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I.月のない夜

 

 闇に紛れてしまったなら、何も見えないと思われがちだ。

 でも、それをそのままにしておけないのが二人の性分。


 (もっと)も、これは両親の遺伝子から受け継いだものだろう。

 そして、それを仕事にし——それも両親から受け継いだものだが——今に至る。



 アルファは、日々鍛錬を怠らない。

 鍛錬に関してだけは余念がない、という感じ。

 あれこれ頭の中で思考を巡らせるよりは、身体を操る方が得意だった。


 素早い身のこなしは魔術か神業か、相手の攻撃はまるで彼を避けるかのように見えた。

 彼の持つ性質は、その動作ほどスマートではなかったが、外見に影響を与えることはなかった。


 柔軟でしなやかな長身にブロンドのミディアムヘア。

 妹と似た、すっきりとした穏やかな顔立ちを、ヘーゼルかグリーンか微妙な加減で見え方の変わる瞳が印象的に彩っていた。


 彼は己の内外を近づけるよう努力をしていたが、彼が装えば装うほど、イータを面白がらせるだけだった。



 一方、イータは、一見して分かるその美貌の他に、類まれな能力に恵まれていた。

 鋭い視点で物事を見る分析力と、見聞きした事を決して忘れない抜群の記憶力。


 軽い身のこなしが特徴で、常に変化に富むその動きは相手を翻弄する。


 緩くカールしたプラチナブロンドの髪をサイドに束ね、悠然と微笑む立ち姿は女神のようにも見えた。

 人間は神を模して創造されたというから、あながち間違いではないのかもしれない。


 アルファと同じ色の瞳には、神秘的な光を湛えている。


 共通点も相違点も等しく持つ彼らだったが、人に(あだ)なす存在は許容しがたいという精神は、一族の血の中に根付いていた。


 ()()()は、人を(あざむ)き、(そそのか)す。

 言葉巧みに欲望を植え付けることや、人の欲望を引き出すことに長け、気づかないうちに人間の欲望の奥底へ入り込む。

 そして、破滅へと追い込み、魂を貪る。


 ()()()のせいで知恵の実を食べ、楽園を追放された人間の話は有名すぎるくらいだ。



 二人が、米カルフォルニア州サクラメントにあるホテルを出た頃には、もう陽はだいぶ傾いていた。

 手掛かりなしに、暗闇でやつらを見つけるのは決して容易くない。


 そんな時、このタブレットが役立つ。

 表示されたマップに赤く点滅している箇所がある。場所は州立公園のようだ。

 包囲網が張ってある地域にやつらが出現すれば分かるシステムだが、学校から拝借したものだ。


 ここから州立公園へ向かうには車が必要だった。

 もちろん、ここまでも彼の愛車コレクションの一つを走らせてきた。


 黒のメルセデス、ゲレンデのハンドルをアルファが素早く切り返して停車させた時、淹れ立てのエスプレッソマキアートのカップを二つ抱えて、ちょうどイータが店から出てきたところだった。


「お待たせ」

 二人は同時に言い、微笑んだ。

 周囲には仲睦まじい恋人に見えたかもしれない。

 例え、臨戦態勢の二人でも。


「カフェイン多め?」

 アルファが受け取りながら尋ねる。


「プロテインの方がよかったかしら?」


「確かに」


 何気ない会話でも、二人からは高揚感が伝わってくる。


 たとえ相手がまだ見ぬ敵であっても、これから起きることは恋人との甘やかなひと時のような感覚だった。

 デートの準備は、いくらしても万全すぎることはない。

 ただし、目的は相手に好かれるためではない、当然ながら。


 車内には、Bluetooth経由の軽快なメロディーが流れる。

 ドラムのリズムに乗ってしばらく走らせると、小型タブレットの点滅が現在地に近くなっていた。


 二人は顔を見合わせた。

 車を停車させたのは、バーの前だった。




 赤いサテンのワンピースを纏った女性。

 彼女はデートのはずだったが、彼は現れないどころか、メールで別れを告げてきた。


 恋愛期間に於いての半年が長いか短いか、それは人によるだろうが、彼女は本気だった。

 それなのに……!


 彼女は失恋の痛手を紛らせようと、慣れない店に入った。

 注文に迷っていたところ、カウンターの男性にカクテルを勧められた。


 質の良いシンプルな黒いシャツの前を少し開け、上品な顔立ちにラフな笑顔を湛えたイングランド人だ。

 スコッチの入ったグラスを軽く挙げている。


 彼女は、自分好みの男性が目の前に現れたことで、これは神の贈り物だと感じた。

 それは確実に間違っていたし、悪魔はいつだって相手の望む姿で現れる。


 ただでさえ優しい言葉に弱くなっていた心を、彼は極上の甘い言葉で酔わせた。


 アルコールに頼るのは弱い証拠だと、母親に言われて育った彼女は少々気後れしていたが、

 それでも、酔いたかった。

 何もかも忘れたかった。

 本音を言えば、彼に酔いたかった。


 そんなわけで、身上の一部始終を話して聞かせた上、身体まで預けて彼女が店を出た時には、すっかり悪魔に都合の良い時間になっていた。


 男性は端正な顔立ちをした紳士然で、彼女の肩を支えながら優しく囁く。


 決して、彼女への同情でも好意でもない。

 これが仕事。


「……それじゃ、彼に復讐しようか」


 彼女の答えを聞いて、満足そうに微笑む。


「もちろん僕も手伝うよ」


 だが、店を出て数歩のところで何か異変を感じた。

 悪魔は人間の感情を匂いとして嗅ぎ分ける。

 そのため、向けられた敵意にも敏感だ。


 これが噂の……?

 地獄で聞き及んだことがある。


 ハンターの邪魔が入ることを想定しなかったわけではないが、快くはない。

 早く(サイン)を頂いて悦楽に耽りたかったのに。


 辺りを素早く見回すが、それらしき人間はいない。

 いや、この時間、この場所に似つかわしくない、明らかに未成年風の二人がいた。

 街灯に照らされた向かいの通りから歩いてくる。


 軽く失望にも似た気持ちで、どうしたものか、と考えを巡らした。


「あの少年を誘惑してもらえるかな」

 悪魔は彼女に囁いた。



 店に入れず、ただひたすら待つだけの時間に、二人は苛ついていた。

 アルファとイータだ。


 例の店から少し離れた場所に車を停めて、目立たぬよう見張っていたが、やっと出てきたと思ったら二人組だった。

 タブレットの点滅は一つ。


「同伴者は、()()()じゃないみたいね」


「どっちだ?」


 女性の方は酷く(だる)そうだ。

 紳士と何か言葉を交わし、こちらを見た。正確には、アルファを。


「間に合わなかった?」

 イータが言っているのは、契約のことだ。


 悪魔は本人の承諾なしに人間を操ることはしない。

 無法者のように見えても、最低限の制約には縛られているということらしい。


 契約を交わすのは人間の欲望を叶えるとき。

 もしサインを済ませていたら、その魂を救うことはかなり困難なことだろう。


 不穏なエネルギーを受け、街灯が不自然に明滅し、辺りが薄闇に包まれる。


 彼女が近づいてきた。


 そして、アルファに枝垂(しだ)れかかると、(にわ)かに両腕を彼の(くび)に回し、締め付けた。

 いや、おそらくそれは締めすぎだ。


 アルファは鍛錬の成果を見せて上手く避けると思いきや、彼女のキスを真っ向から受けている。


「アルファ?」


 イータが軽い驚きとともに聞く。

 表情は見えないがアルファは固まったままだ。


 害はなさそうだと判断すると、イータは悪魔を見据える。


 もう一方の男性。

 こちらは、黒煙を大きく膨らませ、空中まで巻き上げたと思うと、本来の姿——黒い翼を持った異形の獣——に姿を変えた。


 そして、頭上から燃えさかる炎のような瞳で()めつけている。


 形は人間に似ているが、全身は毛で覆われ、蝙蝠のような羽で空を扇ぐ姿は、地上の生物とはあまりにかけ離れていて、禍々しさを覚える以外ない。


 悪魔が腕を下した途端、絡まる蛇がうねりながら一直線に落ちてくる。


 イータは素早く後ろへ飛んで蛇を避けながら、ベルトから『ミカエルの涙』を数本抜いて着地と同時に投げた。


 学校の武器開発部の試作品、ペン型聖水瓶だ。

 大天使の名を冠した武器は、名前負けしない働きをするのか。


 それは、悪魔の毛皮の上で白い煙となって()ぜた。


 軽い火傷程度。

 後でそう報告書に記入しようとイータは考えていた。


 そして、もう一度。


 今度は顔めがけて投げると、白煙が悪魔の両眼を覆い、呻くような苦痛の声が漏れた。

 充分な隙だ。


 いつの間にか、悪魔の背後にはアルファ。


 手には分厚い金属で生成された(なた)を持ち、見事な跳躍を見せると、悪魔に切りかかる。

 アルファの着地する音に続いて、何かが落ちる音がした。


 薄闇の中、瀕死の蛇のように(うごめ)いている。

 それは尻尾だった。


 悪魔についての研究は未知な分野が多い。

 実体はあるものの、影のような存在だ。

 生死問わず悪魔を捕獲できたという話はあまり聞いたことがない。


 尻尾がエネルギー源だとフランスの童話にはあるが、その確証はなかった。


 だが、この悪魔は、低い嘲笑を響かせると黒い煙となって地に吸い込まれていった。


「逃がしたか」

 鉈についたものを振り落としながらアルファが言う。

 切り落としたものは跡形もなかった。


 黒煙の霧が晴れると、辺りは何事もなかったかのように人気の少ない通りに戻った。

 数メートル離れた場所には、深紅のワンピースの女性が。


 先程の軽い衝撃の対象にイータは視線を送り、それからアルファを見て、

「タイミングはステキだったけど、随分時間が必要だったのね」と言った。


「全くね。驚いたよ。やつらの力を(あなど)ってた。契約前でもあんなに効力を持つなんて」


 よく見ると唇の周りには激しく赤が滲んでいて、アルファの言う‟効力の強さ”を物語っている。


 仄暗い通りではあまり目立たなかったが、それを見てイータは可笑しそうだ。


「そのようね」「でも、どうして……」

 彼女から逃れなかったのか?


 アルファは、‟接触“する直前、彼女が 操られている状態(Manipulated State)——ハンターはMS(エムエス)と呼んでいる——なだけだと直ぐに分かった。


 多量のアルコールを摂取した彼女は、その匂いをほぼ全身に纏っていて、かなり正気とはいいがたかったが、その瞳の奥は彼女の魂が安定していることを示していた。


 道義上、MSの人間を攻撃することはできないが、充足感を与えることによって開放することは可能だ。


 アルファは彼女を抱き起こして言う。

「満足すれば離してくれるって分かってたからね」


 イータは目をぐるりと回して本音は飲み込んだ。

「そうよね」


 だが、アルファは、実をいうと自分も操られているかのように、身体の硬直を解けなかった。

 これは悪魔による呪縛ではない。


 単的にいえば、積極的な行為が苦手なだけだ。

 しかもアルファは、鍛錬でまだ習得していない分野、と考えていた。


「仕留められなかったのが悔しいな。尻尾の次は胴体にサインしてやるつもりだったのに」


「鉈で?そんなに器用だった?」


「扱いなら慣れてる」


「人間関係にも慣れる必要がありそうね、特に女の子の扱いに!」


 皮肉めいた言いようにも動じた素振りはない。

「解決には鍛錬あるのみ」


「鍛錬って、まさか鉈で解決するつもり?」


「まさか!鉈じゃないよ。新型の……」

 聞くのが怖い。



 ハンターの仕事は様々だ。 

 契約の予防・阻止

 地獄に帰す

 消滅させる


 人間の欲望を叶える代償として、悪魔は魂を要求するが、その遣り取りの際に必ず行うのが契約だ。

 これは、その人間が死した時、魂の行く先が地獄に限定されてしまうということで、回収は必ずしも即時ではない。


 一旦、契約を交わすと解約することは難しいため、その前に阻止することが必要だ。


 だが、予防は現段階では難しい。

 包囲網を張っている場所でしか探知できない上、彼らは神出鬼没で移動手段は追いにくい。


 関係施設は世界各地に用意されているものの、事前に阻止できるかはハンターの技量によるところが大きい。


 魔導書(グリモワール)には、多岐に渡る悪魔の召喚についての記載がある。


 魔女や魔術師を使役すれば、理論上、悪魔を地獄へ返送することも可能だ。


 学校にはもちろん、彼らの子どもも多く在籍していて、その力は武器開発などにも生かされている。


 ただ、一般的に彼らは悪魔を信奉しており、ハンターの協力者は限られていたいた。


 悪魔の消滅は、過去、ハンターが最も行ってきた仕事だ。

 方法は様々だが、『それにより、悪魔が繁栄を極めた時期は終焉を迎えた』と歴史の授業でも教えている。



 朝までは、まだだいぶ時間がある。

 女性に気付け薬で住所を聞き、家の前まで送っていく。

 彼女を守れたことに、二人は安堵していた。


 車を飛ばせば、軽く睡眠を取ってから登校できそうだ。

 タブレットを無許可で持ち出したことで、イータは少し気が重かったが、アルファは楽天的だった。


「ログをいじって、記録を書き換えたから大丈夫だって。朝イチで戻しておくよ」


 校舎の外では幾重にも結界が張り巡らされ、内部は生体(バイオ)認証(メトリクス)を主としたセキュリティシステムとIoT(アイオーティ)(Internet of Things)によって管理されている。


 様々な物や事の情報を数値化し、収集して可視化することによって、離れた場所の状態を察知したり、操作したりすることが可能だ。


 センサーによって、照明や空調、電子機器の類の制御はもちろん、人の動き、ドアや窓などの開閉、気温、気圧、騒音に至るあらゆる環境を把握することができる。


 デジタル音痴の()()()によるサイバー攻撃などありはしないだろうから、これは利便性を考えてのことだ。


 とはいえ、複数のセキュリティ管理者に、ファームウェアやソフトウェアのアップデートを適宜行い、型通りの対策は講じていた。


 無断で持ち出したタブレットもIoTによるものだ。

 ‟ログをいじる“には校長だけが持つマスターコードが必要だが、手に入れるのはアルファには造作もないことだった。






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