第4話 世界で唯一の魔術師の俺、女に攫われる
俺は学院の外まで全速力で駆けた。
門を抜けて、大橋を渡って、露店が並ぶ大通りまで来たところで、足を止めた。
「……全然息が乱れてないな。若さって素晴らしい」
いや、今の俺は実際15歳なんだけども。
大事なことは思い出せない割に、感覚的にはおっさん気分なんだよな。
そういや、俺は魔術師を目指すには魔力が低いから、そのぶん体を鍛えてたんだった。
魔女は魔力で肉体を軽く強化するだけで、男よりも遙かに強くなるからな。
体を鍛えたのは少しでも対抗できるようにだ
焼け石に水とは言え、長い間よく頑張ってきた。
「それでもう一個気づいたわ」
前世の記憶を思い出した代償なのか、今世の記憶が欠けている気がする。
いや、師匠や姉弟子の顔はちゃんと覚えている。
だから直近のことは大丈夫だと思うんだが、古い記憶や当たり前にあるはずの常識が抜け落ちている。
そんな頼りなさを感じるのだ。
今も自分が体を鍛えていたことに、あとから思い出したくらいだ。
「感覚的に言うと、アレだな」
15歳までこっちで過ごした俺が、50年ほど向こうの現代世界で暮らして、そっからまたこっちへ帰ってきたような感じだ。
懐かしさは感じるんだが、変に記憶に抜けがあるせいで、詳細を思い出せなくなっている。
ほら、子供の頃に住んでた街って、大人になってから来ると懐かしいけど、道とかあんまり覚えてないじゃん。
建物も変わってたりするし、住んでた人なんか全然違う人になってるし。
知ってるけど知らない。
今の俺が感じてる感覚がそれだ。
まるで遠い昔の記憶を見ているような懐かしささえ感じる。
「記憶が上書きされるとこんな感覚になるのか……」
前世の記憶を思い出した直後だから、精神や記憶がまだ体に馴染んでないだけだと思いたいが、ずっとこのままだとどうしよう。
15年間蓄積した知識や技術を失って、残ったのがなんJ語だけとか、笑えないぞ、マジで。
「とりあえず、工房への帰り道は覚えてて良かったわ……」
この大通りをまっすぐ進んでいけば工房が見えてくるはずだ。
学園都市の外壁にほど近い師匠の工房は立派な造りをしている。
庭もめっちゃ広い。
近くまで行けばすぐに分かると思う。
帰り道の問題はクリア。
あとは今の俺が、何を忘れて何を覚えているかを思い出さないとな。
「簡単なところからやろう」
俺の名はレオンハルト。
家名はない。
この世界は家名を持つのは王族や貴族だけなので、名字なんて持ってないのが普通だ。
人に名乗るとしたら、ウルザラーラ一門のレオンハルトってところか。
年齢は15歳。
性別は男。
容姿は、建物の窓ガラスに映った姿を見る限り──おいおい、凄まじいイケメンだぞこいつ。
女みたいな顔してやがる。
自分の顔って感じはまったくしないが、これは前世を思い出した影響かも知れない。
そう言えば、一人称も僕から俺に変わってる。
前世の記憶はいまいち戻ってないが、代わりに人格面が強く前世に影響されているのかもしれない。
「そこは普通、逆だろ……。前世のおっさんの人格が上書きされて、どんな良いことがあるんだよ……」
今のところ、前世の記憶が邪魔しかしてこない。
異世界転生の醍醐味が半分くらい潰れちゃってるじゃないか。
「気を取り直して、続きを思いだそう」
古い記憶だと、やっぱり師匠に拾われた頃が始まりだな。
俺はガキの頃、親が魔物に襲われて死んだんだ。
そのあとすぐ師匠に拾われて、少し遅れて姉弟子も同じように拾われてきた。
先に弟子になったのは姉弟子で、俺は何度も頼み込んでやっと弟子にしてもらったんだ。
確かその頃、幼なじみもいたんだよな。
かなりうろ覚えだけど。
時間感覚的には50年以上前の話なのだ。
うろ覚えになってもしょうがない。
「きっかけさえあれば、すぐに思い出せるような気もするんだけどな」
自分が体を鍛えていたことも、そのことに気づいたら思い出せたしな。
「そんで今日、俺は魔術師になるために、魔女学院の試験を受けに来てて……」
理由はもちろん師匠に恩返しするためだ。
孤児だった俺を拾ってこの年までなに不自由なく暮らさせてくれた。
この世で一番大切な人だ。
「うん、そこは忘れてないな」
前世の記憶が戻っても、師匠への気持ちに変わりがなかったことは素直に嬉しい。
この場にいなくても、師匠の顔ならすぐに思い出せる。
雪のように白い肌。
細い銀糸のような長い髪。
氷のように薄いブルーの瞳。
整いすぎて怖いくらいの顔。
そこに浮かべる誰よりも優しい表情。
折れてしまいそうなくらい細い腕。
それに反比例するような豊かな胸に、くびれた腰に、綺麗なヒップラインに、艶めかしい太ももに、色っぽい唇──
「待て待て待て! 母親代わりの師匠に対する評価じゃない!」
しかし、まぶたの裏に浮かんだその姿は、想像を絶するいい女だった。
あかん。
今から試験を失格になった報告をしなければいけないのに、この美女と遭遇したらまともに話せる気がしないぞ。
人格が変わった影響がこんなところで出るとは……。
「しかし、師匠になんて説明しようか」
前世の記憶が戻ったせいで、試験の真っ最中に絶叫してしまい、失格になりました。
「うーん、信じて貰えなさそう」
やっぱり前世のことは話さない方が良いかな。
余計に混乱させてしまいそうだ。
「とにかく、師匠には落第したことだけ伝えよう。それから身の振り方を考えないとな」
これ以上、師匠に無駄飯を食わせてもらうわけにはいくまい。
学院には入学できなかったが、この体は頑丈だ。
肉体労働でも何でも、仕事はあるだろう。
15歳はこの世界じゃもう立派な大人で、一人で生きていかなきゃならない年齢だ。
「……ん? あれ? それって、男じゃなくて女の方じゃなかったっけ?」
男は家事手伝いとかして、わりと家に残ってても良かったような……。
「……いや、なんか変だぞ?」
俺の現代の常識と、こっちの世界の常識が食い違っているような気がする。
男は家の中の仕事をして、女は外に働きに出る?
確かに前世ではそういう夫婦も珍しくはなかったけれど、これはそういう話ではない気がする。
そもそも、なんで今日の試験には、男が俺しかいなかったんだ?
周りの受験生はみんな女だった。
受験した学院は魔女学院だから当たり前だが、そこへ俺が入学しようとすることが騒ぎになるくらいだ。
男が通う魔術学院は最初から存在していないことになる。
つまり、男は魔術が使えない。
「……そうだ。思い出した。俺はおそらく世界で唯一魔術が発動できるレベルの魔力を持っている男なんだ」
それがきっかけとなって、俺はこの世界の常識を思い出していく。
この世界では、男は女より弱い。
それは魔力量が大きく関係している。
鍛え上げた筋骨隆々の男より、魔力を持っている女児の方が強いのだ。
魔力は肉体の強化だけではなく、寿命や若さ、病気からの回復や、精力なんかにも大きく影響している。
魔力が肉体に与える影響はそれほどまでに強く、女は大抵強い魔力を持って生まれてくる。
男はその逆で、ほとんど魔力を持って生まれてこない。
つまり、男は弱く、寿命が短く、すぐ老い、すぐ死ぬ。
あと、ついでにおにんにんも弱い。
「分かった。男女逆転世界や、これ」
前世の記憶が初めて役に立った! 嬉しくない!
男女逆転と言うには女側が強くなりすぎな気もするが。
「男が魔力を持つこと自体が稀。じゃあ、俺はかなり異質な存在ってことか」
魔術が発動できるほどの量の魔力を持つ男など、そもそも存在しないと言われていた。
そんなところへ俺が登場した、と。
そりゃ騒ぎにもなるし、試験会場であれだけ注目を浴びたのも理解できる。
「そうだそうだ。思い出したぞ。だから師匠は俺が15になるまであまり外へ連れ出さなかったんだ。あの幼なじみの子に一冬しか会えなかったのも、その辺が関係してるのかもな」
やっぱり、きっかけさえあれば記憶は戻るみたいだ。
こうやって考えたり、色々見たり聞いたりするのが、記憶を取り戻す近道になるだろう。
俺は工房へ帰るまでに少しでも記憶を取り戻そうと、大通りを見渡しながら進んでいく。
露店で串焼き肉を売る者や、広場で大道芸をする者、酒場に入っていく武器を携えた者など、大勢いるがみんな女だ。
「男が全然いないな」
いるっちゃいるが、中年以上の男が多い。
しかもみんな元気がないし、隅っこの方で女たちの邪魔にならないように働いている。
「男の立場ってやっぱ弱いのかな。あと、単純に男の方が早く死ぬから、人口比も偏ってそうだ」
元の世界でも男の方が寿命が短かったし、こっちじゃそれがさらに顕著ってことか。
女の方が男の倍くらいはいそうだ。
「けど、それだけじゃないな。男女を逆にしてからここが治安の悪い中世時代だと考えれば分かりやすいのか」
若い男があまりいないのは、そもそも若い男は一人で外を出歩かないからだ。
争いごとが起きたときに弱い男じゃ大怪我をするし、悪い女に拐かされるかも知れない。
「なるほど、こういうところも男女逆転ということか」
悪いお姉さんに攫われて悪戯されちゃうとか、俺ならむしろバッチコイなシチュエーションなんだが。
だって中身は人生経験50年以上のなんJ民だし。
エロイベントなんて大歓迎よ。
ねっとりと抱かれてくれるわ。
弄ばれてー。
悪いお姉さんに滅茶苦茶にされてー。
そんなことを妄想しながら歩いていたせいだろうか。
俺は前にいた人影に気づかず、結構な勢いでぶつかってしまった。
柔らかい感触が鼻に当たり、しかしびくともしない強い体幹で俺は逆にはじき返されてしまう。
「いてて……」
鼻は痛くないが、転けてケツを打ってしまった。
「てめぇ、どこに目ェ付けてるんだ? あぁん?」
「蹴り飛ばされたいか! あぁっ!?」
俺がぶつかったのは二人組の女性だった。
片方は緑色の長髪で豊かな胸をしており、もう片方は小柄だが張りのある褐色肌が美しい。
肉体労働者なのか、露出の多い服を着て、汗ばんだ様子だ。
これは重要な情報なのだが、どっちも中々の美人である。
尻餅をついた俺を見下ろして、ニヤニヤと下品な笑みを浮かべている。
が、元が美人なので普通に可愛い。
「……おんやぁ? 小娘かと思ったら、まさかあんた男かい?」
「こんな若い子が一人で街をぶらつくなんて、珍しいねぇ。しかもずいぶんな上玉じゃないか」
「もしかして、女漁りかい? あたしらが相手になってやろうか?」
「最初から二人相手なんて中々経験できることじゃないよぉ?」
「「ぎゃっははははははっ!!」」
二人は大声で笑う。
一方俺は、大真面目な顔をして聞き返した。
「えっ? いいんスか?」
「えっ?」
「えっ?」
えっ? 何それ怖い。
俺たちはきょとんと見つめ合って、空気が固まる。
「えっと、あの……」
俺はいたたまれなくなって声をかけようとすると、緑髪の女が暗い瞳でにらみつけてきた。
「……あたしらが口だけで、実際はあんたに何も出来ないとでも思ってるのかい?」
「舐められたもんだねぇ……」
褐色の女も苛ついた様子で俺ににじり寄ってくる。
「えっ、いやあの、別に舐めたわけじゃなくて、お姉さんたちがお相手してくれるんなら是非にって言おうとしただけで……」
「ふざけんじゃねえ! あたしらみたいな年増女にそんなこと言う男がいるわけないだろう! しかもお前みたいな上玉が!」
「美形だからって許さないよ! あたしらの逆鱗に良くも触れてくれたねえ!」
え? この人たちって年増なの?
どう見ても二十歳そこそこにしか見えないんだが。
この若さも魔力のおかげなのだろうか。
「ちょっとビビらせてやろうとしただけだってのに、そんな舐め腐った態度を取られちゃ、こっちにも考えがあるってもんよ!」
「真っ昼間だろうが関係ねえ! 代償はその体で払ってもらおうか!」
「いや、だから最初からお願いしますと──」
「うるせえ! こっちに来な!」
「男が女を舐めるとどうなるか、身の程ってやつを教えてやるよ!」
駄目だ、話を聞いてくれない。
女上位は大好物だが、乱暴すぎるのはちょっと……。
殴られたりはしないよね?
俺は二人に抱え上げられ、路地裏へと連れて行かれる。
「(うおお、力強ぇ……!)」
この細腕のどこにそんな力があるのか、魔力による肉体強化は相当なものだ。
俺はろくな抵抗も出来ずに、人気の来ない場所へと連行されてしまった。
「ひひっ、さぁ、覚悟はできたかい?」
「へっへっ、今更泣いても遅いんだよ?」
「いや、だから、別に俺は構わないと──」
「「うるせえ!」」
「えぇー……」
二人は息を荒げながら、ただでさえ薄着の服を脱ぎ捨てていく。
さすがの俺もそこまでがっつかれると、ちょっと引いちゃう。
けど美女二人の品のないストリップにおっき不可避。
「はぁはぁ……」
「あんたが悪いんだよ……。そんな可愛い顔してさぁ……」
興奮してよだれを垂らしながら、二人は俺の服にも手をかけようとして──
「……何をしているのです?」
氷よりも冷たい、絶対零度の声がした。