人の友達はまだ、彼女のペンダントを話題にしていた。
「さっきは外してたんだっけ? いつもみたいに首から下げてれば落とさないし、ペンダントならば便利よね。コンパクトミラーの代わりでしょう?」
「コンパクトミラーは女性にとって必需品、って言われるけど、どうせ私たち、あんまり化粧なんてしないし……。それよりも演奏中の姿の確認、むしろ練習のための小道具だよね」
田所まりかは特に返事をせず、ペンダントをカチッと開く。
入っているのは写真ではない。今この瞬間の彼女自身、つまり友達に囲まれて微笑む己の姿が、中の鏡に映っているのだった。
(「彼女はいつも僕の写真を身につけている」完)