第95話 暗殺者、誤算
それは深い深い底の見えない黒の色。
禍々しく波打ち、中央に立つ子供は神々しく、人の世に在らざる印象を与える。
その黒はまるで他のすべての色を喰らっているかのように少しずつ侵食し、銀髪の子供だけは、ただそこに鎮座した。
彼らはこの異様な光景に気づいた瞬間、二種類の行動に移った。
長年培ってきた人殺し経験から導き出した、自身と相手との戦力差に気がついたのだ。
一方はナニかを恐れて攻撃した。
一方はナニかを怖れて部屋から出ようとする。しかし扉は堅く閉じられており、出ることなどは叶わない。
ウェンズデイを閉じ込めるために作られたダイニングルームには窓は無く、もっぱら檻の中と同じである。
逃げられないのがウェンズデイではなく、自分たちであると気づいた時──既に結末は決まっていたのだろう。
「ヨウカ、任せる」
全身鎧の剣士が頑強な鎧の重さを感じさせないほどの速さで、間合いを詰める。
勢いのまま電光石火の如く、迷いのない動きで剣を振りかぶった。
───その時、黒の中から美しき配下が音もなく現れる。
黒鎧に身を包んだ美しき女性、しかし人間などではない。
髪は燃えるような炎の赤。瞳は深海のように青かった。
鎧には翼が生えており、飾りなどではなく身体の一部として動いている。
そんな女性が剣での一閃を人差し指と中指で、挟んで止めた。
まるで煙草でも持つかのように挟まれた自慢の名剣は、まばたきする間に持ち主を失う。
続いて攻撃せんとする他の者たちは立ち止まった。
赤い髪をした女性の両脇に、屈強な犬人が現れたからだ。
彼らは、そして依頼主は間違えていた。
暗殺者や殺し屋は正面から戦うべきではないのだ。
それでも、ウェンズデイを殺す依頼だと知っていれば、誰も来なかっただろう。
依頼主が考え抜いた策が今のこれだった。
多数の暗殺者や殺し屋を呼び集め、同じ部屋に入れる。
全員を一部屋に入れて金額を言うことで興味を引き、逃げられない状況を造ったうえでの、同じ部屋にいる標的への暗殺依頼。
食事にも毒は入っていなかった。食べるはずがないからと。
痺れ薬でも入れておけば、結果は変わっていたかも知れない。
それでも、すべての選択をミスしてしまった依頼主の依頼が、成し遂げられるはずがなかった。
(ウェンズデイなら、この程度の敵に負けない)
(ウェンズデイなら──!)
ある者は美女によって切り裂かれた。
その黒く染まった鋭き爪には、ただの鎧では裸も同然であったのだ。
ある貴族のような者は逃げようとして、他の者を突き飛ばしたところで武骨な剣によって串刺しにされた。
ある斧使いは犬人二体の身体を横凪ぎに切り飛ばした。
しかし犬人は次々と黒の中から現れて、彼は彼らの中に消えていく。
ある者たちは召喚者であろう少女を狙った。
だが、黒に足を踏み入れた瞬間、黒とは対極の白が眼前に現れる。
攻撃のことごとくを身を盾にして護り、あらゆる武器を、魔法を受けてもかすり傷すら負わせることが出来ない。
白は壁となり、部屋を二分した。
死と生の空間に──。
次々と現れるコボルトの波に飲み込まれていく暗殺者たち。
ある娼婦は突き飛ばされて尻餅をついていた。
そんな彼女の元へとコボルトたちが道を作って通したのは、黒鎧の美女だ。
娼婦は涙を流した。化粧が崩れてもかまわないと大粒の涙が流れる。
「今後一切、あのお方を狙わないと誓います! お望みでしたら、なんでもいたします。殺さないで下さい」
必死の懇願に対してただ一言、「いいですよ?」と美女は言った。
娼婦の顔は晴れやかになる。しかし、
「では血を少しだけ、吸わせて貰いますね」
「え?」
彼女が気がついた時にはその首筋に牙が刺さっていた。
鋭い痛みが走ったが、すぐに口が離れる。
娼婦の女は微笑んだ。
(助かった……えぁッ?!)
助かったのだと安堵した。
しかしそれも一瞬のことであり、次の瞬間には全身に激痛が走る。
焔のような髪が揺れた。
恍惚の表情の口元には鋭い牙が。まるで毒蛇のような牙には、実際にレンオアムの力が宿っている。
娼婦は激痛に苛まれ、のたうち回り、持っていたナイフで自刃した。
「うふふっ」
黒鎧の美女はその様子を心底楽しそうに眺めて、ハッと気づく。
私の姿は見られていないだろうか、と。
そして安心したように微笑んだ。
白い巨獣が伏せて壁となっている今は、こちらの光景は主には一切見えていなかったのだから。
そんな中で空色の古くからの友人がわざとらしく、身体の半分を物陰から出している。
こちらを見ているので、いたずらっぽく首をかしげるとサッと瓦礫に隠れた。
ささいな出来ごとが終わると──辺りは赤で染まっている。
炎のような赤ではなく、血潮の赤だ。
その中でもひとり、生きている者がいた。老婆の侍従をしていた少女である。
さぁ引き裂いてしまおうと近づいた時、呼び止められた。
「その娘って暗殺者じゃないでしょ? 殺さなくても良いんじゃない?」
吐き気がするほどに、甘い言葉である。
「主さまのご命令なら……」
「ありがとうございます! ありがとうございます!」
感謝の言葉を伝えながらひざまずいた少女は、拝むように近づいていく。
そして、スカートの中からナイフを取りだし───気づいた時にはその場にいなくなっていた。
白い巨獣が天井を壊しながら食らいついたのだ。
「あ……危なかったぁ」
「主さまは優しすぎます。一度でも歯向かえば、許すことなど無用です」
「ピィ! ピィピィ~ェ」
「ソラ、それを言わないで欲しいんですが」
なにやら言い合っている。
ソラはヨウカが何かをやっていたと言っているようだ。
しかし言葉がいまいちわからないので気にするのをやめて、彼らを撤退させると扉へと向かう。
敵対者たちは全員死に、残った人はボクだけ。
悲惨で凄惨な光景ではあるが、不快感はなかった。
こんな光景は、大戦中に幾度となく見ている。




