10 暴君ナルキッソスと面倒な茶会
「遅いと思って来てみたら……!ボクの呼び出しを無視して何爆睡してるんだよこのバカルート!!」
「あだっ!」
腕を強引に誰かに引っ張られ上半身が浮遊する感覚の後、ゴスッと鈍い音がした。
頭のてっぺんを床でぶつけた衝撃で目を開けると景色が逆さまで、見ると怒りで顔を真っ赤にした兄さんが立っていた。
「兄さん……おはよう……」
「おそようだよ!一体ボクが何時間待ってあげてたと思ってるのさ!?」
「んん……」
ずりずりとベッドの上に戻って頭を押えながら起き上がる。ぼやけた目を擦りつつ時計を確認すると短針が5を指していた。
つまり午後5時。僕が家に帰って来たのが1時だから兄さんを4時間も待たせたことになる。
「えっ待ってたの?今の今まで?庭で1人で?」
「ああ待ってたよ!メイドに紅茶もお菓子も用意させてルートが来るまで昨日コレットから借りた本でも読んで待ってるかーって!おかげでシリーズ全巻通しで読み終わっちゃったじゃないか!」
「面白かった?」
「面白かったよ!!!」
そうか。今度僕もコレットさんに貸してもらおう。
「じゃなくて!ボクが呼んでるのになんで来ないのさ!」
「疲れてたから……」
「はぁ……」
「ちょっと待ってなよ」と兄さんが部屋を出て行く。途端に部屋に静寂が訪れた。
「よっこいせ」
僕は立ち上がるとガチャリと鍵を掛けた。そしてベッドに寝転がり、再度目を閉じる。
「やれやれ、これで静かになった」
腕を手の後ろで組んで目を閉じる。
ああ、もう寝そう。もう寝るもう寝る。
「ぐぅ」
心地良い眠りに落ちて数分後。「ちょっとーー!!?」という喧しい叫び声とガチャガチャとドアノブを回したりドアを叩いたりする音がうるさく響いた。
ガタガタとうるさいので仕方なく開けに行く。
「信じらんない!何鍵閉めてんのさ!!?」
「ごめんごめん」
「ごめんごめんじゃないよ!せっかくボクがお菓子とハーブティー持って来てあげたっていうのに!」
兄さんの後ろからメイドがガラガラとワゴンを押して部屋に入って来る。ワゴンの上には綺麗で美味しそうなお菓子と爽やかな香りのハーブティーが乗せられていた。
「眠気覚ましにはハーブティーがいいかと思ってわざわざペパーミントのハーブティーを淹れて来たんだからとっとと飲んで目覚ましなよ」
「えー僕眠気覚ましにはコーヒーの方が……」
「文句言うなよ……!」
「ゴボゴボボ……!」
ハーブティーを無理やり喉に流し込まれた。危うく溺れる所だった。なんだか鼻がツンとする。
ゲホゲホと咳をし、「ハーブティーを飲まなくても溺れかけたら人は起きるよ」と兄さんを睨む。
「へー。鼻から流し込んで欲しかった?」
「美味しかったなぁ僕ハーブティーも結構好きだなぁ」
ハーブティーを鼻から流し込まれたりなんかしたら3日は食べ物の味が分からなくなりそうだ。
「いただきます」とお菓子をつまみ、もぐもぐと食べる。兄さんはそんな僕を見て溜め息を吐き、椅子に腰掛けた。
「身体も元に戻ったね。傷心、ちょっとは癒えた?話くらい聞くけど」
「…………」
「ずっともぐもぐもぐもぐお菓子食べてないでなんか言いなよ!?」
確かに思い返せば、寝て起きたら喧しいナルシストが騒いでいて気が紛れたかもしれない。
でもそれとこれとは別だ。突然ぶわっと泣き出した僕に「うわっ」と兄さんが椅子を揺らして飛び退いた。
「もう帰るってなった時にクラリスさんとやっと会えたんだけど、急に逃げられちゃって……」
「急に?」
「そう、一度は立ち止まってくれたんだけど突然慌てて帰っちゃって」
「その話もっと詳しく教えなよ」と兄さんがティーカップ片手に身を乗り出す。
どうして僕はこの喧しい兄さんを相手に恋愛相談をしているんだろう。
まあ壁に話し掛けるよりはましかとクラリスさんの服装から仕草に至るまで可愛かったポイントをぽつりぽつりと話していると、兄さんは何やら自分の中で納得したのか「ふーん」と口の端を吊り上げた。
「やるじゃん」
「は?」
「ルート、結構上手くいってるの自分で気付いてないの?」
「んぐっ」
兄さんに言われた言葉が理解出来ずにプチケーキを噛まずに飲み込んでしまった。慌てて兄さんがハーブティーを流し込んで来る。
さっきは明日の朝耳元でクラリネット吹いて起こしてやろうかと思ったけど今回ばかりは助かった。死ぬかと思った。
「よく聞きなよ、その子自分の服装が恥ずかしくて逃げたんだ」
「えっ」
「最初に向こうから声を掛けて来たってことはまず嫌われてないと思っていい。本当に嫌いなら声なんか掛けないしそもそもその時点で逃げるはずだろ。で、ルートは下ろしたてのジャケット、対してその子は訓練後の汚れた少年みたいなシャツにズボン。普通相手が好きじゃなかったら自分の服装なんて気にしないし、着替えるにしても一言相手に断って行くはず。そんな余裕もないくらい切羽詰まってたんだろうね」
「どう?ボクの名推理。凄いだろ」と兄さんがふんぞり返る。
僕は頭を後ろから鈍器で殴られたような感覚に襲われた。
「そ、そんな……」
そんな馬鹿な、と思ったがよくよく思い返してみると、逃げる直前のクラリスさんは自分の服装を少し気にしていたような気がする。
「なんて、昔コレットにそんな感じで避けられた事があるから今回も分かっただけなんだけど……」
「兄さん」
「な、なんだよ」
「ありがとう!!!本当にありがとう!!!」
僕はがばっと兄さんに抱き着いた。
「…………!?」
――セシルは声も出せないくらい驚いた。なんなら瞬きするのも忘れて両手を頭の隣に上げたまま変な姿勢で固まった。
いつもルートに話しかけてもハイハイと言葉を受け流され、挙句の果てには部屋の外に閉め出される始末。
自分なりに、それなりに可愛がっているつもりの弟にこんな純粋に感謝をされたのはもしや初めてではないだろうか。
ルートの心の中は『兄さんもたまには役に立つんだな』といったものだったが、セシルは大いに感動していた――。
「今度から恋愛の事で分からないことがあったら兄さんに相談するよ。ありがとう」
にっこりと笑うと、兄さんはコクコクと頷き両手を上げたまま後ろ歩きで部屋を出て行った。
バタンとドアが閉まり、その向こうからガゴッゴスッと何かにぶつかる音がしたが兄さんが何かにぶつかるのはいつもの事なので気にせず残りのお菓子を口に放り込む。
「よかったぁ……嫌われたりはしてなかったんだ……」
ドサリと後ろに大の字に倒れ込み、口の中のものをごくんと飲み込む。甘い。とても甘くて頬が緩んでしまう。
「クラリスさん……」
訓練着が恥ずかしかったのだろうか。動きやすそうでとてもいいと思ったのだけど。
「……どんな服を着ていたって、どんな格好をしていたって……クラリスさんが僕の中で一番可愛い女の子だって事実は変わらないのになぁ……」
でも、彼女がもし綺麗なフリルやレースのついたドレスを着たらどんなに可愛いだろう。そうして、僕に微笑み掛けてくれたなら。
「今度会う時は、ドレスをプレゼントしよう……。クラリスさんに似合いそうな、黄色や赤のドレスを……」
ドレスを纏い、ふわりとした笑顔をこちらに向ける彼女を想像して目を閉じる。
――夕飯を知らせに来た使用人が見たのは、幸せそうにシーツを抱き締めて眠るルートの姿だった――。




