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9/12 水蛇

 砂の中から手を伸ばす。

 そんな感覚を伴って、意識がふっと覚醒する。


 頭の中は相変わらずいやに重たい。

 瞼の裏を細かい砂がゆっくり動いているような、乾いた不快感がある。


「なんだか、処理が追いついていない感じなんだよね」


 誰ともなしに説明して、怜乱(れいらん)は我が身の内に意識を向けた。


 人型を取る『(どうぐ)』は、不調があればその状態と原因を判断し、修復までの期間を使用者に報告するように創られている。

 時には人の手に余るような機能を持ち、暴走すれば周囲に甚大な被害を与えかねない『鬼』には必須の機能だ。


 しかし、『鬼』としての器に人の血肉と魂を封じたものである怜乱は、その機能があまり的確に働かない。

 『鬼』としての変調なら容易にできる判断が、人としての不調や変調が介在するととたんに判らなくなるのだ。

 生身の体と創りものの体では感覚が大きく違うことも原因の一つだが、何よりも先人の知識が役に立たないことが大きい。

 ただの眠気が判らなかったのもそのせいだ。



 普段よりも時間をかけて機能の精査をすませると、怜乱はようやく外に意識を向けた。


 あたりには水の気が満ちていた。

 耳にはしゃらしゃらとさざめくような音が届いている。

 鱗のある長いものが、肌の表面を撫でていく感触がする。


 ──また、水の中に放り込まれでもしたんだろうか。


 多少なりとも覚えのある感触にそんなことを思い目を開くと、淡い青色に染まる梢が見えた。

 その手前ではきらきらとしたいくつもの光が踊り、向こうには波の模様がゆらゆらと揺れている。


 ──水中に、木?


 ……まさか。


 眠っている間に街が水没したのではと思い至り、怜乱は慌てて身を起こした。

 水を掻く抵抗とともに、わっと何かが周囲を動き回る気配がする。


(きゃあ、あぶなーい!)(おはようおはよう!)(よくねた?)(でももうちょっとねむっていないとだめだよぅ)(あぶないよぉ)


 一斉に、甲高い声がさんざめいた。

 眠気の残る視界にちらりちらりと光が舞い、肌のあちこちをひんやりとした何かが撫でていく。

 手のひらを掠めたそれを反射的に掴もうとしたが、ぬるりと滑って逃げられてしまった。


(つかまらないよー)(なんでめをさましたの?)(せっかくねむっていたのに)(もっかいねよ?)(そろそろだよ)(あぶないよ)


 一旦は逃げていった気配たちは、すぐに戻ってきたようだった。

 薄い硝子の破片を硝子の箸で掻き回すような声が、あちこちから響いてくる。


「危ないって、どういうことなの」


 その中から辛うじて聞き取れた単語の意味を、怜乱は鸚鵡返しに問いかけてみた。


(おうさまがめをさますの)(じめんがゆらゆらするよ)(まちがこわれないようにするよ)(あぶないの)(おきたときになにもないとこまるから)


 いくつもの答えが、いちどきに返ってくる。


 聞き取れた単語を総合すると、彼らは『王様』が眠りから覚めるのを待っているらしかった。

 地面の下にいる『王様』が、地上へ出ようとすると地面が揺れる。

 それで街が崩壊するのを防ぐため、彼らはここに呼び寄せられたのだという。


 無数の声を聞き分けることに意識の大部分を割きながら、怜乱は眠る前に見た記録を再確認していた。


 使鬼が持ち帰ってきたのは、この街を中心とした半径十里程度の鳥瞰映像である。

 鳥の視線から見下ろした緑洲(オアシス)の街は、周囲を円形に取り囲む低い丘と、その向こうに続く長大な丘陵に守られるようにして存在していた。

 街の東側から始まった丘は、南から西、北へと街を四分の三周し、北東へ終端を向けている。丘は終端に向かうにつれ徐々に高さを増し、一番高くなったところから急角度に落ち込み終わっていた。

 丘陵の高い方の終端を頭に見立てるなら、尾で卵を守る蛇のようにも見える形だ。


 そんなことを考えているうちに、あたりには夜のとばりが落ちてきていた。

 闇が落ちるに従って、周囲にいるものの輪郭が徐々に浮かび上がってくる。


 怜乱が水だと思っていたのは、絡み合い泳ぎ回る大小無数の蛇だった。

 とはいえ、生物としての蛇ではない。

 淡い精気の光を纏った、妖や妖精に近い存在だ。

 呼び寄せられたと言っていたから、もしかすると近隣の水脈の精なのかもしれない。


 彼らの姿と使鬼の見てきた地形から、怜乱は『王様』と呼ばれるものが年を経た蛇の妖か、それに連なるものだろうと推測を立てる。

 確か、蛇は脱皮の前にしばらく動かなくなることがあったはずだ。

 それを眠りと表現するならば、『王様』は脱皮の準備をしているということになる。


 ──しかし、妖の眠りに人が巻き込まれることなどあるものか?


 疑問を口にしようとした瞬間、ずんと低い音を立てて地面が揺れた。

 空間を埋める蛇たちがいなければ、木と石組みでできた建物が一気に崩れていたような揺れだ。

 その異変に、蛇たちはきゃあきゃあと嬉しげな声をあげた。


(はじまった)(はじまった!)(おうさまがめをさますよ)(たてものがふらふらするよ)(もっとつまらなくちゃ)(つまりすぎてもこわれちゃうよ)(ばんざい!)(おうさまのたんじょうだ!)


 狂おしく騒ぎ立てあたりを泳ぎ回りながら、闇雲に密度を高めてくる。

 そんな蛇たちにもみくちゃにされながら、怜乱は地面の下で巨大な水の気が身震いするのを感じていた。


 街を取り囲む丘陵の下に、何かがいる。


 これだけ強大な気にどうして気づかなかったのだろうと真剣に悩みかけた怜乱だったが、その答えはすぐに出た。

 もう一度注意して気配を読めば、地面の下を動いた水の気がこの地に流れる水と同じものだとわかる。

 動かなければ判ろうはずもない。

 そういった存在のことは、怜乱もよく知っていた。


 ──龍脈を統べる管理者だ。


 一般的には土地神や(ヌシ)と呼ばれる存在である彼らは、土地の安寧を保つため、龍脈の管理を一手に担っている。

 その在所に暮らす人間が総じて眠りについているならば、それは異変ではなく管理者の意図したものだ。


 龍脈の管理は天の領分である。

 人の手の及ばぬ事態だと悟って、怜乱は溜息をついた。


 ならば大人しく老狼たちと合流しよう。


 そう考えて腰を上げかけると、蛇たちがまたしてもじっとしていろと大騒ぎを始めた。

 そんな彼らをなだめすかして、怜乱は元来た道を引き返す。



             *  *  *



 水底を歩くような格好で先を急ぐ。

 説得の結果大人しくなった蛇たちは、怜乱の歩みを補助するつもりなのだろう。

 賑やかにさざめきながら、緩く流れを作っている。


 途中で、おかしな気配があった。

 不審に思って足を止めると、あれだけうるさかった蛇たちが、そこでだけ黙り込んでいるのだ。


「どうしたの」


 声を掛けると、蛇たちは一斉に視線を向けてきた。


(どうしよう)(なんでだろ、しんでるの)(おうさまにおこられちゃう)(しなないようにここにいるのに)(のに)


「死んでるって?」


 問いかけても、同じ言葉が帰ってくるばかりで要領を得ない。

 すすり泣くような声をあげる蛇たちの間をすり抜けて、怜乱は使鬼に閂を外させ扉を押し開ける。



 廊下や部屋の隅々にまでみっしり詰まった蛇たちのおかげで、家の中は調度が落ちたりする事もなく整っていた。


 泣き声を頼りに部屋を探し当てると、寝台の上に薄い塊があるのが見えた。

 死んだのはかなり前なのだろう。

 低い湿度と高い温度のせいでからからに乾涸らび、腐ることもなく形をとどめている。

 眠っている間に事切れたようで、近寄って覗いたその顔は苦悶の跡もなく安らかだった。


 あの夜起き出してきた女たちの家人は無事だったのにと考えながら、怜乱は若い男の死体に手を触れた。

 病気の有無は判断のしようがないから、目立つ外傷がないことを一通り確認する。

 残された気配を探るために目を閉じると、覚えのある感触が引っかかった。


 ひんやりと冷たい砂の気配は、夢の中で足元を流れていた砂と同種のものだ。


 昼間にこの気配が感じられなかったのは、熱砂の気に覆い隠されていたからか。

 そんな推測をしながら、怜乱は残された気配を辿ることにした。



 蛇たちの伝達速度は速かった。

 怜乱が外に出たとたん、死んだ人を探しに行くのかと口々に問いかけてくる。

 そうだと頷くと、彼らはほっとしたようにくるくると泳ぎ回り、案内するように流れ出した。


 蛇たちに案内され、怜乱が確認した死者は十五人。

 性別に偏りはないが、青年期の人間であることが共通点だ。

 中には新婚らしい夫婦の片方だけが死んでいるものもあり、さすがの怜乱も眉を顰めた。


 冷たい砂の気配は、どの屍体にも張り付いていた。

 普通なら新しいものほど濃く感じられるはずのそれは、新しいものも古いものも、同じように薄いままだ。

 

 どこか不自然な気配を手繰り犠牲者を数えるうちに、怜乱は街の外縁部へと到達していた。

 街の東側、ちょうど丘陵が低くなって途切れるあたりだ。


 外へと続く気配を追って城壁を越える。 

 街を取り囲む城壁を越えて少し行くと、あたりを埋める蛇たちはいなくなってしまった。

 どうやら、彼らが保護するのは街の建物だけらしい。


 蛇たちがいなくなった地面は、想像以上に揺れていた。

 そのうえ地鳴りとも呻き声ともつかない低い音が、殷々と大地に響いている。

 この状態で人が起きていれば、さぞやひどい騒ぎになったことだろうことは、想像に難くなかった。



 揺れる地面を踏み越えて歩くうち、怜乱はどこからか冷たい砂が流れてくることに気がつく。

 最初は追っている砂の気配だと思っていたが、指先に当たる砂の感触は物理的なものだ。

 歩きながら手を広げて後ろに向けると、手のひらに細かい砂の粒子がぶつかってくる。

 不自然に指の間をすり抜けていく砂を追って顔を上げた怜乱は、一瞬己の認識を疑った。


 空に、べったりと黒い三角形が張り付いているように見えたのだ。


 よくよく目を凝らせば、それは星明かりを遮る巨大な三角錐であることがわかる。

 夜空に浮かんだ鋭利な楔に似た形が、砂を集めながらゆっくりと回転しているのだ。


 どういうことだと目を凝らせば、星影の落ちた地面に何者かの姿が見えた。

 漂う砂のせいで輪郭はぼやけていたが、両手を頭上に掲げ、時折倒れそうになりながらこらえているようすは判別できる。

 人影の真上にある巨大な楔の切っ先は、南に向かって徐々に高くなる丘陵の中ほどを向いているように見えた。


 もしかして、地面の下にいるもの(管理者)を、あれで突く気でいるのか。


 浮かんだ想像にぞっとする。

 この状態の管理者を害せば、管理地にはどれだけの被害が及ぶことか。


 怜乱は懐から紙を取り出すと、投げられるだけの使鬼を投げる。

 最後に残った紙には、平たい舟形といくつかの文字を描き付けて形にする。

 浮き上がりかけた白銀の板に強引に飛び乗って、怜乱は一散にその場所へ向かった。

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