第40話 元勇者、獣王を見る
ベルンの街並みを駆ける、三つの黒い影。
道いく人々は黒の旋風に驚いたように振り向くが、そこには既になにも存在しない。
恐るべき速さ。それを実現させているのは驚異的な筋肉だ。
力強さの中にしなやかさがある肉体は人混みを避けるように跳び上がる。
そのまま垂直な壁を造作もなくかけ上がり、屋根の上へと。
さらに走り抜ける。
「へぇー凄いね! 普通はさ、速さに耐えられなくて振り落とされるんだよ?」
ターヤは悪気もなくただ称賛するために、そう言った。
一方のボクは無言の抗議。
「……で、落ちたら……どうしてました?」
「んー咥えさせてた」
頭がおかしいのだろうか?
確かに、この速さであれば岩山まで行くのも容易いとは思うが。
ようやく門が見えてきた時、後方で「──パンッ!」という破裂音がした。
しがみついたまま振り向くと空に発光する小さな赤い光が見える。
「あれは撤退信号ってやつだ。ベルンの冒険者や商人、すべての人々はあれを見れば街に戻るように教えられている」
赤の光はふわりふわりとゆっくりとした動きで落ちていく。
(ボク、知らなかった。聞いてないぞ)
それを教えて貰っていないのは単純によそ者だからか、受付嬢のミスかはわからない。
あっという間に門から出る。そしてたどり着いたのは木々の前であった。
「ここからはレインが先導してね、プランは言葉がわかるから。覚えてたら、でいいんだけど、あなたたちが帰る時に通ったルートを辿って欲しいかな」
偶然出くわす可能性は出来るだけ回避したい。
あとは一度見逃したのだから二度目もある、かも。そういう縁起をかつぎたいらしい。
ボクとしても、先ほど通った道くらいは覚えている。
「まっすぐ前!」
『フォーン』
ブラックホーンのプランは返答するように一声鳴くと、進みだした。
「ソラ?」
『……』
返事がない。リュックに入れたのを怒っているのだろうか。
道中、撤退中の冒険者とすれ違う。
彼らは白い魔物を見ていないらしい。
森の中とは思えない速さで走る。景色が走馬灯のように次々と流れていく。
突然開けた場所に出た。
「止まって! あそこ。あの岩山の上にいました」
ボクが岩山の頂上を指差すと、ターヤが先頭に移動する。
「ここからは私が先頭を行くから、レインは隊列の真ん中に入って」
今度はターヤ、ボク、ヤーノの順に一列になって岩山へと進んでいく。
それはまるで黒い一閃であった。
急な山肌も岩もなんのその。ブラックホーンに乗ったボクたちは、あっという間に頂上まで登りきる。
見晴らしの良い頂の上からは鬱蒼とした森が見えた。上から見るとこんなに広大だったのかと息を飲む。
遠くにはベルンが見えた。
「レインには悪いんだけど、プランに乗ったまま降りないでね」
「俺が見張ろうか?」
「いえ、ヤーノも一緒に探して。ここに長居するのは目立ち過ぎる」
二人が山頂を捜索しているあいだ、ボクはぽつんと一人で、いやプランちゃんと一緒に、というかその背でじっと待つ。
すべてが虚言であった時のために足跡や証拠を消させない、というのが理由だろう。
しばらくして、なにかが見つかったようだ。
「新米たちの嘘なら、どんなに良かったか……」
「そっちも見つけたか。それならげんこつだけで済んだのにな」
「ヤーノも見つけたの?」
ほら。そう言ってヤーノが差し出したのは白い一本の体毛である。
「……こんな偽物、作れないよね?」
「作れても世界に数人だろう。だが、そんなヤツが関わっていたら──」
「それだけで緊急事態、か。レイン、来ていいよ」
呼ばれたのでプランから降りて向かうと、二人は地面を見ている。
「見て、こっちがブラックホーンの足跡。それでこっちが今回の足跡」
そこにあったのは足跡である。ただし、ブラックホーンの数倍は大きな足跡だ。
指の肉球だけでも、大人の握りこぶしよりもはるかに大きい。
岩には爪痕であろう傷があった。まるで達人が大剣を使って斬ったように、すっぱりと裂けている。
今まで乗っていたプランを見る。虎のように大きい。武装した成人男性ですら乗せられる屈強な足腰と速さを思い出した。
「全長六メートル。いや七メートルはあるかな~? こっわ~」
「おーこわこわ」
二人は心底楽しそうに笑っている。
血がたぎる、武者震い、そういったものだろうか。
元勇者の見解としては、再び会いたいとすら思えない相手なのだけれど。
「よ~し! これから私たちはヤツを追跡する。と言っても戦わないけどね。仲間がいるのかな~? とかそんなことを調べるつもりだよ。レインがついてくるかは自由! でも一人でいるのは危険だと思うよぉ~?」
「……行きます」
やる気十分な声色には喜びの色が強かった。
優しい支部長であっても、思ったより武闘派だったらしい。
それからボクたちは再びブラックホーンに跨がると、白いブラックホーンの去っていった方向に降りていく。
どうやらプランたちは匂いのようなものが分かっているのだろう、闇雲に探しているのではなく目的地がわかっているような走りだった。
小川を越えて野原を駆け抜け、小高い丘まで来た時、ブラックホーンたちの様子が一変する。
耳を下げ、体を低くし、弱々しく『フォーン』と鳴いたのだ。
「この子たちがこんなに怖がるなんて……」
ブラックホーンたちはこれ以上は進みたがらない。
ターヤは降りるように言うと、徒歩で丘の上まで上がっていく。
ついてこいとは言われなかった。でも、ここまで来たのだから見てみたい。
三人は丘の上からの光景に苦笑う。
「まいったなー」
「多いな」
「……うわぁ」
丘の上から見えたのは百を優に越えるブラックホーンの大群であった。
距離は一キロメートルはあるだろうか。あいだには川があり、黒の一団は草原で眠っている。
「ターヤさん、バレないうちに帰りませんか?」
「ブラックホーンは耳も鼻も良い。うちの子が気づいてるんだから、あっちも気づいてるよ。」
「だな。知ってはいるが相手にすらされてないんだ。おっ、あれを見ろ」
ヤーノが指差した方向、群れから少し離れた高台に白いブラックホーンが見えた。
離れているので白い、ということしかわからない。それでもこちらを見ているのが理解る。
勇者であったころ、数多くの魔物を見てきたが──そのどれよりも美しいとさえ思えた。
「レインはどう思う? 王者の風格ってモノを──」
ボクたちは美しい巨獣を確認すると、大急ぎで踵を返し、ベルンへと向かう。




