教官
基地に来てから三日目。住み心地は悪くないどころか、すこぶるいい。
クッションの効いたベッドに清潔な建物内。食事もおいしく量も十分だ。
食料をどうしているのか気になったが完全に自給自足で賄えているそうで、野菜は基地内にある畑から。肉は見回り担当がついでに狩ってきてくれるらしい。
建物内にあるトレーニングルームには異世界の機材が揃っていて、バージンとシエルが入り浸っている。俺も利用させてはもらっているが、ああいう道具はどうにも肌に合わないんだよな。
夜にバージンがちょくちょく姿を消すようになったのも、隠れて筋トレ器具を使っているからのようだ。
服装についても汚れ物を入れたら自動で洗ってくれる道具があって、いつでも清潔な服を着ることができる。その道具は洗濯機と呼ばれていた。
つまり、衣食住が充実している。そりゃ、連れてこられた人たちが帰ろうとしないわけだ。俺たちだってあまりにも居心地が良すぎて、しばらくのんびり羽を休めていいんじゃないか? という誘惑に負けそうになる。
バージンとシエルは筋トレ。リトルは奴隷商人と一緒にアニメ鑑賞。スマイルは洗濯機が気に入って「綺麗になっていくの見てるのめっちゃ楽しい」と貼り付いて眺めていた。
唯一暇な俺は外に出て、基地内をぶらついているところだ。
俺の身長の倍はある、高く分厚い壁に囲まれた敷地にはいくつかの建造物がある。その内の一つ、片方に流れるような傾斜が付いた屋根が特徴的な建物に足を運ぶ。
一切壁で区切られていない巨大な空間には車や戦車と呼ばれる乗り物が並んでいる。ここは車庫と呼ばれる場所らしい。
その中に一つよく知っている乗り物があった。白い車体の見慣れたフォルム。そして、隣には巨大なバケツに入れられた野菜や果物を貪り食っている、巨体の黒馬。
俺たちの馬車とダーシュだ。
一週間かけて奴隷商人を拷問……洗脳……更生すると聞いてからダーシュと馬車を呼び寄せここで預かってもらっている。
俺は馬車の隣に歩み寄るとかがみ込んで車体の下を覗き込む。
「ご苦労さん。どんな感じだ」
「あ、ライクさん。所々、損傷してますね」
オイル汚れで顔が所々黒くなっている、この基地のボス――アケチが車体の隙間から元気な声を返す。
「すまねえな、馬車の整備までやってもらって」
「いいんですよ。元々、整備士やってましたし、基地の電気配線や修繕はボクの仕事ですからね。だから、オークたちが敬ってくれるわけですし」
豚人族に比べれば体格は劣っている。加えて戦闘訓練を受けたこともないような素人丸出しの動きをする彼が、どうやってボスの座に上り詰めたのか疑問だったのだが、そういうことだったのか。
こうやって真面目に仕事をしていると、初めて会ったときの強烈な印象が和らぐ。働いているときは普通なんだな、と。
「でも、まさか皆さんの乗っている馬車がキャンピングカーだとは思いませんでしたよ。それも向こうじゃ一千万越えする車体じゃないですか」
「キャンピングカー……。確かにそんなこと言ってたな」
これを譲ってくれた人は異世界の住人で、本当は家族と一緒に楽しむ予定で購入したのだが、世界が荒廃してしまいそれどころではなくなったそうだ。
一度も家族を乗せることがなかったキャンピングカーを俺たちに譲ったときの、寂しげに笑った男の顔は一生忘れることはないだろう。
「――さん、ライクさん。急に黙ってどうしたんですか?」
「ああ、すまねえな。ちょいと昔を思い出していただけだ」
最近、不意に過去の映像が鮮明に頭に浮かぶときがある。若い頃は昔を思い出すことなんて滅多になかったが、これも年を取った影響なのかね。
「そうですか。そうだ、車体の破損ヶ所を直すついでに配線とかも診ていいですか」
「おっ、いいのか。こっちからお願いしたいぐらいだ」
馬車内の灯りがたまに点滅するときがあったり、トイレとシャワーが動かなくなることが多々あった。車体の方はドワーフの職人でもなんとかなるんだが、デンキ? とかいうのはさっぱりで半ばあきらめていた。
「はい、承りました。……やっぱり、老朽化と使い込みで配線がボロボロですね。サブバッテリーも新しいのに取り替えた方がいいかも。確か使ってない車のバッテリーがいくつか倉庫に……」
何やら専門的な用語を呟いているがさっぱりだ。
俺に手伝えることは何もないようなので、あとはこいつに任して車庫を出た。
「暇だな。鍛錬するにしてもあの器具は筋肉バカ二人が占領しているからな。となると……」
基地内はかなり広いので運動するには困らないのだが、子供がそこら中で遊んでいるので剣を振り回していると物珍しさに集まってくるのだ。
そして「おっちゃん剣士なの?」「わー変な剣」「ねえねえ、その剣ってちゃんと斬れるの?」と質問攻めに遭う。
それだけならまだいいんだが、最終的には遊びに付き合わされるハメになってしまうのだ。昨日は一日がそれで潰れてしまった。
何が恐ろしいかって子供の体力だ。無尽蔵ではないかと疑ってしまうぐらいの元気の塊を相手に一日中付き合う辛さ。……あの日の夜はぐっすり眠れたな。
同じ過ちを繰り返す気はないので、子供たちの視線から逃れるように壁際を移動する。
「ん? こんなところにもあるのかよ」
俺たちが寝泊まりしている建物の裏手に一軒の細長い家があった。基地内の建造物はどれも異世界感の特殊な形や材質だったのだが、目の前にあるこれは平屋の木造だ。
「なんちゅうか、素朴というか質素だな」
飾り気のない木の板と窓と引き戸しかないシンプルな外観。異世界らしさが感じられない。
興味本位で窓から内部を覗き込んでみると、中には何もなかった。ただ、床が色あせた緑色をしている。こんなのは初めて見た。
俺たちが過去に滞在していた異世界の基地にはこんなのなかったぞ。
「何をするところなんだ? 皆目見当も付かねえ」
「ここは異世界の道場だ」
背後から声がしたのでゆっくりと振り返る。
そこには豚人族のオークライが立っていた。音もなく近づいてきていたようだが、少し前から気配を察知していたので驚くことはない。
「へえ、あの床は何だ?」
「あれは畳というそうだ。乾かした草を編んだもので適度なクッション性がある。受け身を取るときに衝撃を和らげてくれる」
「ほう、実用的なのか」
「興味があるなら、そうだな手合わせでもしてみるか? あんた、かなり腕が立つって金髪の女が言っていたぞ」
おっと、まさかそんなお誘いを受けるとは。
元から人より優れた肉体を持つ種族である豚人族。自らを鍛え贅肉をそぎ落とした引き締まった体。どれほどの身体能力なのか、興味がないと言えば嘘になる。
「お手柔らかに頼むぜ」
「老人女子供には優しくしろと、ある男に躾られたからな」
ニヤリと笑う横顔には自信があふれている。お手並み拝見といくか。
道場に入ると、オークライが深々と一礼をしたので俺もそれに習う。こういった礼儀作法はニホンで習ったので抵抗はない。
オークライが履き物を脱いだので、それに従う。
素足で踏む畳の感触は石や木とも違う。踏み心地は意外としっかりしていて適度な弾力もある。これなら問題なく動けるだろう。
それに、この微かな草の香りも悪くない。
「素手の格闘でどうだ。打撃、組技なんでもありで」
「おう、構わないぜ。ヤバいと思ったら参ったってちゃんと言えよ」
と言ってはみたものの心配はしていない。豚人族は頑丈で回復力も高いからだ。
道場の真ん中で向かい合い、少し距離を取る。
相手は両足を広げ少し腰を落とし、両手を肩まで上げている。掴みに特化した構えのようだ。
老人の細腕から繰り出される打撃ぐらい数発食らっても耐えられる、と考えているのだろう。じりじりと畳をこするようにしてにじり寄ってくる。
顎をくいくいとしゃくっているのは撃ってこいと誘っているのか。
「それじゃあ、遠慮なく――」
脚に魔力を込めて、一気に間合いを詰めた。
俺の動きを捉えられなかったオークライの驚愕した顔が目前にある。慌てて上げた腕を下ろし防御しようとしているが、遅い。
無防備な顎を下から突き上げるように掌底を叩き込む。
「あっ」
情けない声を漏らして膝を突くと、前のめりに倒れる。
「こうやって脳を揺らすと脳しんとうとかいうのに一時的になるらしいぜ。で、気を失って動けなくなる……聞こえてねえか」
あまりにもあっさりと勝負が付いてしまった。
腰を下ろして復活するのを待っていると、十秒も経たぬうちに飛び起き呆けた顔で辺りを見回している。さすがの回復力だ。
「お目覚めか?」
「一撃でやられたのか……」
現実が認められないのか顎をさすりながら畳をじっと見つめている。
「もうやめるか?」
「いや、もう一勝負頼む」
こちらも運動が足りていないので助かる申し出だ。
今度はこちらの動きを警戒して、距離を詰めようとしてこない。
ならばと、俺は構えも取らずに前へ前へ歩を進める。
「くっ、くそっ!」
後退っていたオークライだったが、壁際に追い詰められると前に跳びだしてきた。顎を両手でガードしながら。
ちゃんと学んでいるようだが。
ならばと、身を屈めて足下に滑り込む。そして、背中を相手の脚にぶつけ全身で押し上げる。すると、巨体が宙に浮き背中から地面に落ちた。
「うがっ! な、なんだ⁉」
自分の身に起こった出来事が理解できないようで、天井を見上げた状態で慌てふためているな。
「面白いだろ。さっきのも今のも異世界で習った古武術の応用だぜ」
力ではなく技で圧倒する技量を持った異世界の師匠。剣術も格闘術もその人に習ったものだ。
そのあとも果敢に挑んできたオークライだったが、一方的に叩きのめされる結果となった。
「ぐおおおおおっ、なぜ勝てない!」
「実力と年期の差だな。体力と根性だけは大したもんだ」
あれから一時間も付き合わされるとは思わなかった。これなら子供の相手をしていた方がマシだった。……いや、そうでもないか?
「急に唸りだしてどうした?」
「気にすんな。まあ、あれだ、力任せの猪突猛進をやめるこった」
「そうか」
巨体を丸め膝を抱え落ち込んでいる。
もうちょい手を抜いてやるべきだったか。
「見込みはあると思うぜ」
同情した俺はつい慰めるようなことを口にすると、その背をポンポンと軽く叩いた。
すると呆けた顔でこっちを見るオークライ。
「……あんときと同じだ」
「なんか言ったか?」
「別に。今日はありがとうよ」
そう口にすると黙って道場から立ち去っていった。
遠ざかっていくオークライの後ろ姿は落ち込んだ様子もなく、それどころか軽い足取りに見えた。




