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光が首を絞める

 秘密の特訓が始まって2ヶ月を過ぎた。素直で勤勉なソフィアは、近頃は両手ではあるが、剣も振えるようになった。すべて順調の一途である。しかし————


『すみません、シャルル様。私には断れませんでした。』


 放課後、眉を限界まで下げて校舎裏にやってきたソフィアの顔には、そう書かれていた。


「シャルル……卿?」


 ソフィアの傍らには、驚きを隠せない黄金のように鮮やかな金髪の髪の青年。


「……アーサー殿下」


 今日はただのトレーニングの日になるはずだった。しかし、先に到着していたシャルルの所へやってきたのは、ソフィアだけではない。攻略対象、王子のアーサーだった。


————なぜ、ピンポイントで攻略対象なんだ……。


 どんな顔をしていいか分からないシャルルは、素直に困惑の表情を浮かべる。


「私から説明します……」


 シャルルの動揺を感じ取り、ソフィアが語り出したことの発端は、昨日の放課後に遡る。





 「本を読んでいる時だけ、彼は人間に見える」

 とあるクラスメイトはシャルル・ラモール・ガルグイユをそう評した。


「だって、文武両道は前提として、王族の次に偉い貴族なのに、人当たりも最高に良いのよ!」


「へ、へぇ〜、シャルル様ってそんなにすごい方なんですねぇ〜」


 昨日の放課後。図書館で行われていたのは、よくある貴族の噂話。偶然、今日は名門公爵家の嫡男であるシャルルのターンだったのだ。

 ただ、ソフィアは嘘が苦手である。知らないふりをしなければならないが、ぎこちない誤魔化しをすることで精一杯だ。


「私は彼のクラスメイトだけど、完璧すぎて彼が本に没頭している時でもないと同じ人間だとは思えないわ! 美しすぎる……!」


「は、はぁ……」


 幸い。隣に座る先輩は、話すことに夢中になっているようで、ソフィアのカクカクとした返事と動きにも気付かない。


「何のお話をされているのですか?」


 ソフィアが声のする方へ見上げると、そこには10000回は見たイケメンがいた。


————アアアアアア、アーサー・ノクスモンティス!?


 100本の薔薇にも負けない存在感のある美貌を持つ男。攻略対象にして、この国の第一王子、アーサー・ノクスモンティスがそこにいた。


「あら、王太子殿下! ご機嫌麗しゅう! 今、シャルル様のミステリアスな魅力を後輩に語っていましたの!」


「そうでしたか。シャルル卿は素敵な方ですよ」


 驚きで椅子から発射されそうなソフィアを置いて、貴族まみれの学園で3年間鍛えられた先輩は、アーサーと気楽に話し始める。

 アーサーも特に怒ることなく、人好きのする優しげな目元を綻ばせてはにかんだ。


「シャルル様と長時間談笑するなんて、さすが王太子殿下!」


 ソフィアは、シャルル(知人)についての話題であることに感謝した。これで隣国の姫の話でもされては、意識が完全に宇宙へ飛んでいってしまうだろう。


「えっと、君は……」


 呆けているソフィアに、アーサーは心配そうに高い上背を屈めて語りかける。


「アッ、そ、ソフィアです」


「ソフィアさん。よろしくお願いします」


「ホぁ……」


 アーサーの微笑みは、正に光。ソフィアは同性と話すことが多い。近頃の異性の視線といえば、シャルルの鋭い眼光しか浴びていない。ソフィアの脳は輝かんばかりのイケメンに機能を停止した。


「お隣、よろしいでしょうか?」


「へ、あ、ドウゾ……」


「失礼致します」


 攻略対象の予想外の行動に、ソフィアの心臓は早鐘を打つ。


「そうだ! ソフィア、グレイルアリーナに参加したいんだよね?」


「は、はい」


「アーサー殿下と一緒に稽古をしてみれば?」


「へ」


 思ってもみなかった提案に、ソフィアは間抜けな声を漏らす。


「2人とも自主練してるみたいだけど、いつも自主練しているって言っても、1人じゃ限界があるでしょ?」


 そう、ソフィアはシャルルとの約束の日をこじ開けるため、周囲に「グレイルアリーナに挑戦するから、その曜日だけはどうしても自主練がしたい!」と誘いなどを断ってきたのだ。実際はシャルルがいるが、目の前の先輩含めた周囲には、1人で鍛錬をしている体なのである。


「ちょうど2人とも熱心にアリーナを目指してるし、同級生同士なら高め合えるでしょ。どっちにも迷惑じゃなきゃどう?」


「め、迷惑なんて! もちろん一緒にできたら、う、嬉しいです。でも、王太子様に時間を割いていただくのは……」


 疑いようのない善意に目を輝かせる先輩に、「お断りします」など、ソフィアには言えなかった。


「確か明日は自主練の日だったわよね? どう? アーサー殿下は大丈夫?」


「そうですね……」


————断ってほしい! 無理だって言ってください!


「その日なら、空いていますよ」


 アーサーが人の良い笑顔を浮かべた瞬間、ソフィアは全ての思考を放り投げてシャルルへの謝罪、否、言い訳を考え始めた。





「なるほど」


————善意が悪人の首を絞める瞬間を生で味わうことになるとは。


 天晴れ、主人公。全ての出来事が純度100パーセントの善意だ。ことの顛末を聞いたシャルルはどこか遠い気持ちになった。


「シャルル卿がソフィアさんに師事をなされていたのですね」


 アーサーの疑問を含んだ声が、シャルルの意識を肉体に引き戻す。


「ああ、ソフィアの入学式の折に、鍛錬で痛めた腕を治療して貰ってな。その礼にたまに見ている」


————事前に用意していたとはいえ、よくもここまで嘘八丁がスラスラと口から出るものだ。


 シャルルは自分の悪役適性の高さにほとほと呆れた。

 しかし、素直に前世やら、ゲームやら、その手の話をするわけにはいかない。“シナリオ“の信憑性を担保しているのは、“隠されているリスノワールとシャルルの姿“を彼女が知っていることだ。素直に言えば、公爵家の門外不出の秘密を口外することになる。かといって、適当に誤魔化せば探る余白を残す。

 鍛錬で負傷することは当たり前で、光の魔法を持つ者が治癒に長けているのも当たり前。そして


「“恩を義でもって返す“ということですね」


 アーサーは微笑んだ。

 この国の騎士道では、小さな恩へ大きく報いることもまた当然だ。つまり、具体的かつ、無理の無い嘘ということになる。


「彼女とは男女の仲ではないが、立場上、この仲が大衆の目に触れるとあらぬ噂が一瞬で広まる。そうなれば、彼女に恩を仇で返すことになるだろう。可能であれば、口外しないでいただきたい」


 嘘には本心を混ぜるとより強度が上がる。この一言は、彼女の本心であった。


「確かにその懸念は拭えませんね……。では、私もこの一件は一切口外いたしません」


 どうやら、アーサーは素直に納得したようで、サファイアの瞳を細めて微笑んだ。


「ああ、感謝する」


 シャルルは冷たい指先を握り込みながら、そっと胸を撫で下ろす。そして、乾燥した唇を引き上げ、薄く笑って見せた。


「折角時間を割いてくれたんだ。模擬試合をしてみないか? ソフィアに実戦を間近で見せておきたい」


「っ、よろしいのですか!?」


 アーサーはサファイアの目を輝かせる。

先輩との対戦は、1年生ではアリーナ以外では早々行うことはない。擬似的とはいえ、それなりの報酬になる。


「もちろんだ」


 当然、シャルルは自分の血の価値も知っている。


「では、修練場に移動するとしよう」


 万が一を考え、それぞれ別ルートを通って3人は修練場に集合することになった。


「シャルル殿がプライベートで誰かと試合をするの珍しいよな」


「ま、アーサー殿下なら妥当っつーか、公爵家でも断れなかったんだろう」


 ソフィアが到着した頃には、既に2人は剣を片手に向き合っていた。野次馬が既に辺りを騒々しく囲んでおり、様々な身分の顔ぶれは2人の知名度を表していた。


「おい、もう始まるぞ」


 2人が鞘から剣を引き抜くと、場の緊張は最高潮に達する。ギリギリ間に合ったソフィアは、喉を鳴らして唾を飲み込んだ。


「これより、グレイルアリーナを想定した模擬戦を行う」


 審判を挟み、切先を向き合う2人の騎士。


「"己の持ちうる総てを使い、聖剣を勝ち取れ!"」


 開戦の合図と共に、火蓋が切られた。

 刹那、青空に一筋の緋が走る。


「あっつ!?」


 空を貫いたのは、一柱の炎柱。その中心にあるのは、黒い影。口の端から炎を溢れさせ、鋭く燃える人の姿をした竜。


「本物だ、本物のドラゴンの炎だ……!」


 火の粉を浴び、野次馬の興奮が沸騰していく。対して、ソフィアの顔は、どんどんと青ざめていった。


————この光景、見たことがある。


 ソフィアの脳裏には、いつか見たゲームのバッドエンドが浮かんでいた。


『これは救いだ。全ての罪を、国ごと燃やし尽くそう』


 大厄災リスノワール

 ゲームと違い、竜は一歩も動いてはいない。姿は人のままである。だが、ソフィアの膝は震えてしまう。

 次の瞬間、その恐怖を打ち払うように、白い風が全てを巻き上げて吹き上がった。


「参ります!」


 燃え盛る炎へ、金色の影が地を蹴って真っ直ぐに飛び込んでいく。それに応えた炎も、隕石のように尾を引いて駆け出した。

 金色の影が炎に包まれ、辺りに鈍い金属音が響いた刹那。一筋の閃光が、炎を切り裂く。


「ふぅっ!」


 露わになるふたつの影。アーサーは剣に炎を纏わせる。それは、赤黒いシャルルの炎と対照的な、鮮やかな黄金の炎であった。

 そのまま、一層重い一太刀でシャルルに切りかかる。対抗するシャルルの剣は燃え盛り、今度は苛烈に光を蝕み、容易に燃やしていく。


「うわーっ! 何これ! あれってアーサー殿下とシャルル卿じゃね!?」


「すっげぇ! 何が起こってるかさっぱり分からん!」


 王族と有名貴族の真剣勝負とあってか、激しい魔法と剣技の応酬は野次馬を呼んでいく。その間も、試合は野次馬に構うことなく加熱していった。


「試合終了!」


 審判の合図が響く頃、辺りはすっかりオレンジ色に染まっていた。


「サー・カリバーンが剣を手放したため、この試合、サー・ラモールの勝利!」


 宣言と共に野次馬から歓声が上がる。いつの間にか、野次馬は何十人と集まっていた。


「流石3年生ですね。完敗です」


 地に尻餅をついたアーサーは、自身を見下ろす黒い影に冷や汗を浮かべる。


「これが3年生の平均だ。参考になったか?」


 シャルルは手をアーサーに差し伸べる。黒い手袋には一切の解れもない。


「ええ、とても。ありがとうございました」


 傷だらけになった手で、アーサーは差し伸べられた手を取って立ち上がった。


 その後、案の定集ってきた野次馬に対して、「そろそろ寮の門限だ」というシャルルの鶴の一声で、早々に王太子対公爵令息の模擬試合は幕を下ろした。




「良いのですか、殿下。昼間もそうですが、いくら先輩とはいえど、あのような態度……」


 馬車に戻ったアーサーに、陰に隠れていた従者が耳打ちをする。昼間のことといえば、あの根性据わっている女性の先輩のことしかない。昼間以外ではシャルルのことだ。

 普通ならば不敬罪でお縄である。しかし、アーサーは首を横に振った。


「僕は、ここでも誰かに担がれるつもりはないよ」


「しかし、何とか敬語を使っていた女子生徒たちは置いておいても、ラモール卿の態度は……!」


 食い下がる従者を、アーサーはまっすぐに見つめる。


「良いんだ。むしろ、彼は僕の意向を最大限汲んでくれている」


「それは……」


 従者は気まずそうに目を逸らす。


『学校では、普通の生徒、後輩として僕と接してほしい』


 アーサーが入学する直前に行われた年度末の大規模な夜会。彼らはそこで、王太子と公爵令息として言葉を交わしていた。


『僕はまだまだ未熟だ。まだ王太子として持ち上げられる器も無い。だから、学校では“先輩“に教えを乞いたい』


『……承知いたしました』


 その言葉通り、シャルルはアーサーに容赦なく剣を向けた。


「彼は、策略や言葉に非常に長けている。貴族らしい振る舞いをする人だ」


 アーサーは磨いた剣を壁にかける。


「それでいながら、今回のように僕の願いも実行してくれる。それに……予想外だったけれど、例のことも」


 脳裏に浮かんでいたのは、シャルルが面倒を見ているという庶民の少女。


「あのとき、ラモール卿と目が合いました」


 従者は呟く。身震いをするほど恐ろしい赤い目は、確かに従者の記憶に刻まれていた。


「彼は僕の傍に何があるのか分かっていて、あのように言った。貴方も、決して他言してはならないよ」


「はっ」


 夜は更ける。窓の向こうでは、風が音を立てて流れていた。





「すごかったです! 炎がボーってなって! 剣がガキーンって言ってて!」


「他の表現はないのか……」


「ええっと、風が熱で膨張して大きな流れを生んでて、辺りがこう……ぐわーんってなってました!」


「そこまで説明できていながら……まぁいい」


 後日、ソフィアは今度はアーサーを連れずに校舎裏にやってきた。そして、饒舌にオノマトペを喋り続けている。


「あの後、何かあっただろう」


 その一言に、ソフィアは笑顔のまま固まった。図星である。


「些細なことでも、怒りはしない。たとえ私に直接関係が無くてもだ」


 ソフィアは勘の鋭い赤い眼光から目を逸らす。しかし、一層強まる眼光に、小さく唇を動かした。


「その、アーサー様がご友人に私のことを話しちゃったみたいで……」


 雀の鳴き声ほどのか細さで放たれた一言に、頭に山が落とされたような衝撃がシャルルを襲った。

 アーサーの友人。それはつまり攻略対象だ。反射的に飛び出しそうになったアーサーへの罵詈雑言を、奥歯で間一髪擦り潰す。


「あっ、シャルル様のことは話してないみたいです! 私がひとりで自主練してるってことだけです」


 シャルルは罵詈雑言を飲み込んだ。


「すごい色々あったんですけど、結果だけ言うと、アーサーさんが『皆で日替わりでソフィアに稽古をつけようって話になってしまったから、シャルル卿に謝っておいて欲しい』………と」


 シャルルは思わず天を仰いだ。同時に、貴族としての自我が「可能性は十分にあっただろう」と囁く。

 希少な光属性、貧弱な身体、そして何より、性格。


「過程は察しがつく。……まぁ、しばらくはそれらと行動してみるといい」


「へっ、あ、い、良いんですか」


 わかりやすく、ソフィアの目が丸くなる。


「私との関係が知られやすくなるからやめておけ。と言われると思ったのだろう?」


「はい……」


「断る言い訳に嘘を吐く方がリスクが高い。仮に、放課後を全て私との鍛錬に充てても、それはそれで目撃される率も格段に上がる」


 不安。臆病な少女の顔にはその二文字が大きく書かれていた。シャルルは僅かに肩をこわばらせると、小さく息を吐く。


「……何かあれば、いつも通りここに来るといい。どちらにしろ、私は鍛錬を怠ることはない」


 萎えていた少女の顔が一気に華やぐ。


「ありがとうございます!」


「手が止まっている。休憩はまだ先だぞ」


 安心し切ったソフィアは、また快活に鍛錬を続ける。その横顔を、自身も鍛錬をしながら、彼女は横目で見ていた。

 攻略対象たちの輪に加わったソフィアは、戻ってくることはないだろう。その確信が、彼女にはあった。


 欲望、悪意からくる策謀が蔓延る社交界で、アーサー周りの友人が清廉潔白で誇り高く、操りづらいことは有名だ。今回も、主人公を利用しようとしていた悪役から、図らずも主人公を救った形になる。しかし、“リスノワール“はこれで計画が頓挫するような悪役ではない。


————多くの人に応援される状況になった。これで、ソフィアはグレイルアリーナに参加しない道が絶たれたも同然だ。


 他人からの良い期待も、悪い期待も、集まれば集まるほど、その道から逃げることが困難になる。さらに、ソフィアは周囲の期待に応えようと尽力する。


『ぁ、その、何も決めていなくて……推薦されて周りに流されるまま勉強してここに来たので、本当に、何も……』


 この学園はいくら希少な能力があろうと、難関試験を突破しなければ入学することができない。それを彼女は流されるだけで頑張り切ったのだ。


————恐ろしいほどに、いいカモだ。


 リスノワールはそれを知った上で引導を渡した。聖剣の乙女にさえなってくれればいい。兄さえ生きてくれればそれでいい。


————誰かの側で鍛錬するなら、私の側よりも向こうの側の方がいい。


 唇を僅かに噛み締め、リスノワールは剣を振りかぶった。


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