9 少女の戸惑いと高飛車なお呼び出し
「どうしてルートが来るって言ってくれなかったの……!」
ルートが来るって知っていたなら、もっと早くに訓練を切り上げてまだましな服に着替えたのに。
綺麗で上品なジャケットを優雅に着こなした彼とは対称的に、ぼくは訓練後で薄汚れたシャツに泥だらけのズボンだった。
髪もぼさぼさで、きっと汗臭かったに違いない。立ってたのが風下だったから良かったけど風上だったら汗臭くて嫌われてたかもしれない。
シャワーを浴びて泣きそうになりながら叫んだぼくの主張に、たった今ルートと侯爵様を見送って談話室に戻って来たお父さんとお母さんは顔を見合せた。
「今日は遊びじゃなくて大事な話があったんだよ」
「そうそう、決してクラリスを仲間外れにした訳ではないからね」
「ほんと?ねえ今から急いで追い掛けたら間に合うかな!?ていうか泊まっていけばいいんだよ大したもてなしも出来ないけど!」
「お風呂上がりで会うのはやめた方がいいんじゃない!?ルートくんぶっ倒れるよ!?」
「あの様子じゃ確実に鼻血を出すだろうね……それにもう馬車出ちゃったし、今日はもう会えないと思うよ」
「……?」
よく分からないけど追い掛けてももうルートには会えないらしい。
「……そっか……」
せっかくルートがはるばる来てくれたのにもう帰っちゃうなんて。
それに
『ぼくに会いに来てくれた訳じゃなかったんだ』
くるりと背中を向けると、「あ、ちょっと待って!」とお母さんに呼び止められた。
「……なぁに」
「ルートくん、来月から1年間うちの騎士団で面倒見る事になったから。入団当日は案内よろしくね」
「……えっ。る、ルートが!?どうして!?」
たしかルートはピアノの腕も超一流ながら、流行りの曲をよく生み出すかなり有名な音楽家だったはずだ。
彼が作る曲は思わず歌いたくなってしまうような曲調が多くて、気分が良い時はついつい口ずさんでしまう。
そして実際にぼくが再会した彼は剣だこも無い、白くて綺麗な細い手をした男の子だった。
何処からどう見ても騎士とか戦争とかとは無縁そうだったのに、いったいどうして。
「んー……まあそこは色々あるんだけど……取り敢えず把握だけしといてよ」
なんだかよく分からないけどルートがうちに来る。しかも1年も!
ぼくは勢いよく頷いた。
「分かった!すっごく楽しみ!!」
「……一応聞きたいんだけどさ、クラリス」
「なに?」
「クラリスはルートくんのことどう思ってるの?」
「どうって?大好きだけど」
「それはその、どっちの意味で?」
「どっちって?」
ルートはルートだ。泣いていたぼくに声を掛けてくれて一緒に遊んでくれた、優しくて面白くて大好きな友達。
それ以外に何かあるのだろうかと首を傾げると、お母さんはなんとも言えない表情をしてぼくの頭を撫でた。
「ちょっと箱入り娘に育て過ぎたかなぁ……」
「え?」
「一応言っておくけど、ルートくんは男の子だからね」
そんなこと知ってる。ぼくはこくりと頷いた。
「分かってるよ。男の子ってことは力が強くて体力も女の子よりあるってことでしょ?沢山鍛えたらぼくよりも強くなっちゃうんだろうなぁ羨ましいなぁ」
「いや男という生き物の生態について聞いてるんじゃなくて」
「え?違うの?」
「だめだこりゃルートくんには頑張って貰うしかないね」
「全くだね」
「ええ……?」
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「はぁーーーーーーーー……」
「わぁ、おっきい溜息」
「はぁーーーーーーーー……」
――帰りの馬車の中、ルートの溜息の声が響く。
あの時クラリスに逃げられてからというもの、かれこれ2時間が経過しているがずっとこの調子だ。
「やだやだ空気が不味くなる」とオリブは窓を開けた――。
「そんなに落ち込まなくても良いじゃないの。元気出しなって」
「父さん……」
「うんうん」
「はぁーーーーーーーー……」
「あーやっぱだめかー」
クラリスさんに避けられた。また会えて嬉しいと喜んだ矢先の出来事だったから相当堪える。
「手土産だけでも直接渡せたら良かったんだけどね」
「うん……。なんなら一緒に食べたかった」
今度会う時はありったけのお菓子を用意して行こう。でも馬車の旅で悪くなりそうだからなるべく日持ちするやつ。
「クッキー……」
「クッキー?食べたいの?後で買おうか?」
「いらない……」
「いらないのかぁ……」
――生きる屍と化したルートを献身的に慰め励ましていたオリブだったが、3日目にとうとう堪忍袋の緒が切れた。
「湿っぽーーーーい!!!やめやめ!せっかく父さんと一緒に居るんだから楽しいこと話そう!!!」
普通の人間なら1日ともたずに平手打ちをかましていた所だがオリブは中々に我慢強かった。よく3日ももった。
「ぬぅ……?」とこの3日で明らかに老け、よぼよぼと振り向いたルートにオリブは提案した――。
「ルートはクラリス嬢のどこが好きなの?父さん聞きたいなー教えて欲しいなー」
「クラリスさんは……声が可愛くて……泣き虫で……可愛くて……自分のことぼくって呼んで……可愛くて……」
「うんとりあえず可愛い事は分かった」
クラリスさんはめちゃくちゃ可愛い。
どんな格好をしていても誤魔化し切れない素材の良さ。ちょっと吊り目がちな目元だけ見ると強そうに見えるが、少し困ったように下がった眉が気の弱そうな印象を与える。
庇護欲が掻き立てられて思わず守ってあげたくなるけど、幼い頃から騎士団で訓練を積んでいるから僕なんて平気で投げ飛ばせる程強いというギャップ。
極めつけはあのちょっと掠れた、中性的で鈴を転がしたような柔らかな声。
彼女と一緒にラブソングを歌ったりなんかしたら、いったいどれ程幸せだろうか。
「うぅクラリスさん……もっとお話したかった……」
「泣かない泣かない。ああルートがどんどん縮んでいく……」
そんなこんなで長かった馬車の旅も終わり、僕は約10日ぶりの我が家へと帰り着いた。
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「ただいま……」
「な……っルートがちっちゃくなってる!?どうしたんだよ何があったんだよ!?」
「…………」
正面玄関を潜ってすぐ、おっかなびっくり仰天して目ん玉飛び出るんじゃないかというような顔をした兄さんに出くわした。
そんなに驚くかなぁ、たしかに旅先でお世話になった他家の貴族の方々にも驚かれたけども。
「好きな子にまた会えたと思ったら逃げられて帰りの馬車でもうずーーーーっと泣いてたんだよ」
「はーーーーーー……?」
父さんの説明に兄さんが口元に手を当て僕を見る。目はばっちり飛び出しそうなままで。
「えっ何だよ、結局ダメだったの?婚約の話」
「いや、婚約は一応婚約者候補という形でまとまって、荷物を纏めたら向こうの騎士団で1年ほどお世話になることが決まったから全く悪くないし寧ろ良い状況なんだけども」
「なにそのえげつない行動力……婚約届を相手の家に送り付けたっていうのにもびっくりしたけど、普通こんなトントン拍子に上手く事が運ぶ?ていうかこいつ本当にルート?ボクの弟ってこんな行動力あったっけ?」
「ルートだよ」
さっきから失礼の叩き売り状態だが生憎今は喧嘩を買う気にもなれない。
未だ帰りの出来事を引き摺ってしょんぼりと肩を落としていると、兄さんが「ふーん」と腕を組んだ。
「あのさ、ちょっと休んだら後で庭に来なよ。優しいボクが特別に話聞いてあげるからさ」
「えー……」
「えーじゃない、来る!」
兄さんは「ボクをあんまり待たせたら承知しないからね」と言い残して踵を返し、ドアに小指をぶつけて「痛ったーーー!!?」と騒ぎながら消えた。
「あれはいったいなんなんだろう」と呟くと、父さんに「あれがあんななのはいつもの事だから」と肩に手を置かれた。
「手を洗って着替えたら行っておいで。あれもあんなのだけど出してくれるお茶とお菓子は美味しいぞ」
「あんなのだけど一応美食の貴公子なんて呼ばれてるしね」
あんなのだけど。ほんと、あんなのだけど。
よく婚約出来たなと思う。婚約者のコレットさんよく妥協してくれたな。人生共にするのあんなので本当に大丈夫なのか。
荷物の片付けは父さんと使用人達に任せて部屋に戻り、ジャケットを脱いで楽な服に着替える。と、リラックスしたら疲れが一気に襲って来た。
「づがれだ〜……」
馬車の長旅と心労による疲労がマックスだ。今すぐどこかに寝転がりたい。
ちらりとベッドの方を見る。しかし兄さんに呼ばれたことを思い出した。疲れた足が自然と歩き出す。
僕は爆睡した。




