第15話 元勇者、今の力
街の近く、と言っても所詮は手付かずの森。
そこには太く大きな木々が無数に生えている。
青々とした景色が続く森の中に拠点を作り、一行は北へと進んだ。
「レインは召喚師、だよな。戦闘はどうしたい?」
「んー……じゃあ、狩猟刀で戦おうかな」
「わかった。ならソラには戦闘中は後方にいるように言っといてくれ」
『ピィ?』
「──静かに。いましたよ」
しばらく探索すると、急に開けた場所に出た。
獣の水飲み場だろうか、大きめの水溜まりが中央にある。
リーネの視線の先にはイノシシらしきお尻が見えた。
「ツノブタ種の魔物、ケイハスだな」
「ケイハス……? ツノブタにしては小さいね」
『ピィ』
「はあ? あのサイズは大きいだろ?」
「しっ……気付かれますよ」
魔界とも呼ばれる魔族領の村で飼われていたツノブタですら、水を飲んでいるケイハスよりも大きかった。
そしてあの地での野生のツノブタなどというと、攻城兵器さながらに城門を破壊出来そうな大きさなのである。
記憶にあるツノブタと比べると、どうしても小さく見えた。
『ブルォ?』
話し声に気がついたのか、ケイハスはこちらに視線を向けている。
眉間から水平に伸びる長いツノはとても鋭い。
「レイン。技、見せてくれねえか?」
「私もストーンドラゴンを斬った技が、とても見たいです」
二人の要望は至極まっとうなものだろう。剣士である二人が斬れないという甲殻を、召喚師が斬ったのだから。
ボクは少し悩んだが、
「じゃあ行ってみるよ」
と一歩前に出た。
後方から『ピィ!』と言う、応援の声が聞こえる。
数歩進むと、ケイハスの巨大な肉体と鋭いツノは、ボクを狙って一直線に迫って来ていた。
ボクは正面からのツノでの刺突を盾で受け──
「のわぁ!?」
大盾使いだった頃の癖で、受け止めようとしてしまった。
盾すら持っていないというのに。
妙なポーズで飛び退いたボクは、転がって体勢を整える。
勇者だった頃は受け止めるか往なしてから攻撃がパターン化していたのだが。
「戦い方、変えないと!」
ギリギリでかわす。
出鼻を挫かれたせいか、攻撃に転じることが出来ない。
かわしてかわして、ボクはかわし続けた。
◇
二人は戦いの様子を見た。その一挙手一投足を。
最初は、技を見せたくないがための行為だと思った。
しかし、
「マジ、か?」
「マジ、ですね」
銀髪の少女は半泣きになりながら攻撃を避けている。
腰の短剣に手を伸ばす暇すらなく、避けている。
その動きはまったくの素人のものであり、ストーンドラゴンを斬る、などという芸当は決して出来ようはずもない。
「でもさ、嘘を言ってるようには見えねえよな? そもそも嘘なんて意味がないし」
「召喚したモノが、切り裂いた……とか」
二人の視線の先、足元には王冠を載せたスライムがいる。
「助けに行きますか?」
リーネの問いかけにイルマは頷いた。
◇
何度目かの飛び退きのあと、二人がやって来た。
ツノの刺突をイルマが剣の腹で受け止めて、リーネがツノに短剣を峰打つ。
一瞬の間が空いて──たったそれだけで──ケイハスは朧気な眼差しへと変わり、その場に倒れ込んだ。
あっという間、それ以外にはなにも言えないほどに一瞬で、ケイハスは倒された。
「うぅ……」
「怪我は、無さそうだな。よかった」
すとんと座っているボクに、イルマが手を差し伸べる。
手を掴んで立ち上がると手のひらの堅さがわかった。
(今のボクは、あの頃のボクじゃ……ない)
二人の武器が見える。
イルマの剣は見た目よりも遥かに重そうで、ボクでは到底持てないだろう。
リーネの双短剣は金と銀の刀身をした美しい剣だ。
双方ともにオルベリア様式の剣。しかし二人は剣の性能によって勝ったのではない。
(ボクがストーンドラゴンを殺せたのは、あの剣があったから。ソラに勝てたのは……)
助っ人である二人。
元勇者であるボク。
別に誇りたいわけではない。
誇りたいわけではない、けれど。
こんな戦いは──
「面白くない」
「ん?」
「ねぇイルマ、リーネ。ボク、勝ちたい。ケイハスを倒したい」
二人は、嬉しそうに笑った。
それから一時間。
ボクはケイハスを倒す特訓をしていた。
ケイハス、というかツノブタ種の魔物は、名前にも見られる通り『ツノ』が最大の武器である。
強靭な足腰と屈強な筋肉は、並の刀剣では致命傷を与えられないほどに堅い。
しかし最大の武器である『ツノ』こそが最大の弱点でも、あるのだ。
「何度も言うようだが、ツノを叩け。攻撃は防がず避けるんだ」
ボクのケイハスを倒したい。という言葉に、二人は驚き、そして喜んだ。
どうやらイルマも昔、魔物を『倒したい』と言ったことがあるらしい。
しかしその時は両親から断られたので、同じような状況のボクをなんだか懐かしい、のだとか。
イルマの剣──鞘を被せたまま──の突きを避ける。
避けたところに、狩猟刀での峰打ちを打ち込む。
単純な動作だというのに、それは難しかった。
「──ッ!」
「よし、休憩しようか」
「お疲れさまです」
「……うん」
勇者だった頃の記憶があるからこそ、『こう動けばいい』というのは理解出来ている。
それでも自分の意思に、身体が追い付かない。
経験に身体が追い付かない。
技術に身体が追い付かない。
これほどの苦痛はなかった。
普通に生活出来るというのに、必要な時には動かないのだから。
心さえも、まるで子どもに戻ったかのようで。
「はぁ……泣いちゃいそう。ソラに負けたの、ソラが強いからだと思ってたのに」
「ソラに負けたんですか?」
「うん。それから勝ったっていうか……まぁいろいろあって殺して──」
『ピィーッ!!』
ソラの声が響いた。
まるで笛のように高い音色は予定されたものだ。
三人の視線が空色集まる。
『ブモオ……』
ソラは目覚めたケイハスの前で飛び跳ねていた。
「ソラ、監視ありがとう。下がってて」
『ピィ!』
ソラが下がったのを確認すると、ボクは狩猟刀を抜く。
アーカーシャの剣では戦いの意味がない。一振りすれば、きっと両断すら可能なのがわかっているからこそ、ボクの気持ちが受け入れない。
「レイン、落ちついてやれ!」
「頑張ってください!」
二人からの言葉に頷きながら、ボクは進む。
ケイハスは頭の靄を払うようにツノを振る。ぶんぶんっと棒を振るような音が辺りに響いた。
『ブルモォオ!』
「う、う、う……うな"ーーー!!」
ボクもとりあえず鳴いてみた。やめればよかった。
『ブオッ!!』
鋭い両刃の幅広剣のようなツノが矢弓のように疾駆する。
鋭い切っ先、その背後には猛牛のように猛る大猪の体躯があった。
わずかに触れるだけでも爆ぜるような攻撃を間一髪で避け──ざまに一撃を与える。
──コンッ
軽い音が響いた。まるで枯れ木を叩いたような、乾いた音である。
ケイハスはまったく効いていないのだろう、ある程度進むと転身し、再び突進。
「うな!?」
ボクは転びながら攻撃をかわす。
そんな攻防を十数回続けると、ケイハスの疲労とダメージは蓄積されていった。
動きは先程までとは違い、簡単に避けられるように。
荒い呼吸と虚ろな目のケイハス。
転び過ぎてぼろぼろのボク。
次が最後の攻防なのだと、互いに直感した。
『ブルモオッ!!』
何度目、何十度目の突進。
ボクは今までと同じように、転ぶように避けた。あちこちが痛む。
そんな倒れたところに、ツノが横薙ぎに振られて、
──ぐちゃ
静かな森に、その音が響いた。