「9」
夏のはじまり
空は晴れた。
この村に入った時から丸一日。
雨宿りのために寄った宿に戻ると、 主が出てきて、二人を見た瞬間に化け物でも見たかのように悲鳴をあげ
「生きていたんですかい」
などと抜かしたたものだから、赤樫の堅い拳を顔面にモロに喰らう羽目になった。
「貴様、縫の事も含め色々知っていやがったな!」
赤樫の怒号が飛ぶ。
主は鼻血を噴き出しひぃひぃ泣きながら平伏して、宿をタダにしてもてなすゆえ、勘弁してくれと情けなく言った。
赤樫は私に目配せすると
「上手い方に転んだ」
と口をへの字にする。
今回は私も止めはしなかった。
主はいくらでも逗留してくれといっていたが、そのつもりがない私たちは、一晩だけそこで過ごして、次の日には旅立つことにした。
次の日。身支度を整えながら、
「今回のはやるせなかった」
と赤樫。
少ない荷物を詰めた革製の鞄を見つめて、私は訊ねる。
「縫さん?」
「あの女に限らずだ。クソつまらねぇ呪いの因果律に巻き込まれたばかりに、誰かが命を落とすのはやるせねえ」
苦い顔だ。
「呪いは解けるものなのでしょうか」
私の問いに
「さぁな」
と赤樫。
「俺達も他人事じゃあねえからな。こればかりは」
宿を出ると、既に日は高い。
村の札を抜けると坂道である。登りながらふと何かの声が響くのに気づいた。
その声の方へ顔を向ける。少し高い場所からお沙和さんが手を振っていた。
私も手をふる。
見れば、赤ん坊を抱いたお沙和さんの足元に仔犬が1匹尾を振りながらキャンキャン吠えていた。
「あれは!」
「疾風の仔らしいな。特徴がまるで同じだ。可愛いな」
伊三郎の顔全体が緩む。
それをみて三鈴も笑顔になった。
達者でなと叫ぶお沙和に二人は応えるように強く手を振った
2人は彼女に見送られながら歩き出す。
と、伊三郎がオイと私を呼んだ。
「なんです?」
「なんで縫なんだ」
エッと声を上げ眉間に力を集中させた。
「いや、折角 妖艶な美女とねんごろになれたのにやるせないのかなって」
「あぁ?!」
と伊三郎は顔をしかめた。
「冗談じゃねえ。ありゃあ俺も一瞬、そのなんだ、正気を失ってのことだぞ?大体あれだ。目の前で女が服を脱ぎ始めて踊るみたいに首根っこに絡みついてきたら、……なにもしないほうがかえってその…お、おかしいだろっ!お前もそう思わんのかっ?答えろっ」
"そういうことだから隙をつかれたんじゃないですか"と喉まででかかったが、言葉を飲み込んだ。
まぁ、実際、赤樫が一瞬でも惑わされたのも致し方ないかもしれない。
あの縫という女性は、お紗和さんの能力を凌駕するほど口寄せの血筋を色濃く引いただけでなく、相当 海尼僧 の影響を強く受け、海尼僧と記憶を共有していたのである。
そう、私と同じく、海尼僧に見初められたのである。
……そもそも、村で女三人舟を再開した際、因縁の強いお紗和さんとその子供を贄に差し出そうと、村で決定されたのが1番の悪いきっかけである。
そうして、村人たちにその出自・所在がばれ、縫は育ての父親を殺害されただけでなく、義母共に、舟に乗せられ 大時化の日に流されていた。
その時すでに縫は子供が腹にいて、それを三人目とした。
海尼僧ができた時の条件と重なったわけだ。
しかし、一つ違うことがあった。
その子供が女ではなかったこと。
しかし稀にみる霊力の強い子供だと悟った海尼僧と、既に海尼僧と記憶の共有をし、怨念に魂を絡めとられ支配された縫はとある邪悪な計画を思いつく。
子供を海尼僧の容れ物にする……。
縫は喜んでその契約を結んだ。
それゆえに、縫とおなかの赤ん坊である速太郎は救われる事となる。
海尼僧と魚女達に見送られ、海から戻ってきた縫は、魚女達を従え、圧倒的な力で村の男たちを制圧。
村を支配下に置くことに成功したのである。
海尼僧のお告げと、裸で巫女舞を踊り、色香に血迷った男たちを誘い出しては逆らうものは全て海尼僧と魚女達の餌にした。
……ところがほどなくして予想外の面倒が起きる。
実母のお紗和さんが縫を探して、村へ戻ってきたのだ。
母の霊力や運の強さや悟りの能力を縫は一目見て悟った。
……とんだ不穏分子だ。
縫は母との再会を喜ぶフリをし、速太郎を預ける顔をし騙すと、あの牢に閉じ込めた。
母は魚女にくれてしまおう。子供は間違いなく海尼僧の容れ物にする。事は粛々とそのまま進むはずだった。
しかしそこにさらなる奇妙な不穏分子が二人も嵐と共にやってきた。
そう、私達である。
二人を引き離して始末をつけようとしたのだろうが、我々の悪運の強さと能力が勝っていた訳だ。
私はそこまで思いを馳せ、空を見上げた。
入道雲がどこまでも高い空に向かって伸びて行く。
それはまるで、あの化け物のようなみたくれにそっくりだ。…いや、見た目だけではなく、実体があるようで全く掴めない、腹の中に何を隠しているか解らない所もよく似ている。
この村は、この後どうなるんだろう。
また同じことを繰り返すのだろうか。
それともあの怪異が居なくなった事で悪習をやめるだろうか。
でも、恐らくお沙和さんとあの子犬がきっと食い止めるだろう。
もう一度背後を振り返る。
お沙和さんの抱く赤ん坊の目が、一瞬キラリと赤く光った気がして足を止めた。
「オイ」
伊三郎に声をかけられる。
「どうした」
伊三郎の目が赤く光る。
嗚呼、そうだ。
私は
「なんでもないです」
と笑って
「先を急ぎましょう!」
と伊三郎の手を引いて先を歩き出す。
「おい、さっきの答え!聞いてねぇぞ」
「ええ?」
「誤魔化すな、お前だってそのなんだ、女に誘われて嫌って言えるかって訊いておるんだっ」
「もぉ、しつこいですよ!いいじゃないですかどっちだってっ!」
赤樫の手を放り出すと坂道を早足であがる。
「ったく!すぐ息切れしやがる癖に!」
伊三郎は大股で坂道を駆け上がり追ってきた。
……そう、きっと大丈夫。
信じてこの世を生き抜いて行くしかない。
我々の宿命だ、と何処までも広がる海を見つめた。
キラキラと輝く波間。
夏は始まったばかりだ。
「脱衣の村(了)」