第10話 元勇者、魔法使いと出会う
雫が水面に落ちるような音が聞こえた。
──ぴちゃん
そんな音の中で女性の声が響く。
上機嫌で鼻歌でも歌っているような。
身体が温かい。
心はモヤでもかかっているかのように曖昧で──いや、実際に目の前にモヤがあった。
「な、なんじゃこりゃあああああああああああ!?」
白の向こう側には女性がいた。
訂正。全裸の、とても美しい女性が……いる。
「ふあ?! な、なんでボク、裸……えぇ!?」
「うるさいってぇ。もぅ、それよりぃなんで覚めてるのぉ?」
「……はい?」
バスタブの中に浸かる二人の男女。
銀髪のボクと金髪のお姉さん。
何故だか少し前の記憶が、ない。
(思い出せ、ボク。一体何があった……?)
最後に覚えているのは──
そう、馬車を降りた辺りだ。
「さあ、ストーンドラゴン。山に帰れ。帰らないと刺しちゃうぞ!」
ボクは周囲からの制止を聞かずにストーンドラゴンの巨体に近づいた。
言葉が理解出来ないのか、理解しているうえで聞かないのかはわからないが、巨体は一切動かない。
だから大木のように太い脚に近づいて、登った。
でこぼことした鱗と甲殻が登りやすかったのは、覚えている。
頂上までたどり着くと、ボクは腰から一本の剣を抜いた。それは藤色の刀身をした両刃の──短剣だ。
「本当に、帰らないんだな?」
もう一度、今度は最後の忠告。あるいは警告。
それでも返答もそれに類する行動も見受けられなかったので、ボクは短剣を振り上げ、一気に振りおろした。
刃は軽やかに。
一切の抵抗もなく。
それこそ空気を切っているかのような感触で。
おおよそ本物の大岩よりも硬い甲殻には、赤い一線が姿を現した。
「──いや、やっぱりそのあとの記憶がないんですけど。なんでお姉さんと一緒にお風呂に入ってるんでしょう?」
「私がねぇ、空飛んでたらぁ時間が停まってるじゃなぁい?」
「空?」
「それはどうでも良いんだけどさぁ、えっとねぇ。んーすごい魔法だなぁ、どんな人が使ってるのかなぁって思ったのぉ。で、見たらあなたがいたわけ。それからぁずっと見てたんだけどぉ、魔物を面白い剣で斬ってたわよねぇ」
「……で?」
「あなたがぁ血だらけだったから、拐っちゃった。えへへ~」
勇者だった頃、血だらけになったとしても美女とお風呂に入れるなんて役得はなかった。
十年の歳月、恐るべし。
「そうですか。……その、出ても?」
「えぇ、もちろん」
ボクは股間を押さえると浴槽を出た。後ろからの視線を感じるが構うものか。
ドアノブに手をかけた時、背後から水音が聞こえる。
「女の子だと思ったのにぃ、男の子だったなんてねぇ」
「あはは……」
(このお姉さん、ヤバい。嫌な予感しかしない。というかボク、拐われてんじゃん!)
愛想笑いと同時に扉を開けると──美女の集団がいた。
くんずほぐれつしている彼女たち。本来の意味ではなく、性的に。
「……」
ボクはそっと扉を閉じた。
「あらら、私を選んだのぉ?」
背後から柔らかな双丘が押し当てられる。
優しげな声と共に細い腕が身体に回されて、心臓が慌てて鼓動を速めた。
風呂上がりの桜色も既に散り、今度は紅葉の赤が身体を染める。
真っ赤に染め上げられた顔。まるで爆発しそうだ。
そんなボクは──
『ピィーーイ!!』
ソラの声で平常心を取り戻した。
「ふ、服を着てください!」
「いいわよぅ」
彼女はあっさりと了承し、服を着る。
まるで全身タイツのようなきわどい服装は、全裸よりもいかがわしい。
「向こうも着ているからぁ、安心してねぇ。さ、行きましょ」
扉の向こう側で服布が擦れる音がした。
扉が開き、見えたのは一転した光景。
絹の衣をまとった美女たちは風呂場から出るボクたちを歓迎するかのように、整列している。
結果的にこの豪華な一室において、ボクだけが全裸というおかしな展開だ。
腰にタオルを巻いた男の子がベッドの上でシーツを羽織り、美女に囲まれている、という。
『ピィ? ピィピィヨ?』
「あぁ……ソラ。無事だったんだ」
ソラはこちらの部屋にいたらしい。
ボクの装備一式と服はバルコニーに干されていた。洗ってくれたようだ。
そんなことよりも、
「あの、服を洗ってくれてありがとうございます。……あなたは一体だれですか?」
「堅苦しいわねぇ、私は〈傀儡〉のシルフェルドと言うの。シルフェって呼んでもいいわよぅ」
「……へぇ……シルフェさんか」
シルフェルドはくすりと笑う。
「私のこと、知らないの?」
「まったく。ボク、記憶喪失らしいので。元々二つ名とかもあんまり知らないし」
『ピィ! ピピィピピピョー』
「そうね、あなたは知ってるわよねぇ。王さまだもん」
『ピィ!?』
「えっ、あぁ……ごめんなさい。じゃあ、お詫びということでぇ、これをあげるわぁ」
シルフェルドの手のひらに小さな王冠が忽然と現れた。
ソラの頭上──というか真上に置かれた金色は明らかに高価な品である。
(やっぱり魔法使い、か。ソラの言葉も理解してるようだし……それにしても嫌な感じがする)
眼前の女性は端麗な容姿にも似合わず、嫌な雰囲気があった。
態度は温和、だというのに今にも逃げたくなる。
直感が──危険だと知らせていた。
「ね? これでぇスライムの王さまぁ~」
『……ピィ』
「いいんですか?」
「えぇ。でも、一つだけ聞かせて貰いたいかなぁ」
「何でもどうぞ」
「──あなたは何者なの?」
◇
分厚く高い雲の上に、一面の星空があった。
まるで雲こそが地上であり、今いる場所だけが、空であるかのように。
鉤爪のように鋭い月が辺りを照らし、眼下の雲には一つの影が浮かんでいる。
「まさか元勇者……なんてねぇ。おかしな雰囲気だなぁとは思ったけど」
美女は笑みをこぼす。
彼女はホウキに乗っていた。魔法使いが魔法使いであると、冷笑されそうなそのイメージ通りに。
ホウキの先端付近に紐で取り付けられている魔石灯が淡く輝き続け、手元を映し出す。
そこには一つの、小さな水晶が見えた。
「ねぇねぇ、私ぃ……面白い子を見つけたわぁ」
独り言。それは誰からも返答がない場合、である。
そして今回は当然のように、違う。
水晶は発光すると、別の声を響かせた。
『どんなやつだ?』
『強いのですか?』
『珍しい』
『私、可愛い娘が良いんだけど』
『後輩になるといいなぁ』
『……』
声は一人ずつ、順番に発せられる。
皆が久方ぶりの『面白い子』という言葉に喜んでいた。
「そうねぇ見た目よし、性格よし、実力はぁ……まぁ今後次第かしら。そもそも魔法使いなのかも、わかんないだけどさぁ」
『へぇー』
『成長途中の者に興味はありません。さようなら』
『私も若い芽に、興味はない』
『あんたも若いじゃん』
『完璧じゃないですか!』
『……』
「それにぃ、とっても面白いモノを持ってるのねぇ」
『どんなモノだ? お前が面白いと言うのだ、我も見てみたい!』
『』
『』
『私も見たい!』
『あ、じゃあ私も是非!』
『ほぅ』
「もしかしたらぁ、あれこそが魔法の深淵……真理なのかも、ね」
『へぇ……はぁ!?』
『』
『そんなの、あり得ない。あり得るはずがない』
『あんた消えたんじゃなかったの?』
『その人、凄いんですね!』
『──よし命令だ。誰か、ちょっかい出してこい!』
彼女たちはそれぞれ別の場所に在るというのに、同時に顔を反らした。
「」
『』
『』
『』
『』
『えっ? みんな落ちたんですか? うそ……私がやるんですか? えぇ……』
『やらないとボコボコにする。でもちゃんと手加減することを、忘れるな』
『わ、わがりまじだ……』
泣いているような声が響くと水晶の光は失われた。
「ふふっ」
影は雲の上をゆっくりと進んで行く。
彼女は笑っていた。銀髪の彼女を……いや、彼を思いだして。
「がんばってねぇ、『元』勇者さま」
星々は輝いている。
それはまるで彼女と同じように笑っているかのようで──。




