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Ⅱ.栄光ある楽園

 レンガ造りの門柱の金属プレートには、『Gloriana(グロリアーナ) Eden(イーデン)』の文字が浮き彫りされている。

 バロック建築の装飾がなされた鉄製の門は常に閉じられ、来る者を(はば)むかのようだ。


 (もっと)も、非常に辺鄙な場所にあることと、学習内容の特殊性により、関係者以外の入学者は皆無に等しい。

 表向きは私設学校だが、生徒の殆どはハンターの子孫たちだ。

 ハンターはその機密性から血族が大事にされる。

 故に、子孫以外の入学は原則許されていない。


 私設学校とはいえ、複数の校舎の他に研究機関も併設し、広大な森林公園(練習場)を抱えているため、その敷地は広大だ。


「ここがハンター養成学校か」

 門の前に佇む少年。

 頬にかかる艶やかな黒髪を美しい指がかき上げる。


「あ……」

  入ろうとして、結界の存在に気づく。

  視線だけで周囲を確認して、発生場所を特定する。

「壊すのは簡単だけど、まずは信頼関係を築かなくては」


 彼は流れる動作でロングコートの内側からメスを一本取り出すと、白い布に何事か書いて結びつけ、校舎に向かって飛ばした。

 まるで紙飛行機を飛ばすかのようだったが、物理法則をまるで無視した動きと速度で、あらゆる遮蔽物の隙間を縫って事務室の窓枠に命中させた。


 事務員のテリーは、何事かと窓を開けて見やると、ちょうど窓枠と窓の間にメスが刺さっている。

 巻き付けられた布にはこう書かれていた。


『LET ME IN (中に入れて)‼』


 その直後、校長室では電話が鳴り響くことになる。


 迎えに出てきた教師らしき人物に連れられて、先程の少年は中庭を歩いていた。

 その胸には『見学者』の名札が付けられている。

 種族問わず、プレートなしには結界の中を通ることはできない。


 歩きながら、視野の広いはずの彼の視線が一点に固定された。

 この中庭がまるで楽園かと見紛う程、輝きを放って見える。

 彼女を中心に。


 背中まで届くプラチナブロンドの波打つ髪が、『ヴィーナスの誕生』さながらに風に揺らめいている。

 おそらくここの学生だろう、つまりハンター志望なのだろうが、傷のないすべやかで陶器を思わせる肌には、そんな印象の欠片も探せなかった。

 煌めく宝石のような二つの双眸は物憂げに何かを見つめていたが、その視線が俄かに移動した。


 彼は、その瞳に自分が映るのを見て、その瞬間、万有引力の法則を感じた。

「質点(物質)と質点(物質)は、互いに引力を及ぼし合っている」

 かつて感じたことのない狂おしいほどの切望。

 ないはずの心臓の鼓動を感じたような気がして、押さえるように胸に手を添えた。


「まずは校長室へ」

 彼の足がどこかへ向かおうとしていたため、教師然が声をかけた。

「あぁ、すみません。誘因力のせいです」

 切望は一先(ひとま)ず隠して、今の最優先事項は信頼関係。

 自分にそう言い聞かせて、少年は校舎までの長い道のりをなんとか耐え切った。



 太陽が昇る前に校舎へ忍び込み、タブレットは無事に返却できた。

 だが、不完全燃焼のせいで眠ることができなかったため、アルファは校内の練習場で、イータは図書棟で始業まで過ごすことにした。

 やがて休憩時間になると、二人は中庭で落ち合った。


 中庭には目の覚めるような高彩度のグリーンの芝が広がり、その上で読書や談笑など思い思いに過ごす生徒たちの姿が見えた。

 定間隔に植えられた常緑樹が微かに陽光を透かして芝に陽だまりを描く。

 その下で、イータは図書室で『悪魔の尻尾』についての文献を探したことをアルファに話していた。

 手には、両親から受け継いだ一族の本。


「……でも、なかったの。残念だわ。何かしら情報があると思ったんだけど。禁忌事項に触れてるのかしら」

「だとしたら、金庫室の方に何かあるかもな。鍵を借りて探してみるか」

 借りるといっても勿論、秘密裏にだ。

「もう……、平気で違反しようとするんだから」

 溜め息ながらに兄を(たしな)めるが、アルファは得意げに笑っている。

「悪魔学のイプシロン先生に聞いてみようかしら——」


 その時、何かただならぬ視線を感じて、イータは振り返った。

 距離はあったものの、目が合うのが分かった。

 イータは、その眼光に射貫かれたような感じがした。

「……誰だ?」

 少し警戒の色を醸してアルファが言う。


 いつもながら冷ややかな瞳が眼鏡の奥で光っている、教務のオミクロン先生。

 彼には珍しいややゆったりとした足取りから、賓客を連れていると分かる。


 その後を少し遅れて、全身モノトーンで洗練された様子の少年が現れた。

 真っ黒なロングコートを風に煽られ、それを片手で押さえるようにしてこちらを見ている。

 意思のある視線だが、敵意ではない。

 というより、恍惚とした瞳。

 そういう風に見られることは、二人には珍しくなかったが、正直、遠すぎてそこまで分からなかった。


「見学者みたいね」

 イータは彼の胸のプレートに気づいた。

「あぁ。……ガン見されてるけど、知り合いじゃないよな?」

 妹の様子を心配交じりの横目で伺う。

 アルファは、先程からの視線の先が自分でないことに気づいていた。


「医師の知り合いはいないはずだけど」

「え?」

医師(ドクター)が持ってるみたいなバッグじゃない?」

 よく見ると、もう片方の手で持っているのは、かなり古いタイプの医療(ドクター)(バッグ)だった。

「あぁ、そういえば、昔の映画で見たことあるかも」


 ボストンバッグのようだが、上部がバネ式で左右に開くため、開口部が大きく物が取り出しやすい、機能的で独特なデザインだ。

 黒染めした皮革は使い込まれた艶があり、少年の持ち物としては、その古めかしさに少し違和感がある。

 医者というより医大生か。長身だが、もっと若く見える。


同じ年(タメ)って感じにも見えるけど。なんだか変な……嫌な感じがする」

 軽く頷きを返しながら、イータはその見学者から目を逸らせなかった。アルファとは別の理由からだったが。

 結局二人は、彼が校舎に吸い込まれるように入っていくまで、ずっと見続けていた。



 校内に入って校長室までの間、見学者にとって驚きの連続だった。

 廊下の壁やガラスケースの中の至るところに、彼女——と誰だか分からない男が一緒——の写真を見つけた。

 正確に言えば、雰囲気は少し違う。

 だが、別人にしては彼女に似すぎている。


 功績を表彰された時の写真や、メダル、トロフィーが数多展示されていたが、殆どが彼女と正体不明な男の物だった。この二人は警察でいう相棒のようなものか。


 そのトロフィーの一つには『イヴ』という名が刻印され、その後ろには大勢の女性の真ん中で笑顔の彼女が両手を挙げている写真が額に納められていた。

 まだ十代と思しき彼女が、もしこれだけの賞を取得したというのならば、並大抵の人物でないことを物語っている。


「イヴ……。すごい人なんだな、君は……」

 彼が感慨深げに呟いたのは言うまでもない。


 幾つものドアの前を通過し、長い廊下の奥深くまで入ったところで、教務担当は立ち止まった。

「校長、お連れしました」

 扉横にあるモニターへ声をかけると、直ぐに返事があった。


 校長室の扉は他のドアより一際大きく、重々しい造りに見えたが、重量感を想像させることなく自動で開いた。とてもスムーズな動きで。

 扉の間から姿を覗かせたのはおそらく校長——アルファとイータの後見人——だ。


 初老かもっと上か……顔を覆う髭は苦悩の痕跡(あと)を隠しながらも威厳を加え、実際より齢を経た印象を与えていた。

 肉感のない細い両手は組まれてデスクの上に置かれている。その手にある細かな無数の傷を少年は見た。

 出迎えは酷く簡素なもので、少年は予想していた言葉が来るのを感じた。


「許可できない」

 やっぱり。まぁ、それも当然だ。

 毅然とした態度は崩さず、血の通わない肌に微笑を乗せる。


 対する校長は憮然としている。この眼はもう分かっている眼だ。

 そして、僅かに侮蔑の色を包含(ほうがん)しているのが見て取れた。

「きみはやつら側だろう?なぜ……」

 入学したいか?ハンターになりたいか?

 絶対に入学しなくてはいけない理由がさっき一つ増えたことで、自分のスイッチが入る音が微かに聞こえた。


 父はハンターだった。

 この学校で生まれ、育ち、……そして最期の時は、ぼくがそのそばにいた。

 それからずっと父を殺した悪魔(やつ)を探している。

 ぼくは幸運な事故によって吸血種となった。

 時間の概念から自由になり、あらゆる物理現象はより身近に感じるようになった。

 もはや、不可能なことといったら、変身や空中飛行くらいだ。


 さらに幸運なことに、ぼくはハーバード出身の医学博士でもある。

 絶対に、この学校の役に立つ材料(マテリアル)を提供できる。

 でも、やつらを狩るための情報が欲しい。

 ハンターの血族を重んじるというなら、ぼくにも権利はあるはずだ、というのがぼくの言い分だ。


 ‟血族“という言葉で言い淀んだのは、後ろめたさからだった。

 今のぼくの身体を流れるものは、とても血液とは程遠い分子構造のものだからだ。

 実際、自分の研究結果はとても曖昧で、——自分をこのように形容するのは不本意だが——ウイルスが生物か非生物かの議論をするようなものだ。

 今、ぼくの存在を証明するものは、この意思や人間の頃の記憶に他ならない。


 校長の考え込むような厳かな表情が、緩んだのが分かった。

 重要性と必要性は理解してもらえたのか。

「オースティンのことは残念だった。ここに長く在籍していたのは分かった……」

 それから、彼は信頼関係のことについて言った。

 全くもって賛同だ。

 そして、信頼に足る人物か見極めてから、だとも。


 期待に応える。

 考えるだけで胸が高鳴る!……ないはずの脈動を感じる!

 人間の名残だとしても、今はそれが嬉しい。

 まだ記憶に新しい彼女の姿が頭上に現れ、彼だけに眩い笑顔を見せる。

  少年はそっと微笑みを返した。


 校長と教務担当は、そんな様子を不安げに見つめていた。










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