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三、光条と砂煙

 風紋すらなくただ平坦に広がる地面の上、星影を置き去りにする勢いで狼は駆けていた。

 太い四肢が地面を蹴るたび、細かな砂が煙となって舞い上がる。

 長い間宙に留まる細かな粒子は、ひどく長い間空中に留まり、やがてゆっくりと沈んでいく。



 足跡と砂煙を残しながら、あっという間に二十里ばかりが過ぎる頃。

 背中におとなしくしがみついていた少年が、不意にぐいと(たてがみ)を引く。

 無言の警告に従って、狼は間髪入れず横に飛んだ。


 直後。

 狼が蹴り上げた砂煙を、細い光条が切り裂いた。

 真横では焼けた鉄板に水を落とした鈍い音。

 しかし音の正体を確認する暇もなく、少年の脚が狼の脇腹を蹴る。


 追い立てられるように二度後ろに飛び退ると、後を追うように動く光の点が見えた。

 砂煙には鈍い角度で走る光の糸が映る。


「横!」


 叱咤するような声に大きく横へ飛ぶと、急に角度を上げた光条が狼のいた場所を薙いでいった。

 あたりには薄く焦げたような臭いが漂う。


 地面にまっすぐ連なる小さな赤い光を見ながら、狼はそろそろと後退った。


「あれが使鬼(しき)を落としたやつか?」

「そうだよ。使鬼の時は光りだしたのが五里くらい手前で、射落とされたのは二里くらい向こうだったけれど」


 背の少年に問いかけると、わずかに頷く気配があった。


「ということは、その辺りが射程か」

「おそらくね。低い位置だから狙いにくいのか、夜になったから見えにくいのかはわからないけれど」


 おそらく前者かなと続けたのは、少年自身がそうであるためだろう。


「さっきは何か見えたのか」

「うん。今は見えないけど、向こうで何かがちらっと光るのが見えたんだ」


 視界の端に伸びてきた手が示した方向に首を伸ばして目を凝らす。

 しかし、狼の目に映るのは黒い地平ばかりだ。


「何も見えんな。怜乱(れいらん)、お前さんは何か見えるのか」

「今は何も。使鬼を飛ばしたときも、光の出どころまでは判らなかったんだよね。ただ、光の角度から見て、射出位置がほとんど地面に近いのは確かだと思う」

「そうか。しかし、このままでは何が何だかわからんぞ。先程のように使鬼の視界は借りられんのか」


 問われ、少年は残念だけどと首を横に振った。


「あれはかなり集中しないとできないから、こっちの注意が疎かになるんだよね。ここはまだ安全圏だと思うけど、何かあった時に反応できないことは避けたいかな」

「そうなると、足を頼みに突っ込むしかないのではないか?」

「いや、それについては、ちょっと考えがあるんだ」


 続けてされた提案を聞いて、狼は大きくうなずく。


「成程、測量の真似事をする気か」

「うん。さっきは光の来た方向も角度も見えたから。あと三箇所くらい同じようにできれば、光の出所がはじき出せると思うんだ」

「なるほど。そういうことなら、俺も特技を披露してやろう。悪いがちょっと揺れるぞ」


 長い尻尾をふさんと振ると、狼は盛大に砂煙を上げながら走り出した。



             *  *  *



 じゅっと太い光が足元を焼く。

 五本目の光を躱して盛大に逃げた狼は、背中の少年を地面に降ろしてやった。


「首尾はどうだ?」

「上々。一里くらいの誤差はあるけど、そこまで近づければ大抵のものは見えるから問題ないよ。ここからだと、あの星に向かってまっすぐ十里ってところ」

「ふむ、俺の観測ともそう変わらんな」


 少年が伸ばした指の先には、低く輝く青白い星がある。

 そちらの方向を見つめて、狼は後足でとんとんと地面を叩いた。

 耳をはためかせながら黙り込んだ狼を不思議そうに見上げて、少年が問いかける。


「そういえばさっきも所々跳んだり跳ねたりしてたけど、いったい何をしているの」

「これか。これは地面と気脈に振動を与えて、地中の異物を探す技だな。一箇所だけでもある程度は可能だが、何箇所かでやると精度が上がる」


 狼の説明に、首を傾げていた少年の目が丸くなった。


「走りながらそんなことしてたんだ。……それで、何かわかった?」

「ああ。位置はお前さんの言ったあたりだ。そこに五町(約500m)ばかりの直径をした、平たい繭のようなものが埋まっている。表面は絡みあった木の根か荒い繭に似ているが、判ったのはそこまでだ。今試してみたが、中身には振動どころか気も通らん」


 狼の説明に、少年はあごに手を当てた。

 首を傾げながら遠方を睨み、眉間にしわを寄せる。


「そこまで大きな『鬼』は記録でも見たことがないな。度を超えて大きいものは、人の手に余るから」

「ならば、封印用の何かなのかもしれんぞ。管理者連中にとっては五町なら小さいほうだ」

「そう願いたいね」


 微塵も期待の籠もらない声で言い、少年は肩を竦めた。

 そして狼にいくつかの推測と懸念を伝えたあとで、さてと声を上げる。


「……あと半刻とすこしで節気が変わるし、そろそろ行こうか」

「そうだな。何か見えたら鬣を掴むか腹でも蹴ってくれ」

「わかった」


 頷きを返して少年を背に乗せた狼は、目的地に向かい一直線に駆け出した。

 一拍おいて、きらりと遠くで何かが光る。

 合図より早く横に飛ぶと、砂煙に映る光条が狼の足跡を焼いていった。

 少年がちらりと後ろを振り返る。


「当たり」

「では兎どもの足技でも真似るとしようか」

「戻らなくてもいいからね」

「無論」


 喉の奥でくくっと笑って、狼はひょいと跳ねた。

 細い光の線が、再び狼の横を撫でていく。


 兎の足技というのは、森の中で彼らが追跡者を撒くための歩き方である。

 あちらこちらで脇道にそれ、時には足跡を辿って戻りながら目的地を目指すのだ。

 それを真似て右へ左へ折れながら、狼は怜乱の指した場所へと駆けていた。


「狙いをつけるまでにかかる時間がほんの少し伸びてるね。とはいえ、瞬きの半分くらいの間だから、あんまり実感はないだろうけど」

「そうか、寄れば寄るほど時間がかかるようになると良いんだがな」

「かわりに威力が上がるだろうけどね」

「そいつはかなわんな……おっと」


 光を避けて飛ぶ狼の背にしがみつきながら、怜乱は執拗に追いかけてくる光を観察していた。


 砂に穴を開けては消える光は、実際には一呼吸の半分ほどすら光ってはいない。

 しかし、幸いなことに狼の立てる砂煙のおかげで光の軌跡は読みやすく、怜乱の認識力は人のそれではない。

 普段は使鬼を飛ばし気配を探ることに使っている能力を振り向ければ、射線の特定には瞬き半分ほどの時間があれば事足りるのだ。


 光の線が砂煙に映るたび、頭の中の図面に射線が一本ずつ増えていく。

 その線が重なる場所に封じるべきものがあるはずだ、と怜乱は読んでいた。

 しかし、脳内に描き出された光の射出場所は一点に集まらず、乱雑に散らばっている。


 狼にはそれを誤差と説明したのだが、射線が増えるに従って、別の模様が見えてくる。

 だが、それが何を意味するのかまでを考える余裕はなかった。


 照準を合わせるためだろう淡い光が、狼の前脚に当たるのが見える。

 あれが来ると、半拍置いて光が強くなるのだ。


 とっさに狼の脇腹を蹴るのと、光が天に輝く陽とほとんど同じ色に輝くのはほぼ同時だった。

 翻った怜乱の着物が、鈍く音を立てて焼き切れる。

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