表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

童話・児童文学風

そして王子は塔を出る

作者: 悠井すみれ

 ある王子が生まれた時、父である王は考えた。我が子には、何としても幸福な人生を贈ってやりたい。そのためにはどの神の加護を願えば良いだろうかと、王は頭を絞って悩み抜いた。

 勇ましい武神の祝福は、息子に勝利を約束してくれるだろう。でも、戦いだけを得意とする王は、短慮と軽んじられはしないだろうか。

 それなら、あらゆる謎を解き明かす知恵の神なら良いだろうか。いやいや、人は理屈によってだけ動くものではない。知恵も知識も、治世の助けにはなるかもしれないが、王が最も必要とするものかというと違う気がする。

 輝かしい黄金の神は、もっと違う。ただの民なら裕福な暮らしを望むのも良いけれど、上に立つ者の輝きは富や財宝によって得られるものではないはずだ。詩歌や絵画、芸術の神も同様に、その加護がどれほど美しくても尊くても、王に相応しくはないだろう。


 ああでもないこうでもないと悩んだ末に、王は閃いた。我が子に勝利も名誉も民の尊敬も約束してくれるであろう、素晴らしい神に思い至ったのだ。

 それは、物語の神だった。人の口から口へ、国も海も時も越えて、末永く語り継がれる英雄を見守る神。そのような英雄を愛で、加護を与えた者に物語るに相応しい人生を約束するという。物語の神の神殿に山のように積まれた書物は、その加護を得た者の人生を記したものだとか。神殿に収められる物語こそが、神の加護への返礼なのだ。


 供物を携え、神殿の床にひざまずいた王を見て、物語の神はそれはそれは喜んだ。我が子を捧げるという申し出に。後世まで伝えられる物語の主役にしてやって欲しいという願いごとに。


「なんて良い心がけ! それじゃあとびきりの加護をあげる!」


 物語の神は、麗しい少女の姿をしていた。その王が拝謁した時は、ということだけれど。人とは異なる時を生きる神々だから、見る者と見る時によって姿が違うこともあるだろう。


「波乱万丈に、苦悩も挫折もたっぷりと。手強い敵に卑劣な罠、許しがたい裏切り、何度でも乗り越えて私を感動させてちょうだい。結末は――決めない方が良いわね。その方が楽しむことができるもの。大団円に限らない、読む者が涙で(ページ)を濡らすような悲劇でも、心引き裂くような理不尽な結末でも。人の心を動かすというのは素敵なことよ。(わたし)でさえも魅了されてしまうのだもの」


 女神がはしゃぐ声を聞いて、王はやっと恐ろしい過ちに気が付いた。物語は幸せな結末で終わるとは限らない。むしろ、不幸な最期ゆえに名を遺す英雄も多いということに。けれど神に対して発した言葉を覆すことはもうできない。

 金の輿(こし)に乗せられて連れて来させられていた王子の枕元には、すでに一冊の本が現れていた。その本の表題は、「祝福された王子の物語」。その本に人生の物語を綴り、息絶える時には物語の神の神殿に納める。それこそが、王子に課せられた運命となったのだ。




      * * *




 朝、目を覚ました王子が枕元の本をめくってみると、それは前日と変わらず序章だけで終わっていた。つまりは、彼の父が物語の神に我が子への加護を願った場面、彼の人生の序盤の序盤までしか綴られていない。


「今日も、かあ」


 本の大半を成す白紙の頁を繰りながら、王子は軽く溜息を吐いた。毎朝のことだからそう大げさに落胆する訳ではないけれど、今日も彼の冒険は始まっていないらしい。生まれてこの方十二年というもの、小さな塔の中だけで過ごしているから、当然と言えば当然なのだけど。


 我が子可愛さに父がしでかしたのは、大いなる失敗だった。よくよく調べてみれば、物語の神とは物語を紡ぐのではなく、それを愛でる方だったとか。人に加護を与えるのも、物語のような栄光を約束するというよりは、後になってご自身が楽しむためのものらしい。そうと知って、父王のみならず民も家臣も青ざめた。だって、一国の王子を主人公にした物語だ。筋書きを盛り上げるために取りあえず、ということで、国に何かしらの災いが起きるのはとてもありそうなことだったから。

 彼が外を自由に歩こうものなら、何が起きるか分からない。壮大な物語は劇場や本として楽しむものであって、誰もその当事者になりたいとは思わない。父も、そもそもが息子を想ってやったことなのだし、彼が苦難の道を歩むことは望まなかった。

 そういう訳で、父王は彼のために頑丈な石造りの塔を建てた。最上階の王子の部屋の、その窓から望めることができるのは、都の街並みとその屋根だけ。下々で何が起きているか、どんな人が暮らしているのか、彼が知る術はない。外でどんな事件があったとしても、彼が関わることは許されないのだ。


「今日も穏やかな朝でございますな。大変よろしゅうございました」


 恭しく朝食の盆を捧げ持って現れた侍従を始め、彼に仕える者たちも年の行った男ばかり。侍女や小間使いを身近に置いて、王子が見初めたりしないように、という配慮だった。身分違いの恋など、悲劇の種でしかないのだから、とか。


「毎日同じじゃつまらないよ」

「学ぶことはまだまだ沢山ございます。書物に飽きられたなら、剣の教師も呼びましょう」

「外に出られないのに?」

「殿下は王になられるのですから。臣下の言葉を聞き分けるご見識は身に着けていただきませんと」


 これも毎朝決まりきったやり取りに、王子は唇を尖らせる。手足も背丈も伸びて、力も強くなってきた彼に、この小さな塔は狭すぎる。国のため父のためとは分かっていても、外の世界に憧れる想いは少しずつ抑えがたくなっていたのだ。


「でもさ、物語の神はお怒りにならない? 面白い物語が読みたくて僕に加護をくださったのに。何もしないままじゃ、父上やこの国に悪いことが起きたりしない?」

「生涯を塔の中で過ごし、ひとところにいながらにして国を治めた王の逸話は、それはそれで珍しく興味深いものになるでしょう。物語の神も、きっとお気に召していただけることと存じます」

「そんなの、僕が気に入らないよ!」


 思わず王子が叫んでも、侍従にとっては子供の我が儘でしかないらしかった。頬を膨らませる彼にただ微笑んで、朝食を置いて退出してしまったから。早くお仕度をなさいませ、と言い残して。

 仮にも王子に出す食事だし、塔の中にも厨房はある。だから、パンもスープも温かく、上質の材料をふんだんに使った贅沢なもののはずなのだけど――彼の舌に、ろくに味は感じられなかった。退屈な日々はもう嫌だ、神に託された物語の続きを綴りたいという気持ちが強すぎて、王子の胸を塞いでしまっていたのだ。


 神の怒りが恐ろしい、というのは取って付けた口実だった。王子は、物語の神を愛し、恩を感じてさえいたのだ。もちろん、彼の閉じ込められた境遇は、かの神の呪いにも似た祝福のせいではあるのだけど。見るものも聞くものも代り映えのない毎日の中で彼を慰めているのは、ほかならぬ物語の数々だった。

 怪物退治に、異国への旅、未知の人々や不思議な出来事との出会い。火を吹く龍に、陽に透ける羽根が美しい妖精たち。七色に輝く宝石の花、背に島を載せて泳ぐ巨大な魚。それらは地上のどこかに本当にいるのだろうか。それとも、地底や天上、どこか別の世界に行かなければ見つからないだろうか。

 窓に切り取られることのない満天の星空、あるいは晴れ渡る青い空。草原を馬で駆けるのはどんな気分か、海の大きさとは、潮の香りとはどんなものか。塔の中で得られる文字の知識だけでは物足りない、五感で、世界を知りたいと王子は考えるようになったのだ。


「物語の女神さまに、僕の話を差し上げるんだ」


 味気のない食事と一緒に、王子は誰にも聞かれてはいけない独り言を呑み込んだ。




 王子は、少しずつ準備を始めた。彼を見張り見守る教師や侍従の目を盗んで。


 シーツの端を細く裂いては編んで、ロープを作る。ベッドを整える召使いに気付かれないよう、少しずつ。できたものからベッドの下に押し込んで隠して。

 それから、ふわふわのパンには飽きたと言って、固いパンを焼かせたり。本で読んだ干した肉が食べてみたいと言って取り寄せさせたり。もちろん、出された時に食べるだけでなく、こっそりと服の下に隠しておくのだ。日持ちする食べ物は旅で役に立つはずだから。

 武器は、彼は良いものを与えられているから心配ない。こっそり持ち出せるのは短剣くらいの大きさまでだろうけど。でも、彼は筋が良いと教師たちは褒めてくれている。柄を飾る宝石も、きっと困った時の助けになるだろう。


 決行の時は、新月の夜だ。星の灯りだけを頼りに、闇に紛れて、彼は自分の物語へと歩み出すのだ。

 ベッドに枕を丸めて、彼ひとり分の盛り上がりを作っておく。傍目には大人しく眠っていると見えるように。窓を開けて下を見ると、底なしの闇に心臓が縮む思いがするけれど。でも、空を見上げれば、煌く星のひとつひとつが彼を励ましてくれるかのよう。だから、あの星々をもっと広い空で見るんだ、と自分に言い聞かせて、王子は窓枠にお手製のロープを結び付けた。しっかりと解けない結び目も、本で学んで知ったこと。彼が読んで憧れた物語の主人公たちを真似てみたのだ。ここでも彼は、物語の神の加護に背を押されている。


「いよいよだ……」


 ごくりと唾を呑み込んで、密かに集めた荷物を背にしょって――彼は、窓から身を乗り出した。


 窓の外のはるか下から、どさり、と鈍い音が聞こえた。クッションを丸めて押し込んだ布袋が、地面にぶつかったのだろう。その音を聞くと同時に、王子は扉の陰に身体を隠した。


「殿下? どうなさいました……?」

「物音がしたようですが」


 音を聞きつけた見張りが駆けつける声と足音を聞きながら、王子は物陰でうるさいほど高鳴る心臓をぎゅっと抑えた。

 ロープで壁をつたって地上まで降りる、なんて彼にできるはずがない。落ちたらそこで物語は終わってしまうし、途中で見つかれば下についた途端に捕まってしまう。だから、彼は囮を使うことにしたのだ。力はなくても知恵のある主人公たちは、誰でも策を練るものだから。


「殿下がいないぞ!」

「窓だ! 外に出ようとなさったのか!」


 ベッドにいない彼に、窓に結ばれたシーツのロープ。それを見れば、見張りの者たちが何を考えるかは明らかだ。ロープをたぐり、窓から乗り出して闇に眼を凝らし、あるいは下で彼が降りてくるのを待ち構えようと浮足立つはず。塔の壁を照らすために、大掛かりな松明も必要だろうか。とにかく、誰も王子の部屋には見向きもしなくなるだろう。


「落ちたら大変だぞ……」

「皆を起こせ! 早く見つけないと!」


 ほら、思った通り。扉の陰で息を潜める王子に気付く者は、誰もいない。寝具をめくって、そこにいるのが王子ではなく丸めた枕だと分かると、見張りの兵たちは押し合うようにして部屋から飛び出していった。後は、彼らの後をつけて塔から出ればこちらのものだ。王宮の敷地を抜けて、街へ、さらにその外へ。広い世界へ。どこまでも自由に駆けて行こう。

 王子の心臓が弾むのは、今や緊張のためだけでなく、期待によってでもあった。もうすぐだ。もう少しで彼の物語の第一章が始まるのだ。背にしょった荷物の中には、物語の神から授かった本も入っている。父たちが捨てようと埋めようと必ず彼の元に戻ってきて、炎に燃え尽きることさえなかったという本だ。旅立つ時には、必ず連れて行ってやらなければ、と決めていた。


 丸い塔の内側に、らせん状に巡らされた階段を駆け下りる。血相を変えて行きかう兵や侍従たちと鉢合わせしないよう、十分に気を配りながら。これまでは彼の世界の全てだった塔の中だから、王子は扉や通路の配置も知り尽くしている。最上階では窓から見えるのは星だけだったのが、やがて木のこずえも見えて、地上が近いと教えてくれる。王子の心臓はますます高く早く打って破裂しそうなほど。

 重く頑丈な木の扉が現れた。あれこそ王子と外を隔てる最大の難関、塔の出口となる扉だ。彼を探す人の出入りが激しいから、ひっきりなしに開いては閉じて――否、今なら閉じている時間の方が短いくらいだ。


 今しかない。


 覚悟を決めると、王子は物陰から飛び出した。大柄な兵士の影の中に潜むようにして。大人に比べれば小さい彼がいることに、騒いでいる者たちは気付いていない。石の床を蹴って王子は跳ぶ。前に出した足は、土の地面に着地した。ついについに、彼は塔の外へと第一歩を踏み出した。その感動に涙ぐみそうになりながら、王子は二歩目、三歩目のために足に力をこめる。だけど――


「従者が何をうろうろしている。王宮へ、陛下をお呼びしろと言っただろう」


 上から伸びてきた手に襟首を掴まれて、王子の足は宙に浮いた。顔を隠すために被っていたフードもあっさりと剥がされて。王子は、驚きに目を丸くした兵と正面から顔を合わせることになってしまった。


「これは、殿下……!」

「なんと、どうしてこんなところに」


 兵に侍従、召使い。塔の入り口に、沢山の者たちが集まってきた。王子の身体が小さくても、もうすり抜ける余裕などないほどに。そもそも、最初に彼を捕まえた兵の腕の力は強くて振りほどくことはできなかった。


 王子の旅は、たった一歩で終わったのだ。




 塔の上の部屋に連れ戻された王子は、父である王と母である王妃にひどく叱られた。時に怒鳴られ、時に涙まじりに懇願されて、王子もとうとう泣き出した。両親が彼を閉じ込めているのは、彼を心配しているからでもあるのだと、改めて突きつけられた気がしたのだ。


「父上、母上、ごめんなさい」


 涙を拭いながらぽろりと謝罪の言葉を零れさせると、父と母は両側から王子を抱きしめた。


「そもそもは私が間違った加護を願ってしまったからなのだ。本当に、すまないと思っている」

「でも、貴方に苦労をさせたくないの。お父様とお母様を心配させるようなことは止めてちょうだい」


 両親の愛情と不安を感じてますます涙をこぼしながら、王子はごめんなさい、と繰り返した。でも、もうしません、とは言えなかった。ふたりや塔の者たちを心配させるのは本当に悪いと思うのだけど、塔を飛び出した瞬間の興奮も、一歩だけ踏んだ外の大地の感触も、忘れることができなかったのだ。

 けれど、彼が再び塔を出ることができる日など来るのだろうか。脱走未遂に恐れおののいた父は、しばらくは塔の中でさえ王子が自由に入れる場所を制限すると申し渡した。見張りの者たちも、今まで以上に用心を怠らなくなってしまうだろう。子供の王子が彼らを出し抜く隙など、また見つけ出せるだろうか。


 両親を悲しませたこと、これからの囚われの日々を想って泣きながら、王子はその夜眠りについた。胸の痛みで眠れるかどうか分からないと思っていたけれど、疲れ切った身体を柔らかいベッドにうずめると、心もあっさりと夢の国へと引きずり込まれていった。とはいえ、今夜の事件の後では、楽しい夢など見ることはできなかったけれど。


 実際、翌朝王子が目覚めた時は、頭も心もずっしりと重いままだった。泣き腫らした目をこすりながら、それでも、毎朝の習慣で王子の手は例の本へとのびる。こっそりまとめた荷物は取り上げられたけど、物語の神から授かった本はいつもの場所へ戻されていたのだ。

 今日もいつもと変わらない。物語は始まってさえいないまま。彼の本の頁が埋まることは、この先もずっとないのだ。そんな暗く悲しい気持ちで、王子は本を開いた。何百回と読んだ、父と物語の神のやり取りをぼんやりと眺め、続きのないはずの頁をめくると――


『王子を心配した王は、高い塔を建てて息子をそこに住まわせました。物語の神が約束した、波乱万丈の人生から王子を守るために。十二歳になった王子は、でも、外の世界の憧れを募らせて塔から出ようと計画を始めます』


 ほんの短い文章だった。王子の悩みや工夫や計画、昨夜の騒ぎも涙も数行の文章にまとめられていた。でも、物語は確かに進んでいた。彼が考え抜いてやったことは、間違いでも無駄でもなかったのだ。


「……次こそは」


 悲しみと絶望に塞がれたようだった胸の重さは、瞬時に溶けていた。少しだけ中身を増した本を抱きしめて、王子は小さく、けれどしっかりと決意を込めて呟いた。次こそは、もっと長い冒険を、もっと胸躍る物語を。彼の手で紡いでいくのだ。


 王子の耳に、どこからともなく少女の高い笑い声が聞こえた気がした。物語の女神も、きっと彼の紡ぐ物語を楽しみに待っているのだろう。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] いつかタイトルが現実になるんですね
[一言] タイトルを含め、物語の始まりを思わせる素敵なお話でした。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ