二、破壊の跡
「なんだ、これは」
少年の指の先で頼りなく揺れる鳥の形をしげしげと見つめて、狼は鼻面に皺を寄せた。
穴の直径は二分から一寸ほど。
外周はどれも不自然に盛り上がって、つるりとした表面を見せ、反対側は削り出したように角が立っている。
鼻を寄せて匂いを嗅げば、どことなく空焼きした鍋のような匂いがした。
「なんだか、一度熔けて固まったように見えるな」
「ように、じゃなくてそのものだね。しかも、穴の部分の金属は、ほとんど蒸発してるんだ」
「蒸発? 熔け落ちたんではないのか?」
「そこは見てたからね。光が当たって、貫通するまでが瞬き二つ分くらい。その間、上がったのは煙だけだし、反対側へ通ったのも光だけ。火花も何も散らなかったから、下に落ちていったものがないんだ」
少年の説明に、狼は耳を一つはためかせた。
使鬼の素材となるのは、紙とは名ばかりの鉄や銀などを主体とした合金だと聞いている。
金属が熔ける温度がどれほどのものかなど正確には知らないが、たき火や竈程度の温度では赤くもならないことくらいは狼とて百も承知だ。
狼が操る炎ならできないことはないはずだが、試してみたことはない。
「まさか。鉄だか銀だか知らんが、金属が蒸発するほどの温度がどうやって出せると言うんだ。仙術なら可能だろうが、あれは地上では使えんはずだろう」
「……老狼は拡大鏡って知ってる?」
「雑貨屋で見たことはあるが。あれと何か関係があるのか?」
狼が疑問を口にすると、少年は渋い顔で問いかけてきた。
平たい円形の硝子を思い浮かべて頷くと、少年は片手で何かを掲げる仕草をしてみせる。
「うん。拡大鏡で陽の光を集めると、中心部だけがひどく明るくなって焼けるでしょ。あれをもっと強烈にすると、こういうことができるようになるはずなんだ」
「あぁ、光を操る妖がたまにやるあれか。しかし、あれは当たっても紙や布が燃える程度で、金属を溶かすほどの威力は出ないはずだぞ」
それ以上の威力を出せる妖を知らない訳ではなかったが、そういった力の強い妖は皆仙界か天界へと渡ったはずだ。
ちらりとそんなことを考えた狼を見上げて、少年はいいやと首を横に振った。
「理屈の上だと、出せる温度に上限はないからね。僕が言うのも何だけど、画師は自分の中の辻褄さえ合わせれば、あとは腕次第でどうにでもなるから厄介なんだ」
「まあ、その最たるものがあの伝説の剣だしなぁ」
乾坤の地面を平らに切り開いた剣の『鬼』のことを狼が口にすると、少年は渋い顔で首を振った。
「あれは画師の最大の汚点だよ」
忌々しげに眉間にしわを寄せながら、怜乱は手にした使鬼の翼をたたむ。
さらに頭と尾を腹側に折り込んで小さく丸めると、両手の間で軽く弄んだ。
「……どんな『鬼』も、作るのは勝手だけどさ。後世に禍根を残すのはやめてほしいよね」
「全くだ。……時に、ちょうど陽が落ちきったようだが、そろそろ近づいてみるか?」
「いや、近付くのは残照が完全に消えてからにしたいかな。それより老狼、どれくらいの炎でこれが熔けるのか、ちょっと試してもらえないかな」
差し出された使鬼をしげしげと見つめて、狼は鼻面にしわを寄せた。
「……それは構わんが。どうもこう、生き物の形をしたものを火にくべるのは気が引けるんだよな」
「これ以上形を崩してしまうと使鬼が使鬼として成立できないんだ。老狼が食べてる飴細工と同じようなものだと思って、ぱっと燃やしちゃってよ」
「本物と寸分違わんようなこれと飴細工を並べないでくれ」
尻尾を振り回しながらも、狼は砂地に座り込んだ。
膝の上に垂れた上袍の端で金属塊を包み、その上を何度か手で撫でる。
ぽっと上がった赤い炎を覗き込んでくる少年に注意しながら、狼は炎の温度を上げていった。
「老狼、これって正確な温度とかはわかるの?」
「俺は把握しているが、何せ指標がないからなぁ。水が湧く温度を一とすると、だいたいこれで十かそこらだな……これで十五」
「あ、熔けた。使鬼が耐えられるのはここまでか……」
「だいたい二十だな。沸騰するまで上げてみるか?」
炎の色が赤から黄色、そして白へと変わる過程をじっと睨みながら、少年はぽつぽつと問いかけてくる。
「見てみたいけど、その着物は大丈夫なの?」
「炎龍の革だぞ? どろどろの溶岩で水浴びをするような奴が元なんだ、四十か五十くらいまでなら、裏側に熱も通らん」
「それ、どういう生き物だったのさ……」
「知らんなぁ。地面が固まる頃にはもう寒すぎて居れないと言って、革だけ残していなくなった奴だからな」
あきれ顔を浮かべた怜乱に、狼は沸騰しはじめた金属をどうするのかと問いかける。
「そうだね……温度を上げれば一気に蒸発するのかということと、老狼がその温度に耐えられそうかは知りたいな。……僕の強度は使鬼と大差ないから、確かめるまでもないんだけど」
「構わんが、ちと離れてろよ」
苦笑して、狼はさらに炎の温度を上げる。
みるみるうちに量を減らしていく液体が匙一杯分ほどまで嵩を減らしたところで、残ったものを手のひらに落として見せる。
毛皮の上で水銀のように丸くなった金属は、じわじわと音を立てながら狼のたなごころに納まった。
「と、これくらいまでなら毛も焦げんな。この十倍あるとどうか判らんが」
「瞬き二つ分の時間でこれができる温度って言ったら、耐えられるかどうか判る?」
「どうだろうな。この炎は俺を焼かんようにできているから、試してみようがない」
「それもそうか。……でも、老狼って本当に力の強い妖だったんだねぇ……」
狼の毛皮や着物に焦げ跡一つないことを確認して、怜乱は感心半分、呆れ半分の声を上げた。
見上げた狼の姿は、陽が完全に落ちたにも関わらず、夜闇に鮮明に浮かび上がって昼間と変わることはない。
怜乱は星明かりさえあれば昼間と変わらず見える目をしているが、狼の姿が見えるのはそれとはまた別の理由だ。
狼に限らず、妖は躰の上に薄い光の膜を纏っている。
この光は圧縮された妖気が発する光であり、生身であれば到底耐えられない衝撃や高温低温を遮蔽する鎧のようなものだ。
とはいえ、狼のように沸騰した金属を手に持って平気な顔をしている妖はそうそういない。
怜乱のあきれ顔にはそんな訳があったが、狼は心外そうな顔で鼻先を上げた。
「今更それを言うのか」
「いや、だって。あんまりそういう機会ってなかったじゃない」
「まぁ、別に見せつけるようなものでもないからな」
「それはそうだけど。あ、もう少し試してもらってもいいかな」
あっさりと頷いた狼に少し不満げな視線を送った怜乱だったが、すぐにどうでもいいかと思い直したらしい。
続けて二、三頼みごとをすると、結果を見届けて立ち上がる。
「さて、すっかり暗くなったし、そろそろ行こうか」
「そうだな、あとはもう少し近づいてからでないと何ともならんしな」
少年の言葉に応じ、狼も着物の裾を払いながら腰を上げる。
そして炎を上げながら獣の姿に変わると、大きく伸びをして尻尾を振り回した。
「まっすぐでいいか?」
「うん。でも、老狼は使鬼よりだいぶ大きいから気をつけて」
「でかいと狙いやすいしなぁ」
少年が背に飛び乗ったのを確認すると、狼はひょいと平地に飛び降りて走り出した。




