11/12 裁定
「──画師殿」
隷巴に声をかけられて、怜乱は顔を上げた。
見下ろしてくる相手の縦に割れた瞳孔を見つめて、無言で次の言葉を待つ。
「この女の処断、画師殿はいかがお考えですか」
「……管理者殿の判断に画師が口を挟める余地などないと存じます」
裁定は任せるとばかりに頭を下げた怜乱の姿に、隷巴はおやと眉を上げた。
「では、散らしてしまっても問題ないと?」
「是。我ら画師の封じるものは、散らしたものが再び形を成した時に、人の害悪となり得るものですので」
「そこまでの害はないとおっしゃる?」
「恐らくは。彼女の、夢を喰らうものだという言は真実でしょう。犠牲者から残された気配を辿りましたが、どこまで追っても残された気の強さはほぼ同じでした。生気を喰らっても長らえるのが精一杯と見ます。生気を吸い力を得る類のものであれば管理者殿と争うこともありましょうが」
淡々と説明する少年に頷きを返し、隷巴は地面に伏せた女を見下ろした。
「なるほど。──女」
「………………阿児」
呼ばれて顔を上げた女は、不愉快そうに眉を寄せていた。
そのまましばらく男の顔を睨みつけていたが、そのまま女と呼ばれ続けるのは癪だったのだろう。
つっけんどんに名だけを口にする。
「ふむ。では阿児。お前、夢の代わりに記憶を喰らうことはできるか?」
「……似たようなものだから、やってできないことはないけれど。あれもあまり英気にはならないから、今の状態じゃ無理。せめて七割は恢復しないと」
「そうか。お前は確か、前の蝕震で流されてきたのだったな。あれは北とここを荒らすものだった。……画師殿、北に連なる龍脈の水はお持ちかな」
「爪牙か──古くてもよければ漠州のものが」
「では後者を一合ばかり。役に立つかはわかりませんが、代わりにこちらを」
怜乱が懐から水差しを取り出すと、隷巴はそれを掌に注げと要求した。
言われるままに器を傾けると、流れ出した水は男の手のひらの上で丸く玉になって浮き上がる。
管理者がその能力を振るうところなど、そうそう見られるものではない。
代わりの品だと返された水玉を別の水差しにしまいながら、怜乱は隷巴の手元を興味深く見つめていた。
甲まで鱗に覆われた無骨な手が手招きすると、周囲でさざめいていた蛇の一匹がするりと抜け出して水玉の中に飛び込む。
水玉は一瞬虹色に光ったあと、外側だけが硝子のように凝固して瀟洒な瓶に変わった。
宙に浮いた翡翠色の瓶は、ゆっくりと隷巴の手のひらに落ちて転がる。
瓶の中の水はとろりとした動きで揺れ、虹色の光輝をその中に泳がせた。
「──こんなものか。
阿児。二つに一つ、選ばせてやろう。この沙漠の塵となるか、私の眷属となり喰い殺した人間の親族の世話をするか。後者ならこれを遣わす」
「何よこれ。まさか、毒じゃないでしょうね」
男の指先にある小瓶を怯んだように見つめて、阿児は警戒も露わな声を上げた。
「消耗した気を補填する龍脈の水だ。この地のものだけでは身が焼けるだろうから、極地に連なる龍脈の水を混ぜてある。この場において北の気は貴重だからな、画師殿には感謝するといい」
「確かに、少しは懐かしい感じがするけれど。……人間の世話って、なにをするの」
「お前が殺した人間の、心と生活の安寧を図るための手助けだな。人死には私が眠っている間に入り込んだ邪気に侵されたと説明しておく。お前は 私が遣わした相談役として、身内を亡くした人間の話を聴き、本人が望むなら忘れさせてやれ。魘されるようならその夢もな」
眉間に皺を寄せながら隷巴の要求を聞いていた女は、しばらく俯いて考え込んでいるようだった。
「わかった。妾だって、畑を枯らしたいわけじゃなかったんだもの。責任は取る。……ところで、その親族とやらがみんな死んだ後は、故郷に帰れるの」
「好きにするがいい」
差し出された小瓶を受け取った阿児は、しばらく恐ろしそうな目で瓶の中身を見つめていた。
二合か三合ほどの水が原料となっているのは、彼女も見て知っている。
それがほんの一口ほどしか容量のない瓶に収まっているのを不審に思っているのだ。
しばらく瓶を矯めつ眇めつ眺め回したり匂いを嗅いだりを繰り返し、阿児は意を決したようにその中身を飲み干した。
瞬間、阿児の周りで虹色の光が飛沫のように散った。
散った光は渦巻きながら、彼女の躰へと押し寄せていく。
波模様のような残像を残して光が消えたそのあとには、ぽかんとした顔の阿児が座っていた。
肌のあちこちに残っていた醜い傷跡は消え、衣服や装飾品の破損まで綺麗に直っている。
その代わり、白皙の額の中央には鋼色をした鱗が一枚、飾りのように張り付いていた。
阿児はしばらく呆然と傷の治った肌を見つめていたが、突然口許を押さえて背を丸めた。
「う、気持ち悪い……」
「こちらの気が合わんのだろう。馴染むまでは大人しくしていろ」
「言われなくたってそうするわよ」
青い顔で息を吐きながら、阿児は柔らかい砂地にうずくまった。
女が目を閉じるのを見届けて、怜乱は背の高い男の顔を見上げる。
「ところで、管理者殿」
「役目に関わる話でなければ、隷巴と。大神公と話されているように、言葉もなるべく崩して貰えると話しやすい」
にこりと笑って、隷巴は問いかけてきた怜乱に要求を告げる。
たとえ眠りについていても、管理地の中の出来事は全て把握しているのだ。
男の一言でそれを察して、怜乱は少しばかり眉を寄せた。
「……それは、崩しすぎのような気もしますが」
「しかし、大神公にはあの語調でしょう。公もこちらへお出座しになられるようですし、かの御方の前で私にだけ丁寧に話されるのは、居心地が悪い」
肩を竦める隷巴をじっと見つめて、怜乱はがしがしと前髪を掻き毟った。
「そうですか……では、隷巴公。差し支えなければ一つ教えて欲しいんだけれど」
「対、何なりと」
「どうして、街の人たちをあんなに長い間眠らせていたのかな。龍になるのって、そんなに長くかかるものなの」
見上げてくる硝子玉のような目を見下ろして、隷巴は一つ目をしばたかせた。
僅かに首を傾げて問い返す。
「……怜乱殿は、我らのことはあまりご存じない?」
「伝説に聞く程度しか。皮を脱ぐのに失敗すると死んでしまうと妖蛇が言うのを聞いたことがあるから、似たようなものかと思っていたのだけれど」
「それは、失敗の程度にもよりますね。脱皮──我らは身削と呼びますが──自体は普通の蛇なら、どれだけ大きくとも一月もあれば終わるものです。ですが、蛇から龍に成り変わるためには、元の躰をかなり根本的に作り替える必要があるのです。これは身削の際に体を休めるのとは異なります。蝶や甲虫の蛹をご存知ですか?」
「……中が液状になっているあれのこと?」
怜乱が首をかしげると、隷巴は頷いて角を示した。
「ええ。龍への成り変わりは、あれに近いものです。古い皮の奥で骨や肉まで溶かしきって再構成するため、最初のうちはまだしも、骨肉まで溶けてしまえば残るのは僅かな意識のみ。何かあっても動くことはもちろん、術を使うことすらままなりません。故に幾重にも結界を張って存在を隠蔽し、地の底に身を沈め強固な殻として己が身を守るのです」
「なるほど、規模は違えど命を懸けた大仕事なんだ」
龍は成長に応じて姿を変える蟲、その長たる存在であるとされている。
獣を原型とする妖にはない神秘に、怜乱は感銘の声をあげた。
「ということは──この街は、そのために?」
「ええ。ある程度処理を散らすことはできますが、統括するものはどうしても必要なのです。そして、統括は私の近くでないとできません。ですから、管理地の中でも他に影響が少なく、地盤の強固なこの場所を選んで育てました」
「それって、街全体が管理者代行をしていたっていうことだよね。……もしかして、人が眠ってしまったのは、かかる負担が大きすぎたせいなの?」
驚いたように眼を見張る少年に、龍と成ったばかりの管理者は重々しく頷いてみせた。
「ええ。二万の民では本当に必要最低限、人の能力を全て管理に振り向け、さらに私の補助があってようやく、代行をなしえるという状態なのです。二十万の民がいれば人は眠らずに済みますが、それだけの民を支えるにはもっと肥沃な土地がいる」
「だけど、そんな土地があれば、周りにも街ができる?」
「はい。しかしそれでは困るのです。大地が揺れると人は怯えますし、何より建造物が壊れてしまいますから。人の生活を守ろうと思うと、この街の規模が精一杯なのです」
「……公のご深慮に心より感謝いたします」
負担の大きさを想像して思わず頭を下げた怜乱に、隷巴はそうでもないと首を振った。
「眠っていてくれた方が都合が良いのですから、全てはこちらの都合です。
というよりも、私こそ怜乱殿には感謝しないといけないのです。怜乱殿の処理能力も大したものでしたが、何より大神公をお連れいただいたのが大きい。私ひとりならあと五、六年はかかる見込みのものが、これだけの期間で済んだのですから」
「……そんなに違うものですか」
狛斗と狼の間で交わされた会話を知っていれば、その準備期間がかなりの期間にわたるものだということが判っただろう。
しかしそれを知らない怜乱は、人が眠りだしてからの期間と理解した。
だからこその驚きだったが、さすがの龍神もそこまでは読めない。にこりと笑って頷いた。
「是。私の力だけでは、あの半分の水蛇しか招けないはずでした。それでは人の棲む建物を守るだけで精一杯。予定の三倍の水蛇を招き、街を丸ごと守ることができたのは大神公のお力を借りられたおかげです」
(とおくからきたよー)(けんよーのちかくからきたよー)(らんしゅーからもきたよー)
はやし立てるように、隷巴の周りから甲高い声が響く。
水蛇たちが口々にはやし立てる地名は、確かに怜乱たちがここ三、四年で訪れた地ばかりだった。
「これから先はまた大きくなるだけですし、蛇のように丸ごと皮を脱ぐ訳ではなくなりますので、このようなことはこれ一度きりです」
「……たった一度のために街をこの場所に作って、育てて、これからもずっと面倒を見るってこと?」
「龍とはそういうものなのです」
怜乱が感心しきりといった顔で頷いていると、遠くからおおいと呼ぶ声が聞こえてきた。




