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8/9 急行

 嵐から一夜明けた昼下がり。

 意外に足の速い少年の後を歩いていると、狼の後ろでがさりと藪が音を立てた。


「?」


 音は鳴れども気配は希薄。そして濃厚な血の臭い。

 妙な感覚に振り返ると、口の周りを血で汚した白い虎が、茂みから顔を出すところだった。

 警戒する様子もなくのしのしと近付いてくる虎に、狼は首を傾げる。


 基本的に、肉食獣は自分に近寄らない。

 どうして寄ってくるんだろうと内心首を捻っていると、振り返った少年が虎に向けてすいと手を伸ばすのが見えた。


「おい、怜乱(れいらん)──」


 驚きに半歩踏み出した狼だったが、少年の手元へと太い首をすり寄せる虎の姿に、昨日の出来事を思い出した。


 あの虎が、標的を始末して戻ってきたのだ。


 嬉しげに喉を鳴らして、虎は口から赤い塊を落とした。

 びちゃりと濡れた音を立てて地面に広がったそれは、形状から人の顔から剥ぎ取られた皮だと知れる。


 いささか物騒な証拠品に目を細めて、少年はよしよしと虎の首を叩いた。

 うるると声を上げて、虎は小さな旋風となり少年の掌に消える。


「──怜乱(れいらん)。それは」


 少年が手を叩く音にようやく我に返り、狼は声を上げた。


「虎ですか? いつまでも出しておく訳にもいかないので、紙に戻したのですが」


 小首を傾げて応える少年は、(たもと)から紙片を取り出して狼に示す。

 紙面には、先程の虎が竹林でくつろぐ姿が描かれていた。


「昨日のやつと違うじゃないか」


 昨日見た絵とのあまりの違いに、狼は目をぱちくりさせて虎を指す。

 少年は不審げに眉を寄せた。


「? 同じ虎ですが……」


 狼が言いたかったことは、少年には伝わらなかったようだ。

 狼とて縞の具合を見れば、それがたった今姿を消した虎だということくらいは分かる。問題はその次だ。


「いや、そうではなくてだな。

 昨日お前さんが描いていたのはもっとこんな、今にも飛びかかってきそうな形相だったろう」


 昨日の絵を思い出しながら、両手を挙げ鼻面に皺を寄せて真似をしてみせる。

 少年は納得したように眉を上げた。


「あぁ、元の絵姿に戻らないのがおかしい、と」

「うむ。絵に戻るんだから、もとの(なり)に返って然るべきではないのか」

老狼(らおろう)だって、いつまでも臨戦態勢でいたら疲れてしまうでしょう? 使役(しえき)したなら、しばらく英気を養わせませんと」


 なのでこれはもう休みですと続けて、少年は虎の絵をしまい込んだ。


「……さよか」


 画師(えし)の技術というのは狼の想像を超えるらしい。

 一度絵から抜け出せばどんな形で戻ってくるかは自由だという説明を飲み込めないまま、狼はもう一つ気になっていたことを口にする。


「ところで。あれはお前が言っていた刺客とやらで間違いないのか」


 地面の人皮を示すと、少年は無感動に頷いた。


「はい。街道にまでは出ていなかったようなので助かりました」


 何らかの方法で虎から報告を受けたのだろう。

 少年は淡々と、死体を埋めずに済んだので、と続ける。


「……物騒だな。

 ところでお前さん、どうして追われていたんだ?」

「さぁ。僕も存じません」


 思い当たる節などない、と少年は首を振る。


「大方、封じた(あやかし)に家族でも殺された誰かが雇った刺客でしょう。よくある話です」

「逆恨みってやつか」

「そういうものらしいですね。僕には理解できませんが」


 再び首を振る少年に、狼は同情の視線を向けた。


 我が手で救ったはずの人に恨まれるのだから、画師(えし)というのは報われない商売である。

 しかし少年は特に何も感じていないようだった。

 虎の土産に温度のない一瞥(いちべつ)をくれて、そのまま歩き出す。


「おい、あれはどうするんだ」


 すたすたと先を行く少年を呼び止めようとする狼だったが、彼は足を止める気などさらさら無いようだった。


「ここは山中ですよ。いずれ獣が片付けるでしょう」

「そうかも知れんが。しかし」

「金で人の命を奪いに来るような輩です。最期に獣の腹でも満たせば、多少は世の役にでも立つというものです」


 振り返る気すらないらしい。

 少年の背中を目で追いながら、狼は少しだけ考え込んだ。


 埋めておいた方が良いのではと少年を呼び止めたが、確かにここに人が訪れることなどないだろう。

 捨て置かれるのは多少哀れな気もするが、よくよく思えば本体側も同じ扱いに違いない。

 金で殺人を請け負うような人間など、殺しておいた方が世の為だという見解には狼も異論はなかった。

 あまり気にしても意味はなさそうだった。


 早々に納得したら、次に気になってくるのは少年の淡々とした態度だった。

 人でも妖でも、目的を達成すればそれなりに満足げな顔をするものだ。

 興味が無ければないなりの顔をするし、話しかけてくる相手が鬱陶しければ態度に出る。


「なあ、怜乱」


 ほんの一息で少年の背中に追いついて、狼は少し落とした声で呼びかける。

 律儀に(はい)と応えた少年の声は、出会った時に聞いた時から今まで何一つ変わらない一本調子だ。

 驚いたことに抑揚すらほとんどない。

 そんな彼に、狼は気遣わしげな言葉を投げた。


「お前さん、人里ではもうちょっと愛想良くしろよ」


 狼の言葉に、少年は少しだけ歩みを止めた。

 低い位置にある頭が僅かに傾げられ、肩ごと振り向いた鳶色の視線が狼を見る。


「どういう意味でしょう」

「今のお前さんじゃ、人形みたいで人に怖がられるってことだ」

「……そんなに、気になりますか」

「俺が気になるくらいだから、人間どもはもっと気にするだろうな」


 人は異質なものを恐れる生きものだ。

 だからこその忠告だったが、よくよく考えれば相手は画師だ。人の心の動きなど、妖である狼よりはよっぽどよく知っているのではないかという気分になる。

 しかし、少年は意外にもこくりと頷いた。


「老狼がそう言うなら」


 忠告を聞き入れたはずの少年の声は、それでも変わらず一本調子だ。

 その様子に、狼は首の後ろを押さえる。


「……お前さん、実はあんまり……」

「老狼、黙って」


 判ってないだろうと言いかけた狼の鼻先に、少年は掌を立てた。

 その仕草にぴりりとした空気を感じ、狼は口を噤む。

 見下ろした少年は、何かを探るように首を巡らせていた。


「……いた。老狼、ついてきてください」

「お、おい!」


 ぱっと走り出した少年に目を白黒させながら、狼は白い背中を追ったのだった。

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