謎というより不満である
管理者の安川さんはいつもいない。
在宅介護におけるケアマネジャーの仕事は月に1回のモニタリングがあるので、外出が多くなるのは仕方ないとしても、一日中、事務所を不在にすることがある。
介護保険において、在宅での介護サービスを利用する場合は、まず要介護認定を受ける必要がある。
通常、介護度の認定を受けるために行政に要介護認定の申請書を提出し、認定調査を受け、主治医に意見書を書いてもらうことを経て、約1ヶ月で要介護度が認定される。
この介護度に従ってケアマネジャーが『ケアプラン』という書類を作成する。
『ケアプラン』という書類は、高齢者がなぜその介護サービスを必要としているのか、という理由書のようなものだ。厄介なのは、この書類には1年後の目標を書かなければならない。どの介護サービスを利用するかということに加え、本人の意欲を促して現状の状態から少しでも良い状態に近づけて、最終的には高齢者が社会の中で自分自身で生きていけるよう『自立』を促すことになっている。
『ケアプラン』に掲げた目標の達成にどこまで近づいているかを把握するために、ケアマネジャーは月に1回、介護保険を利用している自分の担当の高齢者の自宅を訪問することが義務付けられているのである。
ボクは、午前中、事務所にいるようにしている。
ケアマネジャーの仕事は外に行くことだけではない。ケアプランに関係する書類を作成する仕事が山ほどあるからだ。だからそういう書類の作成をするために午前中は基本的に空けておく。そして午後からは予定していた担当の高齢者の自宅を訪問する。
午前中に事務所にいると安川さん宛の電話が嫌というほど来る。
おかげで仕事が進まない。
事務所にいる他のケアマネジャーは皆、それぞれに安川さんのやり方には不満があるようだ。
この会社に入社した際に安川さんとは何度か飲みに行ったし、仲は悪くはない。
ボクが入社して3年の間に彼には2人の娘ができて、その子が目に入れても痛くないほどかわいいと彼は言っていた。
ただ……安川さんは本当に分からない人だ。
仕事のやり方も私生活も何もかもが謎である。
特に分からないのは子供のことだ。
『娘が熱を出してしまったので、訪問先から娘を保育園に迎えに行って帰ります』
安川さんは2日に1回はこういうことを言う。
明らかにおかしい。我が家にも子供がいるが、そんなに熱も出さないし、出したとしても妻が迎えに行ってくれる時もあるから、毎回、行かなくてもいいはずだ。
それに朝から熱が出ているのなら保育園に連れて行かずに会社を休めばいい。必ず登園前には熱を測ってノートに書いて提出しなければならないのだから、朝の時点で分かる話だ。
そんな熱のある子を連れてこられても、保育園だっていい迷惑だろう。ボクが安川さんの子供と同じ保育園に自分の子供を登園させていたら……と考えたら、病気が感染る可能性もあるから心からそういう行為は辞めてほしいと思う。何より子供に負担を考えたら熱があるのに無理に保育園に連れていくのは頭が悪いとしかいいようがない。
『保育園、感じ悪いんだよね』
安川さんは朝礼の時にみんなの前でそんなことを言う。
ボクをはじめとしてケアマネジャーたちの平均年齢はそんなに低くはないので子育てを経験した人が少なくないから、彼の言い分がおかしいことにはみんな気づいている。
怪訝そうな顔をする他のケアマネジャーを代表してボクは言った。
『いや……安川さん。家出る前にお子さんの熱測るでしょ?なんで保育園連れて行っちゃうの?そんなんボクが保育士さんでも嫌な顔しますよ』
『ギリギリなんだよ。登園できるギリギリの熱なんだよ。37.3℃とかそのぐらい。だから連れて行くんだけどね。保育士に嫌味言われるんだよね。熱が出たら呼びますよって。本当に感じ悪いよ』
感じ悪いのはあんただよ。
ボクはそう思いながらも爆発しそうな感情をこらえながらも冷静に言った。
『休めばいいじゃないですか。娘さん、かわいそうですよ』
『仕方ないよ。今日も担当者会議入っているし』
担当者会議とは『ケアプラン』の内容の見直しのために、その利用者に係る介護サービスの事業所の担当者すべてを呼び、利用者本人、家族を交えての話し合いのことである。確かにこれをキャンセルするのはけっこう骨の折れることではある。キャンセルしたら、またスケジュール調整からやり直しなので、ひと手間かかるといったらかかる。
それにしても……だ。
子供が熱を出して苦しんでいるのに、担当者会議も何もないだろう。
『キャンセルすればいいじゃないですか。ボクもちょいちょいキャンセルしますよ。こういう時は仕方ないですからみんな分かってくれますよ』
ここまでのやり取りをしたにもかかわらず、安川さんは『ああ……まあね……』と言うだけで同じことを繰り返している。
こういうことは本人の問題でもあるから、私生活に口出しするつもりは毛頭ないのだが、安川さんが事務所にいないと電話対応が困ることがあるし、管理者でないと判断がつかない話もある。
要は仕事に支障が出始めているのだ。
はっきり言って迷惑である。
子供のことが何もなくても安川さんはなんだかんだ理由をつけては、いつもいない。
仕事での外出はそんなに時間はかからない。
基本的に外出しても、事務所に帰ってこようと思えば帰ってこれるのだ。そんなに外出ばかりしていていつ必要な書類を作っているのだろうか。
聞けば朝8時頃に仕事にやってきて仕事をしているとのことだが……保育園の兼ね合いもあるしそんなに早くは出勤できないはずだ。
いつもいないということは明らかにおかしいのだ。
業務に何か支障がなければどこで何をしていようと関係ないのだが、彼は管理者であり、事務所を不在にすることによってボクをはじめ、他のケアマネジャーが困っているのだ。
ケアマネジャーの仕事は基本的に相談援助の仕事であり、厄介な利用者とのやりとりをしなくてはいけない場合が少なくない。そういう利用者には管理者に同行訪問してもらったりしたいのが本音である。
実際、そういう利用者がいても安川さんには相談さえできないでいる。
それもそのはず……だっていつもいないのだから。
大抵、その悩みがボク以外のケアマネジャーだった場合は、唯一の正社員であるボクが相談に乗り、場合によっては同行訪問をすることもある。
管理者手当、半分よこせ、と言いたい。
これらのことは安川さんには報告している。
『余計なことをするな』というのならば返す刀で『なら外出を控えて下さい』と言うまでだ。
そういうことは安川さんにも分かるようで感謝してくる。
しかし彼には助けてもらっている自覚はない。自分が管理者として部下をうまく使っているぐらいの気持ちでしかないのだ。
少しは管理者らしいことをしてほしいものである。