飛び級したら、幼馴染みの家庭教師をすることになりました。めちゃくちゃ機嫌悪そうだけど、夕飯だけは作ってくれます。
転機が訪れたのは、僕が小学生の最後の夏。知恵熱を出して、40℃の熱を出しているときだった。
「私どもは聖くん自身に大きく期待しているのです!ですからこそ、聖くんのゴールデンタイムを私どもエリートアカデミアに捧げて頂けませんか?ぜひとも!ぜひとも!お願いします!」
上下に黒のスーツをまとい、長い髪をサイドにながした一人の女性が犯罪すれすれに家に押し掛けてきた。その女性は真剣な眼差しでお母さんに詰め寄る。
「やめてください、息子は熱を出しているんです。頼むから安静にさせてください。話なら息子がよくなった時にでも聞きますから。今日のところはお引き取り下さい!!」
「そういうわけには参りません!!こうしている時間にも聖くんの大事な時間は失われているのです!!だからこそ!今日!私は!聖くんを説得しないといけないんです!!ぜひ!ぜひ!」
帰ってほしいと静止を求めるお母さんの声もなんのその、スーツの女性は大きな声を上げ続ける。
「聖くん!!聖くん!!聞いてください!!ぜひとも、私たちと一緒に学び舎へ行きましょう!!」
「やめてください!!息子の体に障ります!ぜひお静かに!」
熱でもうろうとしている僕の頭でもこれだけは分かった。
――この人は頭のねじが数本外れている。
だって僕は話すのもつらいほどの高熱なんだぞ。そんな子供がいる家に押し入り、どこだかわからないような場所へ一緒に行こうなどと言っている。よくて宗教勧誘をうたった詐欺師、悪くてどこかの国からの誘拐代行業者といったところだろうか。
「いいえ!!むしろ、それを知ったから今来たのです!!聖くんが体調を壊した理由です!一週間、生理行為以外をすべてを数学の勉強に費やしたから知恵熱を出して寝込んだのに、そのまま布団に隠れてまで数学を勉強し続けたからと聞きました!そのあふれ出る熱量にわたくしたちは期待しているのです!!」
しかし、熱心に話すその女性の目の奥には何か信頼できる熱いものを感じた。
だから、僕はゆっくりと耳を傾けた。
「それだけじゃないです。聞けばこういうやりすぎてしまうことは今回だけじゃないと!!街の地図を作るためにあらゆる場所を散策、測量して正確な五万分の一の地図を作ったこと!ゴミ捨て場のピアノで指の皮がめくれるほど練習して一週間で何曲も弾けるようになったこと!!一緒に学びその熱量の理由を知りたいんです!!」
スーツの女性が寝込む僕にその熱意をぶつけてくる。
ああ、そうかこの女性の熱さって僕と同じなんだ。だからこそ、こんなにも……
「教えてください!!聖くん、あなたのその熱の正体を!!」
熱量の理由?頑張った理由?そんなの簡単だ。ガンガン痛む頭を押さえながらベッドから立ち上がる。
「幼馴染のリサが……『頭が良いひとがすき』って言ったから、勉強してたけど……やってるうちに楽しくなって………」
地図の時もそうだ、この街をお空から見てみたいって。
ピアノの時もそんなかんじ。
だから僕は、スーツの女性に一つのことを聞いた。
「もし、僕が……そのエリートアカデミアってやつに行けば、リサに好きって言ってもらえるような人に……けほ、こほ……なれますか?」
「当たり前です」
スーツの女性は自信満々に答えた。
そうか……なるほど。この人は嘘をつくような人ではないだろう。なら、賭けてみてもいいかな。そう思いながら僕の体はベッドへと倒れていった。
△▼△▼
あれから五年、エリートアカデミアを経て飛び級をした僕は再び地元に戻ってきていた。
「久しぶりだな、久しぶりにリサに会える。ああ~緊張してきた~~」
「聖が緊張なんて珍しいね~」
僕と一緒にいるのは同じエリートアカデミア出身のマリーだ。金髪セミロングでギャル語を使う活発な少女だ。
「じゃ!あたしが緊張ほぐすためにぎゅってしてあげんね~」
「やめい!」
「あいた!チョップは痛いし~!」
「僕にはリサっていう大事な幼馴染がいるの、だからハグなんてもってのほかだ」
こうしてスキンシップがアメリカナイズドされていることを除けば、基本は気が合うし、アカデミアでは一番仲が良かった子でもある。明るく活発で同年代の男子からの告白は後を絶たないが「聖との友情でじゅーぶん」って言っていたことを考えれば向こうも僕のことを一番仲が良いって思ってくれているみたいだ
本当に仲が良い親友だ。
「それにしても、”幼馴染の家庭教師をすること”が試験だなんて、アカデミアも珍しいことするもんだね、ふつうの試験ってもっと厳しいじゃん?」
「そうだね、でもまあ、リサに会いたいってずっと頼み込んでた僕を、今回に限ってアカデミアから気を遣ったって感じかな。アカデミアの成績はあんまりよくなかったけど落第の科目がなかったってことも評価されたみたい」
「んへぇ~、裏でそんなことしてたんだね~、偉いね~お姉さんが頭撫でてあげよう、よしよし。あーしに甘えたくなったらばぶばぶって言っていいかんね~」
「そんなこと言うか!!」
過剰なスキンシップをするマリーを止める。僕にはリサという想い人がいるのだ。
もう既にリサの家が近くなってきている事を考えれば、ここらで一度マリーに釘を刺しておかないと。
「マリー付き添いはここまでで十分だ。ありがとう」
「ええ~~なんでぇ!?あーしも一緒にいきたいし!」
「ダメだ、万が一にもリサにマリーとの関係を誤解されるわけにはいかない。マリーは大事な親友だが、彼女だとリサに誤解されたら僕が血を吐いてしまう」
「ぶぅう!別に大丈夫っしょ?うちらただの仲良しじゃん?別にさ、学園の五年間も特に何かしたわけじゃないしさ。てか、聖が意識しすぎ!そういう意識過剰な男は女の子からめんどくさいって敬遠されんだよ~!んじゃ、話は終わりね!グミでも食べる?」
とか、言いながら僕の腕はマリーに抱き寄せられるような形で、しっかりと僕の二の腕にはマリーの豊満で柔らかいものが当たっていた。
「これはたぶんアウトなんじゃないか?」
「あり?まじで?にゃはは!確かに!これは無意識だったわ!でも、聖もあーしのおっぱい嬉しいっしょ?おら、おらっ」
「や、やめい!!」
「あ、照れた~!聖ってガチで照れてるときってチョップが飛んでこないからわかりやすいんだよね~」
「そんなことあるかぁああ!!」
顔を真っ赤にして言い返していたら周囲に気を払うのを忘れていた。道中で大きな声で言い合う僕たちに多くの観客が集まっていた。「痴話げんかよ~」「若くていいわね~」そんな主婦の声も聞こえてくる。
そんな中に冷たい視線を一つ感じた。その視線を辿ると、黒髪をサイドにまとめた少女が立っている。細められた目元からは黒の透き通った瞳が見える。少し小柄で体を小さく丸めて小動物みたいなのに、気が強そうな感じは僕の好みど真ん中だ。
―――僕が十二年間ずっと片思いしている星原リサだ
そのリサが衆人環視のもと腕を組んで突っつきあってる僕とマリーを眉間にしわを寄せてみていた。
「リ、リサ……これは、違うんだ……」
「なにが?」
「違って、これは特にマリーと僕はなにか特別な関係ではなくて、これは特別なことではなくてですね。これは日常といいますか……」
「……へー、日常ね、ふーん」
リサはくるっと僕に背を向けて歩いていく。
あ、終わった……。
リサを追いかけて、彼女の母に挨拶をして家に入る。家庭教師の話は前もって伝えられていたことと顔なじみであったこともあり、簡単に話は終わった。
だが、問題はリサの表情だ。子供のころの天真爛漫といった感じは全くなく、終始無言だ。この感じを見ると、マリーは置いてきて正解だった。
「あのさ、リサ……さっきのは誤解で……」
「誤解ってなんですか?そんなことはどうでもいいんで、さっさと授業を始めてください。かみやせんせい」
「神谷先生って……あの昔みたいに」
「昔みたいにって何ですか?か・み・や・先生」
「うぐ……」
神谷先生という苗字での呼び方が心臓にぐさぐさ刺さる。昔は『ひーくんと一緒にあそぶ!』ってあんなに仲が良かったのに……。涙が出そうだ。
「そ、そうだね。じゃあ今日は古文の……ええと…」
「今授業でやってるのは男が浮気して、女が鬼になって復讐する話です」
「えっと……そんな話あったっけ?」
「私が女だったら鬼なんかならないですけどね」
「………え?」
「だって、私はそんな浮気して女の人を放置するような男性好きにならないですからね!」
「うぐぅ……ぐはぁ!」
リサの言葉が胃にしみる。耐えてくれ僕の胃よ。
「そ、それじゃあ……その話を勉強しようか…」
「冗談です、そんな話無いですよ。やるのは伊勢物語の芥川です」
それも浮気の話じゃないか……、しかも最終的に男が女に捨てられる話。リサが遠まわしに僕のメンタルをずさずさと突き刺してくる。授業中もことあるごとに棘を突き刺してくるため、気が休まらない。
「昔って一夫多妻制だから、放置されてしまう女性もいてね……」
「私だったら五年も放置されたら、そんな男の人嫌いになっちゃいますけどね」
「別に話の中では、五年間も……」
「へ~どこかの男性にはそんな人もいるのかと思っただけです」
「昔って夜這いとか多かったからこういう描写って多くて……」
「そうですよね、男性って下半身で物事をかんがえますもんね。そりゃ、金髪でボインの娘を好きになりますもんね」
「えっと……古文に金髪の女の子は出てこないよ……」
こんなやり取りが続くとさすがに耐えられない。見ず知らずの人ならまだしも、大好きなリサから辛辣な言葉は吐血ものだ。一度マリーに助けを求めよう。
「ご、ごめんね。ちょっとアカデミアの人から電話入ったみたい、ちょっと待っててね」
適当に嘘をついて、部屋を出てマリーに電話を掛ける。
『うぃー、どした?ひじり?』
「リサが……冷たいよー……」
『まじ?そんなに!?あーしのせいだよね……ごめんね?』
「いや、マリーのせいだけじゃない、どうにも僕が五年間放置してたことにもかなり怒ってるみたいだ、本気で嫌われてるかも」
『ああ~確かにそりゃ怒るよね、あーしも今から聖に五年放置されるって言われたらショックだもん』
「どうしようマリー……」
リサの家の廊下で膝を抱えて落ち込んでしまう。
『てかさ、なんでそんなに幼馴染のこと好きなの?』
「なんでって」
『だってさ、五年も離れてんだよ?ふつう冷めるっしょ』
「う~ん……リサってさ、距離感がすごくいいんだよね、微妙なところにすごく気を遣ってくれるし、つらいときはぐいぐい来てくれて寂しくさせないようにしてくれるし。むしろ久々に会って、その感じが端々に見えてやっぱり変わってないんだって思って、いっそう好きになったまである」
――ッドスン!!
リサの部屋の壁から急に扉がはじけるような音が聞こえる。
『今のなんの音?』
「わかんないけどリサの部屋からみたいだ、確認してくる」
扉を開いて中を確認するとリサがシャドーボクシングをしていた。
「えっとリサ……なにしてるの?」
「見てわからない?勉強で疲れたから体動かしてるの!!こんなに動いたら暑くなっちゃうわ!!顔も赤くなっちゃうよね!!」
「ああ、うん、そうだね」
「ほら!!まだ電話終わってないんでしょ!!私のことはいいから!!」
そういってリサの部屋を追い出されてしまう。
再びマリーとの通話を再開する。
『何の音だったの?』
「リサがシャドーボクシングしてた、顔を真っ赤にするほどハードにやってたみたい」
『なにそれ?』
「わかんない、まあいいや、それでなんの話してたっけ」
話を戻す。
『なんで、聖が幼馴染を好きか?って話』
「ああ、距離感と……あと実は外見もめっちゃ好みで、小動物っぽいのに気が強そうな感じとかめっちゃ好きなんだよね」
『あーあー、それはもういいんだけど。聖がめちゃくちゃ幼馴染のこと好きなのは分かった。でもさ、大事なのは相手が聖に怒ってるってことだよね』
「う……まあそうなんだよね。それが辛いところなんだよね」
『どうしようもなくね?』
「そうなのかな……」
『……たぶん』
行き場をなくした僕とマリーの会話は無言になる。
『じゃあさ、あーしと付き合う?』
「………………は?」
『だからさ、あーしと聖でかれし、かのじょ~、みたいな』
「は?え?僕がマリーと付き合う?それ本気か!?」
『誤解されてるんだったら、事実にすればいいんじゃない?あーしは別に聖と付き合うの嫌じゃないよ?』
急なマリーの告白に思考が追い付かない。頭がぐるぐるとして沸騰しそうになる。僕がマリーと付き合う!?まあ、確かにマリーと付き合ったらお互い気が合うし、マリーの苦手なところって過度なスキンシップぐらいだし。それも恋人になれば自然なスキンシップになるし……あれ?意外と僕とマリーって……
「っだ、だめだ!!ダメじゃないけどダメ!むしろ、ダメじゃないからこそダメだ!!」
『あり?もしかして具体的に想像しちゃった?聖のえっち~~』
「まだ、そこまで想像してない!!」
『まだ?まだってことはこれから想像する気なんだ~えっちだね、でもいいよ聖なら』
マリーのからかいにも頭がついてこない。僕はうわごとのように「ダメだけどダメじゃないけど」と繰り返す。
その時、リサが扉を開け部屋から出てくる。そして僕の携帯を取り上げ通話終了のボタンを押してしまった。
「早く、授業の続きをしてよ」
「ああ、ええと、うん!」
それからは思考がまとまらないまま授業が終わった。なんでマリーはいきなりあんな事を言ったんだ?わけがわからない。僕はリサが好きで、ずっと好きだと思っていて、それをマリーにも伝えていて。
でも別にマリーのことも大切な女の子だと思っていて。
今日の授業で何を教えたか、何を話したか覚えてすらいない。
「それじゃ、今日の授業はここまで、お疲れ様でした。じゃあ僕は帰るね?」
「お疲れ様」
「うん、それじゃ」
結局、リサと仲直りすることはできなかった。
名残惜しいが、今日の混乱した頭じゃ仕方ない。帰ろうと一歩踏み出した時に体が引っ張られるのを感じた。
リサが僕の制服の裾をつまんでいる。
「あのーリサさん……」
「なに?」
「なに?じゃなくて服離してもらえると……帰れないんで」
「………」
「………」
謎の無言の時間が続く。僕から何を話していいのかわからない。
数秒後、リサがゆっくりと口を開いた。
「夜ご飯、一緒に食べてっていいよ」
「……え!?」
「私が作りおきしてるやつだから、美味しくないかもだけど」
「……まじですか?」
「嫌なら別にいいけど」
「食べたいです!!むしろ食べさせてください!!」
リサの申し出に胃が喜ぶ。
散々ストレスでダメージを受けた分、リサの手料理で癒されような!!僕の胃!!わけもわからない日だったが最後で少し収穫ができた。僕は小走りで食卓へ走っていく。
この時、僕は部屋で一人残ったリサが小さな声で「負けないんだから」と口にしたことに気付かなかった。
感想とか、評価ブクマしてくれたら泣いて喜びます。
あと、男に浮気されて鬼なる古文の話ってなんでしたっけ?高校の時にやった思い出あるんですが最後まで思い出せませんでした。