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欲望
そうだ。
あの日も僕は、目の前に差し出された暖かい食事に手を出せずにいた。
坐って物乞いの姿勢を暫く保っていたぼく達の前に、やけに親しげな笑顔を向けてくるおじさんが立ち止まり、アンワルの手を優しく、妙に青白くやわらかい手がとったんだ。
おじさんは一言だけ
「お腹は減っていないかい?」
と意味深に言うと、ぼく達に目配せした。
離れていくおじさんの背中を僕は追っかけたんだ。
だって、どう考えたっておじさんは僕らにご馳走してくれそうなそぶりをしたんだもの。
大通りを抜け、細く入り組んだ裏道を伝ううちに僕の方向感覚はでたらめになっていた。
上を見上げても冷たく電灯もついていない無表情の壁がこっちに迫っているようで、僕はおじさんの背中を必死に追いかけるしかなかったんだ。
だって、おじさんは当に僕なんて忘れちゃったみたいに自分ばっかり進んでいたんだもの。
それでも、見えなくなる寸前にこっちにチラッと目を向け、あの意味深な微笑を浮かべさせるんだ。
そして完全にその姿が見えなくなって、諦めて左右を見てみると、しなびた観葉植物が怪しく照らされている一軒のモーテルの前に立っているのを見つけたんだ。
彼はこっちには知らん振りで入っていったよ。
僕は追いかけたね。
その時は夢中だったんだ。
ほら、実はまた病気の一つが顔を出していたんだな。




