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「1」

旅路を豪雨の悪路に阻まれ怪異に遭うこと


その日は空がとても暗く、雲を刺す金と銀の光の筋が、より一層暗さを強くする感覚にさせる。

見るからに不気味にどよどよと膨れ上がった雲をみて、隣の男が呟いた。

「こりゃ…降るな」

私は頷く。

「雨の匂いする。早めに宿探さないといけませんね」

その言葉から程なくしてポツリ、ポツリと大粒の雨が私達の袖や襟を濡らしだす。

「降ってきやがった、走れ、三鈴」

「ええ、伊三郎」

私…"柏木三鈴(かしわぎみすず)"と 相棒の男、伊三郎…"赤樫伊三郎(あかがしいさぶろう)"は少し先に見える家に向かった。



少し坂になった先の街道の入口にある大きなその屋敷の軒下に私と赤樫は飛び込んだ。

途端、土砂降りになる。

「間一髪だな」

「少し濡れましたけどね」

「洗濯の頃合いだ、調度いいさ」

手拭いで顔を拭った赤樫は玄関の灯りの入る表札を見て言った。

「おい、三鈴ツイてるぜ。ここは旅籠だ」

「…本当だ」

私はそう言って一瞬で眉をひそめた。

「なんてツラしてんだよ」

「ココ…お高いんじゃないですかね」

赤樫が呆れて顔を歪める。

「金なら持ってるって言ってんだろ!どの道ただ雨宿りて訳にもな」


やおら戸を開けて「誰かいるか」と赤樫が中に向かって声をかけると、途端に中から初老の男が飛び出してきた。

「おまたせしまして」

玄関先で正座をすると深々頭を下げる。

「泊まりたい。2人だ。構わんか」

「へえ、へえ、勿論で御座います」


この男…赤樫伊三郎と、なんやかやで行動を共にして十年にもなるが、どうも軍人臭さが何処かでぬけない。今もこのやや居丈高な態度がもう少しなんとかならんものかと溜息をついた。

「なんだ、深い溜息なぞついて」

当の本人は丸でお構い無しである。


「別になんでもありゃしませんよ」

私のしかめツラにまたへの字口だ。

「お前はまた…そうやって…」

「そうやってなんです?」

「なんでもねえ」

ムッツリ口を閉じてしまった。

宿に着いて部屋に通されたなり険悪な空気である。

こういう空気は好きではない。


赤樫の言いたいことは解っている。

俺の稼いだ金をどう使おうと自由だろうが。そういいたいのだ。

ここ三年程定住をせずに、二人で放浪し各地を転々としているため、どうしても私は小銭の勘定にまでこだわってしまう。

だが軍人上がりで、種銭をもともと持っていた上に体力で仕事を勝ちとれる赤樫は金遣いが荒い。出が金持ちのボンのところもあって割と金の使い方に無頓着なのだ。明日の見えないその日ぐらしに不安を抱いて、つい口うるさくなってしまう私の気持ちも赤樫は分かっているだろうが、それでも思わず互いにムッとする。そのたびに同じ様な事で喧嘩になり、過去何度か揉めている。今回もなんだかそうなりそうな悪寒がして、私は黙りこくって外を見る。雨が強い。地面を削っている。


赤樫は空気に耐えられなくなったのか、頭をぐしゃりとかき混ぜると立ち上がり無言で部屋を出ていった。


取り残された私は暫く正座した膝の上に組んだ手をじっと見つめて居たが、馬鹿馬鹿しくなって天井を仰ぎ見る。そこから改めて通された部屋をぐるりと見渡す。…良い部屋だ。請求額を想像してげんなりした。どうせ赤樫は自分が払うという。折半にしないだろう。それもまたモヤモヤする原因だ。


窓に近寄り改めて外を見る。海が近いらしい。潮の香りが鼻をつく。

土砂降り雨のカーテンの視界の悪さを誤魔化そうと目を細めよくよく見てみると割と海は目と鼻の先の様だ。

だがそれよりも私が気になったのは、連なる木々のその向こう側にある鳥居らしき建造物であった。


元よりの性質(タチ)で鳥居の影を見てしまったら、居ても立っても居られなくなった。海が近い故、海神(わだつみ)信仰か。けれどなんだろうこの違和感。ゾワゾワと妙な感覚に囚われる。近寄らずに避けた方が良いのか。それともどうせ巻き込まれるなら調べておくべきか


私は部屋から出て玄関に向かう。長い廊下を行くと女の声が聴こえた。

ねっとりと絡みつくような甘えた声。玄関の脇の2階へ上がる階段の所にその声の主がいる。しなやかな黒髪と細腰。紅い唇。切れ長の目。浴衣から体の線がハッキリわかる。美女だ。


柱にもたれかかって女の話に耳を傾けているのは赤樫だった。高身長の男前だから放っておいても女が言い寄ってくる。私はチラとそれを横目でみて宿の主の詰め所を訪ねた。

「すみません、傘をお借りしたいのですが」

「ええ?この雨の中お出掛けですか?」

亭主は大層驚いたが、道で落し物をしたかもと伝えるとすんなり傘を貸してくれた。

番傘だ。久し振りにみた。最近は洋傘が多くなってきたからなぁと独りごちて玄関へ向かう。

私が傘を借り受けて来たのが目に入ったのだろう。伊三郎が声をあげた。


「オイ!三鈴!?おま…どこ行く気だ!?」

「すぐ戻ります」

「オイ!?ちょ、嘘だろう!?」

私はその声を背にして旅館の下駄を借りて外へ飛び出した。

まだ雨は強い。土を掘るほど。

雷も鳴ってないし今がチャンスだろうと戸を閉めて雨の中へ飛び出した。


歩き出してすぐに少し後悔をしはじめた。

この街道小高い坂道に沿って存在する。例の鳥居らしきに辿り着くには、脇道にそれても崖のような階段を降りるか見渡しのいい坂上の所へ上がらねばならない。

土砂降り、傘、下駄、ぬかるみ。我ながらバカバカしくなる。

赤樫に素直に奢られておけばいいのに、自分の稼ぎの採算が届かないことでつい意固地になってしまう。その意固地に何の得があるのか。妙な負の感情がぐるりぐるりと腹の中で暴れてどうにもこうにもやるせない……のだが……気を取り直す。探究心が勝った。


私は旅館の極々細い脇道に入り、手前の階段まで行くことにする。

木々の隙間を縫って向こう側、

「みえた…やはり鳥居だ」

だかその鳥居の向こう側には何も無い。

神社か仏閣でもあるのかと思った場所には何も無かった。


考えてみればやはり鳥居がある場所が奇妙だ。

海沿いの神社は必ず高台であるのが基本だ。それは海神信仰ではよくある話で、津波の際に高い所へ逃げる知恵を目に見えて解りやすくしたものだから。

…だが目の前の鳥居はどうだろう。

社も本殿もなく祠もない。


しかもあの鳥居…注連縄(しめなわ)…。海に向かってかけられている。

注連縄は基本的に人間の世界から神の領域である神社に入る場合、邪悪なものを防ぐために人間の世界の側に向かって張るものだ。社に向けたりなどしない。

もしかすると時化や津波や海難事故などの海や海辺で起きるの厄災を防ぐためのものか。


そこでふと嫌な感じを受け、ハッとして振り向く。


誰かに…視られている?!


土砂降りの音で気配が散漫しているが…。周辺を見回すが何も見えない。

赤樫の気配でもない。もし赤樫なら私と見て取ったら我慢出来ずに声を掛けてくるだろう。


恐らく。

これは警告だ。

瞬時に悟る。

私は鳥居に背を向け脇道を小走りに駆け出した。


…これはいけない。


時折寄せ来る波のようなざわめく感覚。


―…大きな怪異の前触れだ。


ここ二年程大きな怪異に遭遇せず、そこそこ落ち着いていたのに。私はぬかるむ地面に足を取られながら宿に飛び込んだ。



玄関の中に入って赤樫が立っていた辺りに目をやると、女と共に消え失せていた。部屋に帰ったのか?面倒事は避けられるならば避けたい。ましてや大きな怪異はできるだけ避けたかった。部屋にいるなら早く話をして雨がやんだらとっととこの土地から去ろう。そう伝えなければ。


気が急いていた。

この後、慌てて部屋に駆け込んでから物凄い後悔の念に晒される事になるとは露ほども思わず襖を開ける。

そこには赤樫の逞しい裸の背中があった。その向こう側に白い波のようなうねりが蠢いている。先程の女と気付くのに時間はかからなかった。


さっきまでの不安が一気に怒りに変化し、その怒りもあっという間に通り越して、飽きれて肝が冷えるに到る。

「三鈴!いやこれは違う」

何が違うのか。

言い訳をされる間柄でもないが同じ部屋を取って居るのにそこで女を連れ込む行為に腹が立つ。

報告もせず襖をピシャリと閉めた。


雨が強い。

だがもうそんなことはどうでもいい。

一刻も早く此処から消え去りたい気分だ。

思えば過去に赤樫とは何度となく似たような事で揉めた。だが時間が経つにつれそこは不可侵の条約めいた暗黙の了解ができあがって、そういったコトをするのであれば、ある程度の距離感は保てていた、それなのに。


―…何故今になって突然あんな無体を…?


そう思った瞬間に急激に頭が冷えた。


そう。そんな無体。

―…普段の伊三郎ならする筈がない。着いたなりの言い合いだとてそこまで酷いものでもなかった。そういえばこの村に入った瞬間に雨が降り出した。その瞬間から私自身の腹の虫がイラつき出した気がする。


イケナイ…これは罠か?私達を引離す視え無い力が働いた可能性が重々有る。


しまった、伊三郎と離れては行けないとあの鳥居が見えた時に気付いたので宿まで戻ったのに!


戻らなければ!

宿へ戻ろうと身を翻した瞬間に、息を呑み、その場に立ちすくんだ。



「2」へ続きます

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