「2」
稲荷遣、捕らえられるも、古い知人と再会すること
豪雨で見通しも危うい中で真っ白い人が佇んでいる。
雨の強さで気配が散漫して背後に立たれたことすら気付かなかった。
「通せん坊ですか」
大声で相手に尋ねた。予想はしていたが返事は無い。
私は更に気配を感じて周囲をみた。
白装束が増えている。
白装束は七人。完全に取り囲まれた。頭巾を目深に被っており、修験者に似たような身形だがどうも違う。じわじわと彼等は距離を詰めてきて、明らかに私を捉えに来ていると言った空気だ。
抵抗しても無意味だなと悟った所で彼等は襲いかかって来た。
「抵抗する気はない!手荒な事はやめろ!」
と訴えてみたが、男達は無視を決め込んで私を地面に押さえ付け縄で後ろ手に縛った挙句、目隠し猿轡までする始末だ。随分な事をしてくれる。白装束の男達は私を担ぎ上げると、豪雨の中をどこかへ向かって進み始めた。
現状、自由なのは耳と鼻と皮膚の感覚のみ。
ビシャビシャと雨水と土を泥じませ蹴立てる足音と、男共の荒い呼気、そしてこれは…潮騒。潮の香り。海の近くまで来たとみえる。そこに古びた木の香りがまじった。
扉を開けた時のギィという木の軋み。
と、同時に男達は無造作に私を放り出した。地面に叩き付けられた反動でウッと呻き声を漏らした私の腹に衝撃が走る。男の一人に蹴られたのだ。
その時だ。
奥から獣の臭いが鼻をついた。「がう!」と強い威嚇の声がして、男達はチッと舌打ちをするとその場をどやどやと去っていった。唸り声の主の鼻息と臭いが近くまで来た。クンクン鳴くと私の顔をペロリと舐める。犬だ。
と、そこで
「大丈夫かい、兄さん」
老女の声がした。
だが何処と無く聞き覚えのある声だ。身動きが取れずもがいていると肩を叩かれた。
「じっとしときな、今解いてやるよ」
目隠しと猿轡を先にとってくれた。割ときつく縛られていた為目が霞む。だがなんとなく薄暗さ以外に格子戸だと言うのは解る。声の主は縄をなんとか解いて自由にしてくれた。
「有難う御座います」
手を目に当て体を起こす。
「手酷い目に遭ったね、お互いに」
「そうですね」と声の主の方をみて、私もその相手もあっと声を上げた。
目が多少霞んではいたが見間違う筈はない。かつての私の主漆田源蔵邸で働いていた時の下働きの女性の顔がそこにあった。
「お紗和…さん…?」
「アンタ…まさか柏木のぼうやかい!?」
当時既に六十の声を聞いていた筈だから七十を超えただろう。
彼女は私の手を取り、擦りながらポロポロ涙を零した。
「あんた…よく生きてなすったねぇ」
「お紗和さんも…」
私は彼女の手に自分の手を重ねた。
「あんたが遣いに出された後、直ぐにあの空襲があってねぇ。あっという間に焼け出されて、あたしも結局この田舎まで戻ってくる事になっちまったのさ」
「そうだったのですか…」
「遣いに出された場所は知らなかったがあんたの事はずっと気に掛かってた」
「ありがとう…というか、ここはお紗和さんの故郷なのですか」
そうだと彼女は頷いて溜息を着く。
「けど…此処はろくな所じゃあないんだよ」
「まぁ大体察しは着きます。余所者に手荒い歓待ですしねえ」
犬が機嫌良さげにふんふん鼻を鳴らして擦り寄って来てズブ濡れなのを思い出した。
私は犬の頭を一度くるりと撫で、立ち上がると格子戸の近くへ歩み寄る。犬もてこてこ着いてきた。格子戸に手をかけ鎖でがっちり扉が封印されているのを見て溜息が出る。
「なんで我々は閉じ込められたのでしょうか」
「恐らく邪魔だとお告げがあったのさ」
「…お告げ?」
お紗和さんは頷く。その時奥で赤ん坊の泣き声がした。嗚呼とお紗和さんは奥へ行き、赤ん坊を抱いて戻ってきた。
「アタシと赤ん坊と犬」
お紗和さんは私を指さす。
「そして坊や、奴等はね、恐らくアタシらが邪魔なのさ」
「…それは…どういう」
「坊やの事はアタシャよく知ってるよ。アンタは所謂、違う世界を知り過ぎてた。漆田様はそういう連中をお傍に仕えさせてたろ。アタシもそう。元々は口寄せの家系さ。だから坊やが"昔と少しも見た目が変わってないのに奇妙な変化はしてる"のは直ぐに解った」
「やはり気付かれましたか」
私は俯くと溜息を着いた。
「だが性根は変わっちゃない。昔のまんまの坊やって事も解るよ。安心おし」
私は「有難う」と呟くように礼を言った。お紗和さんはいいのさと答え、泣きじゃくる赤ん坊を上手くあやして泣き止ませる。
その時だ。
不意に空気が澱み冷たくなる感覚に襲われ、私は背後を振り向いた。
外に白装束らしき影がひとつ、ふたつある。
しかし、先程の私に乱暴を働いた連中と何かが違っていた。刹那、お紗和さんが叫ぶ。
「目を見ちゃならないよ!坊や!」
ハッキリ視得たそいつは白装束とは言い難かった。白い布の様なものを被っているだけなのだ。顔の部分だけを少し開けているがその布の向こうの…顔があろう部分が真っ暗闇で、その闇からチカッと赤いふたつの光が揺れている。その瞬間背筋を悪寒が駆け抜けた。
「でやがったか」
私は格子戸の下半分に張られた板に身を隠すと、思案する。
あの化け物どもはなんだ…?
私の知る限り“妖怪”や“化物”と呼ばれる存在達には、そうなるに至るまでの、根源と要因が必ずあるものだ。
例えば“幽霊”などと一般で呼ばれる存在は、人が死ぬとその魂が現世に残る存在を指す。
幽霊になるに至る根源は「死」。要因は「念」。
“付喪神”などと呼ばれる存在は、年数の経った道具や自然物などに魂が宿る事を言う。付喪神になるに至る根源は「歳月」。要因は「宿」。
“妖怪”はそれらが組み合わされた存在といったところか。細分化は難しいところがある。
だが…さっきの白布。
“あれ”は明らかにそのどれでもない。
私と赤樫が島で体験した過去の事件の様に“人間が無理やり変質させられた存在”か。
それとも“完全なる異形の存在”か。
まぁ、一つだけ解っているのは奴等が邪悪で、人々に害を為す存在だという事だ。
「お紗和さん」
「なんだい」
「ここに閉じこめられたっていいましたよね?…そもそもここは何処なんです?」
「ああ、此処はね」
お紗和さんが天井を仰ぎみた。私も視線を上へ向ける。
「海に立つ巨大な岩の上に鳥居があったのには気付いてたかい?」
「ええ」
「アレの真下の洞窟の中にある社さ」
成程、崖の上にポツンと立つあの鳥居の本社はここという訳か。
が、直ぐに違和感に直面した。
「…祭壇もなにも無いですね…」
「そりゃあそうさ」
彼女は今度は地面を見つめる。
「この神社の神はこの下さ」
私が怪訝な顔をするとお紗和さんは地面を右足でドンと踏む。
「埋まってるんだよこの下に。神様なんて名ばかりの化け物の死体がね」
お紗和さんと私の目が合う。
「いいかい坊や、あの白い奴等の目を見たら行けない。海の底に引きずり込まれるからね」
「お紗和さん、アイツらは一体なんなのです?」
「…そうだね…どこから話せばいいのか」
そう言ってお紗和さんは深い深い溜息をついて、地面に座り込んだ。
改めて気付いたが床もろくに張っていない社とは名ばかりの漁師小屋である。
「あたしが村を出たのは三十の声を聞く前の事さ。本来のあたしの仕事はさっきも言うたが口寄せ。憑き物を祓うのを生業としていた」
「3」に続きます。