第8話 元勇者、歌を聞く
村を出て、既に一時間。
一人と一匹は、レティアへの道を進む。
オッロさんを含めた村の人々は、まるで我が子の出征かのようにあれこれしてくれた。
武器もあるしお金もあるので、昼食としてのパンをくれたり、迷子にならないように、と地図で道を教えてくれた。
困ったら戻ってきて良いとも……言ってくれた。
(本当に──本当に、感謝しかない)
首都の玄関口と呼ばれているだけあって、ミッケ村から進んでいく道は間違えようもないくらいに一本道だ。
地図を見せてくれた時にも思ったけれど、迷子になんてなる筈がない。
川の流れを見ながらソラと歩いていると、
「おーい、乗っていくかい?」
声をかけられた。
振り向くと、荷馬車が後方から来ている最中である。
馭者をしている農民風のおじさんは、優しげに笑って麦わら帽子を挨拶がてらに振っていた。
「いいんですか?」
「じゃがいもを積んでるから、土臭いのを我慢してくれるなら、ね」
荷台には沢山のじゃがいもが載せられているが、座る場所はまだまだあるらしい。
ボクはおじさんの言葉に頷くと馬車に近づいた。
「全然おっけーです。じゃ、お願いしま~す」
ソラを抱いて後ろに行くと、馭者のおじさんが二度見していた。だが気にしない。ボクが。
よっと荷台に上がる。
そこには二人の先客がいた。
一人は吟遊詩人のような若い女だ。羽根を差した帽子、膝の上にはリュートとくれば間違いようもない。
もう一人、男性は冒険者だろうか。
「こんにちはー」
ボクの挨拶に二人はわずかに頷いて返答とする。
ぽろろん、なんて音をリュートが発すると若い女は優しげに笑った。
「ねぇ私は吟遊詩人なの。……まぁ新米なんだけどね。何か聞きたい曲とか、あるかしら?」
彼女は明らかにこちらを見て言っている。
スライムを抱いた銀髪の少女──に見える男の子であるボクに興味を持ったのかも知れない。
おそらく演奏後に、対価としてボクの生い立ちなんかの話を要求する気だろう。
吟遊詩人とは、そういうものだ。
「えっとボク、詩とか曲の名前、あんまり知らないので」
『ピィピィピィッポ』
「あっ、ピィピィピィッポってのありますか?」
「聞いたこと無いけど……。それにしても鳴くスライムなんているのね、すごいわ」
乗客も馭者も、驚いている。
冒険者風の彼も鳴くスライムを知らないのだろう、目を見開いていた。
そんな中で吟遊詩人の女は口元に手を当てて、
「じゃあ一番人気の、勇者と英雄の物語詩にしましょうか。──手前、まだまだ若輩ですがどうぞ楽しんでいただけますよう」
口上を終えると軽やかな音色と声が響いた。
「はるか遠い日には、レシアもただの人であり。かの者は家族を失い、魔王への復讐を決める」
それは初めて聞く物語詩であった。
しかし馭者のおじさんも冒険者風の男も、何度も聞いたことがあるのか、所々のフレーズを口ずさみ、微笑んでいる。
というか、ボクは魔王への復讐のために戦っていたわけではないんだけど。
「〈白銀の騎士〉オーリン」
それは東の大陸において、誰しもが知っている物語詩であった。
老いも若いも、男も女も、それこそ産まれたばかりの赤子ですら知っているかのように。
「〈異邦の赤鬼〉ナツユキ」
「〈深緑の弓姫〉フローレア」
「〈忠義の剛槍〉モル」
「〈深淵の魔女〉アルカ」
「〈聖域の奇跡〉ユーア」
「はじまりはバラバラであった英雄たち。それでもかの者たちは集う、運命に導かれ──勇者の元へと」
吟遊詩人の女は力を込めて歌う。
魔族の軍団に囲まれた七人が、必死に戦っている場面を。
吟遊詩人の女は楽しそうに歌う。
神より与えられし聖剣を振るった勇者によって、劣勢だった戦況が逆転する場面を。
ボクにもその姿が目に浮かぶようだった。
でも──
(ボク、盾使ってたから、そんな活躍してなかったんだけど……。そもそもフローレアがいるから囲まれないし)
悪という概念そのモノのような軍団は倒された。
勇者たちは、言葉にするのも憚られる醜悪で淫靡で堕落的な魔族どもを倒し、どの国も、そしてどの王も、どの民だって、皆が一様に信じなかった奇跡を起こす。
遂に、魔王城へと攻め込んだのだ。
「悪の権化たる三騎士。勇者一行を阻むは──魔王の腹心にして悪逆の魔人。〈不滅〉のロザリンド、〈黒姫〉ヨウカ、〈邪竜〉ラーザス」
『ピピピィ』
ソラはまるで笑っているかのような声で鳴いた。
聞いたこともやったこともない戦闘が、吟遊詩人の口から語られていく。
そして、
「激戦に次ぐ激戦。勇者さまを狙う淫靡な罠は、されど正義の前に屈し──そうして三騎士を討ち滅ぼした七人は、遂に魔王と相見えた」
楽しそうに笑っているのはソラだけであり、馭者も冒険者も、そして歌っている吟遊詩人までもが怒っているようだ。
ソラの相づちのような笑い声が原因、というわけではなく、ただただ何かに怒っているかのようで──
「それこそは世界中の罪と汚物を集めたかのような異形。肌は廃屋の土壁、髪は牢獄の蜘蛛の巣、目は泥沼を這う蛭、醜く肥太った身体は目にも毒。これこそ魔王、ミカゲなり──」
『………』
馭者と冒険者の貶すような笑い声の中、ソラは縮こまったように丸まり、コロンと転がった。まるで魂が抜けたかのように。
「〈救世の英雄〉偉大なるレシア──彼の、偉大なる勇者のおかげで今の世界がある! 邪悪なる魔王は死に、勇者も死んだ……。されど万民よ、悲しむことは無い。勇者さまは再び舞い戻られたのである! レステンシアさまに栄光あれ!!」
「万歳!」
「万歳ッ!」
「ば、ばんざい……」
それからはこちらの番だった。
記憶喪失の銀髪の少女が世にも珍しいスライムを連れて、思い出と家族を探す旅をしている。
断片的な記憶を頼りに何とか故郷まで戻ると、通りに許嫁の姿があった。
声をかけようかと迷っている時、後ろから彼を呼ぶ声が聞こえる──。
それは親友である少女の声だ。
すれ違う肩と肩。
幼き頃の思い出が、浮かんでは涙と共に流される。
親友の少女は彼の元に駆け寄ると手を繋ぎ、談笑を始めた。
雑踏の中から声が聞こえる。
──明日の結婚式が待ち遠しい。
困惑し、目尻に涙を浮かべる銀髪の少女。
許嫁の男と親友であった少女の背中だけが、ゆっくりと人混みに消えていく。
崩れ去るように膝を折った少女の涙を拭ったのは、スライムだった。
「──こんなのでどうかしら? ありがとう。本当にありがとう。あなたのおかげで、私にもオリジナルの物語詩が書けそうよ!」
「……うん」
馭者と冒険者の二人は泣きそうになりながら「旅の足しにしてくれ」、とお金をくれた。
いや、ある程度の状況は話したけれど、いま明らかに創作されていただろう。ボクはその言葉を飲み込む。
揺れる荷馬車、その荷台は悲しみに包まれている。
(この話が広められるのは、嫌だなあ……)
銀髪の少女も、魂が抜けたかのようにコロンと転がった。