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正しさを赦せない

「まず、試してみろ。無理だったら言えばいい」

「そ、そんな、シャルル様……!」


 放課後、人気のない校舎裏で少女の手を包む絶世の美男。


「大丈夫だ。いざとなったら私が」


 中高音の囁きに、少女はコクコクと頷く。そして、男は少女の手を離した。


「ふんぬぬぬ゛っっ!!」


 もぬけの殻となった校舎に、乙女の猛々しい呻き声が響く。

 放課後、シャルル(リスノワール)によるソフィアの調教、否、訓練が始まった。

 ソフィアの傍には、運動着すら着こなす絶世の美男。もとい、男装をした公爵家令嬢、リスノワールが仁王立ちしている。

 ……とソフィアは知りもしない。


「ぬぬぬぬぬぬぅ……!!」


 両手に剣を構え、震えるソフィア。剣はソフィアの足から腰ほどの長さしかない。しかし、村娘に桑より遥かに重い鋼の塊を持ち続ける筋力は無かった。


「……弱すぎるな」


「シャ、シャルル様が強過ぎるんですよ!」


 伺うようにしながらもジッと睨みつけるソフィア。視線も気にしないまま、リスノワールは傍に立てかけていたソフィアと同じ剣を片手に弄ぶ。


「無闇に振り回して腱を痛めるよりも、基礎の体作りから始める方が建設的だろう」


「そ、それだと時間が……」


「無理をした場合、最悪一生腕に爆弾を抱えて生きることになるぞ」


「お、お薬とか……」


「一時の力のために一生植物状態になりたいのか」


「嫌です……」


 ソフィアはおずおずと剣を置く。「よろしい」とシャルルも剣を置いて腕捲りをした。露わになった腕は確かに鍛えられた筋肉がある。思わず少女の目は釘付けになった。


「基本の筋力トレーニングのメニューを組もう。私も専門家ではない。しっかり限界は言うように」


「は、はい!」


 ソフィアは声を張って雑念を振り払う。

 シャルルが手本を見せながら、2人はあらゆるトレーニング方法を試し始めた。


「この状態を最低でも5分はキープできるようにするんだ」


「うっ、うぉ〜〜〜〜!!」


 獣の如き雄叫びを上げながら、ソフィアはうつ伏せになり、両肘と両足の爪先で全身を支える。腰などを曲げてはいけない。身体は一直線に、歪みなくキープしなければならないのだ。


————こ、これ、あの子の記憶にある! ブランクってやつだ! 確かこれだけで全身を鍛えられるって言ってた!


「姿勢が乱れているぞ。雑念があっては効率よく鍛えることはできない」


「は、はい!!


 その後も、腹筋、背筋、上腕筋、大腿筋等々……シャルルのトレーニングはすべての筋肉を余すことなく使う。否、虐め倒すものだった。


「も、もう無理……」


 そして、日も暮れて夜道を照らす明かりがポツポツと灯り始めた頃、ソフィアは根を上げる。


「ふむ、思ったより体力はあるな」


 地面に大の字で伏せるソフィアに対して、同じメニューをこなしたはずのシャルルは涼しげな顔をしている。

 傷跡だらけな手首に付けた腕時計を見れば、寮の門限がすぐそこに迫っていた。


「とりあえず、2週間は様子見だ。完璧に今日のセットをやれとは言わない。継続が要だからな」


「はっ、はっ、はい……!」


 言い出したものの、相応しい戦闘力を果たして自分は身につけられるのか。ソフィアの胸に不安が募る。思わず唇を噛むソフィアの脇に、冷えた水筒が置かれた。


「私は竜の血で鍛える前から常人より怪力だ。鍛えている年数にも差がある。追いつこうと考えなくていい。君は筋力は無いが、持久力は目を見張るものがある。おそらくだが、同年代の女人よりかは体力があるだろう」


 静かな声色が、夜風と共に優しくソフィアを撫でる。


「明日は放課後を自分のために使え。そうだな……休日前がいい。明後日の放課後、また同じ時間に来い。相談をしよう」


「へ」


「クラスメイトとも遊んでおいた方がいい。私の盾より、横の繋がりの方が君の力になるだろう」


「へぁ」


「言い方は悪いが、一般市民に近い貴族や、一般市民出身の者もゼロではない。そのような者は、よく放課後に図書館にいる。覗いてみるのも手だ」


「ホァ」


「……先ほどからなんだ。その間抜けな声は」


 今のソフィアは、ポカーンという擬音がよく似合う呆けヅラだ。


————だって、リスノワール様の顔から、シャルル様みたいな言葉が出るんだもん……!


 『今のシャルル』は、人の機微を察知しては、それを利用して自分の都合のいいように操る正真正銘の悪魔、『悪役令嬢 リスノワール』の方がイメージが近い。『薄幸の美男子 シャルル』とはどうしても思えなかった。

 その相手から、今日も、昨日も、労いと気遣いの言葉をかけられる。ましてや、プライベートまで慮ってくれる。あの日、女子高生とソフィアの人格は切り離された。しかし、記憶は混ざったまま。女子高生のソフィアの脳の挙動はおかしくなった。


「い、いえ、少し、意外かなって……」


「どうせ、"リスノワール"と私を重ねていたのだろう? どれだけ君の中の“リスノワール“が恐ろしいか、今度詳しく聞かせてもらおうか」


「ヒェ……」


「冗談だ。早く帰れ、寮母の方に叱られるぞ」


 鼻で笑うような仕草をしながらも、シャルルは時計をソフィアに見せる。


「はっ! えっ、今日はありがとうございました!」


「送れないのは申し訳ないが、誰が見ているかわからない。校内は、まぁ大丈夫だとは思うが気をつけるように」


「はい!」


 慌ただしくあかりの灯る寮へ帰っていくソフィアをその場で見送り、シャルルも自分の馬車へ足を進めた。


————人間の娘は脆い。細く、小さく、無力で、柔らかい。


 リスノワールが初めて触れたソフィアの体は、花のようにか弱かった。強く触れてはすぐに散ってしまうことが、手に残る感触でありありと分かってしまった。

 竜の血が入っているリスノワールでは、驚くことしかできないか弱さ。そして、ある一点がリスノワールの思考を燃やしている。


————シナリオは、王族は、神は、あの細腕に世界の命運を担わせたのか。


 固く閉じられた薄い唇の間から、炎が漏れ出す。手に握った剣を折らないように自制するだけで、彼女には精一杯だ。

 公爵令息としての教育の中、彼女は民を護ることこそが貴族の義務であると何度も教えられてきた。しかし、それはラモールが爵位ある貴族だからだ。


 リスノワールは竜の血も含め、公爵家に相応しい強い身体がある。しかし、ソフィアは良くも悪くもどこにでもいる村娘だ。強い身体は無い。魔に対抗できるのは、相応に鍛えられた人間だけ。彼女を想う家族すらも、魔王から彼女を護ることはできない。


————私はこんな恐ろしいモノを、身の上の都合で何も知らない娘に背負わせようとして。


 剣を握り、口から溢れていた炎が弱まっていく。

 ただの少女は、重い運命から逃れるチャンスがあった。しかし、少女は何も知らないまま、悪役の提案を呑んでしまった。悪役に救世の運命を背負わされてしまった。後々、ソフィアもこの運命の重さに気づくだろう。そのとき、悪役の罪は如何程になるのだろうか。


 ただ、『聖剣の乙女』がいない世界は破滅に向かうのみであり、罪人病も治らない。大局だけ見れば、リスノワールの判断は世界が破滅を回避できる最善手と言える。


 冷静に罪から逃れようとする自分に、「何が“正しさ“だ」と口から呪詛を吐きそうになるのをグッと堪える。


————確か。シナリオなら、攻略対象の男がパートナーとしてソフィアを守ると言っていた。


 最初は、何とも脳内ピンク色な都合のいい設定だとリスノワールは思っていた。しかし、今思えば腕に覚えのある貴族の子息が、貧弱な娘の補佐につくのは非常に理にかなっている。


————私が、パートナーになろう。


 少女を犠牲に、兄の命を取った。ただのリスノワールとして、重すぎる運命を強制したのだ。その責任を彼女は取るつもりだった。


————いつか罰せられる日まで、私がソフィアを護る。


 行く末が断頭台だとしても、彼女は当然だと思えるだろう。それまで、彼女は攻略対象の代わりにソフィアを護るのだ。それが、せめてもの贖いだと信じて。

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