第45話 元勇者、出発を見送る
薄暗い、太陽も未だに顔を出していないであろう時刻に起こされた。
起こしてくれた女性職員に適当に挨拶しつつ、ボクはあくびをひとつ。
組合の中庭では、ターヤさんと昨日の忍が打ち合わせをしている。
冒険者たちは昨日と同じように食事をしていた。ただし、酒はなく食事だけだ。
おっさんたちだけはいつも通りに酒を飲み、お姉さんたちはボクに投げキッスをする。
ボクはペコリと頭を下げた。
それからは昨日と同じで給仕のお手伝い。料理も届けたし、皿も洗う。
ようやくそれらを終わらせると、冒険者たちを追って中庭に出た。
彼らは鎧を着て、武器を持っている。
昨日との差が、いや、つい今しがたの彼らとの差が、はっきりとわかる。まるで全員がよく似た別人に変わってしまったかのようだ。
まとった雰囲気は真剣そのもので、開戦前の静けさは懐かしさを感じる。
ターヤが噴水の縁に立って、
「あー、こういうの苦手なんだけど」
と頭を掻きながら笑った。
「……今日は多くの友や恋人、同胞が亡くなるだろう。悲しいことだ。だが、だからこそ! 我らによって護られる者がいることを知れ。我らが後方にベルンが在ると知れ! 多くの民がいると知れ! ──我らが命がベルンのためにならんことを!!」
冒険者たちの顔には不安など微塵も感じない。
そうしてベルンの街に「ベルンのために!」という無数の声が響いた。
冒険者の声だけではない。
その声は次第に広がっていったのだから。
通りで合流した兵士たち。
貴人、商人、町人、百姓や娼婦や子どもにいたるまでもが声をひとつにして彼らを見送っている。
大通りには押し寄せた人々の声援が鳴り響いた。
ボクは冒険者たちの背中を追う。
(銀等級じゃなきゃ、一緒に連れていってくれたのかな)
と、そんなことを思っていると行進が止まった。
黒く大きな門が閉じられている。閉鎖されていた城門だ。
ベルンにおいては定時の開閉を除いて、緊急時の城門の扱いというのは侯爵に一任されている。
現在は緊急の閉門中であり、開門には侯爵の立ち会いが必要だった。
冒険者、そして兵士たちが門の近くに到着すると、一人の侯爵が馬車から降りて木箱の上に立つ。
歓声があがった。
「私はティエラ・ルーファン侯爵です。開門を命じます」
その声を受けて門の守護を任されている兵士たちが開門作業に取りかかった。
徐々に門の向こう、外の色が見えてくる。
侯爵である少女は凛々しさのある声を響かせた。
「──ベルンは、我々の大切な土地です。このベルンのために、守るべき人々のために、命を落とす戦士たちに神々の祝福があらんことを!」
先ほどとは違い、今度は「神々の祝福があらんことを!」という声が沸き上がった。
背中を押されるように、強い足取りで進んでいく冒険者と兵士たち。
ベルンの人々は再び門が閉められるまで、その言葉を捧げ続けた。
門が再び閉じられて既に二時間。
彼らの出発に歓声をあげていた人々も、城門の周辺にはいなくなっている。
勝利を確信し安堵した人々が、ちらほらと商売を再開させはじめた時、あぐらをかいて城門近くの道に座り込んでいた少女が顔を上げた。
「──来る」
おだやかに吹く風のようなわずかな声は、組んだ脚のあいだにいるスライムにしか聞こえない。
『ピィ』
小鳥のようなさえずりが聞こえ、
──ゴゴン
という重苦しい金属音が響いた。
城壁の上で警戒を強めていた兵士たちがざわついている。
次第に開かれる黒い金属の二枚は、その隙間から影を排出した。
歓声をあげて進んでいくベルンの人々の足が、まるで汚泥を進むように次第に遅くなる。
先陣きって街に入ってきたのは支給品の鎧を着た兵士たちだ。我先になだれ込み、重なるように倒れ込む。
押し寄せた人々の青い顔の後方で、その姿が見えていないからこそ発せられる歓声だけが響いていた。
「……負けた」
恐怖に顔を歪めた兵士たちではなく、その後方から歩いて──兵士たちは既に街に入っているのに押し退けあっている──入ってきた男がそうこぼした。
小さな声だったと言うのに、駆けつけた人々は一瞬で引きつった顔になる。一斉に逆方向、自分の家へと走っていく。
その姿はまるで干し草に火がついたような速さ。
ベルンは悲鳴に包まれた。
と。
「なにがあった?」
最前列に座っていた一人の少女だけが、人々とは逆に門に近づく。
組合にいた、四人組の若い冒険者の一人が答える。
「あぁ、君か。……負けた」
「それほどまでに強い相手だったのか?」
冒険者の少年は困惑した。
眼前にいるのは昨晩のへらへらとした少女だ。姿かたちは、なにひとつ変わらないというのに、口調が、なにより雰囲気が違っている。
「実際、俺はイナガミとやらと戦ったのかも、わかんねぇんだ」
「というと……?」
「俺たちが森に入ってしばらくした時、霧が出始めたんだ。それも見たことねぇくらいに濃い。隣にいる仲間すらわからねぇってくらいの」
少年は語った。濃い霧に紛れて『敵』が襲撃してきたのだと。
前方後方左右、どこから襲ってくるかわからない『敵』によって、部隊は分断され、仲間との連絡も取れなくなった。
「それでなくても、ブラックホーンは素早い魔物だ。隊伍を組んで防ぐのがやっとだった」
少女は彼の後ろを見た。
彼の仲間である若い冒険者三人が息を切らしている。
負傷しているのか、どこからか血も流れている。
開いた門からは続々と兵士が入ってくる。皆が怯えた、あるいは疲れきった顔だ。
更に奥に、まばらな列となって一直線に街を目指している多くの者たちが見える。
「他の冒険者はどうなった?」
「……わかんねぇ。襲撃があって方角すらわからなくなったとき、ターヤ、さんの声が響いたんだ。『若い冒険者と負傷者はベルンまで戻れ』って。俺たちは……」
「きっと、ターヤさんたちが、おとりになってくれたんだと思う」
「俺らはなんとかここまで来られたが、森で迷っているやつもいるだろうな……」
「……霧なんて、季節が違うのに」
若い冒険者たちの悲痛な声を聞いても、少女は顔色ひとつ変えない。ただ淡々として、
「イナガミを見たやつはいるか? なにか特徴はなかったか?」
と聞いた。
負傷した兵士の一人が答える。
「あいつには、攻撃が効かなかった。矢も槍も刺さらない。剣でも斬れなかった」
「──そうか。あとは任せろ」
少女はくるりと反転すると、街中に走っていく。




