閑話・余暇
「……やることがないって、案外困るものだねぇ」
真剣な顔でそんなことを言い出した相棒の白い頭を、狼は目を剥いて見下ろした。
「突然どうしたんだ。と言うかお前さん、普段でも割合何をするでもなく座っているじゃないか」
「そうでもないよ。何もしてないように見えるかもしれないけど、変なものがいないか探ったり、飛ばした使鬼の位置を確認したり、他にも色々こなしてるんだ。でも、ここは街の外はずっと沙漠だし、長いこと結界が張られていたおかげか妙な気配もなくてさ」
どことなくげんなりした声を返してくる少年は、何となく落ち着きがないようすできょろきょろとしている。
視線の合わない相棒に珍しいなという感想を抱きながらも、狼は首を傾げた。
「しかし、それは悪いことではないだろう?」
「本来はそうなんだけどね。でも、こう……普段から周りがざわざわしているのが当たり前すぎて、何もないと落ち着かないんだよ。広いだけで何もない部屋に閉じ込められたみたいっていうか、なんていうか……ほら、夜に突然虫の声が全部消えて静かになると、ちょっと落ち着かない気分になるでしょ?」
説明に困って手を宙に彷徨わせる少年は、どうやら慣れない状況に戸惑っているようだった。
ここは城壁の中こそ水と緑に溢れているが、一歩外に出れば砂礫の海が広がる地だ。
少年が使鬼を飛ばせる範囲の倍を探しても、小さな水場が点々と存在するばかりで、人が住めるような街など存在しない。
地表を保護する草木のない地面には強い陽射しが照りつけ、陽が落ちれば逆にひどく冷え込む。
人はもちろんのこと、妖も好んで棲むような環境ではない。
彼は人に害なす妖を封じるために旅をしている。
人も妖も棲まないような場所には、端から用がないのだ。
居心地が悪そうに座り直す少年を眺めて、狼は呆れたように尻尾を振り回した。
「なら、普段通り使鬼でも飛ばせばいいんでないか? 新しい使い方が見つかるかもしれんぞ」
「僕が生身の人間ならそうするんだけど。この躯体、精気の回復速度が生身の一割くらいしかないからね。厄介な敵を相手にするのが判ってるなら、余計な消耗はなるべく避けたいんだよ」
「なら、外に出て店でも巡ればいいじゃないか。毎度やっているだろう」
外を指す狼に、少年は首を横に振ってみせた。
「それも考えたんだけど、昨日の今日でしょ。さすがにちょっと迷惑かなって」
「ふむ。しかし、図書館くらいなら邪魔しても問題ないのではないか? 暇つぶしくらいにはなるだろう」
街に着くたびに図書館巡りをしている少年の姿を思い出して言ってみるが、彼は残念そうに首を横に振った。
「そう思ってさっき使鬼を飛ばしてみたんだけど、まだ開いてなかったんだよね。というか、街の人たちが落ち着かない限りは無理だと思う」
「……確かに、お前さん一人のために開けてもらうってのはよくないよな」
「そういうこと」
ここでいう図書館とは、書店と私塾を兼ねた店舗のことを指す。新刊の取り次ぎや古書の買い取り、有料での蔵書の貸し出しなどを行う傍らで、読み書き計算といった基礎教育を行う場所だ。
そういった店に足を運び、集まった人たちがものを教わっているのを背で聞きながら、店主の集めた本を繰るのが少年の習慣だった。
そういった場所は、街の人間たちに余裕がないと成り立たない。
いくら躰に異常がないとはいえ、二年近くも街全体が眠っていたのだ。
交易の再開のための連絡は必須だろうし、何人かは死者も出ている。
二日三日で生活を落ち着かせ、子供を通わせたり、あるいは自分が通おうなどという人間は少ないだろうと少年は説明する。
「しかも、二年も交易が止まっているとなれば、読むべきものもそうないってことか」
「うん。個別編纂された地誌とかがあれば見たいんだけど、それこそ戻ってきてからでも良いことだしね」
首を振る少年に何か良い提案をしてやれないかと首を捻った狼の目に、まだ綺麗に編み込まれたままの尻尾が映る。
暇つぶしだと言いながら真剣に作業していた美々を思い出して、狼は良いことを思いついたとばかりに手を打った。
「なら、精気を消費しない方向で何か作ってみるのはどうだ。お前さん、手先は器用なんだから、真剣にやればそこそこ良いものができるんじゃないか。絵はもういいとしても、刺繍や編み物、細工に彫金なんかは向いていそうだと思うんだが」
「うーん……どれもやってできないことはなさそうだけど、道具はともかくとして材料は買いに行かないといけないからなぁ。刺繍とか編み物はよく知らないし、細工とか彫金は……『鬼』として創ればいいものをわざわざ手作業で、って思うとどうもねぇ」
しかし、少年はどうやらあまり気が乗らないらしい。
やらない理屈をこねくり回す彼に苦笑を向けて、狼はそりゃ困ったと両手を挙げた。
「そりゃ、趣味ってのはそういうもんだからな。義務では絶対やらんことを色々試すのが面白いんだろう」
「……趣味」
鸚鵡返しに言って、少年はきょとんとした顔をした。
顎に手をやって、考え込んだ風に言う。
「……趣味ねぇ……。そんなの、今まで考えたことなかったな」
「そうなのか? 図書館に行くたびに全部の本に目を通してくるのも、やたらと古道具屋を巡りたがるのもお前さんの趣味だと思っていたんだが、違うのか?」
「いや、本はどこかに手がかりがあるんじゃないかと思って念のため全部見てるだけだし、古道具屋はたまに紛れてる『鬼』の回収と、路銀稼ぎのためかな。掘り出し物を見つけて別の街に持って行くと、割といい値で売れるし」
「外を眺めて絵を描き散らしているのは?」
「あれは躯を整備したり、『鬼』の欠片を取り込んだりしたときの動作確認かな。描いたり消したりも割と面倒くさいから、本当はやりたくないんだけど」
「ということは、もしかして山の中で草木を集めたり、岩を削ってみたりしているのも……」
「生薬も結構な値がつくんだよね。岩はほら、創鬼紙とか封妖紙の材料になる金属鉱脈がないかなって思って」
「おいおい……」
更にあれやこれやと質問を重ねた狼は、頭を押さえて巨大な溜息をつくことになった。
狼が趣味だと思い込んでいた少年の行動は詰まるところ、画師としての使命を全うするために役立ちそうなことに集約されていた。
それ以外の、たとえば面白いからだとか何となくやってみようと思ったとかの理由は、驚くほどに出てこなかったのだ。
「……怜乱、お前さん、思った以上に仕事中毒だったんだな……」
頭を抱えてしまった狼を、少年は不思議そうに見下ろす。
「だって、そのために創られたんだもの。使命を全うするために行動するのは道理でしょう」
「いや、それはそうかも知れんが。こないだ返してやった『鬼』だって、それなりに趣味っぽいことはあると言っていたぞ」
「それはあのお医者さんがそう望んだからでしょ。僕らはそういうふうにできてるの」
にべもない相棒の答えに、狼は再び盛大な溜息をついた。
「……なら、今回はそのお前さんが、ようやく暇を持て余して何かをする気になったってことでいいのか?」
「その辺はよく分からないけど、何もできることがなくて困ってるのは間違いないかな」
「面倒くさい言い回しをする奴だなぁ……」
呆れ返った狼はやれやれと首を横に振り、お手上げとばかりに両手を投げ出して目の前の卓子に突っ伏した。
その鼻先に、鋼色の分厚い包みが置いてある。
それをしばらく眺めて、狼はあることを思いついた。
* * *
隷巴の元に相棒を送り出してから二日と少し。
夜遅くにようやく帰ってきた怜乱は、小脇に抱えてきた銀色の箱を狼に差し出した。
「お、成果物がこれか」
箱を受け取って、狼はそれを眺め回した。
渡された箱の表面には雲を従えて空を駆ける龍、裏面には踊るような姿の鵬が彫金され、それぞれに五色の珠が嵌まっている。
絵とはまた違う立体感を持った箱を丹念に眺め回せば、角度によってはほのかに色がついているようにも見えた。
蓋と底で分かれていると解説されて蓋を持ち上げると、彫金に線が入って抵抗なく上下に分かれる。
どこかに空気抜きの穴が開けられているのだろうが、どれだけ透かしてみても穴がどこに空いているのかはわからない。
「上出来じゃないか。お前さん、思ってたよりだいぶ器用だったんだな」
言われて、少年は少しばかりくすぐったそうな顔になった。
そして、袂から銀色の板を取り出して、箱の上にちょこんと乗せる。
「……それは彫金じゃなくて、加工術のほう。彫金も教えてもらったんだけど、最後に作ったのでもこんな感じでさ」
「ここでなんで俺が出てくるんだ」
「他に何も思いつかなくて」
どことなくばつの悪そうな顔をして目をそらす少年に笑みを向けて、狼は小さな板をつまみ上げた。
縁を金で巻いた薄い八角形の板には、渓流を飛び渡る狼の姿が刻まれている。
さすがに毛の一筋まで判るような細かさはないが、足の先にはきちんと爪がついているし、森の木の所々は透かし彫りだ。
高級宝飾品を取り扱うような店のものにはほど遠いが、安い店で売っているものよりはよほどいい。
狼は感心して尻尾を振り回した。
「ほう。なかなか大したものじゃないか。ちゃんと見知った脚に見える。細い線も綺麗だ」
「そうかな……よかった。なかなか思い通りにできなくて、ずいぶん材料を無駄にしちゃったから」
細工を褒めると、少年はどこか恥ずかしそうな顔をして言い訳を口にした。
そんな相棒に成果物を返すと、彼はしばらく首を傾げたあと、そっと銀の板を差し出してきた。
「あ、ええと……これは老狼にあげようと思って。よかったら、なんだけれど、もらってくれる?」
「いいのか? あとでやっぱり気に入らないできだから返せとか言うのはなしだからな」
妙に遠慮がちな少年に尻尾を振って、銀色の板を受け取る。
そして首の後ろから何本か鬣を引き抜いてより合わせ穴に通して、自分の財布に結びつけてみせた。
その手元をじっと見つめていた少年がほっと息を吐くのを見て、狼は何となくほほえましいものを見たような気分になった。
「ところで、新しいことをやってみての感想はどうだ。悪くないだろう」
「うん、教えてもらえば意外とできるものだね。暇を見てやってみるのも良いかも」
答える声はいつもよりも幾分楽しそうだ。
狼がそれに満足して尻尾を振っていると、少年はそれに、と言葉を付け足した。
「上達したら路銀の足しにもなるかもしれないし……って、老狼?」
結局路銀稼ぎへと思考が集約する相棒に呆れ返って、狼は今までで一番大きな溜息をつきながら寝台へと身を投げたのであった。
──────【閑話・余暇/おわり】
【お知らせ】
こちらの更新を一週還ほどお休みさせて頂きまして、少しばかりマグネット版だけに載せている設定資料集(https://www.magnet-novels.com/share/53816)の更新を断続的に行おうかなと思っております。
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