カーディナル・スケール ―ミステリー・サーガ―
これはSAOと呼ばれる小説の二次創作です。しかもTRPGのリプレイを超絶美化したものです。かといってキリトやアスナ、シノンが出る訳ではなく、あくまでシステム系統を少しパクっただけです……ホントだよ?
胡散臭いなぁ、と感じるのなら見ていただければと思います。少しの暇を使って作り上げたものなので、ぜひぜひ見て下さいとも!
ナーヴギア、フルダイブ機能というまったく新しい技術が廃止された、この現代。しかし時代は、次の携帯機を生み出していた。
ナーヴギアの後継機として登場した、ヘッドフォン型ARデバイス「オーグマー」。ナーヴギアとは相反して覚醒状態の人間に視覚や聴覚、触覚情報を送り込むことが可能となっている。
オーグマーを装着した状態で、現実世界が拡張ーーーハイファンタジー化したようなものだがーーーした世界で出現するモンスターを倒すARゲーム、MMORPG「オーディナル・スケール」が今、話題となっている。そして語られる者達も、その世界に娯楽を求めた住人の一人。
語られる者達はVR世界ではなくAR世界でモンスターを倒すという実感を得てから、自分の真たる本体を以て戦えることに感動を覚えていた。
しかし、その多大なる熱気があってか、ARゲームは初日から数か月と至るまでにソフトの完売が続いた。そして現在、オーディナル・スケールを遊べないという人の為にある無料ゲームがサービスを始めている。
その名は【カーディナル・スケール】。基礎世界という二つ名が付けられたそのゲームは、VR機器すべてに対応できる上に、異世界を満喫できる優れた作品だった。
様々なゲームの長所を合わせて出来たもので、さらに体験版や購入版ではなく無料のみといった点が高く評価されてARに負けじと人口を増加させている。さらにそこからレベル概念がなく、そしてなにより評価が高かったのは【インスタンスマップ】と呼ばれる一時的空間が多々あることだ。
インスタンスマップとは、ゲームシステムに定められた区域内では自分や組んだパーティ以外は入れないというもので、同じクエストを進めている人物やパーティの数だけ一時的空間は存在し、同一人物もその数だけ存在する。
しかしこれは、ネットゲームにおける最大の矛盾となっている。本来であれば一度しか起こりえない事件が複数も平行世界のように起きるこの現象は、例えるならば重要人物の死を何十、何百と引き起こされているも同義。想像すればするほど受け付け難いが、物語の唯一性を保つ為にはやむを得ない。
その不可思議さを持つ反面、あまり人と関わりたくないといったプレイヤー達には大反響を及ぼした。さらに仮想世界の実力ではなく現実世界に近い形で自分の実力をステータスとして発揮できる点から、現実の実力で大勢をなぎ倒すのは気持ちがいい、と仮想のために現実で鍛えるプレイヤー達の自虐的と言える感想は後を絶たない。
今から語る者達は、そんな世界を楽しむ多くの住人の一つ。オーディナル・スケールを購入できなかった人達の為に作られたゲーム、という触れ込みよりも純粋に楽しみたいという理由から、一行は基礎世界に身を投じる。
ゲームに集中する為に現実世界での出来事は思い出す限りのことを終わらせ、脳から現実の用事を切り離す。
ナーヴギアの後継機であるVR機器、アミュスフィアを装着し、壁のスイッチに触れて照明を落とす。軽い足取りでベッドに移動し、ゆっくりと仰向けになってゲームの準備を整えていく。
「カーディナル・スケール。―――リンク」
プレイヤーはVR機器の頭に装着し、瞳を閉じてベットに仰向けの状態で指定されたコマンドを唱える。耳もとからチチッ、とスタンバイ完了を告げる電子音が小さく鳴る。
「スタート」
真っ暗闇の中、起動音とともに白い放射光が視界を塗りつぶし、意識を肉体から解き放っていった。
体に対して水平方向にかかっていた重力がすっと消滅、わずかな浮遊感と一緒に足のつま先から柔らかな床へと降り立つ。仮想の体に五感がしっかりと機能するまでじっくりと待ち、プレイヤーは瞼を開いた。
プレイヤーは様々な景色を一望できる比較的に高所な山脈にある牧草地に立っていた。多層構造のテーブルマウンテンが幾つも重なり、出現するモンスターは大部分が動物系。難易度もフィールドではそれほど高くはなく、また現在地の敵は自ら攻撃を仕掛けてくることはない。刺激さえしなければ背景の一部として、自然な動きを見せてくれる。そんなのんびりとした雰囲気と統一性のあるデザインは快適性を生み出していた。
今日集まる予定のメンバーは、事前にゲーム内にダイブする時間を決めていて三十秒ほどの時間差で全員が集合した。黒ずんだ渋い茶色の髪に、スレッドアーマーやブレザーを着込んだ華奢な少女。紺色の雅な陣羽織に身を包み、三尺あまりの太刀を帯びた耽美な男性。全体的に紫色がかった髪をしたオシャレヘアーで、整った顔つきしているスレンダーな男性。これが現状、この場にいる者達―――もちろんゲームの操作説明などは事前に済ませている―――だ。
「やっぱここ、静かですねー」
華奢な少女は短い髪をなびかせながら周囲を見渡す。緊張感のないエリアである所為か、あくびをしながらぐっと両手を伸ばして背を伸ばした。
「えぇ、気持ちいいわね。いい曲が思いつきそうだわ」
スレンダーな男性はすっと息を吸い込むと澄んだ空気―――これはゲームシステムによる錯覚だが―――が体中を満たすような感覚に浸ることができる。少女達はそれを十分に堪能してから、今回のチームメンバーと相対した。
「あぁ、戦いが待っている」
仮想世界に入って早速、自分の得物に手を添えながら背景の一部として歩き回るMOBに敵意を向ける。静かな雰囲気を一言で壊してくれた男性に対し、他ふたりは小さな息を漏らしながら軽く肩をすくめた。
まずはこの三人の素性を語らなければならないだろう。
樫湖 真里、岡山県立宮坂高等学校の一年生。メンバーの中で一番身長が小さいが整った容姿をしており、人形みたいと学校では評判になっている。ガンゲイル・オンラインからVRデビューを果たしており、ゲームスタイルは広く浅くといった所。以前は見ただけでは女の子にしか思えない自分の容姿を気にしていたものの、そのことがきっかけで女装趣味に目覚めた。
佐々木 刀也、岡山県立宮坂高等学校の二年生。年に似合わず飄々としており、どこか爺臭いが青年らしさは残っている。実家が山の中にあり、趣味が木刀の素振りと爺から受け継いだ畑のた耕しと、農民家業に明け暮れている。義務教育中は学校にほとんど行っておらず、爺から一般教養と一般常識は教えられている。VR経験はなく、数日前にVRゲームがどういうものかなどを友人に聞いて興味を抱いた。
雨宮 康雄、ピアニスト兼高校の音楽教師。薬品や電化製品などを扱う大手騎乗の御曹司であり、子どもの頃から男子より女子と話すことが多く、気付いた頃には世間一般でいう『オネエ系』と言われる部類の人間になっていた。基本的にはバイである。趣味はピアノを弾くこととゲームをすること、ピアノはショパン国際ピアノコンクールで入賞する程度の実力を持っている。VR経験は五年弱といった具合で、音楽のインスピレーションをVR世界で働かせるという理由の下で親に認められ、色んなVRゲームを自由にプレイをしている。
ゲーム内での名前は、真理はマリー、雨宮はアマミヤ、佐々木はキジロとなっていた。この者達は学校内で知り合っており、アマミヤは音楽の教師、マリーとキジロはその生徒という関係性にある。
「さて、さっそく狩るとしよう」
キジロは視界に広がる景色ではなくMOBの中から一体を見据え、刀の柄に手を掛ける。ゆっくりと刀身を引きながら接近する侍を二人は見守っていたものの、アマミヤは腰に手を添えながら呼びかけた。
「キジロー。ここにいる敵、強くないし倒しても意味ないわよー」
その呼び掛けを聞き届けたようにキジロはぴくっ、と制止した。抜きかけた刀を収めながら素早く身を翻す。
「それは真か?」
「えぇ、ホント」
キジロの古臭い言葉遣いに対してアマミヤが冷静に対応しているものの、キジロはどこか引っかかりを覚えたのか小さく首を傾げる。
「ゲームというものは、敵を倒して強くなるものではないのか?」
「まぁ、普通はそうね」
アマミヤの含みありげな言い方に、キジロの自問はさらに膨れ上がる。その会話で沈黙を保っていたマリーが、小さなため息の後にそれを破った。
「このゲームにステータス的なレベルはないよ。ゲームの説明文、ちゃんと読んだの?」
「習うより慣れろ、がゲームの基本だと思うてな」
「要するにめんどくさくて読んでないだけじゃん……」
心配の表れか、マリーは鼻孔を吹きながら肩を落とした。アマミヤはその会話を愉快そうに柔らかな笑みを浮かべていて、その笑みを見ていたキジロは視線を外し、もう一度敵を見やる。
「弱くとも準備運動くらいにはなろう。私は刀を振れればそれで良い」
キジロは不敵な笑みを控えめに浮かべ、先ほどと同じように抜刀しながら歩み寄るった。標的となったのはゼリー状の怪物、不定形の体を持つその敵の頭上には【slime】と名が刻まれている。
自然の世界とも思えるそのエリアで唯一、ファンタジー作品やRPG作品を思わせる敵がポップしたものの、キジロはその名を正しく読むことすらなく先手必勝の一撃を突き出す。とはいえ、始めたばかりの装備を着込んだキジロの一撃で敵を倒せるはずもなく、視界に写る敵の左上に固定されたゲージが五割ほど、緩やかに横幅を狭めた。
「―――ふっ」
掛け声とともに第二、第三と攻撃を繰り出し、残った五割のゲージを削り切る。液状の体を抉り、血液の代わりに鮮紅色の光芒を飛び散った。
MOBは青白い光を体中から放ち、武芸によって生まれた三つの紅い斬撃痕をも埋め尽くし、微細なポリゴンの欠片となって爆散する。
瞬時にして簡潔。これこそがこの世界における”死“を意味している。一切の痕跡を残さない完全なる消滅は、戦闘の終わりを告げた。
この世界における戦死は、プレイヤーにとって不公平極まるものだ。なぜなら、眼前の敵は時間さえあれば何度でも生まれ出る。ゲームプレイヤー達にもこれは当てはまるが、幾つかの代償を払って規程のエリアで復活しなければならない。
眼前に広がる液状生物以外の生物や小石に至るまで、壊されれば等しくその身を爆散させる。しかし体には命を宿していない、なんど殺されようとも、いくらでも再生成できるデジタルデータの塊。
―――しかし、この手のゲームは別の解釈を得ることもできる。
全ての敵に施されたAIプログラムは、敵対するプレイヤーの戦い方を学習して対応力を刻一刻と向上させる。しかしその学習データは、一個体ごとに小分けされており消滅した途端にリセットされる。次に湧出する同種の固体には先ほどの学習データ、言うところの戦歴は引き継がれない。
故に、ある意味ではこの世界の敵すべてが生きていると言える。唯一無二の存在として、戦士達の前に立つ者として。
「さて、次だ」
しかし、プレイヤー達がそれを深く考えることはほぼほぼない。なぜなら彼らは、倒すこと自体が作業のように、ひたすらに暴力の限りを尽くす。それをプレイヤー達は望み、それを愉悦としているからに他ならないからだ。
「おーいキジロ、やりすぎないようにねー」
またもやキジロにとって不可解な発言が飛び出す。その疑問を拭えぬように刀を下ろし、顔だけをマリーへと向けた。
「何故に私の剣を止めようとする? もし配下を失い大将が自ら赴くというのなら、むしろ喜ばしいこと」
「いやいや、ここで全力出されても困るんだって。キジロが強い敵を倒したいって言ってたからわざわざ準備したのに、最後の最後でスタミナ切れとか起こされて負けたら笑えないから」
「……そうさな。であれば、今は刀を収めるとしよう」
器用に刀を振り、素早く納刀することで鍔と鞘がぶつかり合ってぱちん、という甲高い金属音が鳴る。
「準備は整った、いざ戦場に―――」
「待って」
喋りながら歩き出そうとするキジロの肩をマリーが言葉を遮りながら掴む。キジロは不満そうに顔をしかめながら体を向けてマリーと対峙した。
「今度は何か」
その反応を見たマリーは肩を落としながら一言。
「これから行く場所、知ってるの?」
マリーの問いかけに愚問とでも言うように軽く鼻をならし、自信ありげに腕を組んでみせた。
「そんなもの、歩けばいつかたどり着くものよ」
「分かってないんじゃん!」
まるで芸能人のような会話のテンポに、アマミヤは生温かな目線を投げかける。それを威圧と捉えたのか演芸にも似た会話を展開していた二人は、真顔で口をつぐんだ。
「それじゃあ、今回行くエリアについて、確認していきましょうか」
軽やかなシステム音とともに、インベントリが開かれた。そこからアイテム欄まで手慣れた動作で動かし、使用順で綺麗に並べられた順列からマップと書かれたアイテムを指先でタップ、手元へと出現させた。
「今回はメンバーが一人いないけど、強い敵と戦いたいっていうキジロの要望に応えて、今回はドラッヘ・ネストに向かおうと思うわ」
アマミヤの案を聞いたマリーはうーん、と唸りながら草原の上を座り込んだ。
「ドラッヘ・ネストって確か……竜の巣、だっけ。それって大丈夫ですか? いくらキジロが剣の達人だからって、初期装備なんですよ?」
このゲームは作成時からある程度ではあるが装備できるアイテムを決定できる。片手剣や短剣など様々な武器を一本だけ最初から手にすることが出来るのだが、事細かいバランス調整によって武器に大きな差が分かれていない。
しかし初期装備ゆえに攻撃力に欠けており、MOBの弱点を突かない限りダメージソースになりえない。アマミヤとマリーは軽装備のアーマープレートなどを装着しているが、キジロに至っては、スルトに貰った現在装備している和装の羽織以外が初期の装備なのだ。剣の達人とはいえ、ステータス面の実力差は否めない。
そんな状態を理解していた上での反応なのか、キジロはマリーの放った言葉に対して先ほどと同様に鼻孔を吹かせながら草原の地に座り込んだ。
「足らぬ分は技量で補えばよかろう。なに、どんな敵であろうとも遅れは取らぬよ」
「……ホントに大丈夫かなぁ」
マリーは自信満々に言い切ったキジロに懸念を覚えたのか、苦笑いをしながらそっと呟いた。それを見ていたアマミヤは畳まれたマップを三人の中心へ置いて開きながら言葉を返す。
「ドラッヘ・ネストは確かに手強い敵が多いけど、武器を持ってないだけマシだと思うわ」
「―――なんと」
キジロは驚くように目を見開かせながら、興味津々と口を動かす。
「龍が武器を持つ……と。いやはや、ぜひとも行って見てみとうござる」
「一応言っておくけど、リザードマンだよ? 半人半獣の怪物」
話がかみ合うように、マリーは右手の人差し指を立てて振りながら補足を付ける。
「ふむ、そうか」
キジロは半人半獣という言葉を聞いた途端に、残念そうに頷きながら相づちを打った。それを見たマリーは右手を腰に当てながら肩を大きく上下させる。
「……本物の龍を思い浮かべてたでしょ」
「いやいや、どうであろうな?」
仲良さげにマリーとキジロが話し合っている中で、アマミヤはその二人を尻目に近場の森林を見据えていた。ゲームで鍛えられた根拠のない直感が働いたのか、違和感を感じたまま目線を微動だにしない。
「どうした?」
アマミヤの異変にいち早く気付いたキジロは、両目を細めながら低めたトーンで問う。
「いえ、ちょっと違和感を感じただけよ」
「違和感?」
マリーとキジロはアマミヤの視線をたどり、その先にあるものにじっと目を凝らした。緑色の多い背景のどこに違和感を感じたのか、二人は視界を広げて幅広く捜索する。
「あっ!」
マリーは何かを発見したと同時に指をさす。キジロは素早くさされた先に目を向けると何かを察知したかのように眉をきゅっとひそめた。
「なにやら悲鳴のようなものが―――」
キジロはそこまで口にした後、すぐさま腰を上げて森林地帯へと駆けた。数秒遅れてマリーとアマミヤも追いかけるが、キジロを見失わない程度に速度を抑えている。
「マリー、何を見つけたのかしら」
「光!」
「光? ……夕日の光が武器を照らして反射でもしたのかしら」
「分かんないです!」
マリーは指先を宙で上下にスライド、システムウィンドウを開きながら反射的に受け答えをくり返す。
「そう……二人ともよく見えるわねぇ」
「FPSやってればなんとなく分かる」
「銃はちょっと使い慣れないのよね……」
「慣れれば簡単ですよー?」
マリーとアマミヤが雑談に興じようとする間に、キジロは悲鳴を上げた者の前にたどり着く。
そこには、ライトグリーンの髪に矢筒を携えた軽装の女性エルフが苦痛を浮かべながら草原の上で横たわっており、その近くには小さな紙と水晶玉のような造形を持つ球体が転がっている。エルフの横腹には大きな斬撃エフェクトが残っており、キジロはそれを見た瞬間に周囲を警戒した。
「敵はいまいな?」
「いないよ」
マリーの眼が鋭く光る。雑談しかけていた余裕もどこへやら、いつの間にか彼女の戦闘態勢は整っていた。武器がなくとも眼光で殺すと言わんばかりに、広々とした森林の中で視線を張り巡らせている。
「二人とも、殺気高いのは結構だけど……ここのモンスター達は襲ってこないわよ」
「「えっ」」
マリーとキジロは予想外だったのか、アマミヤの方に顔を向けてぴくりっと体を跳ねた。アマミヤは普段の苦笑を超して呆れた表情で話し続ける。
「キジロは始めたばかりで分からないのはいいとして……マリー?」
「はい……」
マリーは身の縮こませながら草原の上を正座で座り込んだ。アマミヤはしゃがみ込んでマリーと視線を平行に合わせながら口を開き続ける。
「ゲーム内で集合する前、安全確保の為に今回のエリアデータをパソコンに送信してたハズなんだけど……?」
「うん、そうですね……」
「情報収集とかってやらないのかしら」
「えーっと、私自身も所見プレイの方が楽しめるかなーって……」
「ここ、ゲーム開始地点からそう遠く離れてないエリアよ? まさか初見ってわけでもないでしょう」
「え、えっとー……あははー」
「こんなのwikiみてたら当然でしょう? ……当然よね?」
アマミヤはどことなく表情が黒くなっており、マリーは冷や汗を流しながら両手でどうどう、と落ち着かせる。
この反応の通りアマミヤはデータ厨でありゲーム用語でいうガチ勢、やる時は全力でやり通すオネエ。逆にマリーは楽しめればそれでよし、ガチ勢とは相反するエンジョイ勢というもの。
そして極めつけに、マリーはその場の状況でどうにかするプレイスタイルを好む。しかしアマミヤは作戦を立ててきっちりと対応するデータを使ったスタイルを良しとしており、ここでも互いの意見が分かれてしまう。
そんな真反対とも言える関係である彼女達のやり取りに、キジロはまったく見向きもせずゆっくりとエルフへと近づいた。
一定距離まで近づいた瞬間、女性エルフの頭上に金色の【!】マークが表示された。あれこそクエスト開始NPCである証拠。普通は近づいて話しかけるだけで自動的にクエストログが展開されるのだが―――そのクエスト内容を話すNPCの意識がない以上、今はどうしようもない。
「おぬし、平気か?」
しかしそこはゲームのゲの字すらまだ理解できていない侍、まったく気にすることなく軽く肩を揺らして反応を確かめる。少しずつ強めても意識が戻らないことを理解したキジロは、彼女の斬撃痕に再び視線を移した。
「ポリゴンの形状が大きい……大剣の剣先で斬られたか、MOBの攻撃ね」
「助かるのか?」
「分からない。こんな所にNPCがいること自体、アタシも初めて知ったわ」
キジロはアマミヤの言葉を聞き終えて二秒ほどで決断したのか、不慣れな手つきでポーションを右手に出現させ、空いた左手で仰向けにしてから頭部を少し持ち上げて支える。そこから唇と口縁を接触させて少しずつ口内へポーションの液体を流し込んだ。その決断力の早さと人の良さを評価してか、その光景をアマミヤは微笑みながら見守った。
そんな事をしている内に、マリーは水晶と紙を調べており、水晶については何も分からないと悟ると紙を調べる作業に取り掛かった。目を凝らせばゲーム内でのエルフ文字が書かれてあり、マリーはそれを容易く翻訳する。
「神秘を込めた水晶を供えなさい。我が森の守り神が憤怒を示さぬよう、必ず供えなさい……」
マリーは口に出しながら読み終えて裏を確認した。裏には簡易的な地図が書かれてあったが、感覚でプレイする身であるためよく行かないエリアのマップは覚えていないのか、アマミヤの方へ視線を動かす。
しかし突如として、この場にいるプレイヤー全員にウィンドウのようなシステムの窓が開かれた。クエストの内容は【朧夜の森林】と書かれていて、RPGゲームにありがちな【YES】or【NO】の選択肢がクエストタイトルの下に表示される。
「む……これは……?」
初心者のキジロは説明されていなかったものが急に表れたのか、指示を仰ぐように二人へ視線を送った。アマミヤは計画に狂いが生じると思ったのか暫く悩んでいたが、それに耐えかねてマリーがキジロの背中を一度だけ軽く叩く。
「あぁ、ようするにこれはこのエルフの女性を助けるかどうかって選択肢。【YES】と【NO】って書かれてあるけど、真ん中にちっこい【or】ってものがあってねー」
マリーは満面の笑みをキジロに向け、向けられた本人は真剣な表情で傾聴の姿勢を取っている。ここでアマミヤは嫌な予感を感じとったのか、マリーとキジロの事の顛末を見届けることに意識を向けた。
「この【or】って部分を連打するんだよあくしろよ!」
「なるほど、これを何度も押せば良いのだな!」
無意味に等しい連打の光景を目の当たりにしているアマミヤは、気苦労の影響で正気度を減らした気がした。もはや考えることが馬鹿馬鹿しく思えてきたのか、問答無用で【YES】を押す事でクエストを進める。
「ふざけるのはいいけど、クエスト進めるわよ」
「ちぇー」
マリーがぶぅぶぅ、とアマミヤに軽い文句を言っている最中で、キジロは「進める」という単語は何となく理解しエルフの方に顔を向ける。エルフの傷口は消えず意識も戻らなかったものの、険しかった表情が少し緩んだのを確認、わずかな安堵を表情で表す。
「とりあえずマップ見つけたから、これ頼りに進んでみよ?」
マリーはひらひらと小さな紙を揺らす。キジロとアマミヤが小さく頷くと、マリーはアマミヤに紙を押し付けた。そしてその意味をなんとなく理解したアマミヤは、周辺を確認してからゆっくりと歩を進める。
キジロはエルフを持ち上げると、木の一つに背を付けるように座らせた。マリーは「キジロ」と小さく呼びかけて先に行くと、侍は軽く返事をしてから地を踏みしめて後に続く。
「……ふむ、所でくえすと、というものはなんだ? 短剣娘、知っているか?」
キジロの「短剣娘」と言われている人物の名は、スルト。先ほどの一人いないメンバーその人なのだが、今回は理由あって参加できていない。視界左上には一本のHPゲージが表示され、その下にくっきりと名前と小さな一本線が描かれたヒットポイントを表している。この仮想世界に入っていない場合はその表示が薄くなって判別がつきやすくなっており、もちろんスルトと書かれた表示部分は半透明になっている。
「短剣娘さんはいないよー?」
「あぁ、そういえばあいつは下痢で来ていないのだったな。…あれほど消費期限切れ一年の牛乳はやめろと言ったのに、ほとほと呆れるというもの」
「いえ、ただ単にバイトがあるから参加できないだけよ……」
あくまでも現実でないことを忘れず、適度な緊張感とそれ以上の歓楽を持ってクエストに挑もうとしている。ゲームプレイヤーにとっては、きっと正しい心境であることだろう。
一行はエルフを後に森林地帯に足を踏み入れた。この地帯はいちばん小さい樹でも直径一メートル、高さは三十メートル以上もある。巨木と言うに相応しい古樹が見渡す限り連なり、幾重にも折り重なる枝葉の隙間から金色の光の筋が降り注ぐ光景は、幻想的の一言に尽きる。
どこまでも広がる大森林のパノラマを十分堪能するにはもってこい。
だが、細い枯れ木に並ぶ二つの青白い燐光が眼のように浮かび、左右に長く伸ばした枝を細長い鉤爪のようにゆらゆらさせた何かがそれを邪魔する。mobと言われるその個体の頭上には、【treant】という名が空中にて刻まれていた。
「トレント……樹木の精霊? かしら」
「精霊とか関係ないって。どっちにしろ怪物だもん、やっちゃおう」
マリーはぎゅっと握りこぶしを作りながら、眼前の敵を見据える。表向きは冷静な彼らだがその実、内はすでに闘志の炎で満ちており、一人の戦士として地に立つ。
「そうね。サーチ・アンド・デストロイ、よ。ゲームの基本よね」
アマミヤはシステムの窓からショートカット枠に入れていた愛槍をポップさせた。出現した槍の柄を握り込み、器用に振り回しながら眼前の敵を視界の中心に据える。鋭い穂先を敵に向けると、首を急速に曲げて鈍い音を鳴らす。
「ですよねー。さーち・あんど・ですとろーい!」
マリーは意気揚々と喋りながらインベントリを開き、アイテム欄から装備順に検索を絞る。そして愛銃の【FR-F2】を手元にポップさせた。出現した長身の黒銃は夕日に照らされ、銃身から銃口にかけて鮮血のような赤い光がすっと滑る。
「肩慣らしには丁度よい。軽い運動といこうか」
キジロは柄に手をかけゆっくり引き抜くと、正眼に構えた。一行が戦闘態勢に入った後、トレントが根を足に見立てて歩行する。
トレントが接近を行うほど、微細な緊張と興奮が心臓の鼓動を速めていく。
AIはキジロをターゲットに捉え、手のような造形の枝を突き出し急成長させた。伸びろ如意棒、と言わんばかりにリーチを伸ばしたその枝は、命中する直前で刀によって叩き斬られる
。
「刀を振れることはよしとするが、敵が稚拙に過ぎるよな。やはり鍛えるならば人と死合うが道理か」
降り下ろした刀をそのままに、刃先をトレントに向けながらゆっくりと近づく。トレントのAIは隙ありと攻撃を繰り返すも、自由自在の剣戟によって悉くを切り捨てられる。
刀の射程に入ると、手慣れた動作で剣技を見舞う。見入ってしまうほどの鮮やかな曲線を描き、見切るほどが困難なほど素早い剣撃はさながら疾風のごとく。
疾風怒濤の剣線はトレントの体を裂き、ヒットポイントのゲージを削り抜いた。システム通りならポリゴンとなって爆散するが、意地でこらえたかのようにトレントは体を大きく振って頭部から黄色の胞子を振りまいた。
「ぬっ?」
キジロはとっさに身を引く。何事にも対応しようと目を見張っていた侍は、何かを思い出したように視線を左上に動かした。
「状態異常……であったか。確か、赤いゲージの右側にアイコンなるものが浮かんでいるのだろう?」
キジロは剣の達人ではあるものの、ゲームに関してはにわか仕込み程度の知識しか持ち得ていない。それを理解していたアマミヤとマリーは頷きながら得物を構え続けた。
「ええ、そうね。私達はなにも増強を受けていないから、アイコンが出ていれば何かしらの減弱を受けていることになるの」
「……ふむ」
キジロは堅物な脳を柔軟に動かそうと四苦八苦しながら、視線を動かし続ける。そして疑問を浮かべるように首を少し傾げながら口を開いた。
「見当たらぬな。ならば先ほどの行動になんの意味が―――」
そこまで口にすると、別のMOBを直感で察知したのか瞼を細めて視線を周辺に巡らせた。その姿を見たアマミヤとマリーも背中合わせで索敵を行う。
日が落ちるほど霧が濃くなっていく中で、薄暗い森林の奥には先ほどキジロが斬った敵と一見してもなんら代わり映えのないトレントが姿を現した。それも一、二と深い霧の中から溢れるように数が増えていく。
「これ、逃げる?」
「時すでに遅し、もう囲まれている」
三人は背中を合わせながら、視野を限界まで広げた。構えながらも、なお口を動かし続ける。
「敵、何体いるの?」
「そうさな、数十はいるか」
「同じく、それくらいねぇ」
数えきれないほどのトレントを前にして、突然に静寂が訪れる。周囲を囲まれ、圧倒的な人数差があり、逃げ道もないこの状況。そんな時にふっと、笑う武者がいた。
「なるほど……これは良い。今宵は楽しめそうだ」
血気盛んな侍の言葉を耳にした二人は、上がりかけた肩をゆっくり下ろし、返って冷静になった。
「さっきの、仲間を呼び寄せるヤツだよね」
「でしょうね。倒せば倒すほど増えていくのかしら」
「なに、一人が稚拙とて数で勝れば戦局は揺るぐ。実に良い戦略だが……我らは敵を屠るのみぞ」
キジロは強く踏み込んで距離を詰め、トレントの胴体に曲線を切り込みながら横を過ぎる。MOBは体を両断されたことによってヒットポイントの横幅が急速に減少し、一体がまた胞子を振り撒いて―――そのような工程が、二時間にも及んだ。
トレント達はゲームシステムのAIによって操作されている。学習こそすれど、相手の実力を指し図ることができない。例え何十にも束になった矛で敵を討とうとも、極めた一の矛の前では淘汰されてしまう。
――――――もちろん、それを知るすべを、機械人形達は持ち得ていない。
時刻は夜の七時ごろ。リアルと時間を結合しているこの世界では、現実世界が夜であるのならこの仮想空間も当然、夜になる。季節感も持ち合わせたこのゲームは、無料とは思えないほど贅沢感のある代物だ。
二時間ほどの戦闘を越えて静まり返った森林の草地で、一行はどっと疲れた様子で座り込んでいた。
削られたヒットポイントは全員を統合しても五割ほど。油断や地形の問題でダメージを食らったとしても、致命的なものは誰も受けていない。
「つっかれたー!」
マリーは埋まった岩石の上に座りながら、右手を視界に入る程度に軽く持ち上げる。右手をスライドしてウィンドウを開き、アイテム欄からポーションをポップさせると、栓を親指で弾いて貪るようにあおった。ポーションには苦味の強いレモンジュースのようなものを感じられるが、それ以上に疲労による疲れが勝り、苦さが旨みにも感じられるだろう。
「ふむ。もう敵はいないのだろうか?」
消化不良、という顔をしながら余分に刀を振りながら鞘に納めると、周囲を見渡した。しかしそこには目にも見える胞子はなく、敵の姿すらない。
戦闘後の静寂から、戦の終わりを告げるように涼やかな風がプレイヤー達の髪をなびかせる。
なびき風が過ぎると、キジロは空を見上げた。月光が勝利を祝うように一行を照らし、すっと息を吸えば自然と緊張感がガス栓のように抜けていく。
システムの脳信号によってそのような現状が起きるのだが、戦闘後にそんなことを考えるほどの余裕はなく、プレイヤーの一人が気づいてそう言ったところで「空気が読めない」と罵られることだろう。
「いないわね。……それにしても、私の記憶ではこのエリアにこんな効果はなかったと思うのだけれど」
「こんな効果って、何ですか?」
本気で言っているのか、とアマミヤは困りはてたように肩を下ろしながら息づいた。マリーが申し訳なさそうに両手を合わせて眼を瞑る―――時折、ちらちらとアマミヤを見たりはしているが―――と、手で払うような仕草で「やめて」と一言を述べた後に語り始める。
「キジロがいるし、まずは基礎からね。このゲームには【エリア効果】というものがあって、リアルで言えば夏は暑い、冬は寒い。豪雨の時は地面がぬかるんでるし、台風の時は風が激しい。それと同じように、このゲームにも環境の変化が当てはまっているの」
「ふむ、なるほどな。して、この霧の効果というものは何か?」
「んー……いや、ここから教えるのは後にするわ。キジロには戦闘に集中してもらいたいから、このクエストが終わったらちゃんと説明するわね」
「御意」
キジロが小さく頷きながら了解の意を口にすると、アマミヤが地図の書かれた紙をポッケから取り出し、ちらつかせながら先に歩みを進めた。キジロは表情を一切変えず、またマリーは嫌そうな顔をしながら、二人はその後ろを追いかける。
そして時はゆっくりと流れていき、一行はある問題に直面した。
「――――――ここどこ!?」
マリーが焦り気味に放った一言は、その場にいるプレイヤー全員が思っている事だった。マップを見て堂々と前を歩いていたアマミヤは、今や大きな木の根に腰かけて深くうずくまっている。
「ふむ。アマミヤよ、地図通りに動いていたんだな?」
「そうだと思っていたんだけど……甘く見ていたわ……」
見渡す限りに生い茂る木々、日も完全に落ちようとしていた頃、一行は遭難していた。状況が最悪と言える展開でさらに不安感がつのる。
「戦に集中しすぎて、自らがおる場所を掴めなくなっていたか。……不覚」
マリーが周囲を見渡して、さらに深くなった霧と大まかなマップの現在地を見比べるよう顔を上下させながら、
「この霧、絶対迷わせるためだよね」
「そうとしか思えん。……さて、もはや説明せざるおえまい。博識であるアマミヤにご教授願おうか」
マリーとキジロがじっとアマミヤに視線を投げかけていると、両手を挙げて降参の意を示してからゆっくりと立ち上がった。
「フォレスト・オブ・ウェイバリング・ミスト。日本語訳すると、迷い霧の森」
「うわぁ……なんか日本語にしたらダサくなった」
「意味のない名よりマシであろうよ。意味なきものほど、虚しいものはない」
「はいはい、聞いて頂戴」
アマミヤは長い説明を始めた。それを要約すると、マップが見づらい上に濃い霧がかかって周囲が確認しづらい。戦闘中は原則としてPTメンバーから絶対に離れないことが鉄則になっているゲームでは、タチの悪いことで有名なマップになっている。
システム的なマップは存在するが、開いても位置情報がおぼろげでよくよく見てもどこに道があるのか定かではない。紙に書いてある大雑把なマップを見て探索した方が数倍安心だろう。
そこまで説明すると、キジロはつぐんだ口を開く。
「まあ待て、こんなことも時にあろう。適当に歩けば何処かに出る……出られるのであれば、迷おうと関係あるまい?」
「そ、そうね」
「ただ説明を聞くのがめんどくさくなっただけなんじゃ……?」
マリーの訝しげな問いも、聞く耳持たずとキジロはひとりで歩き始めた。その後ろを不安げに二人はついていく。
「このゲーム、途中からやり直しとかできないかなぁ」
「セーブ箇所が決められてて、途中セーブは無理。セーブと転移用の門は一つのステージに一つはあるハズなんだけど……今の所、見当たらないわね」
門、といっても石積みのアーチがそびえているだけで、扉も格子もついていない、向こう側が素通しのもの。間近に迫ると、薄水色の波紋が門の中心から流れているように見えるようになり、それがセーブと転移ができる状態を示す。
もっともそれは、チームの誰かがその門を有効化していたらの場合となる。有効化させるには揺れる水のベールを触れる必要があるのだが、それ以前に求める物が見つからないのでは、意味のないこと。
「そっかぁ……じゃあ目的地に着くまで頑張るしかないかぁ」
マリーは小さなため息を付きながら、とぼとぼと歩み続ける。キジロは左右に顔を振りながら進行経路を変えず進み、アマミヤは視覚で索敵をしながら二人についた。
歩を進めて三十分、目的と思われる場所にやっとのことでたどり着いた。一行が地を踏みしめている一帯は不可思議にも霧が晴れていて、いかにもボスが出現するような雰囲気を創り上げている。
断崖絶壁には古風な石の大扉があり、その上に乗るように大樹が生えている。一行はマップを確認してこの位置が正しいだろうと思ったが、扉はかなり頑丈そうでこじ開けることは不可能とプレイヤー達は悟った。
「……何者だ」
バスの利いた声が突如、耳に入ってくる。脳に直接語り掛けているような不快さを感じながら、一行は周囲を見渡す。しかし、人物らしき者もいなければ、クエストに関係のありそうなオブジェクトも見当たらない。
マリーは一瞬身を硬直させ、何かに気付いたように絶壁の巨樹へ体ごと向けた。それに気付いたキジロとアマミヤもマリーの視線の先を見やる。
巨樹は全身を黄緑の光で包み、月光によって神々しくそびえ立っていた。美しい月の下に立つ一本の巨木は、幻想の一言に相応しい。
「何者か、と聞いている」
再び脳に低い声が響いた。慣れない感覚とはいえVR世界ではこんな現象なんていつものこと、と言わんばかりに平然とした面持ちでキジロは鞘に手を掛ける。
「ほぉ、立派だな。……切るに良さそうだ」
一歩大きく前に踏み込んで抜刀する。抜かれた三尺三寸ばかりなる刀は、月の光によって青い薄光を放ちながらエッジを滑る。
「力で自らの在りようを示すか。だが先ほど機嫌を損ねたばかりの身、加減なくして汝らを地に這わせるが、如何か」
「それは叶わん、必ずや地を這う前に切り捨てよう。……と言いたいが、死合う前に名乗るは道理か」
キジロは身を翻して二人を一瞥すると、肩をすくめて催促した。マリーとアマミヤは顔を見合いながら小さく頷いて、一歩前へと地を踏む。
「人間です」
「オネエです」
キジロは思わず嘆息を付いた。雰囲気を壊され気分が落ちていくと共に、構えようとしていた剣先は地面へと降りる。
「ふざけているのか? しかし……ふむ、これが今時の若者の反応なのか? 見習わねばな」
「何者かと聞いているのだ。無礼の衆よ」
再び問われ、マリーは顎に手を当てながら小さく唸った。そして何かを閃いたかのように、人差し指を巨樹へと突き出して一言。
「人です!」
質問をぬるりと受け流すような解答によって、怒りか呆れかによる沈黙が訪れた。静まり返る空間に耐えかねたのか、キジロがゆっくりと口を開く。
「ふむ、しかしお主は誰なのか? 人に尋ねるならまず自分からするものだろう?」
「マリーもそう思います」
「私もぉー」
樹木の放つ緊張感を物ともしない鈍感さでかき消した。ある一定のフレーズを口にすればクエストログが進行していくはずなのだが、まるでAIではない別の意志があるかのように沈黙が続く。
「ふむ、自分から名を口にするのは違うのか? 違ったらすまん。常識は教えられているが触りだけなのでな」
「我が名を語るに相応しいか否かの差、貴様らは不敬にも我が領地へ踏み込んだ。あげくに我が兵を切り刻んだ者に礼儀もなにもなかろう」
樹木は保っていた沈黙を破った。マリーはまたもや考えるような表情を浮かべたが、閃いたように指をぱちんっと鳴らして手を返しながら樹木へ人差し指を向けた。
「火葬でもしたほうがよかったですか?」
「そういう問題ではないわナチュラルサイコ!」
怒り交じりな声が脳に響く。今まで積み上げてきた巨樹のキャラクター像が音を立てて崩れていくのを、その場にいる全員が感じ取っていた。しかしそれすらも良しと考える道化達の口は、止まるところを知らない。
「ほぉ? ならばなぜ兵を置いたか? 人は違いある異物を切り捨てるもの、それを知らぬとは言わせんぞ?」
「そうだそうだー! しもべを無駄死にさせた罪は重いよハゲー!」
後付けのように悪口を叩くマリーは急に一瞬だけ体を震えさせた。それ以上何か言えば殺すと言わんばかりに巨樹から放たれる膨大なオーラは、鈍感を通してきたマリーを一瞬の恐怖によって黙らせる。
「我が約定に背いたエルフに対しての善意よ。我の怒りを観ずに逝けるのだから、信じてきた神秘によって死するより幾分か良しというもの」
「約定とは何か、聞くのは野暮かしら?」
いくらか頭が真面目な方に傾いたのか、アマミヤが真剣な表情を浮かばせながら問う。依然キジロは刀を動かさずただ握っているだけだが、触りだけの世間知らずが幸いして警戒心を揺らがせてはいない。
「我がこの森、神秘、安全を保障する代わりとしてエルフに聖水を用意させる。しかし我が身は地を濡らすだけでは事足りぬ、故に水晶体を使った魔法を使わねばならない」
「それだけの事なら、時間が多少ずれ込んだ所で問題はあるまいよ」
「貴様らは心と体の安らぎを先伸ばされ、あるいは無視され、あまつさえそれが当然であるかのように振舞われることに対して、怒りを覚えないと断言できるか? 水は我らにとって生命の源、生ける者を捧げよと言われぬだけありがたいと、なぜ気付かぬか」
不規則に風が流れ始める。怪しさを漂わせ肌を撫でる風は、自然界の怒りをを予兆させるものだと思わせるほど、歪なものだった。
「そうか、それはすまなんだな。しかしながら倒してしまった配下はもう戻らん。無くなったもの、そして過去に縛られる弱者か? 貴様は」
妙なまでに実践慣れをしているキジロは、刀をゆっくりと正眼に構えた。沈黙を保ったままのマリーも愛銃に手を掛けてグリップを握りしめ、スコープ越しに巨樹を覗く。
「……もはや語る義は潰えた。元よりニンゲンなど信用足り得なかったが、等しく持つものさえ否定されれば異物と見る他ない」
地面から突如として根が生え出た。根先は鋭く尖っており、個々の意志があるかのようにうねり始める。絶壁の上に立つ木々が根を生やしていると考えて間違いはないと一行が察するに三秒ほど掛けながら、より一層警戒心を強めた。
「我が領地、踏み入れたことを悔いながら地へ還ると良い」
ボスらしい台詞を吐くと共に、三本のHPゲージが大樹の横に現れた。そのHPゲージの上には本来、そのMOBの名前が刻まれているのだが、なぜか空白になっている。しかしの図体や言動を聞いてもプレイヤー達はこの巨大な木が偉い類のものだとは思っていないだろう、ましてや一度キャラ崩壊を起こした無名の敵など偉いと思えるはずもない。
「ほぉ勝手に言い、勝手にキレるのか。それもまたよし! さあ、死合おうか!」
「やるわよぉ~」
一行が構えを取ると、予告もなしに樹木の根が襲い掛かる。鋭い根先がキジロに襲い掛かろうとしたその瞬間、後方から大きな銃声が鳴り響いた。
「すっ……」
普段の飄々とした立ち振る舞いも、戦闘となれば一変する。氷のような鋭い眼光がスコープ越しに放たれる。再び襲い掛かろうと別の根が動き始めた所を、改造式の大口径が唸りを上げて敵を貫く。
「図体のみで、存外大したことはないのやもしれぬな」
「気を抜くと背後からフレンドリーファイア、来るわよー?」
スナイパーとしては連射力に長けた武器でもあって、二人が棒立ちであっても無駄な動作が無ければ襲われる前に仕留めることができる。しかし防弾性を貫通することにも特化している故に、一発でも味方に当ててしまうとHPが胴体で七割ほど飛ぶ。並外れた冷静さと緊張感に対する耐性がなければ所持した所で引き金を引くことはできない。
「十発、撃ち切るよ」
最後の銃弾が無限に生え出る根を撃ち取った。それを狙ったかのように多方向から同じ敵が詰め寄り、マリー目掛けて攻撃を仕掛ける。
「観るは十分、ここからが本領よ」
「戦士の実力、見せてやりましょ」
詰め寄る敵を刀で薙ぎ払い、敵を槍で刺し穿つ。しかし何度倒そうとも敵は増殖していく。それを見たマリーは背を向けて逃走、それを這い寄るように追いかける三本の巨樹の根はマリーよりも素早く、いづれ追いつかれることは想像に難くない。
「マリー! 離れちゃ駄目よ!」
「なんとなく弱点が分かったの! 任せて!」
アマミヤは長いリーチを活かして敵を刺し倒しながら呼びかけるが、マリーは振り向くことなく返事をした。敵の根がトビウオのように潜って飛び出してを繰り返しながら追いかけていくのを視界の端で捉えながら、あくまでもアマミヤとキジロは眼前の敵に徹する。
マリーは改造済みの【FR-F2】に装填していた空のマガジンを捨てて新しいマガジンに取り変えると、ボルトハンドルを手慣れた動作で引き、また前方に戻すことでリロードを完了する。いざ尋常にとブレーキを掛けながら後方を振り向いた時には、狙いを済ました一刺しが向かう直前だった。
「ひゃっ!?」
根の先が真っ直ぐ伸びてくる。頭を狙った一撃をマリーは屈むことで回避したが、自然に張られた木の根に足を取られて後ろに転がり込んだ。
隙ありとばかりに一本の根が襲い掛かるも、マリーは転がりながらスナイパーを腰に添えて無茶な体制から銃声を響かせた。放たれた弾丸は幸運にも襲い掛かろうと追跡していた根に命中、そしてポリゴンとなって爆散。視界でもう一本の根が接近するのを確認してから受け身を取って立ち上がる。
「うざったいなぁ、もう!」
立った状態で腰のショルダーホルスターから【FN ファイブセブン】を取り出し、狙いが定まった瞬間に何度も撃鉄を鳴らす。合計七発中三発が命中し、敵と認識されている根の視界右上に固定表示されている細い横線が、その幅をゆるやかに縮めた。
しかし全損する数センチの所でゲージは制止、勢いが衰えることなくマリーの顔へと樹木の槍が突き出された。顔を傾けて回避しようとするが、完全には避けることはできず血液の代わりに鮮紅色の光芒が飛び散る。
マリーは視界左上にある自身のバーを見て、わずかに幅を縮められたことを確認した。それと同時にシステム特有の損傷による焦りの増幅によって、胸の奥をひやりと冷たい手が撫でるような感覚に陥る。
バックステップを踏んで距離を取ると、すかさず拳銃のリロードをと見せかけて袖に隠して携帯していたサバイバルナイフを取り出した。しかし敵はリロードモーションを隙と見ずに根を突き出したまま停滞する。
「はっ……」
無理やり大きく呼吸を吐き、気息を整える。この世界はあくまでゲームの世界、つまり酸素を必要としない。しかし現実世界にあるマリーの生身は今激しく呼吸を繰り返している。投げ出された手にはじっとりと冷や汗をかき、心拍もヒットポイントバーが減るごとに加速していく。
しかし、それは至って当然のこと。
マリー達が見ている全てが仮想の3Dオブジェクトであり、減少しているものが数値化されたヒットポイントであろうとも、眼前に確かな敵意を持った異物が居る以上は戦わざるおえない。物事はある一定の域を超えると真に迫るほどの異質な空間へと変化し、まるで現実のような錯覚を引き起こす。その域に一行は達しており、もはやそれは本物と呼ぶ他ない。
それが今、マリー達が感じている世界。この世界の全てが現実であり、仮想の偽物などひとつもありはしない。普段では持つことさえあり得ない剣や銃すらも、彼女達にとっては真剣勝負に値する材料となる。
マリーは二丁の銃を置き、サバイバルナイフの鞘を抜いて逆手もちで構えた。月に明るく照らされた夜の樹林に、どこからか冷たい風が吹き寄せてきて、頬を撫で短い髪をゆらりとたなびかせる。
マリーは地を蹴った。遠間からサバイバルナイフが鋭い円弧を描いて樹木の根に飛び込むが、敵も停滞していた状態から追従の時より格段に素早い速度でマリーに迫った。
「ふっ」
しかし、マリーはその攻撃を先読みしていたかのように体を一回転させて体を一歩左に振り、そして逆手持ちのまま斜め上に斬り上げた。
マリーの視界すぐ右隣りにある焦げ茶色の樹木が不自然にもぴたりと止まって、ガラス塊を割り砕くような音響とともに、ポリゴンの欠片となって爆散する。
「はぁーーー」
マリーは緊張感から解き放たれた影響か、長いため息を付きながらその場にへたり込んだ。休憩ついでに周囲を見渡して敵が見当たらないことを確認すると、立ち上がろうとゆっくり足腰に力を入れる。
その時、マリーは小さな地響きを聞き取る。もう一度周囲を確認しても敵の姿はない、しかしよく聞けば地を抉るような音が彼女に接近してきていた。
マリーが緊張を解放したことによって生まれた油断を突くように、三本目が木の陰から予備動作もなく攻撃を仕掛けた。
「きゃっ!」
肩に重い一撃が入った後にノックバックで体が吹き飛ばされる。背中から木に衝突、重力に従い地面に降りて倒れるものの、自分のヒットポイントに目もくれず一目散に二丁の銃へと走り出す。
マリーは迷うことなくスナイパーライフルを手に取って腰撃ちの構えをとった。不意打ちからすぐに根は木々を盾に隠れながら移動を始め、次の一手に出る準備を整えた。もはやAIとは思えない戦闘スタイルの幅広さを目にしてもマリーは動じず、氷のような固い冷静さを保ったまま全体に意識を張り巡らせた。
一時の静寂。無駄撃ちが死に繋がるこの瞬間、マリーは密かにも笑みを見せていた。
槍と呼ぶに相応しい根の穂先が姿を現してマリーへと飛んだ。マリーは数コンマ遅れて振り向き、そのまま弾丸を一発のみ発射する。
幸運だったのか、狙ったものなのか。見事弾は敵へと命中し、敵に表示されたHPバーもまた一ドット余さず消え去った。
驚きと消費した精神力によって自然と荒くなった呼吸を整える。そしてまだいないかと余分に周囲を見渡して索敵を行い、居ないと判断すると尻もちをつくように地へと座り込んだ。
「終わったー! 疲れたー!」
マリーは叫ぶように独り言を呟いた。HPバーを確認すると残り二割ほどしかなく、大雑把に考えても二発で爆散してしまう。それを理解した瞬間、ウィンドウを開いて慣れた手際でポーションをストレージから取り出し、一気飲みをする。
この世界ではポーションによる回復効果は一瞬ではなく持続、飲めば飲むほど回復するが一気飲みをしても普通に飲んでも同じ速度で回復処理が進行する。なのでどのような飲み方が一番早いというものはなく、マリーが一気飲みをしているのは焦りから生まれた自然な形だ。そして飲み終えた後も周囲を確認しながら口を開く。
「単調な攻撃しかないって思ったのに、まさか自立して動けるなんて……」
地面に生える無数の草を踏みしめながら周囲を見渡すと、やけに大きな岩を発見する。
「まるで根の一本一本に意識があるような感じ。……でも、もう襲ってこない辺り周囲の木々は敵じゃない」
言葉にしながら状況を整理しつつ、大きな岩へとたどり着いた。断崖絶壁の上に立つ樹木を倒すには現状、狙撃しかない。そう思っていたのであろう彼女は、大きな岩の頂部に向けてロッククライムのように上り、銃を構える。
「……届くけど、無理かなぁ」
マリーはスコープ越しに巨樹を視認するとすぐに理解した。射程範囲内ではあるけれど、ダメージソースと呼ぶにはあまりにも遠すぎること。
距離を細やかに測る力をまだ彼女は備えておらず、軽く舌を打ちながら形だけでもスコープの十字に樹木を当てた。
マリーが苦戦を強いられている中、時を同じくしてキジロとアマミヤも別の意味で苦戦を強いられていた。
「ふむ……これはどうすれば良いか」
近寄る敵をすべて屠りながら、侍と槍兵は首を傾げた。
「そうねぇ……雑魚ばっかり押しかけてきて、本体までたどり着けない。ならまだいいんだけど」
近づく敵をなぎ倒しながら、余裕のある口ぶりで話す。キジロ達は決して油断しているわけではない、しかし戦いが始まって早十分は経ったかという頃で、未だに現状の打開策が見つかっていない。それ故に問題を解決すべく互いに耳を傾け合っているのだろう。
「本体に向かった所で超えられない壁があるんじゃ、どうしようもないわよねぇ」
雪崩れるように迫りくる木の根を切り払いながら、視線の端で絶壁を見やる。登っている途中で襲われれば落下、ロッククライムの経験を一行はしていないために、壁に貼り付きながらの回避は不可能。肝心の遠距離役であるマリーは作戦があるようで不在、現状彼らには打つ手がない。
「私は切る事しか能が無くてな。短剣娘が居れば話が早いのだが」
「あの子なら乗り越えられるでしょうけど……それでも火力には欠けるわよ」
敵を何体もなぎ倒していると、攻撃の波が急に止まった。アマミヤとキジロは違和感を覚えて巨樹の方へ振り向く。
「我が動かねば埒が明かぬ……か、まったくもって小賢しい。ニンゲンよ、まだ抗うというのか」
「あら、人間は小賢しいのが取り柄ってモノよ?」
「攻撃を仕掛けてきたのはそちらであろう。死合うならば、剣を抜く前に覚悟をするべきだ」
巨木を中心として、先ほどより倍はあろうかという巨大な根が二本、地面から突き出てきた。二人はすぐさま構えるが、巨大な根は穂先のような根先を構えながら制止する。
「ならば死する覚悟があるのだな、ニンゲン。己の浅はかさを悔いるがいい」
根は射出された。凄まじい速度で迫りくる攻撃に槍兵と侍は辛うじてバックステップを踏むが、地面を抉る攻撃によって生まれた風圧で後方に吹き飛ばされる。
「……なるほど、良い一撃だ。私を吹き飛ばすほどの威力、かわすことも難しかろう」
侍は控えめな笑みを浮かべた。それは好敵手を見つけたことに対してなのか、それとも心躍る戦いを欲していたか。それを悟るすべもなく、アマミヤは柄を握りしめながら視線をキジロへ向けた。
「あら、自信過剰は良くないわよ? どんなに現実で強くても、ここでは時としてそれが仇になるわ」
キジロは驚いた面向きでアマミヤに視線を向けると、小さく鼻孔を吹くと刀を引きながら構えた。
「気分を害したなら相済まぬ。今宵は楽しめそうだと、久しく熱が入った」
「あら、そんなに強敵? 雑魚達はそこまで強くなかったけど」
ゲーム慣れをしている所為か、アマミヤは地面を抉った光景を見てもさほど動揺していなかった。しかしキジロは地面が抉れるなどという光景を眼にすることはなかった身であり、強者を求める武人であるならば、その光景に身を震わせ心が鼓舞されることは不思議ではない。
「さきほどの一刺しで確信した。あやつは……強いぞ」
「あらぁ、そう」
アマミヤは再び巨樹に視線を移し、目を淡く輝かせた。雰囲気に飲まれたのか、両手で槍を握りしめて重心を落とし、しっかりと足を踏み込んで戦闘態勢に入る。
「ニンゲン、世間話はこれにて終了。死して我が地の糧となるが良い!」
再び二本の巨樹の根が生え襲い掛かってくる。初手に襲い掛かって来た根も同調するかのように動き出し、二本ずつに分担してアマミヤとキジロに襲い掛かって来た。
アマミヤは横に躰を振って一本目を回避するが、二本目を長い柄で受け流す。金属が擦れる音を間近で聞き届けながら、攻撃の終わりまで耐え続ける。
「ふっ!」
キジロが一本目を左に寄って避けた瞬間、斜め切りでカウンターを繰り出す。
キジロの刃は確かに通った。しかし根を完全に切断することは叶わず、途中で刃がつっかえてしまい柄を握ったままのキジロは体を流されて後方へ吹き飛んでしまう。
一本目の攻撃が止まると同時に踏みとどまったが、未だ刀が抜けずキジロは眉をひそめる。二本目の攻撃が来ることを瞬時に察知したキジロは回避しようとするが、刀を捨てるべきかと一瞬の迷いが生じ、反応が遅れた。
「クソ―――ッ!」
アマミヤは吐き捨てるような一言とともに、キジロが攻撃を受ける前にフォローに回り、根の一撃を防御した。しかし圧倒的な力の前に躰は浮き、後ろにいたキジロも一緒にノックバックされる。
二人とも表示されたヒットポイントバーを見やる。防御を行使したこともあって、直撃でも二割ほどしか減っていない。
しかし、本物に迫るゲーマーにとって【ほど】という言葉は適切ではない。なぜなら彼らは今、二割がたそのアバターの死に近づいているのだから。
「まさか遅れを取るとは……修行不足か」
「口を開く前に行動よ!」
キジロは次の攻撃に備えてアマミヤから距離を離し、両手で柄を握り込んで重心を低く取った。
「……やられたら、やり返す!」
付け足すように放たれた言葉は、オネエのような口調から鋭さのある男性に相応しい声に変化した。それ自体が異常かつ真剣なものであることを瞬時に理解したキジロは、ふっと笑みを消して真剣な眼差しを浮かばせる。
さらにもう二本、巨樹は根を生やしてすぐさま襲い掛かる。そして行動を終了していた四本もまた動き出し、宙を目指して移動した後に落下するようにキジロとアマミヤに襲おうと穂先を向けた。
しかし、突如としてその内一本の巨樹が爆散した。それは刀がつっかえていた根であり、それを消滅させるような行動をこの場にいる者達は、誰一人として行っていない。
「やっと動きを見せたわね! 遅いじゃない!」
襲い掛かる五本の根をキジロとアマミヤは分断して回避した。撃ち抜かれた根はポリゴンとなって消滅し、刀は重力に従ってゆっくりと落ちていくが、それをキジロは回避ついでにとキャッチする。
「いい位置を見つけたらしい。……さすがは狙撃手、といった所か」
マリーは口をつぐみながら、右手の人差し指をそっと大きなトリガーガードに沿えた。
彼女は運に恵まれていた。決して嫌な事がなかったわけではない、しかし他人と比べて嫌な事が少なかったとは今も思っている。
しかし戦闘系のゲームを始めてから、運だけでは限度があることを知り、また自分のすべての力によって勝利をもぎ取る。それに不思議と憧れを感じていた。憧れを感じて、趣味になり、そして本人が気付くこともなくそれは本物となった。それが彼女が誇る戦闘の【才能】である。
「すぅ……」
どくん、どくん、心臓の動悸が激しくなっていく。マリーはそれを抑え込みながらスコープの十字を巨樹の本体へと動かす。風向きは理解できるが距離は理解できない、その歯がゆさを感じながらも勘で右上に一メートルほど固定、沿えた人差し指を動かしてトリガー本体に触れさせる。
心臓が脈打つ瞬間、標準は微々たるものだがズレる。狙撃に際して緊張するのは止めようのないこと、パソコンゲームのような第三者視点から見た自分のアバターには緊張などというものはなく、一切表情を変えず敵を撃ち抜く。彼女はそれが羨ましいと思った、緊張が彼女の弱点であり、克服したいと願うものだった。
音もない吐息を吹く。本体のヒットポイントがスコープ越しに表示されており、未だ削れていないことを確認する。自分の鼓動と相談するかのように、十分に時間を使いスコープを覗き込んで指先に力を入れた。
――――――地に落ちる雷鳴にも似た咆哮が、視ている世界を震わせた。
愛銃に設けられた制退器から巨大な炎が迸り、放たれた弾丸は銃声すらも振り切って突進する。反動によってマリーの体はライフルごと後退しようとするが、小さな足場で両足を踏ん張らせて堪える。
マリーは狙撃後に遠くから極小のオブジェクト片を視認する。急いでスコープで確認を取ると、本体ではなく攻撃モーションの準備をしていた巨樹の根に命中したのをポリゴンとなる前に確認できた。
「狙撃、失敗……?」
己の未熟さを悔やむ間もなく、シューティングゲーマー特有のきめ細やかさが発揮される。根を破壊した瞬間、月光に当てられたのか光を反射する物体を視認した。
急いで銃の位置を移動させてスコープで後を追うと、一瞬だけ曲線を描いた刃が視界に映る。あれが刀であることを瞬時に悟ると、マリーの右手は自動的に動き、FR-F2のボルトハンドルを引いていた。金属音とともに巨大な薬莢が排出され、狭い足場の角に当たり地面へと転がってから消滅する。
次弾を装填すると同時に、物の確信を得たように不敵な笑みを浮かべながら、敵本体をスコープ内に収めていた。あの轟音をもう一度鳴らし、死の結晶たる弾丸が大気を切り裂き飛翔するために。無慈悲な指先を、トリガーに掛ける。
「さぁて……私達も、やらなくちゃね」
「やらなくてはと言うが、あの巨木に当てる算段はあるのか?」
「……そうねぇ」
アマミヤは巨樹や周囲に生え出る巨大な根を見回し、眉間にしわを寄せ、顎に手を当てて唸り続ける。それが三秒ほど経過して根が動き出そうとしたその時、あっと何かを閃いたかのように表情が一変する。
もはや何度目かも分からない、また根が生え複数の敵が襲い掛かる。しかし何かに気付いた様子のアマミヤは、足に踏ん張りを付けて構えたまま微動だにしない。キジロは回避に専念しながらも、アマミヤへ細かく視線を送る。
「こういうことかしら!」
アマミヤは体を貫かれる手前に跳躍し、根の上へと移動する。そのまま攻撃は地面に直撃し、地割れを起こすもアマミヤは振り落とされずに留まった。しかしこれがまだ一本目であることをアマミヤは理解しており、攻撃されまいとトップスピードで駆けあがっていく。
しかし逃さまいと一本の根が行く手を阻んだ。キジロの斬撃を物ともしなかった根が眼前にあるというのに、アマミヤは槍を深く引き絞り、体当たりのように迫っていく。
「シャアッ!」
力任せの一刺しは強引にも風穴を開け、ヒットポイントを一瞬にして削り切った。青白いオブジェクトが霧散していく中を突っ切るように移動し、さらに本体との距離を縮める。
「小賢しいぞニンゲン! とく失せよ!」
怒号のような響きとともに、キジロを狙っていた根が対象をアマミヤへと変えて突撃する。しかしアマミヤは敵の攻撃速度より速く足を回転させ、攻撃の余地を与えない。
「たどり着いた!」
絶壁を超えて巨樹の下へ着くと、咆哮を上げながら何度も斬りつけ、何度も穿つ。巨樹は体全体で黄緑の光を放つと、ライトグリーンの衣を身に纏った。
「チッ!」
アマミヤは急に消えた手応えのなさに軽い舌打ちを鳴らす。衣を身に纏った瞬間、槍の攻撃がまったく通らない。襲い来る根を排除しながら攻撃を繰り返すも、巨樹のヒットポイントは少しずつダメージを受け付けなくなり、削れ具合にしょっぱさを感じさせる。
攻撃の集中度が増し、アマミヤは対処しきれないと判断したのかバックステップを踏む。しかし唐突に現れた新しい根がアマミヤの背中を突き、前方に吹き飛ばされた所を他の根が横なぎに殴り飛ばした。
高い崖に身を投げ飛ばされる。アマミヤはその間にも視線を左上に移し、ヒットポイントの確認をしていた。八割ほど減っていた体力値が二割になるまで削れており、六割を一撃で失ったことを理解した瞬間、恐怖と緊迫感が鳥肌となって現れる。
アマミヤは取り乱さず地面のある方へ顔を向け、宙で体を強引に回転させて着地する。高所からの着地によるダメージは微々たるものではあった、しかしそれで体力の横幅が残り一割を切った。仮想にはない不自然な疲労で足許を一瞬ふらつかせるが、牙を向きながら敵意を巨樹へと向け続ける。
「まだ牙を立てるか、ニンゲン。威勢だけの有象無象かと思えば、戦場に生ける獣の類だったか」
キジロは悟られないように移動し、根を渡り、巨樹の前へ迫っていた。トレントの時より数段速い一撃を繰り出すも、突然地面から生え出た二本の根によって攻撃を遮られる。
「なんと―――、上手く回ったと思っていたが」
「上手さのない剣捌き、力のみで振りかざす刀に、はたして意味はあるのか?」
巨樹はつまらなさそうにトーンを緩める。キジロは刺し止められた刀を抜いて阻害した根を一本ずつ切り捨てると、本体へと接近しながら己が持っている一つの意志を行動に移した。
「上がいる……ということ。ならば、超えさせてもらおう!」
言い終えると走行の速度を上げ、腰に添えるように刀の剣先を本体へ向けて、強く踏み込んだ瞬間に突き出した。大樹に纏っている不可解なオーラによって軌道が逸れた、と思っていた瞬間にさらなる不可解がアマミヤの眼に映る。
鋭い踏み込みと一刺しによって、大樹に浮かび上がった紅い光芒には三つの点とそれをなぞるように一本の線が縦に描かれる。アマミヤの脳が視覚処理を終えた頃にはキジロが斬り下ろす姿勢に変化しており、唖然としながらもそれが人間の技でないことを悟るのに一秒と掛からなかった。
「下ろし三雨、といってな。無形の業であれど、好いた型は鍛えたくなるもの。……さて」
さらにキジロはシステムアシストに頼らず優雅な曲線を一つ描いた。不動の巨樹はすべてを受け止めるが、斬撃痕として現れたダメージエフェクトは三つ。槍兵は武者が一度攻撃したようにしか見えていなかった、つまりシステムの補助があったとしてもキジロの剣撃は現時点では眼で追い切れないということになる。
「構えよ、いい土産話にはなるやもしれぬ」
「我を愚弄するか、雑種!」
怒りと同調するように何本も根がその姿を変形させ、異形の獣として牙を向くもすべてを断たれる。先ほどのキジロとはまるで違う動きに、アマミヤは脳の回路を循環させ、答えに到った事を口にする。
「まさか、システムアシストを自力で解除した……なんてことないわよね!?」
システムアシストとは、シューティングゲームによくある照準機能だったり、自動照準などといったゲームを作る際にあるべき【設定】を言う。それを意図的に外すことになんら意味はないように思えるが、キジロはその中に含まれる別のものを取り外した。
「―――ふっ」
一人舞台、その言葉に相応しい武芸によって巨樹のヒットポイントは横幅を縮めていく。気付かぬ間に残り二割となった所で凄まじいほどの強風が発生し、アマミヤは吹き飛ばされそうになった。しかしアマミヤより強く受けているハズのキジロは、己自身が刃であるかのように風の中を突き進む。
システムアシストには脳の安全装置、いわゆるセーフティーを掛ける機能が備わっている。本で例えるならば、読む速さを制限してそれ以上にならないよう一定数を維持するというもの。脳の負担を抑えることをやめて、設定された限界以上の速さで読むことは自殺行為にも等しく、一般の人間ならできるはずもない。
しかしそれをキジロは可能にした。
元から現実では有り得ないような生活を山の中で行い、また刀を振る事こそ我が人生と豪語している。人一倍、戦闘に関しては現実でかけ離れた存在であり、システムの制御から逃れる方法を感覚で理解した侍には、もはや並の仮想生物では止められない。
「愚弄などしておらんさ、久しくたぎる戦であるゆえ。……私が語り部としてこの物語を継ごうと、思い到っただけのこと」
滑らかに動くキジロの剣舞に対処しようと、根ではなく巨樹の葉から出る極小のレーザーが何十も放たれるが、リミッターを外したキジロは難なくかわす……と、思いきや厚い弾幕に避け損ねて何発か被弾する。
キジロは眉をひそめながら自ら崖から飛び降りた。巨樹は隙ありと見ずに着地するのを攻撃モーションの準備だけを行い、待つ。
「仕留め損ねたか、まだまだ精進せねばな。しかし、いやいや―――もはや機械人形の域を超えていると見た。貴様は生きているよ……そう思うだろう? アマミヤ」
「……えぇ、そうね」
激戦の光景を見て言葉を失っていたアマミヤは、キジロの呼びかけによって目を覚ました。キジロの全力を知らなかったのもあるが、その全力についていける今回のボスも規格外、レイドという十六人パーティで組む大型グループで挑むこと前提の作りとしか思えないほど高性能で、先ほど戦っていたのに足がすくんでしまう。
「怯えることはないだろう。戦闘の最中に機械を頼りたくはないのだが……もうすぐ、終わりを告げるようだぞ?」
キジロは巨樹へ指を刺す。その先にはヒットポイントが赤く染まっており、横幅がアマミヤと同じくもう一割を切っていた。
アマミヤはボス戦のときにヒットポイントが残りわずかになると、ボスに新しい攻撃が追加されて油断できなくなることを理解していたが、それ以上にもうすぐ終われることに希望を見出した。流れ出る仮想の汗を拭き取りながら、重心を沈ませて槍を横に置くように水平で構える。
「それで良し。私も仕切り直しの準備が整った」
二人は一斉に駆けだした。突き出した根はそのまま滞在していたが、もし機械で動く人形ならシステム通り根を引っ込めるなりの対策を取っていたのだろう。しかし敵もまた、仮想の世界で【生きている】。自分に挑む戦士達に敬意を表してか、真剣勝負を受けるのだろう。
「良い、良いぞこの世界! 気に入った、気に入った! さあ、果たし合おうぞ!」
キジロがさらに加速していく。アマミヤはそれについて行こうとするが、視界の両端から大きな黄緑の光が宙を舞っている事に気付くと足を止める。
「攻撃、来てるぞ!」
いつもの口調が外れていてもキジロは反応し、光の矢と呼ぶべき一撃の数々を立ち止まっていなし続ける。しかし攻撃を受けている最中に、ピキっと金属の割れるような音が小さく響いた。
ついには対処しきれなくなり、キジロを中心として爆発が発生する。自然に吹く風がゆっくりと粉塵を流していき、爆破の中心部を露わにする。
「……前に出過ぎ。フォローできないかと思っちゃうじゃない」
「信じるからこそ前に出るのだ。一人だけの戦では、このような特攻など愚策にも程があろう」
アマミヤは火事場の力で槍を器用に振るい、キジロを攻撃から守っていた。キジロは当然であるかのようにその場に立ちながら、余裕を着飾ったように肩を上下させる。
キジロが口にした言葉を耳にしたアマミヤは、喉を鳴らしながらため息をついた。
「かあぁ、もういいわ」
言葉を発しながら、二人はまた駆け始めた。残り半分といった所で、大樹の葉が黄緑に光る。大地が微細に震え上がるのにいち早く気付いたキジロは、走り上がりながら刃にヒビの入った得物を構える。
宙から文字や紋章の描かれた円陣が四つ浮かび上がった。いままで加護のようにあまり表に表していなかった魔法という存在が、今になって一行に襲い掛かろうとしている。
魔法陣の角度が調整され、アマミヤとキジロに向けられる。そして円の中心に周辺の木々の生命と思われるライトグリーンの光が凝縮され、今放たれようとしていた。
しかし、魔法陣は四回の撃鉄によって破壊される。そして銃撃の音が響くその場には、マリーの愛用していた銃が口から火を噴き終え、本人はスコープを覗いてこちらを観ていた。
マリーは岩の上から狙撃するより、近くで狙撃した方が良いと踏んだのか速い段階で移動を始めていた。良い狙撃場所がないかと走り回っていたこともあるが、中距離で撃つことが一番安全でダメージソースになりやすい今となっては、ある意味で【運が良かった】のかもしれない。
「我が魔術が、逃走者ごときに……!」
「逃げてなんかないよ。だってスナイパーは隠密行動が出来て当然だもん!」
キジロとアマミヤは振り返ることなく巨樹へと障害を越えて突貫していく。このまま敵の名前を知ることなく倒してしまうのか、という懸念が一瞬だけ一行の脳裏を過ぎるが、それをAIであるにも関わらず悟ったのか、巨樹は猛々しい言葉で己を語った。
「認めよう、ニンゲンの兵! 我が名はアクゼリュス。残酷の象徴、破滅の化身なり!」
敵のヒットポイントを表すバーの上に【zeriyyuth】という名前が刻まれる。それによってさらに気分が高揚したのか、一行の高鳴る鼓動は加速する。
「よく吠えた! その名、しかと頭に焼き付けよう!」
魔法陣と根が同時に襲い掛かるも、マリーは逃さまいと一つずつ狙い撃つ。最低限の行動で最大限の敵数を減らそうと神経を研ぎ澄まして弾薬を減らしていくが、
「逃した!」
弾薬が切れて魔法陣と根を一つずつ打ち損ねる。その魔法陣からは光の光線が放たれ、一行が足場にしていた図太い根を焼き切った。
しかしその一線をアマミヤとキジロは乗り越えた。もはや雑念はなく、眼前の敵に放つは本能に訴える野性の眼光。迫る一本の大きな根は二人もろとも吹き飛ばそうと正面から来るが、アマミヤは跳躍しキジロは刀を突き出す構えを取った。
「―――――無形一閃」
踏み込む音が一つ鳴り、再び剣は加速する。牙突のように刀を突き出すと根は二本に断たれるが、それと同時に刀は甲高い音を鳴らしながら粉々に散る。刀全体が粉末のように輝きを放ちながら消え、ついにポリゴンとなって存在を消した。
アマミヤは跳躍しながらもキジロに呼びかけようと乾いた唇を開こうとするが、
「行け」
キジロは低いトーンで開く前に遮った。アマミヤは頷く暇をも惜しいと考えたのか、キジロの断った根の上に乗り移り、全力で駆ける。
「我は負けられぬ! 断裂された大陸を繋ぎ、我が魔を継ぐ者を見つける―――その日まではッ!」
アクゼリュスは再び魔法陣を二つ展開、先ほどより少ないためかチャージも早く、すぐさま放たれようとする。しかし魔法陣が攻撃準備を終えた瞬間、弾薬が地面にバウンドする音が微かに響いた。
無慈悲の弾丸は放たれた。射出する前に魔法陣の一つが破壊されるも、再び射抜くためにボルトハンドルを引いた瞬間に魔法陣から熱線が放たれる。
光の線はアマミヤを狙わず、その目先にある道を断った。落ちてたまるか、などの強い意志がシステムに作用したのかアマミヤの速度をブーストし、本人すら予想にもしていなかったであろう大跳躍を導き出す。
「うぉおおおおッ!」
槍の柄を両手で握り、深く絞り込んで突く態勢に入る。これが決まれば兵達の勝利。しかしアクゼリュスは咆哮を上げながら地から鋭い根を天へと突き立て、自然の防壁を瞬時に創り上げた。
アマミヤは歯ぎしりをしながら槍を突き出す。これまでの激戦による鼓動の加速と脳の回転速度によって、仮想空間でのアマミヤはキジロと同様に力を何倍にも膨らませていた。その力を一気に開放した一撃は、その防壁を打ち砕く。
「これで終わり―――」
アマミヤは最後まで口にすることなく悟った。飛距離が、足りないことに。
助走によって生まれたシステムアシストによってブーストした跳躍によって、本来は十分な飛距離を得ていた。しかし、アクゼリュスの防壁に向けて放った渾身の一突きによって、アクゼリュスの下まで届かないほどに失速している。
アマミヤはとっさに槍を持ち替え、投げ槍の体勢を取る。考えあっての行動か、無意識または本能に従った結果の形なのか。投擲の型は熟練された者のように美しく、威圧的なほど真剣な表情を浮かばせていた。
「穿てェエエエ―――――――――ッ!」
投擲体制から放たれた朱槍は標的に目掛けて一直線に向かった。稲妻の如き一刺は巨樹の中心を貫き、それでもなお高く飛翔した。
―――大樹は徐々に活力を失い、枯れ木のように変色していく。そして這っていた根は一部が皮一枚になり、重力に従い千切れ落ち、扉はひとりでに開き始めた。
「……勝った?」
マリーの言葉に反応した全員が、視線をアクゼリュスのヒットポイントに送る。名前と一緒にヒットポイントのバーが消滅することを確認した。
「わぁああああああああい!」
マリーは誰よりも早くスナイパーライフルを両手で持ち上げ、勝どきをあげた。体で表現する嬉しさは、心の底から勝利を噛みしめている証拠だろう。
「良い果し合いの場であった。今宵の敵等に敬意を表そう」
両腕を組みながら、小さく頷く。刀を鞘に納める動作をして、自分の手に刀がないことを理解すると、自分の手のひらを見つめ続けた。
「えぇ、ヒットポイントがかなりヤバかったわねー」
一行は自然と左上のヒットポイントバーに目が行く。マリーは七割、キジロは二割、アマミヤは一割といった具合に減らされていた。
このゲームはヒットポイントが全損してしまった場合、ゲームオーバーのデスペナルティとして所持金額と初期位置に強制リスポーンを受けてしまう。
「さぁ、行くわよー」
それを見逃したアマミヤとマリーは、開かれた入り口の前で手を振った。キジロは見つめ続けた手をぎゅっと握り、自然な動作で振り下ろしながら歩みを進める。
扉の内部に入ると、中は青白い光で包まれており、小さな下り階段が奥深くまで続いていた。
「ふむ……ここまで深いと私達では危ういかもしれんな。短剣娘が来るまで待とうと思うが、どうか」
「あの娘、今日は来れないって言ってたわよー?」
戦闘モードっぽさのあった男性口調から、いつものオネェのようなトーンで提案を返した。キジロはしばし考えると、小さく頷く。
「そうか。……いやしかし、やつに自慢することが一つ増えると考えれば、それもまた良し。では進むとしよう」
キジロが歩み始めると、二人も後に続くように足を進めた。階段をゆっくり降りると、小部屋のような狭い空間に出る。
青白く淡い光が床から溢れ出て雰囲気を漂わせるも、肝心の内容といえば読めない字が壁にずらりと並べられて中央に小さな木が生えているだけだった。狭い空間でしばらく壁の文字について意見を交換し合っていたものの、埒が明かないと一行は中心にこじんまりと立つものに視線を集中させた。
日光が当たらず室内である以上、成長が見込めないであろうその木には、肌に微弱な静電気が流れるがごときオーラを漂わせていた。その小さな木の前には球体を置くための小さな祭壇が飾られている。
「これって、こういうことかな?」
「あ―――」
マリーがエルフから拝借した球体を勝手に祭壇に置いた。それを止めようと口と腕を動かしていたアマミヤはピクリと制止し、謎めいた汗を流しながら恐る恐る結果を見守る。
小さな木は少しずつ成長を遂げるものの、さほど変わり映えのない結果で終える。一行が顔を見合わせた直後、階段の方から甲高い落下音が空間に響く。
先ほどの戦闘の余韻が消えていないのか、全員すぐさま音を聞き届けた方に体を向けて得物を構えた。
しかし、振り返って視線を向けた先には、いままで紅い球体であっただろうものが二つに別れた状態で横たわっていた。球体は階段の方から落ちてきたが、インスタンスである以上他のPLがクエストに介入する余地はない。よってクエストの類であることに違いはないだろう。
半分に割れた二つの球体をマリーとアマミヤの二人で調べたが、美しいこと以外はなにも分からなかった。たったこれだけの変化のみで、後は何も感じない。
「ふむ……これにて解決、か?」
「クエストクリアなら視界の真ん中あたりにフォントが浮き上がるんですけど……あれー?」
マリーとアマミヤは首を傾げて何が足りないのかを考え始めた。しかしアマミヤは答えが分かっているかのように小さな木へと歩み寄り、
「せいっ」
引っこ抜いた。その瞬間から今度こそ視界中央に紫色のフォントでクエストクリアが描かれる。この普段みせない後先考えないような行動の時点で、アマミヤに相当な疲労が溜まっていたことを見ていた二人は察する。
アマミヤはクリアによる加算経験値を一瞥していたが、突然の奇行にキジロとマリーは察していても驚きが隠せないように口をぽかーんと開けていた。
「ん? あら、どうしたの?」
「え、えぇっと……」
こめかみを軽く掻きながら笑顔を微妙に歪ませるマリーに対して、キジロは肩を叩きながら顔を小さく横に振った。
「……これで良い。成功したのであれば、なんであれ良いはずだ」
「そ、そうかなぁ」
なんだか納得いかない、という面持ちながらも階段を登り始めるマリーを追いかけるように、二人は足を進める。途中で何気なくキジロが割れた球体を回収するが絶対に斬るなよ、とアマミヤとマリーは何度も念を押した。
謎の空間から外に出て、行きに通った道筋を帰路に歩行していると、エルフが倒れていた場所にたどり着いた。しかし女性エルフは姿を消しており、一行が周囲を見渡しても見当たらない。
数時間と雑談をしつつエルフ探しをしていると、女性エルフとその仲間らしき人物達がお礼を言いにやってきた。一行は対処に追われることになるのだが、三十分ほどでなんとか収まり、皆でシステムの窓を叩いてログアウトを押す。
キジロが久しぶりの高揚感、そして無茶の代償と言える酷い頭痛が心の中で激戦を繰り広げている中、アマミヤとマリーは寝込んでいた体をゆっくりと起こしてパソコンの席に着く。軽くネットを漁っていると、少数ながら今回クリアしたクエストについて書かれた情報サイトがアップされていた。
パーティ編成状態で長時間いると発生するものだったらしいのだが、あまり見かけないレアクエストという理由で書き込み自体が少ない。
そもそもキャンペーンクエストのように話が続く形のストーリー構成な為、現段階では概要が掴みにくいとのこと。
次のストーリーはどのような条件で発生するのかはまったく分からずに漁りを終えた。続編はこうだ、などという予想立てをする呟きなんかも見受けられたが、どことなく違うような気がするという感覚に二人は襲われて仕方がない様子だった。
次に期待が持てないと思う半面、続編的なクエストに出会うかもと期待を膨らませるプレイヤー達の心が、胸の奥底に秘められていた。その秘められた物語はきっと、ARでは成し遂げることのできないものなのだろう。