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真珠色の青年

 ソフィアがアーサーたちと行動するようになって1ヶ月が経とうとしていた。

 元の生活に戻ったシャルルは、鍛錬の場所を修練場から校舎裏に変え、地道に研鑽を積む日々を送っている。

 これは万が一、億が一の可能性で、ソフィアが戻ってきた時に約束を守るためだ。彼女は自分にそう言い聞かせていた。

 同心円状に散乱する、消し炭となった打ち込み用の木。その中心でシャルルは立っていた。いつもの荘厳な顔のまま、ゆっくりと目を閉じる。


「シャルル……さま……」


 背後から掛けられたか細い声に、赤い目が勢いよく開かれる。


「どうした。ソフィ、ア………」


 落ち着いた素振りで振り返ると、シャルルは思わず言葉を失った。


「ユ、ルギス卿……なぜ、貴卿が……」


 すっかり目を真っ赤に腫らしたソフィアの横にいたのは、シャルルが毎朝挨拶を交わすだけの青年。ユルギス・リージア・リテリス。

 流石のシャルルも、赤い瞳を丸くして揺らした。


「申し訳ありません、シャルル卿。私が、無理に彼女に聞いたのです」


 真珠色の瞳が、正々堂々とシャルルを見つめる。彼女が知る中で、誰よりも柔らかく、偽りを許さない真っ直ぐな瞳であった。


「彼女はすぐそこのベンチで、貴卿の名前を呼びながら泣いていました」


 シャルルは再び目を丸くした。同時に、ひどく思考が絡まっていく感覚に襲われた。

 もしや、自分は知らぬ間にソフィアを傷つけていたのか。そうならば、全く自分に見覚えがないことが何よりも恐ろしい。青白いこめかみを冷たいものが伝った。ソフィアの顔を、シャルルは見ることができない。


「何かしら思い詰めているようですが、私にも怯えてしまい何も聞けていないのです」


————それで、名前が出ただけの、諸悪の根源かもしれない私の元へ連れてきたのか。


 口には出ていなかったが、どうやらシャルルにしては珍しく表情に出ていたらしい。ユルギスは首を横に振った。


「頼れるような人物がいるかを聞いたところ、また貴卿の名前が出ました」


「……は」


 間抜けな声が、薄い唇の間から溢れた。

 恐る恐るシャルルがソフィアの方へ視線を向ける。彼女は小動物のように震えながら、縋るようにシャルルを見上げていた。


「お節介なのは百も承知ですが、ことの経緯を伺ってもよろしいでしょうか」


 ユルギスの真綿のように柔らかな声に、絡まっていたシャルルの思考が正常に戻る。


「そう、だな。私の馬車に行こう。……ケーキもある」


 シャルルが横目でソフィアの様子を伺えば、彼女は安心したように破顔した。


「コーヒーと紅茶がある。砂糖やミルクの好みも聞こう。ルビーベリージャムや黄昏蜂蜜もある」


「ジャム! 紅茶で、ルビーベリージャムをお願いします!」


「えっ、あっ、私は……コーヒーを……ミルクで」


 馬車に到着した頃には、先ほどのしおらしい態度はどこへやら、ソフィアは元の元気な姿を見せていた。対して、シャルルはいまだに表情が硬い。


「待たせた」


 しばらくして机の上に置かれたのは、チョコレートのケーキとビスケット、ジャム、蜂蜜等々のアフターヌーンティーのセットだった。


「これはまた……豪華ですね」


「長丁場になりそうだからな。ジャムも蜂蜜も好きなように使ってくれ」


「わーい! ありがとうございます!」


 慣れきったソフィアとは対照的に、ユルギスは困惑を隠せない。


「では、本題に入ろう」


 ユルギスの困惑を完全に見ないふりをして、シャルルはソフィアとの関係を話し始めた。

 もちろん、アーサーと同じ『怪我をソフィアに治してもらった。その見返りとして面倒を見ている』という前提で、真実と虚偽を織り交ぜている。


「なるほど。では、ソフィアさんは、シャルル卿に何かされたということは」


「無いです! ちょっと意地悪でハードな特訓ではありましたが!」


「意地悪……ハード……」


 よからぬ勘違いを生むワードに、ユルギスのまろやかな瞳がぱちぱちと瞬きを繰り返す。しかし、そこは重要ではないと踏んだのか「そうなんですね」と微笑んだ。一方、シャルルは「何に納得したのか」と、背中に冷や汗が滝のように流れていた。一応、「短期集中の鍛錬のために負荷を多くかけているだけだ」と弁明をしたが、ユルギスは変わらぬ微笑みを向けるだけだった。


「……で、原因が私じゃないのなら、一体何が原因で先ほどは泣いていた?」


 いたたまれないシャルルは、無理矢理にでも話題の舵を切る。


「それは……すっごい身勝手なんですけど……」


 優しい視線の中、ソフィアはおずおずと口を開く。


「私、アーサー様とその周囲の方々に、その、こここここ好意を持たれているみたいで……」


 口に出した途端、恥ずかしさが頂点に来たのか、顔を赤くしたり、青くしたりしながら捲し立て始めた。


「皆さんすごい面倒を見てくれるんですけど、全員距離が近いというか、甘い言葉が多いというか、ボディタッチが多いというか! おでこにキキキキキ、キスとか貴族ではよくあることなんですかね? 街に出る時も護衛とか、手を繋ぐとか、その私庶民なので全く分からなくて!!」


「落ち着け」


「ヒャイッ!」


「紅茶を飲め」


「アイアイサー!」


 シャルルの指示通り、ソフィアは紅茶をガブ飲みする。ついでにケーキも食べた。ジャムを付けていつもより少し豪華だ。

 そして、ソフィアが落ち着きを取り戻したころ、シャルルたちは口を開いた。


「貴族でもそれは当たり前ではない。少なくとも、私は婚約者の女性以外に触れることはまずしない」


「私も同様です。間違いなく、アーサー殿下たちは貴方を異性として見ていると思います」


 比較的良心的で、庶民に理解がありそうな年上貴族2人に言い切られ、ソフィアの顔は青ざめる。


「君は、あれらからの好意が怖いのだろう?」


 図星であった。

 もちろん前世の女子高校生は数々の乙女ゲームをプレイしてきている。当然、ハーレムルートも楽しんできていた。転生してからも、正直、モテモテルートに少しの期待をしていたりする。しかし、いざ、生身で何人もの男から、ボディタッチ付きの熱烈なアピールを受けたソフィアは……


————あの強く求める目が、怖い。


 ときめきより恐怖が勝ってしまったのだ。


「ぜ、贅沢な悩みですよね! 憧れの、おとぎ話のお姫様みたいな話なのに!」


 重くなってしまった空気の中、弾けるようにソフィアは笑ってみせるが、やはり、どうにもぎこちない。


「誰もが羨む状況でも、辛いときは辛いものだ」


 シャルルは静かに呟く。薄く目を閉じた表情は、いつもの威圧感が形をひそめてしまっていた。

 それでも、ソフィアは混迷に目が泳がせ、はくはくと唇を震わせる。


「けど、シャルル様に表に立つようなお手を煩わせるわけには……」


 ソフィアも真の馬鹿ではない。この前の試合で、シャルルが動いたときに辺りへ及ぼす影響をわかっている。野次馬がみるみるうちに集まり、誰もが彼の名前を知っていた。そんな人物が、自分のために動くとあればどうなるか。


————さて、どうしたものか。


 同様に、シャルルも自ら名乗りを上げてしまえば、ソフィアにあらぬプレッシャーがかかることが分かっていた。

 シャルルは思考に耽る。ソフィアは考えがまとまらない。2人の間に、深い沈黙が落ちた。


「ソフィアさん、私と鍛錬をしませんか?」


 そんな冷えて停滞をした空気を打ち壊したのは、ユルギスだった。


「い、良いんですか?」


「ええ、私にとっても、教えること、多くの者と剣を交えることは良い鍛錬になります」


 カーテン越しに差し込む陽光のような柔らかい笑みで、ユルギスは微笑む。


「それに、私は貴族ではありますが、辺境の男爵家の次男です。騎士にでもならなければ、そのまま一般市民となる身分ですので、波も立たないかと」


 落ち込んでいたソフィアの目が輝く。シャルルも、都合の良すぎる提案に、赤い瞳を丸くしてユルギスを見つめた。


「良いのか……」


「はい、先ほどの通り、私のためにもなりますので」


 といっても、集中した鍛錬に充てられる時間を占領することへの対価としては弱い。


「これについては私が対価を払いたい。元は、私が蒔いてしまった種だ」


「待ってください! シャルル様は、何も……!」


 慌てて止めに入るソフィアに、シャルルは首を横に振った。


「ソフィアを焚き付けたのも、殿下を上手く撒けなかったのも、私自身だ。これら全てが明るみになれば、大事になる。それを最も知っているのは、私自身なのにも関わらずな」


 ソフィアに協力する理由はそれだけでは無いが、彼女はそれを口に出すことはできない。

 ユルギスは、もうシャルルが折れないと察し、しばらく考え込むと口を開いた。


「では、シャルル卿のソフィアさんと鍛錬していた時間を私に下さいませんか?」


 シャルルは三度、目を丸くした。


「それで、良いのか?」


「はい。……ふふ、金銭や、もっと別のものを要求されるとお思いでしたか?」


 四度目の呆気を取られるシャルルを、ユルギスは見つめる。真珠色の瞳は、全てを見透かしているように細められていた。


「……承知した」


「ありがとうございます」


 嬉しそうに微笑まれ、思わず赤い瞳を逸らしてしまう。


————彼が何を考えているか、分からない。欲深い王都の貴族の方が、よっぽど分かりやすい。


 妙な居心地の悪さに、シャルルは苦さを求めてコーヒーへ手を伸ばした。

 和やかに今後の予定を話し始めるソフィアとユルギス。それに少しだけ口を挟みながら、シャルルは静かにコーヒーを啜る。

 こうして、彼女の3年生の夏は幕を開けたのだった。

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