第9話 元勇者、レティアに到着する
ようやくレティアの城壁が見えてきた。
空は既に薄暗い。荷台にはコロコロと転がる小さなじゃがいもとスライム、あとは土臭いじゃがいもの山がある。
吟遊詩人の彼女は『銀髪の少女とスライム(仮)』という話を紙に書き続けていた。もはや誰も彼女を止めることはできないだろう。
そんな中、突然ぎぃっという木材が軋む音と共に馬車は停車した。
「こりゃ……あーそうだ。そういう時期か」
前方を見ている冒険者の、ため息まじりの声が聞こえてきた。
ヴィオレッティ共和国首都『レティア』の城門近くには無数の人々が集まっている。
門は閉まり、それゆえの長蛇の列だ。
商人たちは頭を抱え、ため息のみを漏らすばかり。
忌まわしげに時おり視線を前方に向けるが、どの馬車も一センチすら動いてはいない。
「これ、何ごとです?」
「あぁ君は記憶を……。この地方にはストーンドラゴンという魔物がいるんだ。なに、ドラゴンなんて言っても所詮は大きなトカゲさ。ただ──」
冒険者の視線の先、そこには大岩のような甲殻を有するドラゴン──に酷似したトカゲがいた。
頭の先から尻尾の先まで巨岩から削り出したかのような見た目の怪物は、首都という場所にはあまりにも場違いだ。
それこそ荷馬車よりも遥かに大きな巨体。だが、誰も怖がってはいない。
まるで──邪魔、というだけのような。
「あの図体だから、なぁ」
ストーンドラゴンは硬い岩や金属を好む。それゆえ城壁などという頑強な壁は彼らの好物であったのだ。
年に一度、ストーンドラゴンたちは山から降りて城壁や城門を舐めに来る。
まるで飴玉でも舐めるような気分だろう。
そうなれば彼らが満足するまで、人々は待つしか出来なかった。
「追い払えばいいのに」
ボクの提案に彼は苦笑する。
「あいつらは見た目通り、硬いんだよ。だから剣で斬れば刃が欠けちまう。今、壁を舐めてるんだから明日の朝には山に帰るだろうし」
「無理に戦う意味はない、と?」
「そう。怪我しても仕方ないしな」
ストーンドラゴンなんて初めて見たボクだけど、一つだけ気になることがあった。
「えっ、ボクたちって、どこで寝るんですか?」
「荷台、と言いたい所だが……売り物があるからな。どっかそこらだろう」
視線を追うと、林とその前の空き地が見える。
「………」
勇者だったころ、数えきれないほどに色々な場所で寝たのを覚えている。
木の上。砂の上。泥の上。川に浸かって……とか。
今回は街の近く。そのうえで周りには数十人の人間がいるのだ。当時と比べれば遥かに、良いだろう。
まるでふわふわのベッドのように。
それでも、
「どうせ寝るなら、ベッドがいいなぁ」
「──そんなお困りなあなたに朗報ですッ!」
突然の声。
涼しげで綺麗な声の方を見ると、一人の女性が立っていた。
木々の間から歩いてくる女性は頭から藤色のヴェールを被っている。
「……?」
「そこのキョロキョロしている銀髪の。あなた、そう、あなたです!」
「ボクか……。えっと、どちら様ですか?」
「私はアト・ウィスタウェルと申します! 私はあなたを支え、あなたと共に在る者。アトさん、そうお呼びくださいませ」
「お姉さんが──」
「アトさん!!」
「……アトさんが言ってた朗報ってなんですか? 幸運の壺とかネックレスとか、胡散臭いのはいらないんですけど」
「私はあなたの剣について、お教えしたいのです」
ヴェールの女性が指差したのはボクの腰、そこに静かに収まっている『アーカーシャの剣』だ。
彼女はヴェール越しでもわかるほどに優しげに微笑むと説明を始める。
時には熱く。時には冷静に。
結果として胡散臭い。
「──つまり、この剣は何でも切れる。刀身に魔法を込めることも出来て、なおかつ、ボクにしか使えない……と?」
「まぁそんな感じです」
『ピィ?』
「そう、ピィですね」
『ピェ~』
えぇ~うっそだぁ、と言わんばかりの鳴き声を聞いて今さら気がついた。
ボクとソラ以外の誰も──動いていない。
商人が談笑しているままの姿で。
旅人が転びそうな格好で。
空を飛んでいる小鳥ですら、同じ場所で羽ばたきもせずに固まっている。
時間停止。
そういった魔法が存在するとは聞いていたが、行使は一体いつからだろうか。
彼女が出てきた瞬間からだとすれば、既に数分。
──神業である。
「ではでは、また会いに来ます」
「あ、はい。ありがとうございました」
「お礼なんて必要ありません。あなたは私を──」
まるで産まれて初めて音を聞いた赤子のように、音の濁流に困惑したのはボクだけであった。
無音から有音に。
それでもあまり不快ではない。
人々は動き出し、鳥も空を自由に飛び回った。
「……白昼夢?」
『ピィピィ』
「そっか。じゃ、行ってみようかな」
ボクは歩く。
荷台から降りてまっすぐに。
目指すは城門。いや、その前にいるストーンドラゴンだ。
◆
レティアの街に突然、割れんばかりの歓声が響いた。
周囲の人々は声の方──城門に向かって走っていく。そんな中で、二人の男女だけは動かない。
いや、動けなかった。
「うるせぇな……なんだろ」
「……さぁ、世界の終わりじゃないですか?」
「ハハッ……」
そんな訳ないだろう、と。
いつもであればこんな冗談など言わない少女に対して、少年は苦笑う。
テーブルの対面に座り、突っ伏している少女の亜麻色の髪が卓上に広がっている。
「リーネ、そろそろ仕事しよう。マジで行き倒れる」
リーネと呼ばれた少女は顔をあげ、
「遂に、遂にやる気になりましたね」
言葉を漏らした。
美しさの中に強さが感じられる顔立ちの──今はげっそりしているが──驚いたような眼差し。
少女の緑色の瞳には眼帯をしている少年の、苦笑いが映し出されていた。
一章〈完〉
こんな感じで進めていきます(。・ω・。)ノ