プロローグ
新作始めました。しばらくは毎日更新しますので、よろしくお願いします!
絶望。
今の状況を的確に伝えるなら、この言葉しかない。
この世界で誰もが知っている凶悪凶暴なモンスターの代表格――竜。
それも種族の中で最も凶悪だといわれている、黒い鱗で覆われた黒竜。更にダメ押しとばかりに希少種の頭が二つある――双頭黒竜が目の前にいる。
生暖かい鼻息が上空から吹き付け、その勢いに体が泳ぐ。相手が呼吸をするだけで、人間の体はふらつく。こんな相手どうすればいいの。
自分は楽天的でどんな困難にも笑って立ち向かえる、そう思っていたのに……。
絶望。
もう、絶望以外の言葉が思い浮かばない。
「遭遇したら生をあきらめて、安らかに死ねるように祈るだけ」
黒竜に遭遇したときの対処方法はこれしかない、と言われている。
そんな凶悪なモンスターに対するのは、ハンターギルドで幼馴染みが雇った四人のベテランハンター。
「ほーっ、久しぶりに見たがなかなか壮観だな」
額に手を当てて呑気に見上げているのは、このチームのリーダーらしい澄んだ空のような青い髪色の男性。あくびをしながら首元をボリボリと掻いている。
剣士とは思えない変わった服装をしていて、ボタンがないコートみたいなのと、裾が広がっているゆったりしたサイズのズボン。鎧も着ないで黒竜に立ち向かう神経が理解できない。
「前々から疑問やったんやけど、頭二つあったらもめたりせえへんのかな? どっちがボケでツッコミなんやろう?」
その隣で小首を傾げているのは、西方の訛りが強い赤髪の薬師。ポケットがいっぱいあるコートには薬や道具が詰まっているそうだ。
歩き疲れて腰が痛いのか、近くの岩の上に「よっこらしょっと」腰を下ろしている。
「そもそも、あの二つの頭は同性なのでしょうか? 実は男女のカップルで仲むつまじい関係というのはどうでしょう。同じ体であればピュアなお付き合いしかできませんからね」
呑気に会話へ参加しているのは巨漢の聖職者。筋肉が服を内側から押し上げてぱつんぱつんで、今にも縫合が弾けそう。
何故か双頭黒竜に祈りを捧げている。
「お嬢ちゃん、アメ食べるかのぅ?」
袖を引っ張られたので横を向き視線を下げると、アメを差し出してくれるピンクの杖を持った少女がいた。
熊の顔をした小さなカバンから、次々と色とりどりのアメが出てくる。
誰一人、怯える素振りすら見せないのは頼もしいとも取れるけど……呑気すぎる。どうして、この状況でなんで、こんなのどかな空気になるの⁉
「双頭黒竜なのに、どうして、そんなに落ち着いてるのっ!」
あまりにも緊張感がないハンターたちを叱りつけると、リーダーの男性が目を細めて私をじっと睨む。
しまった、テンパってしまって失礼な物言いをしてしまった。
「あっ、ごめんなさ」
「おい、嬢ちゃん。もうちょい、ゆっくり大きな声で話してくれや」
「……はい?」
怒られると思って身構えていたのに、予想外のことを注意された。
「山頂で風が強くて声がよく聞こえねえんだよ。最近耳が遠くてな、もっとハッキリとゆっくり話してくれると助かる」
「年は取りたくないもんやわあ」
「耳と目の衰えは老化の現実を突きつけられるようで、嫌ですよね」
「ふむ。姿がぼやけているから、大きなのが黒くてにじんでいるようにしか見えないねぇ」
ハンターたちの会話に絶句するしかない。
「こんなの無理だから逃げよう!」
何故かわからないけど、双頭黒竜は微動だにせずに見下ろしているだけなので、今なら見逃してくれるかもしれない。
「嬢ちゃん、それは出来ない相談だな」
リーダーの男性が片刃で少しそりのある剣を鞘から抜き、地面に浅く突き刺すとニヤリと笑った。
この自信みなぎる態度。もしかして、秘策があるのだろうか。
わずかに芽生えた期待を胸に抱き、続く言葉を待つ。
「俺たちに――逃げる元気はもうねえ。山頂までの登山で体力を使い果たしちまったからな。この年で登山はこたえるぜ」
ハンターたちが顔を見合わせると全員同時に頷いた。いや、ムキムキの人だけは力こぶをアピールして元気一杯みたいだけど。
……全身の力が抜けて、膝から崩れ落ちそうになる。
「ダメだ、この人たち」
どう反応するべきなのかも判断がつかない私の肩に、そっと手が添えられた。
振り向くと、優しい目で私を見つめて、あきらめたように首を振る幼馴染みがいる。
「そういう、人たちなんだ」
遠くの空を眺め小さく呟く彼。
勝ち気で元気一杯なのが取り柄だった幼馴染みの、こんな疲れて大人びた顔は初めて見た。
そっか、私たちここで死ぬのか。
色々やりたいことあったけど、黒竜相手ならあきらめもつくかな。
迫り来る二つの竜の頭を眺めながら、私は目を閉じた。
どうか、安らかに死ねますように。