18 恋を知らない箱入り娘
ぼくはお気に入りのクマのぬいぐるみを抱きしめてごろりとベッドに横になった。
頭の中で悶々と考えるのはルートの事だ。
あの時初めて見たルートの表情と、何かを乞うように喉の奥から絞り出した切ない声。
『もう僕は貴女の事を、ただの友達だなんて思えない……!』
『僕のこと、ちゃんと男として見て』
そう言った彼の姿が、日を跨いだ今も焼き付いて消えない。
あの日、何故かルートが全然違う人みたいになって怖かった。
強い力で押さえ付けられた。ぼくを見つめる瞳がいつもの優しい光ではなく獲物を狙うような強い光になって、
……怒っているのかと思ったら、違った。悲しくて、苦しそうだった。
ルートを悲しませているのは誰?
ぼくだ。
ルートを苦しませているのは誰?
ぼくだ。
分かっているのに、ぼくの何が彼をそうさせてしまったのかが分からない。
ルートの事は好きだ。大好きだ。でも、たまにあれと思うことがある。
この感情は、本当に友情によって生まれているものなのかと。
例えば抱き着きたくなったり、もっと名前を呼んで欲しくなったり、呼びたくなったり。
ずっと傍に居たかったり、ついその姿を探してしまったり。
もっと触れていたい、と思ったり。
同年代の子なんて居なかったから、友達なんて今までルート1人しか出来たことがない。
だから分からないのだ。接し方も、距離感も。
ぼくのルートが大好きだという感情で起こした行動が彼を不快にさせている可能性だってある。その事に気付くのがあまりに遅かったことに、今更気が付いた。
ルートはあまり触られられるのが好きじゃなかったのかもしれない。ぼくが抱き着いたらいつも溶けていたし。いつもルートはぼくに近付くのを躊躇っていた気がする。
友達って何?友情って何?男として見るって何?
ルートが言う『男として見る』をしたら、ルートは悲しくなくなるの?
その場合、ぼく達は友達じゃなくなっちゃうの?
訳の分からない感情がぐるぐるぐるぐると駆け回り、結局一睡も出来ないまま朝が来た。
「クラリス〜?まだ寝てるの?もう朝だよ〜起きなよ〜」
ノックの音に返事を返さずにいると、お母さんが首を傾げながら入って来た。
「クラリス?どうしたの?具合でも悪いの?」
「……眠れなくって……」
「うげっ!すっげー隈じゃん!なんだなんだどうした!?」
「とりあえずお湯!」とコップを渡され、ごくりと喉を潤す。なんとなくほっとして、ぼくはまた布団にくるまった。
「ありがとう……」
「珍しいねクラリスが眠れないなんて。いつも寝付き良くて秒で寝てるのに」
「…………」
「何か考え事?聞こうじゃないの」
お母さんはズリッと椅子を移動させるとドカッとそこに腰を下ろした。そして足を組んでお湯を飲む。
ぼくはぬいぐるみをぎゅっと抱き締めた。
「……ルートが」
「ほう、ルートくんが?」
「……おとことして」
「なに?もにょもにょ言ってて聞こえない」
「ルートが、僕のこと男として見て、って。もう友達だなんて思えないって、ぼくに」
「っは〜やったなあのお坊ちゃん。それで?」
「それで、なんかよく分からなくって……」
僕はぬいぐるみに顔を埋めて丸まった。
「男として見るっていうことがどういう意味か何か分からなかったんだ。ルートがぼくに何を求めてるのかも。ぼくはルートの友達……なのに、ぼくは……」
じわりと浮かんだ涙がぬいぐるみに滲みる。
「ぼく、ルートにあんな苦しそうな顔させちゃった……!ただの友達だなんて思えないって!鈍感なクラリスさんが悪いって!ルートに嫌われちゃった!わぁあん……!」
ぼくは声を上げて泣いた。ぬいぐるみがべしょべしょになっちゃうけど、それも構わずわんわん泣いた。
「ルートが何考えてるのか分かんない!ぼくはルートのこと大好きなのに!友達じゃなくなるなんてやだよ、ぼくは……ぼくは……!」
「ただの友達だなんて思えない、かぁ……。ねえクラリス、ただの友達以上の関係ってなんだと思う?」
「……え……?」
友達以上の関係。そうだ、ルートは友達じゃないって言った訳じゃない。ただの友達とは思えないと言ったのだ。
つまりそれはルートがぼくと友達以上の関係になることを望んでいることに他ならないのでは。
「も、もしかしてルートは……」
「おお」
「ぼくと……」
「うんうん」
「ぼくと親友になりたいって思ってるんじゃないの!?」
「違う」
パッと顔を輝かせたのを即座に否定された。
「えっ、じゃあ大親友じゃない?それなら何も問題は……」
「ちっがぁう!クラリスがそんなだから多分ルートくん怒っちゃったんだよ!クラリスはルートくんのことほんとになんとも思ってないの!?」
「お、思ってる!思ってるよ!すっごく大切で大好きで……ルートが悲しいとぼくも悲しい」
「ほんほんそれで?もうちょいなんかない?言うてみ言うてみ」
「それから……」
ルートに名前を呼ばれると、心がぽかぽかする。
ルートに笑顔を向けられると、ぼくも嬉しくなる。
姿を見ると駆け寄りたくなる。
音楽に夢中になっている姿を見て、かっこいいと思う。
それに。
「ルートが可愛いって言ってくれたから、スカートが好きになった。ルートが男の子だって意識したら、どうしてかは分からないけど胸がどきどきして……」
「変なんだ、心臓が痛いんだ。でも一緒に居ると幸せなんだ」と胸を押さえる。ルートと居るといつも嬉しくて楽しくて幸せだったから、悲しくて辛くなるとどうしていいか分からなくなる。
お母さんが溜め息を吐いた。
「それが答えみたいなもんなんだけどなぁ……」
「それが答え、って言われても分からないものは分からないし……」
「いやいやんな馬鹿な……って、待てよ……?……もしかして……」
ぐいっと身を乗り出し、聞いてくる。顔が真っ青だ。
「まさかとは思うけどクラリス……恋って知ってる?」
「コイ?コイって何?」
お母さんは身を乗り出した体勢のままがっくりと項垂れた。
「……私のせいだ。ルートが何とかするだろうと大人の静観決め込んで、結果2人とも苦しませた。まさかクラリスが恋という単語さえ知らないとは。いやでも考えてみれば当たり前だ。この家には本なんて無いし、幼女趣味の男なんかと変なトラブルが起きないように騎士団でも異性と遠ざけて、旅費も無いからとずっと何も無いこの土地から出さずにいたんだから」
「…………」
枕元から絵本を取り出し、膝に置く。擦り切れて日に焼けて、ボロボロのそれを指先でそっと撫でる。
「クラリスがまだ産まれてない頃に本なんか読まないと思って真っ先に売っぱらっちゃったのが良くなかった。本があればいくらでも調べられたろうに。……その本、こんなにボロボロになるまで読んでたの」
「……うん」
「クラリスの5歳の時の誕生日プレゼントだ。……クラリスは、本が、好きだったんだね」
お母さんに絵本を手渡すと、長い指がゆっくりページを捲った。
ある日出会って友達になった子ども2人の物語だ。
何度も読み返して敗れては補修を繰り返したボロボロのそれを読んで、お母さんは項垂れた。
「こんな、たった5ページしかない本を……。ごめんねクラリス。だめなお母さんでごめん」
「そ……そんなことない!お母さんは全然だめなんかじゃないよ!」
「いや、だめだめだ。大切な跡取り娘だと気を張ってたんだ。毎日訓練ばかりさせて、クラリスが外の世界の事を何も知らないから文句も言わないのをいい事に。……でもこんなの虐待と同じじゃないか。クラリスを何も知らない娘に育てたのは私だ。私は……」
薄い唇が噛み締められ、くしゃりと眉が歪んだ。髪を掻き乱して揺れる肩を、ぼくは何も言わずに見つめることしか出来なかった。
やがてお母さんが顔を上げた。少し腫れた目が痛々しい。
「……よしクラリス、今はちょっと寝な。そんで起きたら、午後から本屋行こっか」
「本屋さん?」
「と言っても、うちが行けるのはせいぜい古本屋だけど。分かんないならさ、本でもなんでも読んで調べて分かるようになればいいんだよ。それでちゃんと男の子のこと理解して、ルートくんに会いに行こう」
分からないなら調べればいい。確かにそうだ。
ぼくはルートともっともっと仲良くなって、幸せな恋をしたい。
「喧嘩をする事もあるけれど、ごめんなさいで仲直り……」
繰り返し絵本で読んだ一節。ぼくはこくりと頷いた。
「行く。ルートの事、もっと沢山知りたいから……!」
「うん、行こう。それじゃ、目を閉じて。ゆっくりお休み」
じんじんと熱を持った瞼を閉じれば、だんだんと意識が遠くなっていく。
「……瞼冷やしてやんなきゃ。タオルタオルっと」
瞼に載せられたひんやりとした感覚に、ぼくはほっとして意識を手放した。




