老ハンターの矜持
「じゃあ、まずこの依頼書だが」
依頼書に軽く目を通すと、指で弾く。天板をすーっと滑ってダリルイの前で止まった。
「おい、これじゃダメだ」
「やっぱり、金が足りないよな……。今は払えないけど、ちゃんとあとで払うから! なんでもして、どうにか金は工面してみせる!」
ダリルイがテーブルに額をつけて懇願してくる。
その姿から、どれだけ追い詰められている状況なのかは察しがつく。
「勘違いすんな。金の問題じゃねえ」
すっと目を細めて、小さく息を吐く。
俺の視線にびびったのか、少し血の気が引いた顔で息を吞む。
「いいか、この依頼書……文字が小せえんだよ! 男ならもっとデカく大胆に書け。細けえ文字は見えねえんだって」
「老眼……」
かわいそうな老人を労る目で、こっち見んな。
「小僧もいずれこうなるんだぜ?」
「えええぇ……」
心底嫌そうな顔をしてやがる。
「いいか、人は早くて三十半ばぐらいから視力が衰えてくるんだよ、嫌でもな。細かいものがぼやけるようになるくせに、近づけるとピントが合わずにブレて見えやがる。そんな厄介な目を誰でも手に入れちまうんだよ」
「ライク。いい加減にあきらめて老眼鏡したらいいんちゃうの?」
袋から黒縁の眼鏡を取り出して装着したスマイルが、レンズ越しの呆れた視線を向けてくる。
「けっ、俺は老眼に屈しねえよ!」
「はいはい。無駄に抵抗してたらええねん。ええと……村を襲うモンスター退治の依頼みたいやね」
スマイルが依頼書を手にすると、少し大きめの声で読み上げている。
これは耳の遠い俺たちに配慮しているのもあるが、そもそも声がデカいだけという説を推したい。
「モンスターの種類は……へえー黒い竜なんや?」
「竜ですか、ふむふむ。目撃は一体だけということは番はおらず未経験という可能性が高いですね」
「竜のお肉は堅いから嫌いじゃのぅ。長時間煮込まんと食えんねぇ」
仲間は誰一人として驚くことなく、思い思いの感想を適当に口にしている。
「黒竜は竜の中でも凶暴凶悪で有名なモンスターだ。今まで散々断られてきたんじゃねえのか?」
「そう、だけど……全然驚かないんだな、あんたら。竜って言ったらみんなびびって尻込みしたのに」
平然としている俺たちの反応が意外だったようで、信じられない、といった顔でこっちを見つめている。
「この年までハンターなんてやってると、竜と遭遇する機会もあるからな」
竜の一匹や二匹、今更驚くようなことでもない。
俺たちの態度を見て微かな希望の光が見えたのか、ダリルイの期待と不安が入り交じった視線が向けられる。
口をギュッと噤んでいるが、その目は「助けてくれ!」と訴えかけているように……俺には見えた。その想い、確かに届いたぜ。
「詳しい話は道すがら聞くとするか。それじゃ、出発すんぞ」
俺が立ち上がると、続いて仲間たちが席を立つ。
唯一座ったまま呆然としているダリルイに手を伸ばし、
「何してんだ、行かねえのか?」
と声をかけると、あふれそうになっている目元の涙を袖で拭う。
「行く!」
俺の手を力強く握り、初めて安心した表情を見せてくれた。
「うおおおっ、早えええっ!」
後ろから御者席に顔を出して喜んでいるダリルイ。張り詰めていた気が緩んだのか、ようやく年相応の姿を見せる余裕が出てきたか。
今、俺たちは依頼の目的地である村に向かっている最中だが、かなり距離があるので馬車で移動中だ。
「まさか、あんたらがこんな変わった馬車を持っているなんて思ってなかった。馬も立派で毛並みがよくてデカいし」
しきりと感心して馬車と馬を褒めてくれている。
確かにこの馬車は値打ちものだ。なんせ、元は異物だからな。それをドワーフの職人が改良を加えて仕上げた逸品。頑丈な割に軽い鉱物で作られていて、揺れを軽減する工夫も施されている。
異物特有の車輪は特殊なゴムに空気を詰めたものらしく、これで少々の悪路なら難なく走ることが可能になっている。今までの木製や鉄製の車輪だったら、こうはいかない。
他のこだわりとしてはクッションの効いたベッドにもなるソファーを設置している。年寄りに振動は腰に来るから、このソファーは新たに作り替えた。
馬車には光を灯すことが出来る異物の道具もあるので、夜でも昼間のような明るさを保持できる。
水を貯めた小さなキッチンも完備していて、動く小さな家と呼んでも差し支えない。実際の話、この異物は走る家の役割を担っていたそうだ。
「なんでもあるんだな、この馬車。この扉が付いた小部屋は何?」
「そこはトイレと湯を浴びることができる部屋なんだが……今は故障中で使えねえんだ」
自慢の馬車を一通り説明すると満足したようで、窓の外を流れる景色を楽しんでいる。
馬車の設備以外で、もう一つの自慢が馬車を引く馬。
たてがみも含め全身、艶のある漆黒。一般的な軍用馬より二回りは大きな体躯。この規模の馬車なら三頭立て以上が常識なのだが、一頭で軽々と引っ張る馬力がある。
弱いモンスターなら、こいつの一睨みで逃げ出すほどの実力と迫力を備えている頼もしいヤツだ。
「そいつの名はダーシュ。見た目に反してかわいいところもあるから、仲良くしてやってくれ」
「お前、ダーシュっていうのか。目がかわいいな、よろしく」
荷台から出てきたダリルイは御者席にいる俺の隣に座ると、物怖じせずに声をかける。
その声が聞こえたのか、ダーシュが足を止めずに振り返ると白い歯をむき出しにして「ブヒューーッ」と返事をした。
「小僧のことが気に入ったみたいだぞ」
「へへっ。昔から家畜には好かれるんだ」
満更でもないようで照れて鼻をこすっている。
すぐに広々として乗り心地のいい後ろに戻るのかと思ったら、俺の隣でぼーっと風景を眺めている。
ここはかなり道幅の広い平らな街道で、同じような馬車や徒歩の行商人や旅人とすれ違うことも多いが、大抵はダーシュの迫力にびびって自ら道を空けてくれる。
「不思議だよな、この街道。昔はこんなのなかったんだろ? あの日、急にこの道が出来たって村のみんなが言ってた。これも異物なんだよな」
真っ直ぐ伸びる黒い地面を見つめながら、小僧がぽつりと呟く。
石畳でもない黒く平らな道。これは十年前に突如、この世界に現れた無数にある異物の一つだ。
「ああ、これは異世界の道。アスファルトの道路って言うらしいぜ。あっちの世界ではこんな道がそこら中に張り巡らされていて、馬の必要がない馬車が走り回っていた……って噂だ」
「異世界かー。十年前なら誰も信じなかったけど」
道路から顔を上げた小僧の視線の先にあるのは、大草原の真ん中に堂々と立つ、重苦しい色合いの建造物。
少し斜めを向いて地面に突き刺さっている巨大で武骨なあれも異物だ。
――十年前、この世界に邪神が蘇った影響で時空が乱れ、異世界の物がこの世界に流れ込んだ、といわれている。
巨大な異界の神を模した像。
石と鉄で出来た建物。
馬の必要がない金属の馬車。
火薬で打ち出される武器。
それらをまとめて異物と呼んだ。
異物はこの世界の遙か先を行く技術がふんだんに詰め込まれていて、学者や好事家や鍛冶師が目の色を変えて欲しがるお宝となった。
本来はモンスター退治や厄介事をこなすのがハンター稼業だったが、今では異物のお宝あさりに必死で、面倒な仕事を引き受ける者は少ない。
それだけに、俺たちのような安い金でも厄介事を引き受けてくれるハンターは重宝された。例え、こんな年寄りの集まりだったとしても。
そんな異物よりも目を引くモノが遙か遠くに見える。
世界中の人々が目を逸らし、見てはいけないと子供に言い聞かせる存在。
俺はあえて人々が見ない方角の空へ視線を向けた。
そこには右腕を伸ばし大地を掴み、苦悶と憤怒が入り交じった表情で動きの止まった、巨大すぎる女性の上半身がある。
手前に見える山々よりも遙かに大きく、かなり距離があるはずなのにその姿は容易に確認できる。桁違いの大きさ。
上半身だけで下半身は見えないが――存在しているのを俺たちは知っている。次元の亀裂から上半身が出てこようとしているだけで、下半身が別の世界にあることを。
「相変わらず禍々しい姿で悔しそうだな、邪神様は」
苦々しく呟き、睨み付ける。
あの姿を見ているだけで色々と思い出しちまう。
……物思いにふけるのはやめだ。マジで年寄りくせぇ。
「小僧の村までは、この調子だと一泊して明日にはたどり着けると思うぞ」
「そうなんだ! 俺なんて歩きと乗合馬車で一週間もかかったのに」
これまでにかかった日数を指折り数え、その差に愕然として肩を落としている。
「そう落ち込むなって。年寄りは用意周到なだけだ。それで、依頼の詳しい話なんだが。小僧の村の近くで黒い竜の目撃談がいくつかあって、森の木々がなぎ倒されて動物たちの死骸が転がっていたんだったか?」
スマイルに読んでもらった依頼書の内容を復唱する。
「うん。初めに竜を見たって言ったのが村一番のほら吹きだったから誰も信用しなかったんだけど、森の木が何本もなぎ倒されて、何かが通ったような跡が残っていたんだよ。あと、食い残された動物やモンスターの死体がいくつもあってさ。他の村人も遠くから黒い竜の後ろ姿を見たって言い出して……」
「そうか。本当に竜がいるとしたら、森の獣がすべて消えているんじゃねえか?」
指摘は正解だったようで小さく一度頷いた。
「強力なモンスターが現れると獣たちは野生の勘で逃げ出すのが相場だからな」
「一匹じゃなくて二匹もいるとか噂になっていてさ。あ、あと……最近、村の人が何人も行方不明になってんだよ。それも黒竜に食われたんじゃないか、って、みんなが言ってる」
うつむき声が小さくなっていく。
友人や知り合いが行方不明者に含まれているのかもしれないな。
「黒竜が村人を、か。小僧、その村人は森に行ってたのか?」
「それが、よくわかんないんだ。村の入り口には見張りがいるんだけど、その人は見てないって言ってた。でも、夜は門を閉じて誰もいないし、村を取り囲む柵には抜けられるところが結構あるんだよ。俺もたまに使ってるから」
だとしても、村から出たところを見た者はいないのか。
とはいえ、黒竜がいることは間違いないようだが。
「昔に……十年前にも黒竜が村を襲ったことがあって、それが理由で村人も怯えていてさ」
十年前の黒竜襲撃、か。被害に遭った村人には、その傷が癒えてない者もいることだろう。
その者たちにとって黒竜の目撃談は恐怖以外の何ものでもない。なんとかしてやりたいところだ。
「ふむ、ところでここだけの話なんだが」
ちらっと背後に視線を向けると、仲間たちは楽しげに談笑している。
ついでに周囲の気配を探ってみるが、今はいないようだ。
これなら大丈夫か。ダリルイを手招きして耳に手を添えると、小声で話す。
「お前さんの村には美人はいるか? 俺もこの年だ贅沢は言わねえ。三十~四十代の未亡人とかいたら最高なんだが」
「じいさん……その年で、まだお盛んなのかよ」
「男ってのは生涯現役だ! いいか、性欲ってのは活力に繋がってんだぞ。精力が衰えるってことは活動的なことができなくなる、ってことだ。俺はハンターを続けるために、しゃーなしでエロい事に興味を、ごぼっ⁉ ちょ、ちょっ、あぼぼぼぼぼぼぼ」
「どうしたんだ、急に暴れるなよ! 舵、舵!」
隣で何かわめいているが声が遠くに聞こえる。って、それどころじゃねえ。
馬車の方向を操作する丸い舵から手を離し、口と頭の周りにあるソレを振り払おうともがくが、ソレがなくなることはない。
それでも強引に見えない口元のソレを引き剥がす。
「ぶはっ! わ、悪かった。冗談だって!」
俺が虚空に向かって謝罪すると、頭の周りの違和感が消滅した。
「危うく、溺れ死ぬところだったぜ。くそう、隠れてやがったな」
「溺れ死ぬって、水なんてどこにもないだろ?」
ダリルイは辺りをキョロキョロと見回してから、こっちに視線を向ける。その目は完全に危ない人を見る目だ。
「小僧にわからねえことだよ」
詳しく説明する気もないので、適当に流しておく。
「なんだよ、隠し事かよ。……じいさん、よく見ると光の加減で目の色が違うんだな。緑と青い瞳なんて見たことねえぞ」
まじまじと俺の目を正面から見つめてくる。
男に至近距離から見つめられても嬉しくないので「気色悪い」と手で払いのける。
「また変なことでも言ったんとちゃうの? どうせ女の話でもしたんやろ。いい年して情けないと思えへんの。それにええ女がいたところで、腐りかけの小枝で何するつもりなん?」
騒ぎを聞きつけたスマイルが背後から冷めた声で罵倒してくる。
振り返らなくてもわかる。あいつはジト目で睨んでいるはずだ。
「誰が腐りかけの小枝だ! 大木の間違いだろ!」
振り返って怒鳴ると、仲間全員が同時に肩をすくめた。
「はっ」「ふっ」「ふーむ」
「言いたいことがあるなら、ハッキリ言いやがれ!」
今度は揃ってため息を吐くと目を逸らした。
くそっ、ムカつくヤツらだ。
「あー、あのさ。エロいのはダメだけど。未亡人でいいなら、隣に住んでるおばあちゃん紹介しようか?」
さすがに憐れに思ったのか、小僧に同情された。
「いらん……」
「そっか。年よりも若く見えて胸もデカいんだけど。年はじいさんと同じか少し若いぐらいじゃないかな」
俺はダリルイに素早く振り向くと、その両肩を掴む。
「小僧、いや、ダリルイ君。詳しく聞かせてもら、がぼぼぼぼぼっ」
同じ過ちを繰り返した俺は――御者席の上で溺れた。
新作は如何でしたでしょうか?一章の終わりまで毎日更新しますので、お楽しみに!
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面白くなかったらスルーしてください。
(こういう作者からの催促がうっとうしいんだよなー、と思っている読者がいらっしゃるのは重々承知しているのですが、実はこれをするかしないかでポイントがかなり違ってくるのですよ)




