第1話 元勇者、異世界をゆく
舗装された道路を、一台の馬車が走っていた。
大きな荷台の乗り合いの馬車だ。
現在の乗客は五人。
昼前という時間であってもいささか客が少ない。
荷台の左右に腰を掛けられる収納があり、そこに座っている五人は思い思いに時を過ごしていた。
老婆とその孫と思わしき少年は寄り添って眠り、髭のオヤジ二人は時間潰しの世間話などを。
「東の魔王が死んで今日で十年……か」
「長いようで短い、十年だったな。ふっ、どこの町もお祭り騒ぎで祝賀の酒が振る舞われているらしいぞ」
「それは楽しみだ。……ま、俺は王都ベリアで祝いたかったのだが」
「おお、俺もだ。着いたら共に祝おうではないか」
乗客の最後の一人。先ほど乗ったばかりの少女は二人の会話に耳を澄ましている。
そんな少女のハッと驚くような銀髪が風に揺れ──銀の中から鮮やかな紫色の瞳を覗かせた。
「そういえば──」
「何を言いたいのかはわかっている。もう三度目だぞ?」
「では前置きは置いといて。……王女さまのお誕生日を祝して、乾杯!」
オヤジたちはどこからかジョッキを取り出すと酌み交わす。
──こんっ
という軽快な音が辺りに響いた。
(王女さま、ふふっ)
銀髪の少女がくすりと笑う。
オヤジたちはそれを気にするでもなく会話を続けた。
「英雄であらせられるオーリンさまとリーシャ姫さまがご結婚なされたのも、もう十年前なのだな。月日が経つのは本当に早い」
「──うぇあっ!?」
すっとんきょうな声が響いた。
皆の視線が集まる中、狼狽えている少女は「ど、どうぞ」と話を進めるように言う。
「……そ、そうだ! ご息女であらせられる、レステンシアさまが勇者さまの名前を貰ったのは知っているか?」
「当たり前だろ。その秀才ぶりは勇者さまの生まれ変わりのようだとも言われているし」
「あのっ!」
銀髪の少女が声を荒らげる。再度視線は少女の方に。
「えっと……レステンシア、さま……って何歳ですか?」
「ん? 魔王討伐が成されたの日にお産まれになったんだから、十歳に決まってるだろ?」
「運命を感じるなあ。……この話を知らないとなると、君はどこから来たんだい?」
「で、出来ちゃテタ……」
突如、銀髪の少女の姿が荷台から消えた。
乗客たちが辺りを探すと、馬車の後方、道路の真ん中にひっくり返っているのが見える。
「だ、大丈夫かい? 荷台から落ちる子なんて初めてだよ……」
慌てて停車させる馭者の声が聞こえ、少女は身体を起こす。
離れた馬車からでも、涙がポロポロと流れているのがわかった。
「どこか打ったのかい?」
「う、うあ……」
「うあ?」
「うわあああああああああああああああああああああああああん」
少女は駆け出した。
ただし馬車に向かって、ではなく森に向かって。である。
馭者と乗客たちは顔を見合わせたあと、森に向かって呼び掛けた。
それでも、しばらくしても返事すら無いので馬車は仕方なく目的地──王都ベルアへの道を進んでいく。
◇
「うわあああああああああああああああああああああああああん」
ボクは泣いた。
「ぁああああああああああああああああああああああああああん」
ボクは泣いて泣いて。
「ネトラレたああああああああああああああああああああああ!」
泣きながら森を走った。
なんでこんなことになったのだろう。恐ろしい。おぞましい。
そうして走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走っ、
「のわっ」
木の根に足を取られて盛大に吹っ飛んだ。
数メートル飛んで顔面から落ち、そのまま転がる。痛さに呻いて、悲しさに嘆いて、前を見た。
「ここ、どこだろう……?」
辺りには木しか見えない。
右を見ても左を見ても、前を見ても……後ろは枝が折れていたりするから来た道だろう。
なら、
(反対に行こ……)
ごしごしと涙を腕で拭うと少女は森を進んだ。
いくら進んでも同じような景色。
日差しを遮る葉っぱのせいでどこまでも薄暗い。とても怖かった。
「ここ、どこだろう。なんで目覚めたら……いや、魔王にやられて……目覚めたら……いや、ボク……えぇ……」
少女は震えるような小声を漏らした。
今の状況がまったくわからない。
必死に記憶を探ってみる。
冒険の日々を覚えていた。
仲間と共に戦った日々──そして自分の死も。
それから先の記憶が、無い。
(……というか)
可愛らしい声に気がついた。きょろきょろと辺りを見てみたが、誰もいない。
「あの、君はどこにいる……の」
自分の口から出ていた声が思い出せない。それでもさすがにこんなに愛らしい声では無かった。はず。
「あばばばばばばばばばばばばばばばばばば」
銀髪の少女は混乱した。
壊れた機械のような奇声を発しながら。
(女の子になっちゃった。……それはともかく、ともかくでもないけど。あれから十年後だって?! オーリン、の娘が勇者の生まれ変わり? それはない、絶対に。──だって、ボクが勇者だもん!)
ボクは走った。泣きながら、走った。奇声もあげながら。
何度転んでも、野を越え山を越え、荒野を走破し、朽ちかけている吊り橋を突破──出来ずに谷に落ちて、川を流れても。
死にかけて。
岸にたどり着いて、また走って。
夜の帳に包まれても走り続け、
「うぅ……」
朝の陽光が顔を覗かせるころ。
ボクはようやくどこかの森の中でぶっ倒れた。