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夢見るひまてぁはスーパーガール



「夢見るひまてぁはスーパーガールなのである」



僕はいつまでも、胸を張ってばかみたいに威張って言った彼女の最後の言葉が忘れられないでいた。


ミーンミンミンミン…


嫌に粒の大きく生温い汗が、頬をたれ背中にながれケツの割れ目にまでながれ、身に付ける物すべてを汚していく。バケツの中の水を彼女にかけながら、目にたれてこようとする額の汗を腕で適当に拭う。

8月、真夏の真昼間。熱された墓石にひたすら水をかける。



「夢見るひまてぁは世界一かわいい」



あの時、小さい胸を張って腰に手を当てて、それはもう本当に楽しげな笑顔で自分がどうしてスーパーガールなのかを1つづつ述べていた。僕はいつものおふざけだと思って淡々と聞いていたけど。それが最後になるなんて。

彼女には独特のオーラがあった。どこか浮世離れしていた。他の女の子にはない、なにか…。今となってはそれももう失われてしまった訳だけど。僕は好きだった。

こんなありふれた墓石は彼女にふさわしいのだろうか。ここにくるまでに、同じような墓石を何十個、下手したら何百個とみながらさまよって来た。見分けがつかないから、彼女の墓石を見つけるのに1時間とかかった。



「夢見るひまてぁはとっても賢い」



ベッドの上に堂々と立って発したそれらの言葉が本心だとは思えない。言葉にはしなかったが、どこか自信のない子だったし、いつだったか彼女はポロッと本音を僕にこぼした事がある。出会って1年は過ぎたであろう頃、性行為の後。


「ひまは馬鹿だから、こうするしかないんだよ」

彼女が暗い顔をしていたのは、そのほんの一瞬のことだった。どういうことか聞くと、いつもの明るさを取り戻してなんでもないと言うのだから、僕はそれ以上聞くことができなかった。



「夢見るひまてぁは皆を愛し愛されている」



もしかしたら、いや確実に、彼女は自分の墓石なんて僕に見つけて欲しくなかったんだろうけど。その時の自分がなにを考えていたかなんて分からない。でも会いにきたかったんだ。

僕は医者だった。


「急患です」

部下がそう告げた。血だらけで横になって運ばれてきたそれは、よく見慣れた彼女に間違いなかった。既に手遅れだったのか、それとも僕が未熟だったせいなのか、彼女はそこから1度も目を覚ますこと無く息を引き取った。

彼女の家族がきて、彼女の本名も家族もその時はじめて知って妙に吐き気がしてきた。いつか彼女が自分は父によく似ていると言っていたが、本当によく似ていた。顔はもちろん、愛想はいいが壁を作ってしまう所も、どこかすべてを諦めたような気だるげな雰囲気まで!どうしたって、その父親は本当に血の繋がった父親だった。

僕は本当に、彼女のことを娘のように思ってたんだ。



「夢見るひまてぁは幸福である」



最初は、ただ若い子を抱きたかっただけ。掲示板でパパ活を募集する彼女に、簡単な自己紹介文のテンプレを送り付けた。彼女はすぐに、2万+交通費で了承して会う約束をしてくれた。

はじめて会った時に僕はなぜこんなことしているのか聞いてみた。


「うーん、資格とりたいし…あと、生活費とか」

目があっちこっちに泳いで、答えもなんだかふわふわしていて、ああ嘘をついてるなと気がついたわけだが。こんな関係なのだからと深掘りするのは避けた。僕にだって詮索されたくないことはあったから。それについては、彼女もなんとなく察してくれた。賢い子だから。



「夢見るひまてぁは頼り甲斐があるよね」



月に数回会って、彼女が生理の日は一緒にごはんを食べた。ご飯だけだとしても、遠慮する彼女にお金を無理やり渡した。それは、僕のための線引きだった。いつの日か彼女を愛おしく思い始めて、彼女以外の女性に興味を失ってしまうほど夢中になってしまったから。

でも僕が彼女に手渡したお金は、彼女が死ぬために貯金していて、葬式代として使われたのだった。

悔やむべきなのか、分からない。僕がお金を払わなければ、きっと他の人に貰っていただろうから。


ミーンミンミンミン…


カナカナカナ…


いつの間にか水をかける手が止まっていた。バケツの中身ももう空だ。

彼女の家族が掃除したのか、ピカピカに磨かれて綺麗な花も添えられたお墓になんて、本当はすることなんてなかったんだけど。去年の夏に暑いのが嫌いだと何度も言っていたことを思い出して、僕はバカみたいに墓石を冷やし続けていた。

水をくみにその場を離れ、ボロボロの水汲みばの蛇口を捻りバケツの中身をみたす。墓地には墓石しかないけど、ここには申し訳程度の木々が生えていて、バケツが満タンになる間空を見上げた。

てっぺんにあったはずの太陽は、いつの間にか随分移動していて、どれほどの間僕が彼女の墓石に水をかけ続けていたかを知らせた。



「夢見るひまてぁは魅力的である」



彼女は成人していたけど、女性ではなく少女だった。小柄で童顔で、天真爛漫で、お菓子1つあげるだけではしゃぐような少女。ほんのたまに見せる暗い表情でさえ、憂う少女のなんと美しい、僕は本当に彼女を愛していた!

バケツから水が溢れ出した辺りで蛇口をしめて、重たくなったそれを彼女の元へ運ぶ。相変わらずの、真夏のうだるような暑さに視界が歪むが、僕は構わなかった。

太陽に焼かれて熱を発する墓石達を通り過ぎて、汗をボタボタと地面に垂らしながら彼女の元へ歩いた。


ーなぜ僕はこんなことをしているのか。


ふと家にいる嫁が思い浮かぶ。大学時代の嫁は、長いポニーテールの似合う美女だった。気遣いのできる、優しい女性だった。でも今は太ってしまったし、皺と白髪まじりの初老の女で、僕を冷たくあしらってパートのおじさんと仲良くやっている。僕も僕で、若い女の子に夢中なんだからお互い様なんだけど。

でも結婚した当時は、彼女に夢中になったのと同じくらい、嫁に夢中になっていた。

愛情が無に帰し、また別の愛を産む。きっとこれもまた消え去る物かもしれないのに。また彼女の墓石の前に立ち、水をかけ続けるのだ。


墓石にぶつかり、とびちる水と冷気に少し視界のかすみがとれる。共に麻痺した疲労も戻ってきた。



「夢見るひまてぁは、永遠に美しい」



そう言って、彼女はベットを降りた。いつも通り、いたずらっ子みたいに含みのある笑みを浮かべて、行為が終わった後だというのに下着を脱ぎ出した。

困惑する僕に「一生大事にしてね」なんて冗談まじりに下着を手渡し、膝丈のスカートを両手でつまんで少し持ち上げた。もう少しで彼女が女性であることの証明であるものが、見えてしまいそうで、不覚にも心臓が跳ねた。


「今日は風が強いし、誰かに見られちゃうかもね」

「まったく、それでは危ないよ。今日はタクシーで帰りなさい」


僕はため息をひとつ、1万円札を手渡した。彼女は嫌がったけど、下着を買い取ったことにしてどうにか渡した。嬉しいような、いらないような…。下着は今でも、タンスの奥底に眠っている。

なぜ最後の日に下着なんてくれたんだろうか。



フラッ、と

突如、目眩がした。


いけない、熱中症になっただろうか。体の危険信号にハッとして、僕は早々に墓を去りバケツを片付けた。視界がぐらついてうまく歩けない。これはやばい、と長く急で、木々と蚊だらけの階段をくだる。手すりを掴みながら下るのに、数分を要した。

そこから少し歩くと、急にお店の立ち並ぶ普通の街の風景で。彼女との繋がりを永遠に失ったような気がした。


もう見つけてしまったから。彼女に用事など、もうないのだ。


頭も、体も痺れて、ずっしりと全身に重石がのしかかったようだった。帰るきになれなくて、目の前にあった喫茶店に入る。カランカラン、と入店を知らせる音がなり、冷房の効いた室内の風がぶわっと僕をつつむ。「いらっしゃいませー」女性の店員の声と適当に流されたクラシックの音に、どこか安心感を覚えた。

汗だくでフラフラのおじさんを目にした店員の顔は引き攣っていたが。案内された1人席で、アイスコーヒーを頼んだ。

すぐに女性店員が持ってきてくれたお冷をグイッと一気にのんだ。


木枠の小洒落た小さい椅子。丸いこれまた小さいテーブル。まんまるのオレンジの照明が天井から垂れ下がり、バーのようでもあるオシャレな店内は、女性客が多かった。

気まずさを感じながらも、おしぼりで顔をふく。



「ひまを絶対忘れないでね」



最後の日、駅の階段前で別れ際に彼女はそう言った。あくまで明るい口調だったが。僕は関係の終わりを悟った。だから言ったんだ。自分の欲望をぶつけた。








「幸せに生きてくれ。金に困ったら頼ってくれていい。もうあんな行為をしなくていい。生活費が足りないってんなら、いくらか振り込むよ。僕を利用してくれ。


そして、もし君に不幸をもたらす者がいて、君の人生で邪魔だと思ったら、僕を頼ってくれ。これからただ死に向かって行くだけのおじさんにとって、失うものはない。なんだってできる。

どんな風に生きたっていい。どれほど失敗しようと、僕はいつだって味方になるから。できるだけ長生きして君の切り札として存在する。


家の住所も、電話番号も、僕の個人情報は全てメールに送るから。連絡先が分からなくなっても大丈夫なようにね。だから、だからさ、もう僕のことを忘れちゃってもいいんだけどさ、どうにか…いい人生を歩んでほしい」







目を見開いて、唇を噛んだ彼女は、無言で去っていった。


彼女はなにを思ったのか。


涼しい店内で、ボタボタと垂れる液体を、拭いもせずに僕は延々と考え続けた。





真夏のお墓は暑い。汗だくになるし、日に焼けるし、蚊に刺される。いっくら虫除けと日焼け止めを塗りたくっても、汗で流れて結局ダメなんだ。


でも命日だし、来ない訳にはいかなくて。適当に選んだかわいいお花と、好きだった菓子パンとお酒を1人でもつのはなかなか面倒。選ぶ時は、楽しいんだけど。持ち運ぶのはね。


まったく、夏に死んだのは間違いよ、ママ。

わたしは絶対、夏には死なないってママのおかげで決めたんだから。

あ!蚊が腕にひっついて…。きもちわるい!

もう、いくら払ってもよってくる。


ママ、またくるから許してね。もうわたし、真夏のお墓に耐えられない。

またね。また、会おうね。


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