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居心地が悪い

 例え、日常の根本が大きく変わろうが、表面上の日常は変わらない。

 シャルルはいつも通り、始業の一時間前には自分の席に座って本を開いていた。


「おはようございます、シャルル卿」


「ああ、おはよう。ユルギス卿」


 少し後にやって来たユルギスがシャルルに挨拶をする。そのまま、ユルギスは挨拶だけをして花瓶の水を換え始めた。しばらくして、今度はユルギスの友人がやってきて、ユルギスを朝の鍛錬に引っ張っていく。

 更にしばらく経ち、次々とクラスメイトたちが登校してきて、授業が始まる。昼を過ぎて、午後の授業。それも終われば、やってくるのは、いつもと違う放課後。


「シャルル卿、行きましょうか」


 誰も居なくなった教室で、柔らかな声がシャルルを呼んだ。

 シャルルは本を閉じると、どこかへ向かうユルギスの横へ並んだ。


「一体、何をするんだ?」


 今日は、ユルギスが要求した、シャルルと過ごす時間の1日目だ。


「実は、先日のアーサー殿下との模擬試合を観戦させていただいて、ぜひ、私とも一戦交えていただきたいのです」


 目を輝かせるユルギスに、なるほど、とシャルルは強張っていた肩の力を抜いた。


「これより、サー・リージア対サー・ラモールのグレイルアリーナを想定した模擬戦を開始します」


 先日のアーサーとシャルルの時と同様に、修練場に居合わせた者に審判を頼み、両者は向かい合う。

 ユルギスは特段華やかな名は無いが、それでも多くの観衆が集まってきた。


「今日はユルギス卿とシャルル卿か。これは面白くなりそうだ」


「この前は、シャルル卿がアーサー殿下を散々転がすだけだったからな」


 今日の観衆は騎士志望が多く集まっていた。彼らは、一言、二言、言葉を交わすと押し黙り、じっと2人の様子を観察し始める。そのただならぬ緊張感は、シャルルを発見した追っかけ令嬢たちが、野次馬にすら近づけないほどだ。


「試合、開始!」


 合図と共に、両者は駆け出した。二つの影があっという間に距離を詰める。そして、影が重なる瞬間、鼓膜を劈くような金属音と共に、爆炎を伴った強烈な熱風が巻き上がった。


「きゃあっ!  熱い! 何が起こっているの、何も見えないわ!」


 舞い上がった砂によって、辺りの視界が閉ざされた。修練場一帯は、熱砂が吹き荒れる砂漠のような状況へ急速に変化していく。

 ある者は魔法で壁を錬成し、ある者は逃げ、ある者は一切動じない。ただ、嵐の中心からは、絶え間なく金属がぶつかる音がしていた。


「お嬢様方、この試合を最後まで見たいのなら、腹を据えた方がよろしいかと」


 作り出した岩の壁で、追っかけの令嬢達を熱砂から護る騎士は進言する。


「この試合、おそらく日が暮れるまで続きます」


 この天変地異と見紛う地上の嵐が、少なくとも3時間は続くのか。

 「信じられない」誰かが呟いた言葉は烈風に掻き消され、散っていった。



「はっ、うっ!」


「ぐっ、ぅうっ」


 時間を忘れた嵐の中で、黒い騎士と白い騎士が刃を交え続ける。時間など、彼らには考える余裕がない。目の前の相手に向き合い、一挙一動を観察し、呼吸も、視線も、全てを相手に捧げ、己が力を纏わせた剣を振り上げる。そして————2人の間を、一筋の光が分ちた。


「試合開始から4時間が経過しました! 両者、速やかに魔法の使用を停止し、剣を下ろしてください!」


 審判の声が修練場に響く。2人の間を通過した光線は、試合終了の合図だった。

 シャルルとユルギスは、剣を下ろし、互いに向き合う。両者とも静かな顔をしており、つい3秒前まで激しく剣を交えていたとは思えない。しかし、両者の身体中に滴る汗、乱れた髪、所々から流れる血、焦げて破けた運動着が、戦いの苛烈さを如実に表していた。


「制限時間を超過致しましたので、今回の模擬試合、勝敗は引き分けとなります! 礼!」


 両者、口元に剣を当て礼を示す。そして、剣を下ろすと同時に————倒れ込んだ。


「はぁっ、はぁ……あぁ……まずい、立てん……」


「私もです……」


 最後の礼まで尽くすことが、騎士の礼儀。しかし、繕いを解けば、2人とも疲労困憊であった。


「お疲れ! スッゲェいい戦いだったよ!」


 解散しつつあった野次馬の中から、ひとりの青年が駆け寄ってくる。ユルギスを毎朝教室から連れ出している青年だ。


「バルヴァ。見ていたのですね」


「ったりめーよ。さすが、2人とも最後まで全く隙が無かったな。これ、祝杯の水!」


「感謝する」


「ありがとうございます」


 受け取った水を2人は勢い良く煽っていく。シャルルの口の端からは、蒸発した水が蒸気として漏れ出ていた。


「もう寮の門限だから、俺は一足先に寮に戻って、寮母さんにユルギスが遅れることを伝えておく。しっかり休んでから戻ってこいよ!」


「はい、すみません。ありがとうございます」


「良いってことよ。じゃあ、シャルル卿もまた明日!」


 手を振りながら駆け足で去っていくクラスメイトに、シャルルも手を振り返して見送った。


「改めて、見事な腕前でした、シャルル卿」


 見てくれはすっかりボロ雑巾のようになっているものの、ユルギスの目は輝いている。


「貴卿こそ、一瞬でも油断したら腕が持っていかれると確信した」


 これは嘘でもお世辞でもない、心からの感想だった。実際、竜鱗の肌は傷がつき、所々血が滲んでいる。睫毛から滴り落ちるほど汗をかいて剣を交じり合わせるなど、いつぶりだろうか。


 「恐縮です」


 柔らかくはにかむユルギスから、シャルルは目を逸らす。


「しかし、改めて感じましたが、シャルル卿は不思議な剣術を使われますね。型を感じさせませんでした」


 その一言に、シャルルのゆっくりと目が伏せられた。


「私は、誰にも師事を仰いでいない。戦闘技術に関しては、全て独学だ」


 真珠色の目が見開かれる。その様子を、赤い瞳が横目で見やる。


「領地に、魔獣が大量に発生する森が隣接していてな。入学する前はそこに単身で飛び込んで、日が暮れたら帰ってくることを繰り返していた」


 今のユルギスには、ポカーンという擬音がよく似合う。彼女の薄い唇からは、小さく笑い声が漏れた。

 師匠がいると言えば、それは誰か探る余地を与えてしまう。父に教えを乞うたと言えば、“シャルル“がずっと前線にいたことになってしまう。

 何よりも、経験が無いことを話せば、粗が必ず出る。


「ふふ、元来、ラモール家は竜として魔獣と戦うことが命題。剣より爪、ということだ」


 適当な理由を並べ、シャルルは人好きのする笑顔を浮かべて見せる。しかし、ユルギスは呆けたままだ。そして、彼が再び口を開く前に、シャルルが口を開く。


「貴卿はどうだ」


「わ、私ですか? 私は特に珍しいことは……」


「珍しくなくて良い。そも、私は普通をよく知らない」


 ユルギスは照れ臭そうに眉を下げながらも、シャルルの顔をチラリと見ると観念して話し始めた。

 領地にある実家では、夜中と早朝に鍛錬をしていたという。昼間は家事の手伝いや、外部での仕事、5人の弟妹の面倒を見ていたそうだ。何も、領地のインフラを整えるにあたって莫大な投資をしたため、使用人は雇えないという。


「ということは、貴卿も師匠に当たる人物はいないと?」


「小さい頃は兄と一緒に父から剣を教わっていました。ただ、前線の戦況が悪化してからは、月に一度見てもらえるかどうかでしたね」

 

 話だけ聞いていれば、苦労人だ。不平不満のひとつやふたつ出てきてもおかしくはない。しかし、ユルギスの顔は温かく綻んでいた。家族や領民との仲は、そんな表情を見るだけで余りあるほど伺える。


「どうかされましたか?」


 自分に目線を投げながらも、どこか遠い目をしていたシャルルに、ユルギスは首を傾げた。


「あ、あぁ、いや、ここに入学しているということは、それだけ忙しい日々の中で勉強もしてきたのだろう。想像したら、少し気が遠くなった」


「どうしてもなりたいものがありまして。家族も私が勉強できるよう、協力してくれました」


 ユルギスの優しい横顔はどこか遠くを見つめる。きっと、故郷を見ているのだろう。

 その横顔を横目で見て、赤い目は伏せられた。


「良い、家族だな」


 シャルルは、節々に感じる痛みを堪えながら立ち上がる。


「貴卿のなりたいものを今聞いてしまってもいいが、それはまた次の楽しみとしよう」


 続けて立ち上がるユルギスを横目に、シャルルは乱れた黒髪を結い直す。


「また、私にお時間をください」


「もちろんだ。そういう約束、だろう」


 真っ直ぐに向けられた真珠色の瞳に、深紅の瞳は見つめ返したが、流れるようにすぐ外してしまう。

 最後まで、ユルギスは微笑んでいる……予定だった。今の彼は、その和やかな眉を僅かに下げ、瞳を揺らしている。シャルルはそれが自分のせいだとわかっていた。


「それでは、また」


「はい、今日はありがとうございました」


 それでも、シャルルは何も言うことをしない。言うことができない。

 2人は修練場を出てすぐに別れ、それぞれの道へ歩いていった。

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