第23話 元勇者、黒の中から
エリクがボクとリーネの腕を掴む。
「抵抗すれば、わかるな?」
リーネの青い顔が薄暗い洞窟の中でもわかった。
抵抗し、もしも牢から出てもカイネが、そしてカティたちがいるのだ。
逃げ切れるはずがない。
(どう……すれば?)
そもそも戦っても勝てるのか、わからない。
だからと言ってこのままでは……。
(──仕方ない、か)
ボクは頭を下げた。
「お願いします。ボクが二人分がんばるので、リーネには手を出さないで下さい。えっと、その代わり、どこか別の場所に……」
深々と頭を下げるボクを見て、少女の腕がビクンと震えたのがわかった。
「フンッ……良いだろう。カーチャに一撃入れたお前の頼みなら、仕方ねえ」
「レイン、そんな……」
「ま、ボクなら大丈夫」
「エリク! てめぇ絶対に許さねぇぞ」
リーネが涙を流し、イルマの強く噛んだ唇から血がポタリと地面に落ちる。
エリクはニヤリと笑った。
「へへっ、良い仲間を持ったな。安心しろ、悪いようにはしねぇから」
エリクはリーネを牢に押し戻した。
──ガチャン
牢の鍵が閉まると、ボクはエリクと共に洞窟を進んでいく。
背後から聞こえるのは泣き声と壁を殴る音だけだった。
案内されたのは、洞窟には場違いな木製の扉の前。
扉が開くと灯りが漏れ出た。
「どうだ? 牢屋より遥かに快適だろ?」
「まあ」
「マルティの野郎は一人でここを使いやがったんだ。ったくよぉ」
部屋の中は床も壁も木製の板張りで、明らかに場違いな高そうなベットまである。
とても洞窟内だとは思えず、まるで豪華なホテルの一室がめり込んでいる、とさえ思えた。
「ほら、お前はベッドに座れ」
ボクは言われた通りに座る。
エリクは持ち物をテーブルに置いて近寄って来た。心底楽しそうな顔でボクの服の裾に手を伸ばす。
そして──、
「は? 男?」
すっとんきょうな声を出し、目を見開いて驚いているエリク。だが、驚くのはまだ早い。
「ケイハス!」
足下が黒く変わる。蠢く黒の中から、ケイハスが勢いよく飛び出した。
──グサッ
と、鋭いツノが腹を穿つ。そして勢いそのままに壁へと突っ込んだ。
ツノが壁にめり込んでようやく止まり、「ギャアアアアアア」と言う断末魔が響く。
そんな絶叫が消え去った頃、部屋の扉が開いた。
マルティ、カイネ、カティ、カーチャ、斧使いの五人が入って来たのだ。
「うわっ……来るの、もっとあとだと思ったのに」
諦めたように言葉を呟いたが、仲間が殺された彼らの反応は白けたものである。
「プッ! エリク死んでやんの!」
「なんだこれ、ツノブタか?」
「え? ケイハスでしょ。ルドヴィヒ知らないの?」
ルドヴィヒと呼ばれた斧使いがケイハスの首を切り落とすと、その体は黒い霧となって地面に消える。
なんだ今の、と驚いている彼らだが、一撃で両断する斬撃にボクの方が内心驚いた。
「聞かせてくれ。なぜ、こんなことに?」
マルティは前に出てくる。
彼は戸惑っている。そう形容するのが一番であろう、悩ましい顔をした。
「エリクが襲ってきて、仕方なかった」
「あいつまたかよ」
「無様な最後ね」
言葉は少年からではなく、黒い服に身を包んだ彼らからもたらされた。
ルドヴィヒ、カーチャ両名が感想を述べると、カティが一歩前、マルティの横に出る。
「あいつのこと、好きじゃないってかむしろ嫌いだったけどさー、掟だから死んで貰うわ。ハァ、せっかくの薬が台無しじゃん」
平然とした声。
黒衣を身にまとったカティが、槍の穂先をこちらに向けた。
「待て! やめるんだ」
マルティの制止を受け付けず、カティが進んでくる。
前に割り込もうとする少年はカイネから腕を捕まれた。彼は苦渋の表情を見せると、逃げるように部屋から出ていく。
ボクはドンッと槍の柄で押されて尻餅をついた。
床の感触がお尻から伝わり、冷たさに頭が冷える。
「エリクを殺った努力は認めるよ。でもバカなの? あいつを殺しても逃げられる訳ないでしょ?」
カティはそう言いながらボクを見下ろす。
「まぁ大人しくヤられろとは言わないけど、さ」
「ボク、殺されるの?」
「あぁ。さっきも言ったが、掟なんだ。仲間が殺されたら、殺した相手をどこまでも追って殺せっていう。レインだっけ? あんたはあたしに勝つか殺されるか、それしか選択肢は残されていない」
勇者だった頃、今よりも遥かに絶体絶命の苦境に立たされたことがある。
あの頃のボクならば、この程度は笑い飛ばしていたかも知れない。
でも、
(今のボクは、勇者じゃない。それに……たった一人だ)
絶望的な状況だ。
武器も無く。
盾も無く。
鎧も無く。
仲間はいない。
退路はあっても、そこには敵がいる。
広いが所詮は室内。
逃げ場は──無い。
(エリクの武器は……ダメだ。あそこまで行けない)
テーブルまでたどり着いたとして、正面のカーチャ、ルドヴィヒ。
背後のカティと戦わざるを得なくなる。
彼らをどうにかしてもカイネがいる。
「な? もう無理だろ?」
考えを察したかのようにカティが言った。
「諦めろよ。あたしはあんたを殺したくないんだぜ? これはマジだ。生い立ちだって聞いてる。記憶がないんだろ? でもな、そんな感情なんかよりも、掟はなおも重い。さ、もう一度だけ言う。諦めろよ。あたしが──」
その声はまるで脳内で聞こえたように鮮明に聞こえた。
「一瞬で殺してやるよ」
「……嫌だ。ボクは殺されたくなんて、ない」
ルドヴィヒが笑った。カーチャは目を反らす。カイネはただまっすぐにボクを見た。
「だよな。恨んでくれて良い」
肩をすくめたカティが近づいてくる。
世界がゆっくりと動いているように見えた。
槍の穂先がゆっくりと、ゆっくりと──こちらに近づく。
(ボクは……)
痛いのは嫌いだ。
(ボクは……)
死ぬのが怖い。殺されるのも、怖い。
仲間が、イルマとリーネが悲しんでいる姿が見えた。
(ボクは……)
ソラが『あきらめるな』、そう言っている気がする。
『元勇者の癖に』
『わたしに勝った癖に』
『まだたくさんの仲間がいる癖に』
ただ前を見る。
槍の穂先が鋭く光った。狙いは心臓。当たれば一瞬で終わる。
完膚なきまでの致命傷となるだろう。
だったら、
「ボクは──!!」
全力で避けた。
だが避けきれず、心臓を狙った槍が左腕に突き刺さる。
肉を裂き、骨を貫く激痛。
(痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!)
なんでも良い。
誰か助けて。
助けてくれるモノ。
この状況を乗り越え、打ち破るモノ──
「うあ”ぁぁあああああああああああああああああああ!!」
◆
その瞬間、空気が変わった。
銀髪の少女の叫びと共に、まるで染み出るかのように彼女の周りから黒が溢れ、拡がったのだ。
それは他の色を侵食するかのように飲み込んでいく。
黒き濁流が自らの足元まで迫った槍使いの少女は、一瞬で黒の枠外まで飛び退くと、冷や汗を流した。
「なんだよ、これ……」
異様な光景だ。
痛さからか、幼子のようにわんわんと泣き、涙を流す少女が見える。
少女の周りは黒に包まれているが、その身だけは一切侵されていない。
銀髪が震えている。それはまるで闇夜に輝く月のようにも見えた。
幻想的とさえ思える光景の一方で黒は拡がり続け、室内をも飲み込む。
この空気を彼らは知っていた。
戦場の空気。
いや、死地の空気だ。
絶望的な戦力差、あるいは絶対的な実力差を感じ、背筋が寒くなる。
たかだか数メートルの距離が何百メートル先にも感じて、少女の居場所が遠くに思えた。
彼女らは息を飲んだ。
深い深い底の見えない黒の中から、ナニカが現れようとしているのだ。
まるで沈んでいた物が浮き出るかのように、黒の中から悠然と──這い出て来る。
その瞳は、晴れた青空のように美しい空色であった。
その体は、岩山のような鱗と甲殻を纏っていた。
その頭には、一本のとても長く鋭いツノ。
そして鮮やかな光沢のある青い翼を持ち、手には黒く鋭い爪が生えている。
『グルォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!』
それは怒りを感じさせる声ですべてを威圧し、静まり返った世界の中で、背後を一瞥した。
そして──ドラゴンは彼らに向かい合う。




