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10/12 羽化

 先行させた使鬼(しき)たちはほとんど役に立たなかった。

 紙に何の細工も施さず、ただ投げるだけで作り出した簡素な鳥の姿は鳩よりも一回り小さい。

 何百群がらせようとも、全長が小山の半分ほどもある(くさび)を削りきれるものではない。


 かといって、その下にいる妖を直接攻撃することもできなかった。

 遠目で見ても、妖の周りを取り巻く気の層は斑らに明滅している。

 妖の姿が闇夜でもはっきり見えるのは、彼らがその形を保つための気が薄く躰を取り巻いているせいだ。

 それを保てていないということは、妖気を激しく消耗している状態だということだ。


 そんな相手に、加減の効かない使鬼をぶつければ命取りになる。

 妖を封じることが目的である画師としては、相手をむやみに殺すわけにはいかないのだ。

 重ねて言えば、妖を殺したところであの楔が形を崩すとも限らない。

 焼け石に水だと知りながら、怜乱は使鬼に楔の先を削らせていた。



 半里近くの距離を飛び抜けて、たどり着いたのは丘陵の麓だった。


 そこには、肩で息をしながら立つ、ひどく窶れた女の姿があった。

 異国風の長衣を纏った女だ。

 明るい茶色の髪を銀糸で編まれた額冠(ティアラ)で飾り、長く背中に散らしている。

 天に掲げられた肉の落ちた腕の上には、使鬼に(きっさき)を削られつつも形を崩さない、砂の楔が浮いている。


「それを一体どうするつもり。悪さならやめなよ」


 中空から声を掛けると、女は弾かれたように振り向いた。

 血走った目が怜乱を見据え、驚いたように見開かれる。


「……なんで、ここに」


 乾いた唇から漏れた掠れた声は、夢で聞いたあの声だ。

 しかし、あの声は助けてと繰り返してはいなかったか。


「邪魔しようったって、もう遅いんだから!」


 怜乱が問いかける間もなく、女は自棄になったように叫んだ。

 震える手で丘陵を指さし、ぱっと身を翻す。


 とたん、楔がゆらりと傾ぐ。

 丘陵の中腹に(きっさき)を向けた巨大なものは、斜面を滑り落ちるような動きで高度を下げ始めた。


 怜乱は乗っていた銀の板から飛び降りて、それを楔に向けて蹴り出した。

 間を置かず引き出した紙束に、いくつかの記号を描き付けては投げる。

 懐からこぼれたいくらかの紙は、蛇のような形に変じ、女を追ってうねくっていった。


 中空を駆けた銀の板が、楔の落下を阻んで鈍い音を立てる。

 わずかに速度を緩めた楔には、続けざまに銀の紙が衝突してその振動を巨大な塊に打ち込んだ。

 いつぞや対峙した鹿の精の真似をした術式は、使鬼よりも効果があった。

 楔に人の背ほどの穴が開き、ごっそりと砂が落ちるようすを確認して、怜乱は次々と紙を投げながらも逃げた女を追った。



 ほんの三町(300m)ばかり足跡を追うと、地面に転がる女の姿が見えた。

 白銀の縄にぐるぐる巻きにされて、身動きも取れずにもがいている。


「くそっ、何よこれ、どうして外れないの!」


 かすれた怒声を上げる女の前に、怜乱は膝をついた。

 噛みつかんばかりの形相で触るなと叫んだ女の手を掴んで開かせる。

 その手のひらに筆でいくつかの文字を書き付けると、背後でざばりと砂が落ちる音がした。

 楔と女の間にあった妖気の接続が切れたのだ。

 同時に、女の肩ががっくりと落ちる。


「あの丘の下で眠っているものが何か、知っていて手を出したの」


 問いかけると、浅い息を繰り返していた女は顔を上げ、忌々しげに怜乱を睨みつけて口を開きかけた。


 しかし、女の声が音になる直前。


 地の底を這う気配が、大きく身震いした。

 同時に、天地の間に衝撃のような咆吼が響き渡る。

 砂が沸き立つように巻き上げられていくのが見え、地鳴りと豪雨が屋根を打ち据えるような音が同時に迫ってくる。


 衝撃の主を見定めようと首を巡らせた怜乱の目に、天と地を(きざはし)のようにつなごうとする巨大な姿が映る。

 蛇というよりも鰐に似た頭部は深い湖の色をした鬣に巻かれ、それが延々と背中へと続いている。

 長い胴体は背から腹に向かうにつれ鋼色から銀へ色を変える鱗に覆われている。


 星の雲を引き裂きながら天へと駆け上がっていくその姿は雄壮で、同時にひどく美しかった。


 その光景を目にできたのはほんの一呼吸か二呼吸の間だけだ。

 砂煙を捲き上げて迫ってきた強烈な衝撃波に吹き飛ばされた女もろとも、怜乱もかなりの距離を転がることになった。



             *  *  *



 地鳴りは嘘のように止んでいた。

 着物の中にまで入り込んできた砂を雑に追い出して、怜乱は改めて空を見上げた。


 雲一つなく澄んだ空は、何事もなかったかのように嘯いている。

 空を泳ぐ龍の姿が見えなくて残念だと思いながら、怜乱は軽く辺りを探った。


 丘陵の中にあった巨大な水気の塊は、当然ながらどこかへ行ってしまった。

 今は地の底に張り巡らされた地下水路がさらさらと流れるばかりだ。

 かわりに冷たい砂の気配が埋まっているのを見つけて、ぐったりしている女を引っぱり出してやる。


 縛めを解かれて力なく地面に身を伏せた女は、先ほど見たときよりもさらにやつれていた。

 おそらく、砂の楔を作ったことで力を使い果たしてしまったのだろう。

 躰を取り巻く気の膜は今にも消え入りそうな淡い光がまたたくばかりで、女の姿はほとんど闇に沈んでいた。

 それでも何とか半身を持ち上げて恨めしそうに怜乱を睨んだ女は、擦れて罅割れた声で毒突く。


「何で余計なことをしたの。もう少しで一矢報いてやれたのに」

「それ、僕が画師だと知った上で言ってるの」


 怜乱はじっと女を見返す。

 感情の読めない鳶色の瞳に見つめられて、女は怯えたように目をそらした。


「……(わたし)だって困っていたのよ」


 声が震えている。


「嵐に巻き込まれたと思ったら、こんな沙漠の真ん中に放り出されて! 訳のわからない化け物に襲われて、消えそうになりながらやっとここに逃げ込んだのよ。人が沢山いるから、少しくらい夢を分けてもらっても大丈夫だと思っていたのに。蓋を開けたら夢を見る余裕もなく眠りこけている人ばかりで、どうしようもなかったんだから」


 訴える女の躰には、確かにいくつもの無残な傷跡があった。

 もうすでに皮は張っているものの、あからさまに融けて引き攣れた火傷の跡や、鋭い爪に切り裂かれたような跡が見て取れる。

 身につけている異国風の装飾品にも、あちこちに傷ができ、あるいは大きく欠けていた。


 怜乱の記憶が確かなら、三十年ほど前に北の大陸で流行った意匠のはずだ。


「で、その傷を治すために、街の人達を食い殺したっていうの」

「……妾は夢を食べて生きるものよ。畑を枯らすつもりなんてなかった。でも、妾だってあのまま死にたくなんてなかったのよ」


 肩で息をしながら、女は呟く。

 それに返そうとした怜乱は、後ろから近付いてきた気配に口を噤んだ。


「我が管理地の人間に手を出しておいて、そんな言い訳が通るとでも?」


 朗々と響いたのは低い男の声だった。

 声の主を見上げた女が、憎々しげに眉を寄せる。


 数歩身を引いた怜乱が見たのは、強烈な水気を押し込めて形にしたような男だった。

 身の丈は六尺の半ばほど(190cmと少し)、肩幅は広く胸板は厚く、精悍な顔つきはいかにもといった威厳に溢れている。

 金属と刺繍で彩られた袖なしの胴衣と太い腕の周りには、半透明の蛇たちが群がって嬉しげに騒いでいた。

 露出した肩から下は、手甲のように鋼色の鱗が覆っている。

 深い湖の色をした髪から覗く鹿の袋角に似た形の角が、彼の正体を物語っていた。


 ──龍だ。


 天から押し寄せるような水気と微かな水音を連れて現れた彼は、怜乱の側まで来ると丁寧な礼を取った。


「これは、画師殿。(わたくし)、天よりこの地の管理を仰せつかっております蛇、隷巴(れいは)と申します。この度は画師殿のご助力により無事羽化を果たし、完全な姿で天に(まみ)えることができました。ここに御礼申し上げます」


 頭を下げる男に、怜乱も手を組み礼を返す。


「──怜乱と。まずは無事天に至られたこと、お慶び申し上げます。万年に一度の場を目にすることのできた僥倖に感謝致します」


 少年の謝辞に頷いて、男は身振りで少し待っていてほしいと示す。

 そして、血の涙でも流しそうな目で自分を睨みつけている女の前へと一歩踏み出した。


「──それにしても、おまえ」


 明確な怒気を孕んだ地鳴りのような声に、女はびくりと身を強張らせた。


「二十と三人、殺したな。我が管轄下にあるものに手を出し、あげく羽化の邪魔立てまでしようとして、無事でいようとは努々(ゆめゆめ)思うまいな」


 男の声は冷たい威圧感に満ちていた。

 それは、長きにわたりこの地の管理者として君臨してきた者のみが持ち得る威厳だ。

 管理者には、管理地の害となるものを処分する権限があるのだ。


 男にじっと見つめられて、視線の圧力に耐えかねた女は感情的な声を上げた。


「……だって!」

「何か。申し開きがあるとでも?」


 間髪入れず発せられた問いに、女はまた一瞬詰まる。

 しかし、口を噤んでなどいられなかったのだろう。

 言葉を詰まらせながらも、彼女は必死で喚き立てた。


「だって、妾は悪夢っていう魂のかけらを食べてしか生きられないものなのに! 結界を張って中の人間を全部全部眠らせて、夢も見られないくらいに仕事を押しつけて眠ってしまったのはあんたじゃないの! 

 だいたい、あの沙漠の中にいる怪物は何なのよ。ああいうものを大人しくさせるのも、あんたの仕事じゃないの? 妾はただお腹がすいていただけなのに、なんでそんな目で見るのよ!

 そこの画師だって、妾じゃなくて原因を作ったそいつを責めなさいよ!」


 怒りの矛先を向けられて、怜乱はほんの僅かに首を傾けた。


「……僕はまだ、何も言っていないけれど。でも、同じ原因があっても、結果は同じとは限らないよね」


 そう言って、懐の中から小さな塊を取りだして女にぽいと投げる。


「それ、君の同類でしょう」


 反射的に受け取って、手の中のものに目を落とした女は悲鳴を上げた。

 かさかさに乾涸らびたそれは、蝙蝠の死骸だった。


「遠い国から来たみたいだし、知らないかもしれないから説明するけど。それはこのあたりにたくさんいる、夢を食べる魔物だよ。生気を喰らう適正もあるのに、皆それをせず眠ったまま死んでる」


 言葉に詰まる女の上から、隷巴の低い声が重なる。


「そもそも、私が羽化の眠りのために敷いた結界には、踏み入るならば不殺不奪を守れと置いてある。それを全く無視して転がり込み、街の人間を喰らい、挙げ句の果てに羽化の邪魔までしようとはな。

 管理者に害があれば、その地脈に連なるもの全ての安寧が脅かされることを知っていてのことか? ──それとも、おまえが変わって主を務めるつもりであったか」


 鋭い視線に射抜かれて、女は声を詰まらせた。


 やむを得なかったとはいえ、自分に非があることは判っている。

 彼女は本来、人を喰らう妖ではない。空腹のあまり制御ができず、こんな結果になってしまっただけなのだ。


 それに、龍と真っ向から対立するだけの妖力など、消耗する前とてありはしない。

 だからこそ、この管理者が一番無防備になる、脱皮の瞬間に一矢報いようとしたのだ。

 その程度の妖力しか持たない自分に、荒れ狂う大河にも似た地脈の管理などできようはずもない。

 例え一割でも、押しつけられれば存在ごと吹き飛んでしまう。


 しかし、理解と感情は必ずしも一致しない。

 自分の糧を奪った相手への憎しみと、ささやかな復讐すら遂げられなかったやり場のない憤りが、彼女の周りにある砂を揺らす。


 ──しかし、それだけだった。


 逃げ出すために必要な妖力は既になく、苛立ちをぶつけるほどの力も残っていない。

 ただでさえ飢えで弱っていた妖力を砂の楔を作ることで使い果たしていた女は、ぐったりと地面に伏せた。

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