盲目ゾンビの吉凶禍福
いつか繋がる物語
我が死んでからどれだけの時が経ったのだろうか、もう幾千、幾万の時が経ったような気がする。
身体は既に土の下である。
その日は、妙な日だった、異様に大地は揺れ、空気が震えていた。
その時、体に妙な力が漲り、死して腐った体は、たちまち生前のように、意思が支配する体となった。
我は、求めた。明るい空をこの暗く冷たい土の中では見ることが出来ない世界を欲していた。
漲る力は生前よりも、力強いものだ。
土塊の重し程度、どかすことは造作もない。
肉体の解放を感じる、土の拘束が外れた。
二足の足で立つ、なんと幸福なことだろう。
ただ見えない、相変わらず世界は暗闇に包まれている。
己の顔を触る。皮膚は既にない、所々肉が腐り落ち、指の骨と顔の骨が当たる。目玉があるであろうところに指を運ぶとそこには何も無い。
永い時の中で既に、目玉は腐り落ちていた。
それでもいい、またこの世に蘇ったのだ、我はまた世界に己の力を知らしめることが出来る。
大気が震えている。幾度も味わった戦場の空気、幾年立とうと変わらない。
戦場とは、力ある我にとって愉悦を得る場所でしかない、そこらの民草が娼館に行くことと変わらない。
我は、戦いに置いて無敵であった、故に死ぬことはないと思っていた。
?なぜ死んだんだ?
我は戦場に置いて無敗、負けたことは無いはずだが、なぜだ?
ここは戦場であろう、戦場なら死ぬことは無いはずだ。何故かある絶対的な信頼、不思議だ。
だが、そんなことはどうでもいい、また戦えるのだ、あの愉悦を味わえるのだ。
なんという幸運だろう。
さぁ、赴こう我の聖地へ、己が身を愉悦の渦の中に投げ出そう。
最初の不運は3つ
1つ真実を映す瞳を失ってしまったこと
2つ考える脳みそがグズグズに溶けていたこと
3つ溶けだした脳みそで耳が聞こえなかったことだろうか
いいや、そもそも黄泉還ることが不運だったのではなかろうか
彼は果てまで人を殺し続けるだろう。骸の山で道を山を己が足跡として、進むであろう。
彼は気づかない、その骸の中に己が妻と息子がいたことを、彼らは彼が命を懸けたことで救われた。
常戦常勝の彼が死んでしまったのは囚われた息子と妻を守るためであった。
彼の骸は弄ばれ捨てられた、その最後の実験としてその骸は最悪の兵器となり現出した。
それは身体中の肉が腐り落ちても動き続けるだろう。
この世界に、1つの厄災が生まれた。
「幸災の骸」
ある酒場の会話
「 何?幸災の骸を見たって?そりゃ幸運だな、」
「あ、不幸?いや幸運だろ、生きてここにいるんだからな」
後々思いつく設定を肉付けしたい。骸と言うよりスカスカの骨のような作品。魔法的な概念があるから、そこんとこ無理矢理脳髄にぶち込んで頂けると幸い。