【ショートショート】〜怪談〜
《アナタのお名前なんてぇの?》
「い、いや……近寄らないで」
《な……名前……教えて》
「な、何なんのよ……やめてよ……」
《おーしーえーなーいーとぉー》
「い、いやっ……ひ、仁美よ……」
《う、うへっ……うひぁへ……》
「お、お願いだから、それ以上近寄らないで!」
《ひゃへ……うへら……ひゃっ》
「ひぃ!だ、誰か……」
《仁美、もーらい》
「えっ……い、いやぁぁぁぁぁ」
―─相次ぐ怪奇事件に政府が厳戒体制発令か!?――
『ちっ、んな事したって無駄だってぇの』
片岡 浮名は手にしていた新聞をソファに放ると、おもむろにに両脚をテーブルの上にどかりと乗せた。
冷めきった珈琲を喉の奥に滑り込ませると、先程まで見ていた新聞をもう一度手に取った。
――被害者の名前は安達 仁美。
ごく普通の女子大生だったようだ。
事件後、彼女は自分の名前やそれに関わる記憶を失い、まるで生気を抜かれた様に
「返して」と病院のベッドの上で呟いていた、という所まで記事は細かく今回の事に触れている。
ここ一ヶ月の間で似た様な事件が立て続けに起こっていた。
いずれの被害者もみな同じ症状という事らしい。
事件なのか事故なのか、原因がわからず警察も困惑する中、ついに政府が対策を立て始めた事を最後に記して記事は終わっていた。
片岡の住むこの街からも被害者が出ており、住民は皆一様に不安を隠す事なく、噂話が絶えなかった。
無差別テロだと言う人もいれば、お化けの仕業だ、と言う人もいた。
ワイドショーの偉そうなコメンテーターに至っては政府が開発した新薬を無理矢理投与した人体実験だ等と、わめき立てていた。
未だかつて体験した事の無い事実に日本は恐怖の闇に覆われていた。
無理もないだろうな、と片岡は思った。
窓の外に目を向けると、いつの間にか街は綺麗な茜色に染まっていた。
その景色を眺めながら物思いにふけっていた時、慌ただしい足音と共にドアをノックする音が聞こえて来た。
それに構わず窓の外に目を向けていると、息使いを荒くした男が部屋の中に入って来た。
「はぁ、はぁ……浮名さん、いるんなら返事して下さいよ」
『なんだ、誠司か。何の用だ』
「何のって、新聞は見ましたよね?」
『ああ』
「どう、思います?」
『名取の仕業だろうな』
「えっ?ナトリってあの……」
『お前も名前くらいは聞いた事があるだろ。準一級に指定されてる大妖怪だよ』
「標的の名前を聞いて、それに答える事によって魂の一部を抜き取る妖怪。僕だってそれくらいは勉強してますよ」
『そうか、そりゃ悪かったな。まぁ、つまりそういう事で九分九厘間違いないだろう』
「それじゃあ……」
『あぁ、狩る。これは俺の仕事だ。政府なんかじゃあ、どうしようもない事だ』
「えぇ、好誠さんの敵。きっちりとってやりましょう」
『やりましょう、ってやるのは俺で、お前も何か手伝ってくれんのか?』
「いやぁ……ははは」
田川 誠司はばつが悪そうに右の手で頭を掻いた。
それでも片岡は彼に感謝していた。
浮名の祖父であった好誠が築いた、この小さな事務所をこうして存続出来ているのも彼の力なくしては、と日頃から思っていたくらいだ。
情報収集から身の回りの世話に至るまで、誠司は嫌な顔一つせずに、そつなくこなしていた。
いつの日か、この勉強熱心な彼に自分の跡を継いでもらえたら、とすら思っている。
とまぁ、彼との出会いはまた別の物語になるのだが……
「きゃぁぁぁぁぁっ」
突然鳴り響いた声に鳥肌が立つのを感じた。
「ま、まさか……」
『近い。行くぞ!』
勢いよくドアを開け放つと、悲鳴が響いた方へと出来うる限り脚を速く動かした。
祖父であり師である好誠の敵がすぐ近くにいる。
敵が撃てる事で胸が高鳴っているのか、恐怖からソレがきているのか浮名には知る術は無かった。
それでも、父である月詩が生きている間には姿を現さなかった名取を撃てるチャンスが巡って来た事には感謝したかった。
今日こそ、片岡家三代に渡る想いを形にするのだ――。
《アナタのお名前なんてぇの?》
「い、いや……近寄らないで」
《な……名前……教えて》
「な、何なんのよ……やめてよ……」
《おーしーえーなーいーとぉー》
「い、いやっ…… 」
『答えては駄目だ!』
《んあ?》
「た、助けて下さい!」
『誠司、彼女を安全な場所へ』
自分でも怖いくらいに落ち着いていた。
『会えて嬉しいよ、名取』
これで全てに終止符が打たれると思うと、ある種の寂しさに似た感情が浮名の胸を締め付けていた。
『貴様の悪事もこれまでだ』
――これで終わりだ。
この左手に握り締めた妖断刀を奴の、名取の頭にぶち込むのだ。
《な、何故オレを知っている?貴様、何者だ!?》
『ふっ、俺か?
俺はこれから貴様を退治する者、
片岡 浮名様だ!』
(了)