16 日陰ぼっこと無邪気な誘惑
訓練が終わり、休憩時間。ぼくは水を汲みに行こうと食堂まで歩いていた。
「暑ぅ……」
昨日、ルートは突然ぼくから逃げ出したかと思えばまた液状化してしまった。
最近暑いし、ルートは熱に弱いので心配だ。またどこかで溶けたり縮んだりしてたらどうしよう。
まあさすがにそんなに頻繁に溶けることもないか。
汗を拭いつつ食堂のある騎士団の宿舎に着いた時、見覚えのある白い髪が見えた。
……地面近くから。
『いや、普通に生き倒れてるー!』
暑すぎてぶっ倒れてしまったのだろうか。それとも疲れすぎ?なんにせよ水が必要なのは間違いないだろう。
ぼくは急いで水を汲むとルートの元へ戻った。
「ルー……!」
慌てて宿舎の裏に回った先で、ぼくはぴたりと足を止めた。
「えぇ……?もしかして寝てる……?」
寝返りを打ったのか、ごろりと仰向けになっていた。よく耳を澄ますとすぅすぅと静かな寝息が聞こえて来る。お昼寝中で間違いなさそうだ。
傍には長い棒が転がっている。最近はこれを持ってずっと走り回って体力を付け、槍の扱いは大剣使いの叔父さんの動きを真似てほぼ独学で振り回していると聞く。
よっぽど疲れているのだろう。ぼくはそっと傍らに腰を下ろした。
『ただでさえキツい訓練に更に自主練も、なんて無理させちゃったかな』
ルートがいつも元気いっぱいでやる気に満ち溢れているので、つい大丈夫だと思ってしまったのだ。
ルートともっと一緒に居たいというぼくの我儘に付き合わせてしまって申し訳ないような気がしてきた。
それにしても。
「綺麗だなぁ……」
長い睫毛が頬に影を落とし、そよそよと吹く風で髪が遊ばれている。
こんなに近くに居るのに全く起きる気配がない。
まるで美術品のような顔を間近で眺め、そっと手を伸ばす。風で乱れた髪を直そうとそっと髪を撫でる。ふわふわと柔らかい。
「…………」
本当に、触れたら壊れそうな程儚い、雪みたいな見た目をしている。しかしちゃんとそこに自分と同じ体温があったことに驚きのような安堵のような、よく分からない感情が込み上げて来た。
「……ルート」
これでいて超有名音楽家なのだ。
おとこおんなだと馬鹿にせず、一緒に笑い合ってくれる。
何より厳しい訓練があることも厭わず、ぼくに会うためここまで来てくれた。
クラリスさん、とぼくの名前を呼ぶルートの声は優しくて、なんだか胸の内がぽかぽかする。
「ふふふ」
髪を撫でていただけの手がわしゃわしゃと深くなり、微かにルートが目を開けた。
青い瞳がぼくを映す。
「……ん?」
「あ、起きた。おはようルート」
「うぇっ!?く、クラリスさん!?どうして……」
「あはは。よく寝てたねぇ」
「ここ涼しいもんね」と水を手渡す。ルートが起き上がり、ごくごくとそれを飲み干した。
ルートの顔に生気が戻って来たように見える。ぼくはほっとしてルートの隣に寝転んだ。
「ぼくも一緒に寝ちゃお」
「クラリスさん!?添い寝というのは、ちょっと……」
「えっ、だめなの?あっ!ぼく汗臭い!?ごめんじゃあ止め……」
「いやいや臭くないです寧ろ良い匂いで」
「あ、ほんと?じゃあ遠慮なく」
起こしかけた身体を再びごろりと横たえてえへへと笑う。ルートは寝ようか寝まいか何やら思案しているのか腹筋運動みたいな動きをしていたが、やがてぎゅっと目を瞑るとごろんと横になった。何の葛藤をしていたんだろう。
「あんまり暑いと縮んじゃうもんね?ぼくも暫くここに居よっと」
「……えーとそれは」
「ねえルート、訓練はどう?やっぱり厳しい?」
「はあ、アレクさんには半殺しにされてますけど、今はクラリスさんに生殺しにされてる状態ですね」
「えっ何?どこ向いてるの?ぼく何もしてないんだけど」
ルートがどこか遠い所を見ている。おーいと呼び掛けるが頑なにこちらを向こうとしない。ぼくはちょっとムッとしてルートの両頬に両手をあててこちらを向かせた。
「ルート」
「待って待って待ってクラリスさんこれちょっとだめ……!」
「ねぇ、なんでこっち向いてくれないの」
ずい、と身体を寄せ、「こっち向いて」と少し睨み付ける。
至近距離にルートの顔がある。
ルートの顔が赤い。やっぱり暑いのかな?結構涼しいと思うんだけど。
「んふふ。ここ、気持ちいいねぇ」
日陰だから日差しは遮られて、風が身体の熱を冷ましてくれる。汗をかいたシャツが冷えて気持ちいい。
ルートは何も言わない。しかしだんだんと身体が丸まって横向き体育座りになった。
何やらぶつぶつ言っているがぼくは構わず続ける。
「ルートがここに居るなんて夢みたい。きみがずっとここに居てくれればいいのに、っていうのはわがままかもしれないんだけど、出来ればずっと一緒に居て欲しいんだ。今まで会えなかった分、ね」
ぎゅっとルートに抱き着くと落ち着いた。お互い汗で服が肌に張り付いているけれど、ルートは全然汗臭くない。白いふわふわの髪はいい匂いがして、顔を埋める。
「えへへ、大好き」
ルートの頭を胸に抱いて髪を撫でる。
瞬間、ぼくの腕の中でルートがパァンと破裂した。
「は……」
あまりのショックに言葉を失う。びっくりした。風船が割れたかと思った。
ルートだったものがするすると離れていき、ちょっとぽよぽよしてから人の形を取る。
ルートがそこに居た。でもシャツを着ていない。
ルートに日焼けや怪我といったものは存在しないのだろう。傷一つない白く細い身体に筋肉が付き始めている。
出会った時より少し逞しくなった身体がそこにあった。
「る、ルート……今のはびっくり……」
「驚いたのは僕の方です。……クラリスさん、あのね」
「え」
どさり、と仰向けにされてぱちぱちと瞬く。肩を押さえ付けられ、ルートがぼくを見下ろしていた。
「ルート……?」
「僕は男ですよ」
「え、そんなの分かって……」
「分かってないです」
そっと髪を撫でると、ふわりと風が吹いた。
「貴女は全然分かってない」
白い髪が揺れる。腕を取られて、ルートの胸に押し付けられた。
「触って」
「え」
「最近、訓練のおかげでちょっとは筋肉ついてきたんです。ほら、肩も、腕も」
誘導されて、するするとルートの肌の上を撫でるようにぼくの手が滑る。
熱かった。しっとりして、硬くて。
どうしようもなく、自分の身体とは違うのだと思い知らされる。
「だから、こうして押さえ付けてしまえば、もう貴方は身動きが取れない。……貴女は可愛い女の子だから」
「かっ……!?」
肩を押さえ付けられて、逃げられない。試しにもがいてみるものの、ルートの腕を退かすことが出来ない。
「そんな細腕で逃げられる訳ないでしょう。短剣使いで脚力重視の貴女と、かたや毎日2メートル近くある棒を振り回している僕。腕力なら僕の方が上です」
「そ、そんな……ぼくは……」
自分は弱いのだと。じわりと涙が浮かんだのをルートが「違う」と否定する。
「貴女は強い。とても。でもそれ以上に、男の身体と女の身体では筋肉量に明らかに差があるんです。……僕はいつだってこうして貴女を押さえ付けて、制圧してしまえる力があるんです」
「……でも、ルートはそんなこと……」
「しないと言い切れますか」
「しない……しないでしょ……?だって友達だもん。ぼく達ずっと、友達だって……ルート、怒ってる?ごめん、ぼくが何かしたのなら謝るから……」
「違う……違う!僕は貴女にそんな顔させたかった訳じゃない」
ルートの表情が苦しげに歪んだ。
どうしてそんなに苦しそうな顔するの。
「僕は」
ぽたり、とぼくの頬が濡れた。
涙だ。
「もうとっくに、僕は貴女の事をただの友達だなんて思ってない……!」
「……え……」
「お願いだから」
「え、あ」
ぐっ、とルートの顔が近くなる。ぎゅっと目を瞑ると、耳元で押し殺すような声がした。
「僕のこと、ちゃんと男として見て……!」
その声があまりに甘くて、切なくて。
ぞくぞくと背筋が痺れるような何とも言えない感覚が駆け巡る。喉の奥がきゅうと絞まって、そして。
「……乱暴な真似してごめんなさい。僕もう行かなくちゃ」
ふっ、とぼくを押さえ付けていた重みが無くなり、ルートが視界から消える。
そして一拍程おいてからシャツを手にしたルートがまた視界に入って来て叫んだ。
「鈍感なクラリスさんが悪いんですからねーーー!!!」
タッタッタッと軽い音が遠のいていく。
ぼくはぽかんとしたままその場から動けずにいた。
強かった。
肩を押さえ付ける腕が。ぼくを見つめる、何かを耐えるような熱を孕んだ瞳が。
男の子だった。
「………!」
ドクドクと心臓の音がうるさい。
夏の風がやけに熱く感じた。
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「うぐわああああ!!!僕は……僕はーー!!!」
「おールート、まだ休憩時間中なのにもう走ってるのか?上脱いでるし。偉いぞ……ぐおっ!なんだ!?どうしたいきなり突っ込んで来て!大丈夫か!?」
「僕は……僕はなんて事を!!!」
よもや連日で誘惑されるなんて思っていなかった。顔を胸に押し付けられて、頭の中で理性がパーンする音がして本当にやばかった。
『それにしても……女の子の胸ってあんな柔らかいんだ……』
着痩せするのかクラリスさん。結構ハリがあってぽよんと弾力が……とか考えていたら足元から水滴が落ちて来た。いかん溶ける。だめだめだめだめだめ。
しかし、いくらあんなに誘惑されたからってあろう事かまだ婚約する事が決定してもいない女の子を押し倒すだなんて。大罪にも程がある。紳士の風上にも置けない。
全力疾走していた勢いのまま思いっきりタックルしたのにアレクさんはビクともしなかった。僕もこんなふうにどっしり構えられるようにならなくては。
「こ……こうしちゃいられない!精神を鍛える為に特訓だ!アレクさん!僕、頭を冷やしてきます!!! 」
「おー、なんだかよく分かんねぇけどいいぞぉ〜その意気だ!」
――初夏の空。熱気溢れる訓練所のそのまた外から、とある少年の「うおおおおおおおお!心頭滅却!!!」という暑苦しい雄叫びが響いていたという――。




