21 演奏会と恋の答え合わせ
食堂から聞こえて来る喧騒。賑やかな笑い声。
明るい光が漏れる扉に手を付き、開け放つと。
「あっはっはっは!サイコー!乗ってきたあ!」
「ルートくんさすがにアドリブで合わせろは無理があるよ!」
「ダメだオレはリズム感がないいつの間にか裏拍子になってるんだ助けてくれ」
「ルートくん待ってグレンくん心折れかけてるから!」
「いいぞ!もっとやれー!」
「やるなぁチビ共!」
「ぶちかませー!」
輝くような笑顔で、汗を迸らせながらギターを弾くルート。そして出来合いの食器を使ったパーカッションで悲鳴を上げるグレンとノア。
騎士団の皆が楽しそうに野次を飛ばし、食堂が宴会になっていた。
「凄い……」
そっとよく見える位置に移動しようとして、ドンと誰かにぶつかった。
「わっ!」
「失礼、お怪我は……おや、クラリス様」
「あっ!あなたは……えっと……」
「ルート様付きの侍従、マイロにございます」
金髪のおかっぱ頭の男が恭しく頭を下げる。「ぶつかってしまってごめんなさい」と頭を下げるととんでもないと首を振られた。
「どうぞこちらへ。ルート様のお姿がよく見えます」
「あ、ありがとうございます……」
「ああなってしまうとルート様は止まりません。己の思うがままに音を奏で、意識が飛んで暫く戻って来ないこともございます」
「えっ」
ギターを掻き鳴らし歌うルート。飛んだり跳ねたり楽しそう。
しかし戻って来ないとは。
「作曲が佳境に入ると何日も徹夜して狂ったように音を紡ぎ、やがて曲を書き終えるとプツンと糸が切れたように気絶してしまうのでございます。即興演奏の際も同じく、ボルテージが上がって興奮状態が続きすぎると鼻血を出して倒れます。私はその瞬間ルート様がお怪我をしないよう受け止め、お部屋までお運びしようとこちらに参った次第です」
「そ、それは……危ない、かも」
「ええ。頭をぶつけたりされては敵いません。クラリス様も今後ルート様とお付き合いされる際はご注意下さいますようお願い致します」
「えっ!?お、お付き合いって……!」
「ああ、我が主は中々に良い手腕をしておられる。……もう貴女の心臓を射止めてしまわれたのですね」
くすりと笑われ、ぽぽぽと顔に熱が灯った。
『バレてる。ぼくってそんなに分かりやすいかなぁ』
ぱたぱたと手で頬を扇ぎ、ルートを見る。なんでだろう、前までそんなことなかったのにルートの周りだけがキラキラしているように見える。
きゅうと喉の奥が鳴って俯いた。はわわ。
「クラリス様はルート様のどんな所をお好きに?」
「えっ!?」
急にぶっ込まれて飛び退く。ギョッとして見つめるがマイロさんは何も言わず静かに微笑んでいる。……何だか瞳の奥が底が知れない。けど、なんとなく優しい色を含んだその眼差しに、ぼくはぽつりぽつりと話し出した。
「……とても素敵な音楽を作る所」
「ルート様は幼い頃から音楽漬けにございましたからね。人々を音楽で幸せにする才能をお持ちです」
「行動力があって、いつも元気な所」
「思い立ったらすぐ行動に移すのは奥様譲りにございましょう。クラリス様にお会いした日の夜に婚約届と手紙を書いたから届けてくれと頼まれたのには驚きました」
「え、婚約届……?」
婚約届?婚約届って結婚前の婚約を結ぶ時に書く書類じゃないの。そんなの用意してたなんて。
「おや、ご存知なかったのですね。これは失敬」
「……あの、ぼくの勘違いじゃなければ……ルートはぼくの事が好きで、ぼくとの結婚を前提にここに……こんな辺境まで来た……ってこと?」
「佐用に御座います。ルート様は好きな事が関わることには暴走してしまう癖があります故、何卒ご容赦を」
「ううん。ちょっとびっくりしたけど大丈夫。寧ろ、今すっごく嬉しいんだ。ぼくは……」
「……クラリス様」
ジャンジャカジャンとギターを弾くルートの手がスピードを上げていく。そろそろフィナーレだ。
「ぼくはルートと……ずっとずっと一緒に居たい!」
ジャン!とルートの手が振り下ろされ、大喝采が巻き起こった。あちらこちらから指笛の音や拍手、グラスをぶつける音が聞こえる。
「ありがとうございました〜!」
ルートが晴れ晴れとした顔で手を振ってお辞儀する。
空色の瞳がすっと観客達を流れてぼくの姿を捉えた。そして。
「クラリスさん!」
息を切らした、赤い頬がぼくを見た瞬間にもっと赤くなった。青い瞳をまん丸にさせてぼくを見つめている。
胸がぎゅっとした。
「ルート……」
ぼくは一歩踏み出す。そして大声で。
「すっごくかっこよかった!」
ルートの顔がパアァッと明るくなった。そして照れてはにかんだようなその表情が、
「……好きだなぁ」
ぼくはルートが好き。
口をついて零れたそれは、拍手と指笛の音に溶けて消えた。
「ふふふ」
その言葉を拾い上げた金髪のおかっぱ頭が、そっと笑った。
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「クラリスさん!」
食堂から出ると、クラリスさんがベンチに座っていた。入団初日に歓迎会から抜け出して一緒に月を見た場所だ。
クラリスさんが振り向き、微笑む。今日は休日なので僕が贈った赤色のワンピースを着ていた。よく似合っている。
「僕の事待っててくれてたんですか?」
「うん。ルートとお話したくって」
「オレらは先帰っとくぞ」
「あ、了解です。また後で!」
同室の2人は先に部屋に戻るようだ。気を利かせてくれたのだろう。後でお礼に子守唄を歌って寝かし付けてあげよう。
ベンチに腰を下ろすと、クラリスさんが嬉しそうに笑った。
なんだろう何故かいつも可愛いクラリスさんが今日はいつもに増して可愛い表情をしているような。
「驚きました。クラリスさんは食堂には来られないと思っていたので」
「晩御飯食べ終わってから来たの。何だか賑やかで楽しい曲が聞こえて」
「クラリスさんの所まで聞こえてたんですね。休日も会えて嬉しいです」
「ふふ、ぼくも」
「ルートに会いたかった」と言われてクラリスさんの手が僕の手の上に重なり、多分僕は5センチくらい跳んだ。
『ここここれはどどどどどうすれば……!』
「ルート、僕のこと男として見て、って言ったでしょ」
「そ、そうですね。クラリスさんがあまりにも僕の事男として意識してくれないので……」
「ぼく、何も知らなかった。何も知らなくて、ルートのこと傷付けちゃって……ごめんなさい」
「そんなこと……」
あったけど。あまりにクラリスさんに男として見られてなくて眼中に無いのか僕ってそんなに魅力ないのかと。
無邪気に纏わりつかれて僕はこんなにドキドキしているのに、どこまでも友達止まりでこのまま先に進めないのではないかと焦ったのは事実だ。
結果的に押し倒してしまったけれど。
やっぱり僕はまだまだ子どもだ。焦って、怖がらせて、無理やり自分の気持ちを押し付けるだなんて。
「僕の方こそ、ごめんなさい。驚いたでしょう、怖かったでしょう。僕は……」
「ルートに言われたから、男として見てって意味調べてみたんだ」
クラリスさんの言葉に、一気に顔に熱が集中した。
露骨すぎて、さすがの鈍感なクラリスさんでも気付いたらしい。いや、気付いて欲しいと思っていたのは事実だ。でも、それはクラリスさんに好きになって貰ってからゆっくり伝えていければと思っていたのに。
「クラリスさんにその気が無いのは分かってるんですけど、僕は……」
「聞いてルート。……ぼくね、今まで恋なんて言葉があることすら知らなかったんだよ」
「……はい?」
え、待って。なに?恋という単語を知らずに14年?
「待って下さい歌とか他にも本とか誰かから伝え聞いたりは」
「んーん、一切無かったの。家には伝記とか武器の図鑑とかしか本が無くてぼくが持ってるのも5歳の頃に貰った絵本一冊。だからこの感情が恋だって気付けなかったんだ。……何も、知らなかったから」
はあ、娯楽が一切ないとはこれ如何に。普段どうやって暇を潰してるんだろう。ひたすら自主練で身体を動かしているのだろうか。そして疲れたら寝る、と。僕だったら耐え切れないかもしれない。
いや待てクラリスさん最後になんか変な事言ってたような。
振り向くと、クラリスさんが僕を見つめていた。
その瞳がなんだかいつもより潤んでいて、熱っぽくて。
「ルートの事考えると、胸がぽかぽかするんだ。温かくって、幸せで。ルートに会えると嬉しくて、触れたくなる。手を繋ぎたくなるし、ぎゅって抱き締めたくなる。気が付いたらいつの間にかルートのこと考えてて、最近はルートと会うと胸がドキドキする」
「……えっ」
「今も、ね。……うん、ドキドキしてる」
胸を押さえて、目を閉じた。その長い睫毛が月明かりで肌に影を落とす。
綺麗だと、そう思った。
そして開かれた蜂蜜色の瞳が僕を映す。甘く蕩けるようなその色に吸い込まれそうになって、それから。
「ルートと、ずっとずっと一緒に居たいって思ってる。ぼくが大人になったその先も。ルートとなら、毎日が楽しくて幸せに過ごせると思うから」
そっと僕の頬に手が添えられた。少し硬くて、乾燥した小さな手だ。
国の平和の為に剣を握って戦う運命を抱えたこの子に僕はどうしようもなく惹かれてしまったのだ。
「ねぇ、教えて。男として見て欲しい、って恋愛対象として見て欲しいって意味だよね?ルートもぼくと同じ気持ちでいてくれてるって思ってもいい?これが恋だって思っていい?そしたらぼくは……」
こきゅっ、と喉から音が鳴った。心臓が馬鹿みたいに騒いで破裂しそうだ。
「……きみとただの友達じゃなくて、恋人になりたい。……ぼくはルートのことが好き」
こつん、と額が合わさる。風が吹いて、シャボンのような爽やかで甘い香りがした。
つん、と鼻先が触れ合い、堪らなくなって僕は小さな身体を抱き竦めた。
強く、強く抱き締める。鼓動が聴こえるくらい強く。
「……好きです、クラリスさん」
「うん」
「貴女に恋をしています。ずっとずっと、貴女の心が欲しくて堪らなかった」
「ふふふ、嬉しい」
泣きそうな声をした僕とは裏腹に、彼女は微かに笑っていた。
「気持ち悪くありませんか。友達だと思ってた相手に好かれて。貴女の事を追い掛けて、ここまで押し掛けて来て」
「嬉しいって言ったでしょ。ルートのこと気持ち悪いだなんて思わないよ」
「手紙と一緒に婚約届も一緒に送り付けましたよ」
「それもさっき知ったけど……多分ぼく、恋を知らなくてもルートが相手なら喜んで結婚してたんじゃないかな。お手紙も読んだよ。……嬉しかった。あんまり良いように書かれてたからちょっと恥ずかしいけど」
「うぅ……」
くすくすと笑う声が耳を擽る。夢じゃないだろうか。じわりと目頭が熱くなってきてスンと鼻を啜った。鼻がツンとした。夢じゃない。夢なら覚めないで欲しい。
「ねえ、知ってる?恋の次は愛なんだって。今はまだ愛とか分からないし、この気持ちがどう変わっていくのかは分からないけど……分からないなら調べればいいって気付いたんだ。ちょっと大変かもしれないけど、ぼくはもっと恋について知りたい。ルートの事、もっともっと知って……いずれこの気持ちが愛に変わったらなって思うよ」
「愛に……」
「これからは、ただの友達じゃ出来ないこと沢山したいな。いっぱい好きって言い合って、手を繋いで、抱き合ったり、……キスもしたりして。わぁちょっと恥ずかしいかも。きゃーってなっちゃう」
「…………」
ちょっと可愛すぎる。
「……あ、あとさ、結婚したら子ども作らないといけないでしょ。それでそういう教育の本を読んだんだけど……ぼくにはちょっと刺激が強くて。でも今からこう、お互いに色々とスキンシップとかして慣れていってたら大丈夫かなって思うんだけど……」
「……はい?」
え、ちょっとよく分かんなかった。何か今クラリスさんがとんでもない事を言っていた気がするんだけど気のせい?
「結婚を前提にここまで来たってことはルートはいずれはああいうことをぼくとしたいって思ってるんだよね……?うぅ、ルートになら多分何をされても嫌ではないけどさすがにあれは……恥ずかしくて死んじゃうかも……」
「待って。待って下さい待って。何か大変な誤解をされている気がしますいや誤解じゃないし確かにいずれはしたいとは思っているけども」
「やっぱりしたいんだ……ううん、でもするよね……やっぱり何事も特訓が大事だし、ぼくもちゃんと『男の子』に慣れておかないとだもん……ね」
クラリスさんの身体が急に熱を持ったように熱くなった。微かにきゅっと背中に立てられた爪が。少し恥じらうような、吐息混じりの耳元の声が。
スンッと無くなった。
「えっ」
目を丸くしたクラリスさんが僕を見下ろす。
その先でぷるぷると震えるのは言わずもがな溶けてスライム化した僕だ。
「ごめんなさい……とけちゃいました……」
クラリスさんが色々想像させるから。
ぷるぷると震えて顔を隠す。あー恥ずかしい情けないみっともない。己の精神の脆弱性が憎い。
でも、彼女はくすくすと笑って。
「じゃあこれからは溶けないように特訓しなきゃね?勿論、溶けてる状態のルートも好きだけど」
彼女が僕を両手で掬い上げた。小さなスライムになった僕はいとも簡単に彼女に持ち上げられてしまい、彼女と視線が同じ高さになる。
「ふふ、可愛い」
笑った彼女の顔が近付いてきて、そして。
ちゅっ、と柔らかい感触がした。
そこは丁度僕の唇にあたる所で。
「いっいま……きききキス……!?」
「えへ。本に書いてあったの。両想いになった恋人同士は唇でキスするんだって」
「あれ?違った?」と首を傾げる彼女。
僕はもう。もう。
「大胆過ぎます……」
天然無邪気な女の子を振り向かせたら、大変ストレートに愛情表現して来る子になってしまいました。
しかもなんか変な知識付けて誘惑して来ます。誰か助けて下さい。
僕はしばらくスライムから戻れないままぷるぷると震えていたのだった。




