第46話 元勇者、出陣す
当初の作戦は既に破綻していた。
予定では目標の発見後、隊を二つに割って挟撃することになっていた。
しかしこの季節外れの霧、もはや濃霧と呼ぶのが正しいであろう白いヴェールによって、すべてが破綻したのだ。
なにも見えず、どこから来るかもわからない敵に蹂躙されるしかなかった。
そこでターヤはひとつの命令を出す。
はぐれて姿の見えない若手たちと負傷者を退却させたのである。もちろん帰れる保証もなければ、背後から狙われる危険もあったのだが。
「──ここよりはマシでしょ」
などと剣を振るいながら、退却するように大声で叫んだ。
無事を祈りつつ、彼らを帰してから一時間ほどが経過した。
残った周囲の兵を集めて防御陣を組んでいるため、犠牲者は増えていない。
一ヶ所に集まって盾と槍で防いでいる兵士たちの練度はなかなかのもの。
だが、だからこそ、攻めに転じることが出来ずにいる。
こうして防御しているときに、騎兵が敵を攻撃するのがセオリーだから。
そこで代わりとして冒険者が時おり陣から打って出る。
今までに十数頭は敵を殺したが、肝心の『イナガミ』の姿が見えない。
「おう、ターヤよ。次は俺たちが行くぜ!」
「グラハイム、酔って剣が振れないんじゃない?」
「言ってろ。俺は酔えば酔うほどつえーんだよ」
「あら、昨日レインに飲み負けた人が言う台詞なの?」
「へんっ、こ、今度は負けねぇ……。──よし、行くぜ!!」
盾の壁が開き、そこからグラハイムを先頭にして冒険者十名ほどが突き進む。
彼らが霧に消えると城門が閉まるように、盾は再び合わさった。
と、そんなとき。
──トスッ
などという軽い音が背後から聞こえた。
まるで綿の塊を落としたようなふわりとした音。
そして音に似つかわしくない、風圧。
ターヤが背後を見ると、そこには──白い獣が立っていた。
屈強な四つの脚を使ったのかプランをはじめとしたブラックホーン三頭が倒れている。同様に数人の冒険者たちも。
唖然としたターヤが仲間に知らせようとしたとき、
『フォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!!』
という、空まで届くような声が鳴り響いた。
◇
ベルンの街は喧騒に包まれた。
人々は我先に通りを駆ける。
押しのけられて転び、涙する子どもがいる。
慌てて買った食糧を抱えるように歩いて、地面にばらまいている者がいる。
城門という守りがあっても恐怖は伝播し、なかば半狂乱の様相を呈する。
そんな人々のあいだを、縫うようにして進む銀色があった。
『ピィ?』
「別に逃げてるわけじゃないよ。今のボクは弱いから、準備がいる。リーネも言ってたじゃん、無謀と無策は勇気じゃないんだ」
『ピピピィッ』
楽しそうに鳴いているソラを抱いて、ボクは目的地を目指して駆けていく。
人々が家に帰ったことで通りは閑散としていた。
逃げ惑う人から聞き出した店の扉は、昼前だというのに鍵が閉められている。
ボクは扉を叩いた。叩いて叩いて、それでも出てこないからブーツで蹴る。
そこまでしてようやく、蹴り破られちゃかなわん、と中年の男が扉を開けて出てきた。
「あ、すいません。欲しいものがあるんですけど」
「……うちで間違いないのか? ここは鍛冶屋だぞ? 食料なんかは売ってないからな?」
怒り半分、困惑半分といった声で男は言う。対して銀髪の、それこそ武器などに縁の無さそうな典雅な少女は首肯した。
「ナイフ、刀身は両刃で切れ味はまぁまぁの物を。あとは鉄粉と釘をください」
「……待ってな、持ってくる」
若手の冒険者から話を聞いたあとのレインの行動は素早く、迷いがなかった。
まずは薬師の店でいくつかの薬品を買った。
それらをリュックに入れるや否や錬金術店に行き、いくつかの鉱石や瓶、器具などを買った。
そうして最後にやって来た鍛冶屋で注文した物を受けとると、麻袋を逆さまにして支払いを終える。
(オッロさんから貰ったお金も、全部使っちゃった……。でも、無駄にはしない)
鍛冶屋の親父は、走っていく銀髪の少女の後ろ姿を首をかしげて見た。あんな物をどう使うというのだろう。
そして少女が向かっているのは貴人の住まう地区への道だ。
「ま、俺には関係ねぇな」
彼は扉を閉じると、鍵を閉めて一番奥の部屋まで向かう。
ボクは屋敷まで戻った。
危険が伴うので建物内には入らず、庭の一角で買ってきた物を調合し始める。
口元に布を巻いて、安全にも配慮した。
「兄さん、なにをしているんです?」
「んー……んあっ!? 危ないから来ちゃダメだよ、ティエラ!」
ティエラは言葉を信じたのだろう、数歩下がった。
こちらに向けられる心配そうな表情を見ては、ボクだって作業を止めなくてはならない。
「えっとね、ちょっとした武器を造ってるんだ。失敗すると危ないから、下がっててね」
「わかりました。でも兄さん、その武器を使ってなにをする気ですか?」
「い、いやぁ~……なんというか」
「レインどの」
ティエラの横に立つ、カイネが懐かしむようにこちらを見て、
「それはまさか──白焔玉ですか?」
と言った。
「ご名答。で、こっちが破砕玉。」
ボクは握りこぶし程のガラス玉を指し示す。中身はそれぞれ白色と黒色である。
「カイネ、あれは一体?」
「あれは、ドワーフの攻城兵器です」
「攻城? あんな小ささで?」
「はい。私も何度か見たことがあるだけですが、魔法のように強力な代物です。大きさに惑わされぬよう。製造法を含めて、ドワーフの秘法のはずですが……」
「兄さん、どうしてそんな物を造れるんですか?」
「モルが教えてくれた。あとフローレアが──いや、えっと……うなー」
「……それを、兄さんはどうするんですか?」
悲しげな声が聞こえる。
視線を向けると、貴族然としたドレスを身にまとった妹の、泣きそうな顔が見えた。
スカートを掴んでいる手は微かに震えている。
「兄さんが行って、どうなるんです……!」
少女は目尻に涙を溜めていた。
「……ボクは戦うつもりだよ」
「──兄さんの魔法が凄いのは知っています! でも……でも、あんな大勢で勝てない魔物が相手なんですよ?」
妹の頬を涙が伝って落ちていく。
ボクは調合を終えて、ベルトに装着し始める。ナイフは腰側に差し、各種の玉は左右に。
そうして準備を終えて妹の前に立つ。
「実はさ、まだ言ってないことがあるんだよね。聞いたら驚いて、兄さん大好きーって言うかも。だから『それ』を言うまで、ボクは死なないし、死ぬ気もないよ」
ティエラは優しげに微笑んだ。
「……わかりました。美味しい食事を用意して、待っています。話はそのときに聞かせて……ください」
「まっかせといて! カイネ、ティエラを頼むよ!」
レインの足下から黒が広がった。
蠢く黒の底から光沢のある青が飛び出すと、少女の愛する兄は巨鳥の背中に跨がる。
カイネの頷きを確認すると、飛び跳ねた空色を受け止めて、レインは空へと舞い上がる──。




