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四、枯木の森

「冗談じゃない」

「どうした。大事ないか」


 忌々しげに上げられた罵声に問いかけると、返事より前に何かを引きはがすような音がした。


「僕はね。着物は飴細工みたいに熔けたけど」

「おいおい、じゃあさっきの音は」

「老狼、前を見て」


 返ってきた言葉に耳を疑って、狼は思わず振り返りかけた。

 そこへ再び飛んできた光条に、少年が乱暴に(たてがみ)を引く。

 その場から飛び離れて駆けながら、狼は背中の相棒のことを気に掛けていた。


 上等な絹のようにしか見えない少年の着物は、その実とにかく頑丈な鎧である。

 岩の壁をたたき壊すような妖蛇の打擲にも、岩壁を切り裂く妖熊の爪にもびくともしない。

 それが指よりも細い光に切り裂かれるなどとはにわかに信じがたかったが、彼が嘘や冗談を言わないのは狼もよく知っている。


「怪我はないのか」

「ほとんどは老狼の襟巻きで遮られたからね。裾がちょっと熔けて脚に張り付いただけだよ」


 着物の裾を脚に挟み込みながら、背中の少年はでも、と続けた。


「僕の着物でも蒸発する攻撃となると、今の手持ちでは荷が重いかも。老狼も、僕を降ろしたらいつもの姿に戻ったほうがいいだろうね」

「対面する前からそんなことを言うのは珍しいな。どうする? 正体も見ずに磨り潰すだけならここからでも何とかなるが」


 狼に言われ、少年は一拍眉を寄せた。

 しかし、すぐさま思い直したように首を横に振る。


「画師の創りだしたものを知識として集積しておくのも僕の役目だから、そういうのはなるべく避けたいんだよね。……そろそろいい距離になってきたし、老狼が走ってくれてるうちにいくつか試してみるつもり」

「そうか。なら当たらんように気をつけるしかないな。ちょいと大きめに避けるようにするから、落ちるんじゃないぞ」


 提案を謝絶する少年に仕方ないなと笑って、狼はぐっと体勢を低くする。

 飛んできた光条を鋭く避けて速度を上げると、背中の少年が少しばかり戸惑った声を上げた。


 とはいえ、急な方向転換には少年ももう慣れたものだ。

 すぐに掴まる手を放して紙に筆を走らせ、狼が跳躍姿勢を取ると同時にそれを投げて毛皮を掴む。

 投げられた紙は低く地面を滑って形を成すが、その大半は光に破壊されて蒸発し、残りのいくつかはからんと音を立てて落ちていった。


 狼には何をしているのか判らないが、背中の感触から少年が後ろを向いて投げたものの行く末を確認しているらしいことだけは判った。



 ──そうして大回りに駆けるうち、だんだんと視界の中央に凹凸が見えてくる。

 


 狼の立てた薄い砂煙に足元を巻かれたそれは、最初は枯木の森に見えた。

 歪に曲がりくねった、高さも太さもばらばらな木々の集まり。

 どうやら円形に広がっているらしいそれを見つめて、少年が声を上げる。


「……あれだね。あの枝の先端が光の射出元みたい」

「あれが全部か? 一斉に射てこないのが救いだな」


 徐々に視界を埋めていく黒い森は、ぎしぎしと軋むような音を立てて僅かに震動していた。

 狼が右へ左へと避けるたびに、その音は大きくなる。

 そして音が止まった次の瞬間に枝の先端から淡い光の道が宙に伸び、半拍置いて全てを溶かし尽くす閃光に変わるのだった。


「ふむ、やはり、近付くと目に見えて間が空くようになったな」

「可動域が狭いみたいだね」


 方向転換を繰り返しながら呟く狼に、枝の先端をじっと見つめていた少年が答える。


「なるほど。光が飛んでこない場所の見当はつかんか」

「今見てるとこ……正面から三本目かな。右」


 少年の指示通りの場所に肉薄すると、梢からの光条はその時点で絶えた。

 かわりに枝の軋みががひどくなる。

 射程の内側に入り込んだ標的に、無理に狙いを定めようとしているのだ。


 背中の少年を降ろしていつもの姿に転変した狼は、耳障りな音に閉口しながら梢を見上げた。

 一丈(3m)から三丈(10m)程度の不規則な高さをした梢は、光を吸い尽くしたような真黒い色をしていた。


 歪な枝の間にかかるぼろ布のような薄い膜も、星明かりの照り返しがないせいで影と見分けがつかない。

 足元の地面のほうが、まだ明るい色に見えるほどだ。


 その足元を見下ろせば、森の外周を取り囲むように太い窪みがあった。

 緩い曲線を描く窪みは一定間隔を置いて、延々と森の内側へと向かっている。


 それを目にして、少年は森の内側に険しい視線を投げた。


「老狼、地面の中にあったものって、この結界の中で間違いないんだよね」

「あぁ。この黒い柱がその縁だな。どうして頭を出しているのかは判らんが」

「結界の径も尋常じゃないね。径五町の真円なんてどうやって描いたんだか」

「俺に聞くなよ。解呪するか?」

「そうだね。そろそろ節気(ひづけ)も変わるし、頃合いかな」


 少年が一歩引くのを見届けて、狼は星空を仰いで一声低く吼える。

 そして結界の描かれた地面を鋼色の爪で蹴散らした。



 とたん、地面が大きくうねくった。



 盛り上がる地面に、地面に描かれた模様が音を立てて消えていく。

 岩のように固いはずの地面から、ばきばきと何かが砕ける音がする。


 震えるだけだった枯木が妙に生物的な動きでぞわりと蠢き、円の外側へと先端を伸ばす。

 水から這い上がる人の手指のように梢が地面へと突き立ち、力を入れるように幹がたわんだ。



「おいおい……これは」

「嘘でしょ」


 目を丸くする狼の隣で、愕然としたようすの少年が呟く。



           ──────────

 


 長きにわたる封印は解かれた。

 泰山のごとき重圧はすでになく、降り積もった砂が(からだ)の周りを埋めるばかりだ。


 その事実を理解し、それ(・・)は歓喜と絶望の入り交じった声を上げた。


 滞っていた体液が身の内を巡り始めている。

 萎えた(はね)はむくむくと膨れ上がり、砂に埋もれた躯を地上へと引き上げようと蠢く。

 固まりきっていた関節がみしみしと軋み、(はだ)の上をぞろぞろと砂が滑っていく。


 流れ落ちる体液に似た不快な感触に、()()はむずかって嫌々と首を振った。


 しかし。



   ──見つけた。



 それ(・・)のどこかが声を上げる。



   ──あれ(・・)が。



 百二十八に分割された視界のいくつかに、小さな異物が映っている。

 それを認識したとたん、躯の奥底から狂気じみた衝動が涌き上がってくる。



   ──ようやく、みつけた。



「────────!」


 既に声の出しかたなど忘れている。

 いや、たとえ憶えていたとしても、その機能はとうに失われている。

 それでも、それ(・・)は歓天喜地の声を上げる。


 長きにわたり探し続けたものが、ようやく見つかったのだ。

 あとはあれを燃やし尽くせば、自分の理由がようやく終わる。


 実に数万年ぶりにその身を起こし、それ(・・)は濁った目で標的を見下ろした。


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