過去と村
「さすがに揺れるな」
異物である平らな黒い道――道路から逸れて荒れた道を進んでいる。
この馬車には揺れを吸収する細工がされているらしいが、整備されていない荒れた道だと結構揺れてしまう。
それでも、かなりマシな方だ。普通の馬車だったら衝撃をもろに受けて、尻と腰がヤバいことになっていた自信がある。
「何言ってんだよ、充分快適だろ。俺の乗ってきた乗合馬車なんて、こんなもんじゃなかったんだからな」
「バカ野郎。上下の揺れは腰の大敵だ。油断したら……腰の関節を全部持っていかれちまうぜ?」
「格好つけた声でダサいこと言うなよ……」
隣に座って流れゆく風景を眺めているダリルイ。悪態を吐いてはいるが声はご機嫌に聞こえる。
村に近づいていることで気分が高揚しているのか。
「あと、どれぐらいで着きそうだ?」
「この調子なら、もうそろそろだと思う」
辺りを見回しながら嬉しそうに答えた。
見覚えのある景色が増えてきたようで、自然と顔がほころんでいる。
地面は獣道に毛が生えた程度の砂利道で、道幅は細すぎて片方の車輪が道からはみ出ている。
ダーシュはその馬力で悪路を物ともせずに馬車を引っ張ってくれているので、速度を落とさずにこのまま目的地に着けそうだ。
「じいさん、だらしない顔してんな。もっとシャキッとしろよ」
「体力を温存してんだっての」
舵を握りながらぼーっと景色を眺めているように見えているようだが、この目は周囲をつぶさに観察していた。
道の脇は深い森になっているが、奥の方になぎ倒された木々がある。
かなりの広範囲に渡って木が折られている。地面には巨大な足跡らしきものと、獣とモンスターの食べ残しが転がっていた。
この衰えた鼻でも捉えられる血の臭い。見えない場所にも無数の死体が転がっている、と考えるべきだ。
「……道に近い場所でこの有様か」
「じいさん、なんか言った?」
「いや。この道の利用頻度はどんなもんだ」
「んー、町に行くときにしか使わないからなー。物資とかは村の雑貨屋が仕入れてくるから、村の連中はあんまり利用しないと思う」
なるほど。これが頻繁に利用している道なら、村人から被害者が出ていてもおかしくない。まだ誰も死者がいないのは運がよかったというべきか。
「小僧、村を出て今日で何日ぐらいだ?」
「ええと、町まで一週間でギルド探すのに更に一日。それで、ここまで一日かかってるから九日かな」
九日か。近くに凶悪なモンスターが出没してから、それだけの日数が経過しているとなると最悪の展開も考慮しなければならない。
ちらっと横目でダリルイを確認すると、村に帰れることを無邪気に喜んでいるようにも見えるが……瞳の動きが忙しない。
あれは内心の動揺や不安を隠している証拠のようなもんだ。
そりゃそうか。モンスターに脅威を感じたからこそ、はるばる町までハンターを雇いにやって来たのだから。
「よく頑張ったな小僧。あとは俺たちに任せな」
「なんだよ急に猫なで声になって。気持ち悪いな」
人が珍しく慰めてやったというのに、跳ねっ返りの強いガキだ。まあ、落ち込んでうじうじ悩む寄りかはマシか。
村に近づくにつれて全身の肌がひりつく。
「よくねえな、こりゃ」
嫌な気配がする。年を取るにつれて五感は衰える一方だが、その代わりに別の感覚が鋭くなった。
目を閉じて長く息を吐く。
意識を全方向に集中する。
森に生命の気配が……ない。村まではまだ距離があるから気配は読めないが、さっきから小動物にすら出会っていない。
それに今通り過ぎた道の右側に大木が倒された跡があった。そして、走っている道の脇に巨大な足跡があった。それも、かなり新しい。
三日、いや、遠くて二日前か。
その足跡は真っ直ぐ道を進んでいて、その方角には村がある。
いち早く気づいた仲間がダリルイを馬車の中に入れると、あれこれ話しかけて外を見せないようにしていた。
今はいいが、村に着いたらいずれバレる。その場凌ぎでしかないのは仲間も重々承知しているだろう。
「ダーシュ」
「ブヒュウウゥ」
振り返ったダーシュは俺の目を見て即座に理解すると、足の回転数を徐々に落として揺れを感じさせないほど静かに停車する。
「ちょっと車輪の調子が悪いみてえだ。バージン調べてくれ」
「わかりました」
「俺は先に村に向かっておくから」
前を向いたまま言い放つと、返事を待たずに御者席の扉を開けて降りる。
「ちょっと待ってくれ、俺も!」
「ダメだ。依頼人を守るのも仕事の内だ。馬車が直るまで大人しく待ちやがれ」
「でもっ!」
「はやる気持ちはわかるが、歩きで小僧を守りながらだと手間なんだよ。ハッキリ言っちまえば、ただの足手まといだ」
「くっ、そうかよ!」
背中に浴びせられた怒声に対し、手をヒラヒラと振り返す。
そのまま歩き始めたのだが、隣に並ぶ人影が一つ。
俺の腰までしかない小さな幼女、にしか見えない老女が一人。
「わしも一緒に行くとするかのぅ」
「珍しいな、自分から動くなんてよ」
「ほっほっほ。ずっと動かないのも体に悪いでな」
と言いながら見当違いの方向へ歩き出したので、その手を握って引いていくことにする。
「いつもすまないねぇ。あと二百年若かったら惚れておったかもしれんぞ」
「精子ですらねえな」
第三者から見れば孫が爺さんの手を引いているように見えるのだろうが、実際は逆。
こいつの実年齢は桁外れに年上だ。記憶力がかなり落ちていて、俺たちのことは忘れないが、昨日の記憶すら残っているかは……怪しい。
「ところで、どこに向かっているんじゃ?」
「……あの小僧、ダリルイから依頼を受けただろ。村の近くで黒い竜の目撃があったからどうにかして欲しい、って」
「おおう、そんなことも、あった、ような?」
「頼むぜ、大魔法使いさんよ」
「この見た目ならば、魔法少女と呼ぶべきではないかのぅ」
中身がこうじゃなければ、その呼び名に抵抗感はなかったかもしれないな。
こいつは昔からつかみ所がなく天然なところがあったが、最近は言動のすべてが悪化している。
それでも憎めないのは性格のおかげだろう。
「さてと、無駄話はここまでにするかのぅ。お客さんじゃよ」
「丁重におもてなしをするか」
二人同時に視線を正面へ向けると、そこには無数の人影があった。
生気が感じられない虚ろな瞳に、おぼつかない足取り。風下の俺たちへ流れてくる腐臭。
これだけ条件が重なれば誰だって相手の正体に予想がつく。
「動く……死体か」
「ふむ、低級の霊を身に宿しておるのぅ」
素材は人間だが、こうなった以上モンスターと変わりない。
体が死んでいるので救う術はないが、解放してやることはできる。
――そう頭では理解できているのに足が動かない。
生命力を失っても彷徨い続ける死体。口からは言葉にならないうめき声が漏れるのみ。
ゆらゆらと揺れながら徐々に迫ってくる、死体の群れ。
その光景に触発された過去の自分が「忘れるな、目を逸らすな!」と叫び、あれを思い出させようと、心の奥底にしまってある記憶を強引に掘り起こそうとする。
忘れたくても忘れられない……過去の残像と残響を。
死体が跋扈する町に佇む、五人の――
「私たちのせいでこんなことにっ!」
泣くな!
「私たちがもっとうまくやれば、こんな惨事にはっ! 神よお許しください!」
祈るな!
「もう、手遅れかもしれんのう」
あきらめるな!
「勇者の導き手であるボクがもっとしっかりしていたらっ!」
悔やむな!
「まだだ、まだ終わっちゃいねえ!」
後悔はあとでいくらでもすればいい。愚かな行いを叱責するのも今じゃない。立て、動け、歯を食いしばれ。現実から目を背けるな!
自分たちのやらかしたことを目に焼き付けろ!
今ならわかる。俺たちの望みがいかに甘い絵空事だったか。世界中の人々が笑って過ごせる世界を求め、戦い続けてきた自分たちが間抜けだったってことも!
だからこそ、結末を見届けろ!
そして、命をかけて償うんだ!
「ライク、ライク」
誰かが俺の名を呼ぶ。
氷のように冷え切った左手に微かな温もりを感じる。
小さな、小さな、か細い手。
そう、あのときも俺は……。
「しっかりせんかっ!」
鼓膜を貫き脳天に突き抜けるような大声に、頭を覆っていた靄が吹き飛ぶ。
クラクラする頭を抱えながら、声の主に視線を向けるとふくれっ面の幼女――リトルがいた。
「邪気に感化されおって。眼を見開き、よく見てみるがいい。あやつらはあの者たちではない」
そうだ、言われるまでもない。
わかりきっていることだ。あいつらはもう、存在しないのだから。
俺は自分の頬を挟み込むようにして全力で叩く。
バチーン、と大きな音が森に響いた。
「ありがとうよ、目が覚めたぜ」
情けねえ。この年で、まだトラウマなんてよ。楽しかった記憶は薄れていくってのに、忌々しい過去の記憶は心に刻まれ消えることがない。
もう、乗り越えたつもりだった。だけど、俺はまだ引きずっているのか。
「若輩者を導くのは先輩の務めじゃからのぅ」
「頼もしいぜ、大先輩」
「大は余計じゃ」
軽口を叩いたことで少し気分がすっとした。
目を閉じて大きく息を吐き、正面から動く死体を見据える。
「もう、大丈夫だ。ヤツらは小僧の村の連中か?」
「どうじゃろうな。体の損傷や腐敗具合から察するに十日ぐらいは経過しているようじゃが」
目を凝らして見ると、骨まで到達している傷口がかなり膿んで見えた。
肌の荒れ具合も踏まえた上で察すると、リトルの考察は間違いないように思える。
「まずは一安心、というところか」
「……確証はないがのぅ」
ハッキリしないな。リトルは自分の言ったことに自信が持てないのか、しきりに首を捻っている。
「こいつらを操っているヤツが近くにいたりするのか」
「うむぅ。稀に自然発生することもあるが、この数となると誰かが意図的に製作して操っていると考えるのが妥当じゃが、はてさて」
顎をさすりながら考え込んでいる。
「もし、危惧している事態だとしたら?」
「呪法かもしれぬ。とはいえ、これだけの人を操るとなれば……本来は大掛かりな儀式が必要じゃのぅ。だとしても、以前ならこれほどの死霊を操れる者はおらなかったが」
そこから先は言わなくてもわかるだろ? と目だけで訴えかけてくる。
俺は神妙な顔で黙って頷くことしかできなかった。
「……どっちにしろ、やることは決まってるよな」
「そうじゃのう。成仏させてやるのが慈悲じゃろうて」
話をしている間にゆっくりと間合いを詰めてきていた死体の群れ。
刀の柄に手を添えて前に出ようとすると、リトルが先に一歩踏み出し、ピンク色の杖で俺の進路方向を遮った。
「わしにやらせい。運動不足じゃと言ったろう」
「運動不足とは言ってねえな」
「小さなことにこだわる男はモテぬぞ」
「今更だな」
この年で改めたところで時既に遅すぎる。
無駄話はここまでにして一歩引くと、見物に回ることにした。




