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海の月

作者: スナコ

可愛くて優しい海月のぼうやのお話。その心は体と同じく、やわらかく脆すぎた。

それは むかしむかしか 遠い未来か。そんな事はどうだっていい あるいつかの事です。 地球は 海に覆われていました。 飲み込まれてしまったのか いまだ顔を見せていないだけなのか わかりませんが。大地と呼べる場所がないこの星は 言葉通り水の星なのでありました。 全ての命は 海から生まれ 海に育まれ。最後は海で死に 命の雪となって 深くに住む命の食べ物となって 命を育むのです。 海から生まれた生き物達は 母なる彼女を慕い 愛し 尊敬していました。 彼女もまた 我が子である彼等を 平等に愛し 見守り 命をなくした後も 亡骸を抱き締め。いつまでも共にありました。 愛し愛され 幸せな日々。今までも これからも。この日々が揺らぐ事はないと 誰もが信じておりました。


さて 所変わって ここはくらげ達の住むエリア。くらげ達は大人も 子供も。皆が綺麗な 乳白色の体を持っていました。 しかし 一匹。たった一匹 だけ。 そのくらげのぼうやは 異端でした。その子の体は 黄色。ぼんやりと 光を放ってさえ見えるその姿は 透き通るような白いくらげ達の中にあって とびきり目立ちました。 違うは 嫌うに充分と。大人も 子供も。くらげ達は こぞってぼうやをいじめるようになりました。その中には ぼうやのお父さんとお母さんも 含まれていたのです。 まだ幼いぼうやに やり返す力など ある訳がありません。涙は 生まれた端から海水と同化し 泣いている事さえ誰にも気づいてもらえません。毎日 毎日。他のくらげ達に見つからないように逃げて 今日はいじめられませんようにと 願う事しか できませんでした。 そんな彼を 哀れに思った亀のおじいちゃんは ぼうやをこっそり隠してくれたりと 優しく庇ってくれました。 おじいちゃんは 長く生きてきただけあって 物知りでしたので。ある日 こんな話をしてくれました。 「知っているかい ぼうや。海の天井の もっともっと遠くにはね 空という海の双子の兄弟がいてね。そこには 月という 君にそっくりな丸い物が住んでいるんだよ」 「それにね なんと 君達くらげは いつかの世界では 海の月と呼ばれているんだそうだ」 「ひょっとしたら君は 本当は月の子で 間違って海に落ちてきたのかもしれないねぇ」 それは 罪のない たわいもない 一時的な夢物語のつもりでした。ほんの少し 楽しい空想をする事で 笑む事を知らないこの子が笑ってくれるかもと。そんな小さな 期待を込めて考えた 作り話。 けれど それは 嗚呼。けして与えてはいけなかった 劇薬。 彼を 二度と目覚める事のない夢へ飛び込ませる結果になるなんて 思ってもいなかったのです。


おじいちゃんの話を聞いたぼうやは 月に会ってみたいと思うようになりました。今まで出会った事のない 自分と同じ色の そっくりな 生き物。 泳いで 泳いで うんとうんと泳いで。腕が疲れても 感覚がなくなってきても。自分の仲間に会いたい その一心で ひたすらに天井に向かって腕を掻き続けました。 やわやわと 光が揺らめく天井に 腕の先が届きました。ようやく 海の一番上までついたのです。 疲労に悲鳴を上げる体を 無理矢理に動かし 最後の力を振り絞って。ぼうやは 天井を乗り越え、 「!」 水のない場所へ出した目は 初めて触れる何かによって 激しい痛みを訴えました。焼けつくような びりびり痺れる痛みの中。 それでもぼうやは 痛みを与える見えない何かの向こうにあった物に 目も 心も 奪われて 動く事ができませんでした。 優しい 黄色。まぁるい 大きな体。それは確かに 自分がそのまま大きくなったかのような 姿をしていて。 呼吸さえ忘れ 気を失ってしまう 直前まで。ぼうやは 初めて出会った 「自分の仲間」を しっかりと見つめていたのでした。


その日から ぼうやは 海の事を母と呼ばなくなりました。それと同時に とても明るい笑顔を 振り撒くようになりました。 ぶたれても 意地悪を言われても 笑っているぼうやに 皆は 訊きました。どうして 平気な顔で 笑っているのかと。 ぼうやは 答えました。 「だって わかったから」 「ぼくがみんなと違うのは みんなと違う生き物なのだから 当然だ。ぼくは海のくらげじゃない お空で生まれた お空のくらげなんだ。ぼくは間違って ここに落っこちてきただけなんだ」 皆が それは違う お前は海の子だよと諭しても 聞きません。 「そんな訳あるもんか。ぼくのお母さんは 別にいたんだ。お空には ぼくとおんなじ色の子がたくさんいて そこではぼくは いじめられる事もなく 皆と仲良くできるんだ。だって ぼくの仲間が ぼくをいじめる訳がないもの!」 とろけた目をして笑うぼうやの 心から幸せそうな顔で放たれる 叫びに。銀のくらげ達は ようやく気づきました。自分達が どんなに罪深い事を彼にしてきたかという事に。 今までのぼうやは 壊れてしまったのです。彼の目には もう海の世界は見えていません。 今彼が見ているのは 優しい母の夢。やわらかく微笑むような 穏やかな黄色い光を放つ 遠く離れた空にいる月とその周りに広がる世界だけ。 誰も受け入れてくれなかった 仲間だと言ってくれなかった 愛してくれなかった。全ては 姿が違うから。 散々にいじめられ 擦り切れ 弱り切っていた心は 「同じ姿の仲間」という救いを見つけた事によって 針の筵の現実より 甘やかな夢という逃避を選んだのです。 「それに」 「ぼくのおかあさんなら ぼくの事が好きなはずだもの。ぼくがいじめられていたら ぼくをかばって みんなをおこってくれたはずだもの」 「ここは ぼくのおうちじゃない。海は ぼくのおかあさんなんかじゃない!」 見ていたはずなのに 知っていたはずなのに。一度だって守ってくれなかった。 今まで見ない振りをして押し込めていた海への怒りが噴き出て、ぼうやの口を飛び出した時。


世界が 怒りに 大きく震えました。


くらげ達は いえ 魚も ひとでも うみうしも くじらも。全ての生き物は理解しました。「海が怒っている」と。 それは ぼうやも同じでした。悲しきかな どんなに信じていようと 彼も海の子なのです。本能が 母の怒りを その原因は自分であると 教えていました。 逃げなくては 傷つけられる。けれど どこに?世界は 海。海こそ 世界。どれだけ泳いだって 水の生き物である以上 彼に逃げ場などないのです。 どうする事もできずにいるぼうやの足元に 小さな渦巻きが生まれました。小さかったそれは周りの水を取り込みみるみる内に大きく成長し やがてぼうやを取り囲んで流れに巻き込み 海の天井である海面を突き破って高く高く高い場所へ ぼうやを放り出してしまいました。 母を母と敬わぬ子など いらぬ。そんなに月が恋しいのならば 送ってくれる。それが 海の出した答えでした。 海は 双子の兄弟である空に力を貸してくれるよう頼んで 渦巻きを高く長く伸ばしてもらい。裏切り者の恩知らずであるくらげのぼうやを 永久に自分から追放する事にしたのです。 海から事情を聞いた空は それはさすがに 可哀想なのではと。もう一度 話し合ってみてはどうかと 説得を試みましたが。自分の真似をして自身の色を青と定めるほどに愛されている自分が諭そうとも揺らぐ気配のない海の怒りに それがどれだけ深いかを悟り。渋々承諾しました。 しかし それでも 憐れみの念は消えません。せめてもの慰めにと 空はまっすぐに ぼうやを月まで送り届けてあげました。


天上。月に広がる大地は ぼんやりと 黄色い光を放って とてもうつくしく。 ようやく夢見た地に降り立ったぼうやは 幸せに心を満たされ 身を包まれ。この上なく 他に例えようもなく 幸せな気持ちを味わっていました。 笑顔が浮かぶその顔は ああ 嗚呼 なんという事でしょう。 あんなにも瑞々しかった肌は 水気を知らない干涸らびた大地に みるみる水分を吸われ。ふくふくと愛らしかった丸い輪郭も いまや面影もなく。見るも無惨な 干物に似た姿にまで 成り果てておりました。 それでも。皺だらけになったその顔は 嬉しそうに 幸せそうに 笑みを絶やさないままで。 彼は 力の入らない 震える手を 自分と同じ色に輝く大地に伸ばして。 「おかぁ、さん・・・」 すり と。甘えるように 頬をこすりつけて。 「あいた、かったぁ・・・」 ぽろりと 涙と一緒に零れた言葉を 最後に。彼の体の全ては 動く事を一切 やめてしまいました。 ・・・月は 最後まで 何も言う事はなく。ただ 自分を慕い 空気という水の生き物にとっては毒の海に曝されながらもここまでやってきた自分と同じ色のぼうやが 自分とひとつになるまで 長い時間をかけて見守り。 ひとつになった後は 自身のうつくしさを誇るようにして よりいっそう ぴかぴかと輝くようになったという事です。 その輝く様は 何かを忘れるなとでも言うかのようだと。今日も海は子供達にぼやくのでありました。

つらい現実からの逃避とは、決して悪い事ではないと思っています。正しく物事を受け取れない事は周りから見たら確実に不幸に見えるでしょう、けれど一部が壊れる事で、「今の自分は幸せだ」と思えるのなら。最悪の形、最後の手段ではあっても、それは救いだと思うのです。

壊したのはお前等だ、この子は何も悪くない。

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