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閑話・老狼の休日

「……さて」


 相棒への技術指南を隷巴に頼んで洞穴から辞した老狼は、辺りを見回して少し考え込んだ。


 暑さに弱い相棒と違って、狼はどちらかと言えば暑いほうが好きだ。

 どれだけ暑い場所でも彼の記憶に残る時代よりはよほど涼しいし、何よりどこへ行っても地面が固い。

 いくら走り回っても溶岩だまりを踏み抜いたりすることがないのは好ましい。


 しかし、昔とは違って地面にはびっしりと草木が茂っているし、そうでない場所には人が住み着いてしまった。

 別の意味で走りにくくなってしまった世界も嫌いではなかったが、時折無性に走り回りたくなるときがあるのだ。


 怜乱と行動を共にし始めてから、これだけ広くて何もないところに行き当たるのは久しぶりだ。

 沙漠の中に禁足地があるのは狼も知っているが、場所は昔から変わっていないはずだ。

 久しぶりに広い場所を駆け回ろうかと考えて、老狼は獣の姿に転変した。


 さすがに鼻息で街を吹き飛ばしたときほどの大きさには戻れないが、その半分くらいなら良いだろうと考えて、身を震わせ大きさを調整する。

 むくむくと大きくなった体を確かめるように伸びをして、狼は弾かれたように駆けだした。



 焼けた砂に足先を食い込ませ、ぐっと掴んで後ろに蹴り出す。

 砂煙だけを置いて前へ前へと駆け進めば、沙漠を周回するのはあっという間だ。

 飛ぶように過ぎていく景色を見ることもなく縦横無尽に砂上を駆け、焼けた砂に鼻先を突っ込んで遊ぶ。

 砂丘を掘り返してみたり、突進して小山を砂煙に変えたりして遊んでいる狼の姿は、遠くから見れば雪遊びをしている犬のように見えただろう。


 そうやってあたりを駆け回り、焼けた砂に背中をすりつけて遊んでいた狼だったが、砂の中にきらりと光るものを見た気がしてぱっと起き上がった。


 この場所も、遠い昔は交易路があった場所だ。

 何か面白いものでも埋まっているのかと思い、狼はそのあたりをふんふんと嗅ぎ回ってみた。


 無機質な砂の匂いに紛れて、微かに金属の匂いがする。

 掘り返してみると、古い形をした把手燈(ランプ)のようなものが出てきた。


 獣の姿では小さなそれをつまみ上げられないと、狼はひょいと普段の姿に戻る。

 そして手の中に収まるほどのそれを拾い上げ、蓋を取って中の砂を捨て、さらに炎を操って砂を払おうとした。


「やめてください死んでしまいます!!!」


 上袍(うわぎ)から上がった炎が金属の台座に触れようとした瞬間、中から声が上がって本体ががたがたと揺れる。

 驚いた狼が炎を引っ込めると、中から一尺ばかりの大きさをした何かが飛び出してきた。


「もう、突然何をするんですか。さては鋳つぶしてお金に換えるつもりですねそうですね!!」


 それは妙な格好をした小さな女だった。

 上半身は辛うじてといった感じの胸当てと袖無しの短い上衣、腰から下はゆったりとした長い長褲(ズボン)

 濃い紫のつんつんと逆立った毛には真鍮の飾りがつけられ、覗く額には妙な刺青がある。

 こちらを見る濃い茶色をした瞳には瞳孔の代わりに白い点が浮き、背中には蜻蛉に似た(はね)が四枚生えて、せわしなく動いていた。


 女は狼の顔の周りをぶんぶん飛び回りながら、甲高い声で何やら怒りの言葉を発しているようだった。

 風切り音のせいで多少聞き取りにくいが、どうやら彼女は自分ごと住処を焼かれそうになったことに腹を立てているらしい。


「もー! 何とか言いなさいよ!」


 何を言っても狼が反応しない(実際には返答する隙など全くなかったのだが)のにしびれを切らし、女が大声を上げる。

 腕を振り上げて動きを止めた彼女の翅を、狼はこれ幸いにと捕まえた。

 ぴゃ、と驚いた声を上げて、女が動きを止める。


「いや、何か言う隙を与えなかったのはお前さんだろう。こんなところで何をしていたんだ」

「あー、それ! それなんですけどー」


 まだ手に持っていた把手燈(ランプ)に座らせてやって質問すると、彼女は勢い込んで話しだした。


「わたし、このランプの魔人(ジン)のニーヤさんといいます。このランプを手に入れて、大事にしてくれた人のお願いを叶える存在をしています。前の持ち主さんはわたしのランプを大事にしてくれていたんですけれど、もうそろそろ出て行こうかな~って思ってたらなんと! 持ち主さんが盗賊に襲われまして。逃げるときに落っことされて、そのまんま放っておかれたんですよ~」


 彼女の言葉は、昔このあたりにあった国の言葉だ。

 いつ頃の話だったかはとんと思い出せないが、このあたりはもう少しばかり穏やかな気候をしていて、この魔人と同じ言葉を話す人間たちが暮らしていたのだ。

 いまではもうすっかり消えてしまったその言葉に、狼は懐かしく耳を傾ける。


「放っておかれてからしばらくは誰かが拾ってくれるだろうと思って待ってたんですけれども、待てど暮らせど人っ子一人通らなくて。しかたないのでずーっと寝ていたっていうわけです。というわけで、わたし、ひさしぶりにつとめを果たそうと思います! つきましては狼さん、何かお願いごとはありませんか?」


 勢い込んだようすで聞かれて、狼は耳をはためかせた。


「あーいや、俺には特に願いなどないからなぁ。それに、お前さん──ニーヤだったか? そこまで妖力もないようだが、どうやって願いなんか叶える気なんだ」

「むむむ……狼さんは欲のない方なのですねぇ。あ、ひょっとして信じてない?」

「いや、そういう御伽噺がどこぞの国にあったというのは知っているが。単純に、俺には必要ないってだけだ」

「うー、それは困ります。何かお願い事を言ってください~」


 なぜだか焦ったようにぐいぐいと迫ってくるニーヤに押され、狼は鼻先を宙に彷徨わせた。


 狼の切なる願いは、はぐれた妻との再会ただ一つだ。

 しかし、長い間ありとあらゆる手段を使って探した彼女が、こんなちっぽけな魔人の術一つで見つかるとは思えない。


「何かって言われてもなぁ。というかニーヤよ。お前さん、願いを叶えたらその後どうするつもりだ」

「……それは、お願いごとを叶えてからお願いするつもりだったんですけど~」

「なんだ、それで恩でも着せようと思ったのか。しかし、どうせお前さんをこれごとどこかに連れて行けとか、そういう話だろう?」

「う-、当たりです。またここに置いてかれたりなんかしたら、次はいつ拾ってもらえるかわかりませんのでー、できれば故郷へ連れて行ってほしいんですけど……」

「お安いご用だ、といいたいところなんだがな。お前さんの言葉を使っている人間は、残念ながらもういないんだ」


 狼の言葉に、ニーヤは衝撃を受けたようだった。

 目をまん丸に見開いて、じっと狼の顔を見上げ口を開けたり閉めたりしている。


「……嘘……嘘、ですよね?」

「いいや、残念だが。このあたりに人が住んでいたのは、もう遠い昔の話だ。今は、もっと東にあった国の人間が大陸の端までたどり着いて長い」


 やっとのことで言葉を絞り出した魔人に、狼は気の毒そうに首を振ってみせた。

 そして近くの街に連れて行ってやり、ニーヤを頭の上に乗せてあちこち歩き回ってやった。


 いくつかの街を回ってようやく、ニーヤは狼の言葉が冗談でも何でもないことを飲み込めたらしい。

 口に手を当て、わなわなと体を震わせて目に涙を浮かべる。


「……そんな……ちょっと目を閉じていただけなのに。なんで……」


 小さな声で繰り返すニーヤを哀れに思い、狼はしばらく黙って彼女の涙につきあった。



             *  *  *



 古道具屋の店先で、狼は把手燈(ランプ)の蓋を開けて尋ねる。


「ここでいいのか?」

「はい、新しい持ち主さんを待つのが魔人(ジン)のお仕事ですから。街まで運んでいただいて、ありがとうございました」


 蓋の隙間からぴょこりと顔を出して、ニーヤは小さく頭を下げる。


「そうか、じゃ、元気でな」

「あい、狼さんもお元気で-。どこかで見かけたら、わたしのランプを買ってくださいねぇ」


 そう言って中から蓋を閉じると、ニーヤの気配がふっと消える。

 普通の道具と変わりないものにしか見えなくなった把手燈を眺め回して、狼は古道具屋に足を踏み入れた。


                 ──────【閑話・老狼の休日・おわり】

 


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